第2話 序章 捕獲屋

文字数 4,991文字

太陽は黒雲に覆い隠され 辺りは薄暗い。時折空が閃光を放つと雷鳴が腹の底まで轟いた。
蜘蛛の糸ほども細い雨が音も無く降りしきり じめじめとした大気と相俟って
躰に纏わり付いてくる。


微かな血の臭い

明るい色の短髪 黒い着物に濃い蒼の羽織を雑に引っ掛けた長身の男。
血の臭いは 男の躰に染み付いている様だった
此の男の笑みには絶えず凶兆が付きまとう。
此の男の行動は凶音をもたらす。
此の男の顔には今此の時も悪事を企む相が出ている。
凶と言う字は此の男の為にある様なものだ。
髪を伝い 顔から雨粒が流れ落ちるのも其の儘に 男は天を仰いだ。
見上げた暗い空から雨が男に降り注ぐ。

男は懐から煙草を取り出すと 火を付け悠々と燻らせた。
煙がながれてゆく先に 黒服姿の何れも屈強な男達が居並んでいたが
其の存在は 霧雨の中で影のように佇み 気配も感じさせない。 

「長 「回収屋」共が召集された様です」
居並ぶ黒服の男の内から 一人が前に進み出て一言短く告げると遥か遠方を見通す様に
サングラスの奥にある金色の目を細めた。


陰鬱な光を帯びた 冷やかな眼を感じている
周りの地面だけが奇妙な程真っ白で 暗闇にくっきりと浮かび上がり
其処には     音も無く  動く者も無い
辺りは深い闇に包まれて  何も見えない   其の先に何が在るのか
闇は少女を閉じ込め
浮かび上がった大勢の人間の双眸が  突き刺す様に   少女を見ている
    憎悪に歪んだ眼光に蹂躙され 躰が 動かない  息が苦しい
声が 出ない   首を押さえていた両手を離すと 血で真っ赤に染まっていた
其れは 斬られた首から流れ出る血であった
紅い血が掌から零れ落ちる   血が流れて    足下から 白い地面に拡がってゆく
流れ出る血は生ある物のように地面を這い
視界が紅く染まってゆく
醜く歪んだ眼が冷たく嘲笑った
流れ出す血が止まらない   血が  止まらない      止 まら  ない

「 ― 
   声 が   出 な 

唇が戦慄く。
ゆっくりと目を開き 少女は震える白い息を吐き出すと虚ろな瞳で辺りの様子を窺った。
廃墟は静まり返り 闇の中をいつの間にか音も無く雪が舞っている。
雪は湿って重く 蹲る少女の憔悴した躰に降り積もって体温を奪った。
目を覚ませば 其の目に映るのは  墜ちて往く世界<
暗い空からは黒い灰が降り   聳える黒い影は少女を取り囲む檻となって 何時までも消えない

前は何処に居たのか
思い出そうとすると頭が強く痛んだ。
嫌な夢を見たからかも知れない。   夢 ? 此処に居るのも 本当は …

   夢の中で  いつも 少女は殺される    残酷な眼が   少女を殺す

ふ と「何か」を感じ 少女は顔を上げた。躰がざわめく。
少女は此の先に起こる事を予知出来得る訳では無い。唯 感じるのだ。
辺りには物音も人影も無い。怯えた瞳は暫く辺りの様子を窺っていたが
立ち上がると直ぐに其の場から離れた。
歩き出した足は追われる様に早まり いつの間にか疾走に変わっていた。

何処に居ても 何処まで逃げても  歪んだ視線が絶えず少女を追って来る。
激しい憎悪に燃え  殺意に満ちた大勢の人間の眼が少女を取り囲んで雁字搦めにする。
歪んだ影が地を這う様に進み来て
直ぐ 後ろに ―
不意に頭が強く痛み 目が眩むと躰が感覚を失って其の儘勢い良く地面に倒れ込んだ。
「誰か」の手が伸びて来る。
少女は直ぐ様半身を起こし 背後を振り返った。
辺りにはただ暗闇があるばかりで誰も居無い。
少女は傷ついた足を震える両手で抱え込み 其の場に小さくなった。

年季の入った車が一台 罅割れた道路を土埃を巻き上げながら進んで来ると 廃墟の外れで停車した。
「立ち入り禁止」と物々しく書かれてはいるが
錆びた針金一本で辛うじて落ちずにいる警告看板が威厳もなくぶら下がっているだけだ。
見張りも無く監視カメラがある訳でも無い。
有刺鉄線のフェンス 上部には鉄条網が張られた刑務所などでお馴染みの塀が延々と続いている。
車の中から然も不健康そうな男が一人 態と時間を掛けてのっそりと出て来ると
陰惨に佇む廃墟を陰気な目で見遣り 見るのも不快だ、と言わんばかりに小さく舌打ちした。
闇に連なる黒い影は人々から忘れ去られ 訪れる者も無い寥落の墓標の群れだ。
陰気にならいでか ―
ダウンジャケットを脱ぐと乱暴に助手席に放り込み 代わりに塵溜めになっている後部座席から
ぼろ布の如きコートを引き摺り出して悪臭に噎せながら羽織った。
破れた服の所所から身を切る様な冷風が入り込んで来る。寒さに震えあがったが此れも仕事だ。
心優しい廃墟の住人を装って「獲物」に近付き 油断したところで牙を剥く。其の為に
風呂にも入らず蓬髪も其の儘に 残飯がしがみついている髭すらも剃っていない。
黴びたコートを身に付けると 其の汚臭に身が震える程吐き気を催したが
今の所此が一番効率が良いのだから仕方無い。
男は廃墟に向き直ると辺りを見回し やおら歩き始めた。


男は孤児を捕えて売り飛ばし 其れで稼ぎを得ている「捕獲屋」だ。
廃墟には孤独な子供達が棲みついている。
子供達の多くは「群れ」で生活し 時折街に出ては悪事を働く。
廃墟から出て真っ当に生きていく事等 夢のまた夢だ。
それはそうだろう。
戸籍すら持たない者が殆どなのだ。此の世に存在為ない存在。
独自のルールで生き 秩序も良識も糞食らえ。
多くは闇の仕事に手を染め ロクでもない一生を終える。

自分の様に。

夢など持った事も無い。だが
生きている限りは金が要る。
誰にも咎め立てされない子供を金に換えるのは 最も楽な仕事だった。
どうせ大人になってもロクな事をしない。此の地に在るのは穢れた土に蔓延る悪の芽だ。
此の先起こり得る悪事を減らしてやっているのだから感謝されても良いと思っている。
稀に 馬鹿みたいな慈愛の心で非難する者も居たが 試しに此の地のガキを連れ帰ってみると良い。
真の悪とはどういうものかを教えてくれるだろう。街の奴等には分かるまい。
雑草も蔓延れば手に負えなくなる。
「群れ」にはそれぞれのルールが存在しているが 共通しているのは   殺人も厭わない、と言う点だ。
子供達が手にする「オモチャ」は 街の常識とは違う。
リスクは大きい。
だから男が狙うのは 「群れ」に入れず孤立している憐れな幼子だ。
はみ出し者の子にはやはり何かしらの「難」があり 大半は売った所で二束三文にもならない。
「難」の中には奇妙な子供も含まれる。
人を喰い殺す「禍い子(まがいこ)」と呼ばれる存在 ―
「禍い子」は血の様に真っ赤な目を持ち キメラのように奇怪な姿をしていると言う。
其れに「魂の無い子供」 だ。
魂が抜け落ちたかの様な其の様相から「抜け殻」とも呼ばれている。
生ける屍   彷徨いながら「何か」悪いものに憑りつかれ やがて其れが「禍い子」となるらしい。
此の手の話は数限り無く存在し どれも真相は定かでは無い。話は尾鰭を付けて広がっている。
何が面白いのやら。
ただ 「抜け殻」だけは時折見かけた。
捕えるのは訳も無いが 眼窩は深く落ち窪み 痩せた躰は腐敗した土壌に立つ枯れ木宛ら。
闇市で売り飛ばしても薪代にすらならなかった。
もう一つのリスクを上げると 此の場所は蒼蓮会の縄張りで 見つかれば只では済まないだろう。
高潔な長殿は闇市を好まないらしく 領地内で商いをしようものなら ― 
関わった者達は皆 ある日突然姿を消し 其の儘「消息不明」になる。
其の事を話題にする事すらも禁忌で まるで 話せば呪われる、と言わんばかりに誰も口を開かない。
馬鹿馬鹿しい話だ。
此れ迄に何度も孤児を捕まえては売り飛ばしてきたが何のお咎めもなかった。
全ては都市伝説、と言うやつだ。
信じる者だけが馬鹿を見る。
其れが証拠に此の商売は今以て売り手市場だ。
「商品」を求める客は 入手が困難になれば成る程余計に欲しがる。
売った「商品」がどうなろうと男の知った事ではない。
道が欲しければ自分で切り開け。自分は飼い主を喰らいながら生きてきた。
「店」に奴隷の如き扱いを受けていた時も
― ああ あれは最高だった あいつが最期を覚った時の顔と来たら いつ思い出しても愉快だ ―
陰惨に唇を歪めて笑う。
― 俺の邪知には禁忌すらも及ばない
良い思い出に浸っていると幾分か気も晴れてきた。
「禍い子」とやらが本当に居るのなら是非ものにしたい。
上流階級の連中に金を出させるなら相応の品を用意しなければ目通りすらも叶わない。
危険を冒してまで此処に来た甲斐があると良いのだが。
男は乾いた地面に何本目かの煙草を落とすと 苛々と踏み躙った。
際になるまで気付かなかった煙草の火で髭が焦げていたのだ。顔を顰め 燃え滓をはたき落とす。
平静なつもりだが今日はやけに落ち着かない。
此の先起こりうる運命を 第六感で ― そう言うものが自分にもあるのなら ― 
察したとでも言うのか。
― 下らない
躰を切り裂かんばかりに吹雪いているが 月が照らしてくれるお蔭で白白と視界は開けている。
しかし  月夜に吹雪とは奇妙な天気だ。
獰猛な目で辺りを見回す。
時間は幾らもあるが 物見遊山に来た訳では無いし 神経は絶えず研ぎ澄ましておかなければ
闇の中に身を隠している「獣」の襲撃から身を守ることは出来ない。
廃墟を密林とするならば ガキ共は野獣も斯くや 何処に潜んでいるのか。
気配を感じれば素早く逃げるか 或いは  「群れ」なら退屈凌ぎに襲撃して来る事もある。
此方も命がけだ。
此の地を所有する長は蒼連会の中でも最も凶悪な男で 「黒鬼」の異名を持つ。
そう教えてくれた古狸の同業者とは其れ以来二度と会う事は無かった。
もう此の世に居ないのか 街を出たのか。兎に角姿を消した。
陰気な場所に居る所為か良い心持ちも直ぐに陰気なものになってくるし
廃墟は無限の迷宮の如く 幾ら進んでも同じ所をぐるぐる回らされているだけだと言う気がしてくる。
奥まで入り込んでしまえば二度と出られなくなる、等と脅されたが
今更引き返せない。
不気味な事は不気味であった。
人の気配どころか其の痕跡すらも感じられない。鼠一匹、虫の一匹も居やしない。

黒い心臓。
そう呼ばれる。都市の真ん中に位置する廃墟の樹海。
今まで狩りは樹海の周辺で行って来たが 近年ガキ共も激減し 其の分狡猾になっていて
やりにくい。知恵のある者だけが生き残っていくのだから其れもまた然り。。
男がこんな所まで来る気になったのには 訳がある。
「禍い子」の名を最初に世に出した マキリ と名乗る人物の著をネットで拾ったからだ。
無論信じて等居ない。面白半分に見ただけだ。
だが
此の仕事ももうそろそろきつくなってきた。此処らで一山当てて 大金を手に隠居といきたい。
マキリの著によると 「禍い子」は黒い心臓の中心部に生息しているらしい。
一匹くらい手に入れられないものか、此処最近そんな事ばかり考えるようになっていた。
何とはなしに深く入り込んでみたが 拍子抜けするほど何も無い。
騙された、等と言うのは 騙す側にいた男にとって堪えられない事だった。
馬鹿を見るのは嫌だ。
だが 此の場所に来たのは矢張り無駄足だったのか。男は憤って手近な瓦礫を蹴り飛ばした。
飛散した瓦礫が闇に虚ろな反響音を響かせたが 暫くするとまた重苦しい沈黙に支配され
男は喚き散らしたくなる衝動を必死に押さえた。
こんな最果てまで来て ―
薄汚く積もった雪が自分の老い先を見ているようであった。
其処で ふ と気が付いた。
何時の間にか視界を遮っていた雪が止んでいる。
白い息を吐き出し 見上げていた天から視線を下ろすと
眼前の光景に悲鳴を飲み込んだ。
月明かりに黒い影となって 巨大な化け物が唐突に姿を現したのだ。だが
良く良く見てみれば 骨組が剥き出しになった建物の残骸であった。
男は自身の恥を舌打ちで打ち消し 改めて眼前の光景を見遣った。
どうやら巨大なドームの様だ。
歪んだ骨格が巨大な百足が蜷局を巻いているかのように見える。
入り口は無数にある。硝子も外壁も所々無くなっている。侵入は容易だった。
遥か昔に奈落の闇に沈んだ街の屍 ― 
月光が明るければ明るい程 廃墟の影はより一層濃くなり 連なる建物は其の輪郭だけを浮かび上がらせている。
遂に中心部に来たと言う訳だ。
男はぞくぞくと武者震いし 唇を歓喜に歪め 意気揚々と歩き出した。
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登場人物紹介

百鬼弐弧(なきり にこ)廃墟で育った平凡な高校生だが予知能力がある。

蒼鷹一縷(そうよう いちる)廃墟から弐弧が連れて来た鬼の少年

眞輪(まりん) 魅惑ボディの美少女。炎の輪を武器にする鬼姫。

甜伽(てんか) 一縷と弐弧を捕えに来た敵だが、今は同級生。

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