第19話 黒鬼屋敷

文字数 2,782文字

絢爛な襖障子が細く開くと 黒服の男が一人居て 静かに頭を下げた。
薄暗い部屋の奥。広がる庭を一望する縁側。障子は開け放たれ 外の冷たい空気が流れ込んで来ている。
明かりと言えば 月が照らす歳経た枝垂櫻の仄かな花色が灯されているだけだ。
黒檀の柱に体を凭せ掛け 漆黒の着物を着た男が一人酒を呑んでいる。
入って来た男には顔も向けない。

入室を許された男の名は 無堂 青陽(むどうせいよう)。
肩ほどの長さの髪先は好き放題にはねているのではなく 几帳面にスタイリングされたものだ。口髭を綺麗に整え 黄色いレンズのサングラス、薄緑の縞の入ったシャツに黒のネクタイ 黒のスーツをそつなく着熟している。見た目の年齢は三十代半ばと言った所か。
両手を軽く前で組み 一応の礼儀を見せて立っている。
「御寛ぎの所 申し訳ありません」
「早急に御耳に入れておかねばならない事案が生じましたので 何卒御容赦のほどを」
そう言いながら 抑揚の無い話し方には早急さ等まるで感じられない。
「先達ての【劫火の鬼】と思しき者については 各々方には御報告申し上げておりましたが
「既に御周知の通り結果は散々 ―
澄ました顔には嘲りの色が混じり 最後の言葉には青陽の知る人物への皮肉が込められていた。
「此方の失態は重々承知しておりますが 事の真相を究明するにあたって調査を進めていましたところ
当夜 禍源の封域に鬼華の長が来ていた、と言う申し立てが在る筋から御座いまして ―
虚偽なのか 或いは 其れが真実だとするならば 上は長殿に納得のいく釈明を求めたい、とのお考えです」
「回収屋 贄の子 劫火の鬼 何れもが封域に集結し 何れもが消息を絶っています」
「長殿には 此の先の御発言に呉々も気を付けて戴きたく ―

廃墟の奥深くに在る 「廃墟の樹海」
最も穢れた場所 ― 深い闇が街を侵蝕し 其処には日の光も届かない。土壌は腐り 大気は重苦しく澱み 瘴気の中に死をもたらす黒い灰が舞う。
蒼蓮会では「禍源の封域」と呼び慣わされている。
あの夜
其処で何があったのか。恐らく此の男は知っている。
「禍い神」は復活こそしなかったが 暫くの間「封域」は無気味にざわめいていた。
見つかったのは身元も分からぬ者達の血溜まりばかりであった ―

「お前はどう思う」
鷹司は盃を口に運び 其の顔には笑みを浮かべてはいるが ― 悪い顔をしている。
青陽は仏頂面を更に顰めた。真面な答えが返ってくるとは最初から思っていない。
鬼華と蒼蓮会の本部に挟まれた青陽の立場など此の男には何の関係も無い。そうだろうとも。
鷹司との付き合いは長い。出来るなら関わりたくない相手だった。
蒼蓮会の長の中でも 鬼華の長・伯城鷹司(かみじょうたかつかさ)は別格だ。
其の行動は読めず 性格は最大級に悪い。
其の容貌は眉目秀麗。其の鋭い目は冷酷と無慈悲を湛えている。
鬼華の敷居を跨ぐ者は皆暗澹たる面持ちで帰される事となる。生きて帰れるのならばまだ良い方ではあるのだが。青陽とて来たくて此処に来ている訳では無い。仕事でなければ未来永劫御免被りたい。
「私個人の意見なら 御存知ないなら結構、と申し上げますがね」
此の男は弁明などしない。無駄口を叩かないのは構わないが 大事な話位はして貰いたいものだ。
神出鬼没の黒鬼。また何を企んでいるのか。厄介事ばかり齎す。
此の男の存在こそが 誰にとっても「禍」其の物だろう。
「なら話は終わりだ 青陽」
鷹司の一声に 青陽の背後に黒服の男達がすっと立つ。あからさまに帰宅を促されている。
予想通りの展開だ。何も話す気はない、か。
「畏まりました」
「では 此れで」
青陽は暗澹たる面持ちにはならなかったが 此処に出向く事になった自身の運命を少しばかり呪った。


か、と稲光が走り 鋭い光の切っ先が百鬼弐弧の目に入った。
目を開けた儘夢を見ていたのか 起きた儘「映像(ヴィジョン)」を捉えていたのか。
心臓は早鐘を打ち 未だ曽て無い体験に戦いている。
間も無く 激しい雨音が耳に雪崩れ込み 感覚と思考が徐々に戻って来た。
見た事もない男達だった。二人の会話はまだ朧気に残っているがまるで意味が分からない。其れが何を意味しているのか ― 此の映像が過去、現在、未来 何処に位置しているのか。
黒い着物を着た男の眼光ははっきりと脳裏に焼き付いている。一縷の紅い眼とは違う。
表すなら 静かな脅威 ― 其の蒼い眼に恐れを抱き 同時に 男の凶気に魅入られた。
夢だとするなら余りにも生々し過ぎる。
動揺から鎮まってきた体を壁に凭せかける。雨を避ける為に入った廃線の駅舎には列車も人も来ない。其れでも 有り難いことに駅舎にはまだ屋根も窓硝子も残っている。二日前の晩から此処で足止めをくらっているが どの道急ぐ用もなければ帰る場所もない。
窓から見える景色は黒と灰色ばかりだ。
駅舎の回りに在る木は病の様な灰色の葉を落とす。大気はじっとりと蒸し暑く 温い雨水が地面を這う様に流れ込んで来る。少し離れた所で少年が同じ様に壁に背を凭せかけて眠っていた。青白い顔で呼吸も感じられない。死人の様だ、と思いながら 弐弧は其の寝顔を虚ろに眺めた。
間も無く夜が明ける ―



「おや 監察官殿は具合が悪そうだ。良かったら看てやろうか?」
縁側に座り青陽に穏やかな笑みをくれているのは 草臥れた白衣を着た男で<
「源清(げんしん)先生。どうも。お構いなく」
青陽は渋面を隠そうともせず 唯 礼儀として言葉上は慇懃に応じた。
此の白衣の男の方が自分より位が上であるからだが 蒼連会の上位と言う訳では無い。
男の名は 源 清舟(みなもと せいしゅう)と言う。
所属は「鬼師会」。簡単に言えば鬼を診る医者だが 人間と違って彼方此方に「病院」が在る訳では無い。
「蒼連会」が「鬼師会」を手厚く遇するのも当然なら 属する者を丁重に扱うのもまた当然なのである。
余談だが 源清とは誰かが省略して呼んだのが何時の間にか定着したものだ。
穏やかな其の容姿に騙される者は多い。
訳あって「鬼師会」から退いてはいるが 其の目の奥を見る事が出来れば並の者との違いを知るだろう。
そんな名医は 無情の無頼漢、無敵の無神経と無尽くしの患者であっても分け隔て無く接する。
青陽の考えなどお見通し、とでも言うのか源清は面白がっている風で 青陽は最早一刻も早く此処から出て行かねば為らない、と思わされた。
伯城鷹司 ―
相変わらず忌々しい位読めない男だ。鬼の医者を遠路遙々呼びつけて一体何を考えているのやら。
限界が来たのか ― 青陽は頭を振った。残念だがあり得ない。あの目は「正常」だった。
青陽は煙草をふかしながら竹林の中を歩いた。舗装はされていないが獣道がある。正真正銘の獣が通った道だ。青陽は自嘲的に口元を歪めた。
厄介な仕事がもう一つ残っている。溜息を吐きながら青陽は胸ポケットから黒いスマホを引き出した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

百鬼弐弧(なきり にこ)廃墟で育った平凡な高校生だが予知能力がある。

蒼鷹一縷(そうよう いちる)廃墟から弐弧が連れて来た鬼の少年

眞輪(まりん) 魅惑ボディの美少女。炎の輪を武器にする鬼姫。

甜伽(てんか) 一縷と弐弧を捕えに来た敵だが、今は同級生。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み