第66話 地獄絵図

文字数 2,549文字

バサ、バサ、バサ …
妙にゆっくりとした羽音が 直ぐ頭上にある瓦礫の縁に降り立った。

虚な羽音は数を増し 二人の周囲を埋め尽くしていく。
慧は銃を構えた儘、頭を巡らせた。自身の「武器」だけではそう長くは保たない。鉛弾を幾ら撃ち込んでも 精々何秒かの足止めになる位のものだろう。
其れも此の数では ― 其の何秒かで此方が先に殺られるのは目に見えている。

弐弧は金髪女に弾き飛ばされた銃を必死に目で探した。存在を知らせる様な光沢にも乏しく、瓦礫の中に埋もれても違和感のないガラクタの銃は すっかり此の景色の中に溶け込んでしまったものらしい。
   くそ! 何処だ
利き手の掌には銃弾が抜けた穴が開いている。血は止まったが、手を切り離したい程の激しい痛みは治らず 例え銃を見つけられたとしても左手で撃つしかない。先程までの様にはいかないが 此の弾の威力なら慧を逃がす時間稼ぎくらいにはなる。
運命が変わり始めているのなら 今度も死なせはしない ―
   え
闇の中に蠢く黒い影の脅威に焦燥を覚えながら辺りに目を走らせていた弐弧は 衝撃の光景を目の当たりにして思わず叫声を上げるところだった。

銃が 走って来た ― 

暗闇の中に 朧月の様にぼうとした白い人影が見え 目を眇めれば、夢の中で視たあの幼い少女がぺたんと座り込んでいるのが分かった。
表情のない白い顔 黒目がちの大きな眸が弐弧を映すと 少女は矢庭に起き上がり、胸にしっかりと銃を抱きかかえ 長い黒髪をなびかせて、足音もなく走って来たのだ。
「… !!
ゴール目掛けて飛び込んで来るランナー宛らの勢いに怯んだが 弐弧の体にぶつかったのは少女ではなくガラクタの銃だけだった。

ギィン

鋭い音響と共に 撃ち抜かれた黒い化け物の羽根が飛び散る。戻って来る弾丸は更にもう一体を貫き ぎゃあぎゃあと烏にも似た叫び声が上がると 辺り一帯は俄に騒然となった。
「え何その銃。スゲーじゃん」
相変わらず緊張感の無い慧が感嘆の声を上げる。
慣れない左手ではやはり急所は外れ、深手を負わせられても倒す迄には至らない。だが 此の銃は一発撃てば二度攻撃出来る優れものだ。軌道は読めないが 戻って来る時は必ず辺りに苦痛と憤怒の混じった喚声と黒い羽根を撒き散らした。
「行け!慧
「逃げろ!
連射の速度も格段に落ちたが 往復する弾丸に何とかカバーされている。後は 自身の命が続く限り撃つ 其れだけだ。
「そう言うと思った
「じゃあお先 ―
抑揚の無い声は 棒読みの台詞を吐き出した後
「とかならねーし」
強い口調で締め括った。
   な
「巫山戯てる場合か!
「いい加減にしろよお前!」
何て強情な奴だ。
慧の神経の太さに半ば呆れ、半ば苛立つ。慧だけなら 間違い無く此の場から逃げ切れるのに。
何故そうしない? 他人の死に付き合う等 馬鹿げている ―
「いやいや、其の台詞そっくりお前に返すわ
「何処に逃げろってんだよ
「無責任なヤツだな」
慧の台詞は尤もだった。羽音だけでも既に大挙した化け物に包囲されているのが分かるのに 実体の間を抜けて逃げようと言うのなら馬鹿でかい大砲が要る。此の銃は確かに攻撃力は高いが 今以て、倒しても倒しても増える一方の羽根の化け物を煩くざわめかせるばかりだ。
だが 慧の「力」なら ― アキが言った様に 慧を襲えば相応の返しがある。其れは 慧にだけ有効であって、弐弧が化け物に襲われたところで慧の「力」は発揮されない。巻き添えに遭えば 自分の命が危うくなる。そんな事は慧が一番良く分かっている筈だ。
「知るか!何処でも良いからさっさと行け!」
何て意地っ張りな奴だ。恐ろしくキレて来たではないか。此の少年とくれば
心配が高じる余り、激情的になっているのは分かるが ― 薄氷の如く脆い心の持ち主かと思えば 防弾硝子を撃ち砕く威力で口撃して来る。
悪人を貫き通すつもりだろうが、他人を犠牲にする位なら自分が犠牲になった方がマシだと思っているのだ。呆れる程善人の癖して 全く腹の立つ。
確かに 自分だけなら逃げ切れるかも知れない。
ただ そうしたいかどうかは別と言うだけの事だ。

「仲間割れかー?お前ら」

暗闇に上がった蒼い炎が、松明を持った群衆の様に彼方此方に灯り、辺り一帯を照らし出す。アキだけであの金髪女の姿が見えない。同時に げげげげげ と嗤っているとも、威嚇しているともつかない不気味な声が陰鬱に響き渡った。炎に照らされた化け物達が 闇の中に身を隠そうとバタバタと彼方此方に移動し、仲間にぶつかっては騒ぎ立てている。黒い体は辛うじて人間の姿をしていたが 腰を曲げて立ち 節くれ立った五本の指が鋭利な爪を従えて地面をカツカツと叩いている。長い腕は黒い翼になっていて 下腿は枯木の様に細く 其の先に、いやに大きな鳥の足と覚しきものがついていた。男とも女とも取れる。落ち窪んだ眼窩の中から濁った紅い眼が覗き 一様に蓬髪で、個体差はなく 腐敗して殆ど黒い骨と化した人の顔 不格好に前に突き出した口は耳元まで裂けて、汚く並んだ牙をぬらぬらと光らせた。
「どーよ?正に地獄絵図だろ?」
嘲笑うアキの声も 自身にはもう何の反応ももたらさない。地獄絵図とは嗤わせる。此の腐りきった世界が天国だとでも言うのか。
下らない言い合いをして無駄に時間を浪費した事に対する後悔の方が余程大きい。失態に次ぐ失態だ。
「なあ呪い君。復習してみよーじゃん、お前の「力」
アキは瓦礫に寄りかかって頬杖をつき 砕けた態度で、太刀を教鞭代わりに振るった。 
「同等の仕返しをする、ってとこまでは分かったんだけどよ
「お前に悪意が向いてないと駄目なんだよな?
「そんじゃあ例えば、化け物がお前じゃなくて其処のヤツを殺ろうとした時に 今みてーにお前がボケっと横で突っ立ってたとするだろ
其処のヤツ、と気の無い太刀が弐弧を指し 次いで慧を指す。
「そんでうっかり巻き添えに遭っちまったとしたら お前の「力」は何処まで発揮される? お前だけ助かって 其奴は死ぬのか?
「それか二人仲良く御陀仏すんのか?
「な 面白そーじゃね?
「試してみる価値アリだろ?」
子供の様にはしゃぐ其の姿は 何も知らなかった頃の 教室でいつも楽しげに騒いでいたクラスメイトのアキ其の儘だった。

何故 こんな事になってしまったのだろう

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

百鬼弐弧(なきり にこ)廃墟で育った平凡な高校生だが予知能力がある。

蒼鷹一縷(そうよう いちる)廃墟から弐弧が連れて来た鬼の少年

眞輪(まりん) 魅惑ボディの美少女。炎の輪を武器にする鬼姫。

甜伽(てんか) 一縷と弐弧を捕えに来た敵だが、今は同級生。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み