第24話 鬼姫 廃墟の少女

文字数 3,300文字

白白と乾いた大地に滴り落ちる汗が 黒い染みとなって何処までも男を追いかけてくる。
色のない世界。音も無く 動くものさえない。
其の中に
地面に伸びる黒い影を見つけた。
此の地を彷徨い歩いて半月余り。根も尽き果てる寸前だった男は歓声を上げようとする口を何とか押し止めた。ようやっと 獲物にありつけた。
倒壊した建物の瓦礫の上に座っているのは六~七歳くらいの少女だ。
男が少女に気付く迄に 少女の方で男に気付いていてもおかしくない。だが
此方に背を向けて座り 振り返りもしなければ辺りを窺う素振りもない。
無防備な姿だが油断はならない。ガキ共は時折美人局の様な真似をしてくる。
一人だと思って近付くと あっという間に取り囲まれて ― どうなるかは己の運次第だ。と言っても 瀕死か死亡かの二択しかない。
男は辺りの様子を念入りに窺う。
此方も飛び道具は持っているが多勢に無勢な上に 相手は死をも厭わないバーサーカーの様な連中だ。
仲間が死のうが、自分が死のうが、一旦戦いを始めたら相手を倒すまで攻撃を止めない。
全く 狂ってる ― だが
そんな連中相手だからこそ此方も情は必要なく 死に至らせたところで心も痛まない。
「おじさんも一人なの?」
此方が声を掛ける前に少女が問いかけて来た。背を向けた儘で顔も分からない。
幼い少女にしては何処か大人びた声音であった。
全体としての雰囲気は悪くない。男は舐める様に少女の体を見、品定めをしながら
「そうなんだ
「皆死んじゃってね…おじさんだけ生き残っちゃったよ
「こんな淋しいなら、真っ先に死んじまいたかった
「なんて、死ぬ勇気もないけどね
弱々しく笑ってみせる。
「あたしも一人なの」
其の言葉を鵜呑みにする訳にはいかないが 実際「群れ」に入れず孤立している者も少なくはない。廃墟では弱い者は淘汰される。
「そっかぁ。淋しいねぇ」
「いいの。あたしは一人が好きだから」
少女は男が思っているよりも容易い獲物である様だ。でなければ会話をする前に逃げているだろう。人恋しいのか ― 良い事だ。
男の目に残忍な光が宿る。
「そうだ
「ねぇ、あっちに面白いものがあったよ
「あれは、何て言うか。ああ、困ったなぁ。おじさん馬鹿だからうまく言えないや
「ねぇ、一緒に見に行かないかい?君もきっと吃驚すると思うよ」
吃驚どころか驚愕する事になるだろうが。少女が背を向けているのを良い事に 口元を歪めて嗤う。
「… おじさん、面白いものが見たいの?」
「そりゃあ、だって、此処にはなーんにも無いからねぇ
「面白いものに出会ったらわくわくするさ。君もそうだろ?」
「そうね
「あたしも好きなの、面白いこと」
少女が横顔を向けた。
着ている物は大人用のワンピースを破って自分用に設えたらしいもので 要するにボロ布を纏っている。だが 肌は陶器の様に白く滑らかで 長い黒髪はバネの様に綺麗に巻いている。
大人びた横顔も美しい少女。
其の目が 蒼く光っている。冷たい耀きを帯びた眼が男を捉えた。
魂を吸い取られそうな程の蠱惑に満ちた蒼い目。
其の眼から 目を離せない ―
「面白いもの、見たいんでしょ?見せてあげるわ」
其の言葉の数十秒後には男は天に迄響き渡る悲鳴を上げていた。
少女の髪の先からちろちろと青白い炎が上がったと思ったら 青い炎の輪が男の頭の上から流星群の如く降り注いだのだ。炎の輪は地面に墜落すると、地響きを起こして激しく燃え立った。そうして
燃え立った青い炎の中からまた炎の輪が次から次へと飛び出して来るのだ。
男は死に物狂いで走った。
しゅるるる、と回転する鼠花火の様な青い炎が男を追い 次々と嘲る様に追い越してゆく。
と思いきや ブーメランの様に踵を返して向かって来た。
「ひぃっ!」
炎の輪は物凄い速さで男の体すれすれを飛び去り 上空に行ったかと思えば下降し 男の周囲をぐるぐると回る。其の距離が徐々に狭まっていく。燃え盛る青い炎の輪が 男の体をばらばらに切断しようとしている。
「やめてくれぇ!」
あ、と思った時にはもう男の体は割れ目から落ちていた。
地下水道のトンネルだ。下が固い地面でなかったのは幸いだったが 溜まっていたのは水ではなくどろどろとした黒いヘドロだった。気味の悪い楕円形の白い卵みたいなものが無数に浮かんでいる。ヘドロの中に漂う髪の毛の様なものが体に絡みついて起き上がれない。男は怒りの叫びを上げて呪縛の中でもがき 上半身を起こすと黒いヘドロを吐き出した。
頭上から少女の笑い声が聞こえて来た。忌々しい位 愉しそうに笑っている。
「此の … クソガキがぁ!ぜ  っ 絶対 許さねぇぞ!
「お前を追って追って追いまくってや …っ!
「捕まえたらお お、前の か、体を …っ 八つ裂きにして…っ!引き千切って
男は無限に出て来るかと思われる程にヘドロをげぼげぼと嘔吐しながら叫き続ける。
「もう良いから、死んで?」
少女が冷酷に嗤う。
男が少女を見たのは其れが最後だ。其の後 男の目にはもう何も映らなかった。
暗闇が襲い 自身の体が引き裂かれる痛みを激しい衝撃として感じたが 全て一瞬の事だった。

男が地下の化け物に喰われる様を上から眺めていた少女はくすくすと笑った。
そうして
地面に描いた輪の上を軽やかに飛び跳ねてゆく。
コンクリートの壁に一つ線を引いた。悪者をやっつけたら線を引く。
今や 線の数は数え切れない程になった。少女は満足げに眺め 手にしていたクレヨンを瓦礫の窪みに投げ入れた。
ねぐらに選んだ場所に転がっていた。色のない世界で 色取り取りに散らばった「其れ」は少女を歓喜させた。字は読めなかったが 其れを使えば灰色の世界に色がつく。
少女の居場所は見違える様に愉しい場所になった。だが
折角愉しみを手に入れたのに 壊しに来る者は後を絶たない。
「こいつぁまた、良い女じゃねぇか」
一人やっつけてもまた直ぐに現れる ― 少女の落胆とは裏腹に声の主は愉快そうだ。
「此処に来りゃあ面白ぇもんが見れるって噂を聞いたんだが
「お嬢ちゃんが見せてくれるのか?」
其の声音は 馬鹿にしている様な感じもしないが無粋には違いない。面白くも無い。
「…あんたも見たいの?」
少女は横目に男を見る。
巨大な石像の様にずっしりとした威圧を放つ大男で、影程も黒い髪を後ろに撫で付け、光沢も美しい黒い着物を着ている。笑っていても怖さしか感じない凶悪な顔付で 猛虎の如く鋭い目をしている。
だからと言って 少女には恐怖もない。ただ
此の男は先程の男の様に愉しませてはくれそうもない、と言う事は直ぐに分かった。
「でも、あんたは嫌」
にべもない。
「随分な言い草じゃねぇか」
言葉だけだ。少女ほど落胆もしていないだろう。
「帰って」
此の男は癪に障る。
「門前払いか?
「遙々来た客に対してそいつぁ一寸ばかり冷たすぎやしないか?お嬢ちゃん」
響きの良い声ははっきりと意志を表し明朗だ。だが
此処では 言葉は本当の意味を成さない。
此処では 本当の事など何一つ無い。
此処では 騙された者が死ぬ。
「馬鹿じゃないの?」
「此処には何もないわ。見て分からない?」
そう。きっと此の男には通用しない。試さずとも分かる。
「そりゃあ残念だ」
ちっとも残念そうな口振りではない。此処に来た時から其の口元はずっと笑っているではないか。
「二度と来ないで」
きっと 良い暮らしをしているのだろう。
着ている服には汚れ一つ無い。顔色も、肉付きも良い。好きな物を好きなだけ食べられて 夜が来るのを恐れた事も無い。此の男は本当の闇を知らない。
きっと 愉しい事しか知らない。見飽きるほどに。だから
こんな所までやって来て貪欲に「面白いもの」を探している。
以前もこう言ったおかしな男が大勢引き連れて無遠慮に押しかけて来た。
其の男は少女に幾ら欲しいか、とまで聞いて来た。何て馬鹿な男なんだろう。
此処でそんな紙切れが何の役に立つと言うのだ。
だから 教えてやった。
本当の闇の世界がどんなものかを 見せてやったのだ。
此の男も視界から消したいが、どうも他の男共とは勝手が違う。上手くいきそうにない。だから余計に腹が立つ。
「消えて」
少女は白い大地に色濃く落ちる影の世界へと 自分の居場所へと帰って行った。
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登場人物紹介

百鬼弐弧(なきり にこ)廃墟で育った平凡な高校生だが予知能力がある。

蒼鷹一縷(そうよう いちる)廃墟から弐弧が連れて来た鬼の少年

眞輪(まりん) 魅惑ボディの美少女。炎の輪を武器にする鬼姫。

甜伽(てんか) 一縷と弐弧を捕えに来た敵だが、今は同級生。

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