第40話 甜伽 闇に染まる心

文字数 3,445文字

深夜を過ぎても此の街は人で溢れている。

立ち籠めた暗雲から不穏に響く雷鳴さえも 雑踏の騒々しさに掻き消されがちだ。
「報告書に書いてある通りですよ」
「疑うんですか?酷いなぁ」
「貴方方も、廃墟の子供がどんなものか知ってるでしょう」
微睡む様な笑みを浮かべた玖牙はコンクリートの壁に凭れ掛かり 其の儘沈み込みそうな勢いであった。煩わしさも通り越えて 何遍も繰り返される質問は もう眠気しか誘わない。
「ですからー、掏られたんですよ。さっきからそう言ってるじゃないですか」
「一寸近付いたら直ぐ此れでね。油断も何もあったもんじゃない」
「ああ、油断してたって言うのは認めますよ?」
「そりゃあ だってねぇ?
一つは善意でくれて遣った。
「其れ」を使わねばならない様な 由々しき事態に陥った時の為に。其れが
確かに やらかしてくれた。
使用目的は玖牙の意図から大分外れてはいたが なかなか面白いものが見れた上に 結果として目論見通りに事を運んでくれた。
だから 後の掏った分に関しては駄賃代わりにくれてやろう、と言う気になったのだ。

「余りにも純真無害って顔してるんでねぇ」
「其れがまぁ、手癖も悪けりゃ、やる事も恐ろしい」
「狐につままれた、ってのはこう言う事かな?」
玖牙の不変の笑みも 今回は本物であった。

   ほんと面白いんだよね あの二人




トンネルが視界に入った。
其れでも 安堵する事は無く 動悸は激しくなる一方で 時限爆弾の様にタイムリミットの近付いて来た心臓が今にも破裂しそうになっている。
自身の体が 思考よりも先に動いた。
ブレーキをかけた  直後
弐弧の目に 上空から落ちて来る人間の姿が映った。
濡れた路面をタイヤが鋭く叫び 車体を横にして急停止するのと 巨大な黒い影が眼前を過ぎったのは同時であった。
路上に黒い毛むくじゃらの生き物が居た様に思ったが 幻覚かどうかも分からない内に消えていた。
白雨に濡れたアスファルトの上に残っているのは

「 … 甜伽 ?」

   噓だろ

制服が紅く染まっている。路上に置き捨てられた「物」の様に 甜伽は倒れた儘動かない。
「甜伽!」
原付から降りて駆け寄ろうとした弐弧の真横に 女の白い顔が現れた。

黒いスーツ 黒い髪をひっつめた若い女 ― 目が合うと 女は顔を歪めてにたりと嗤った

其の紅い眼はナイフの様に鋭く 隠そうともしない凶虐が 無慈悲な光を放っている。
鋭い爪が空を引き裂いた。
疾風の如く、炎が風と共に走り 地面に深い掻傷を残した。
足が動かない。体は固まって 自身の心音と、短い息遣いだけが頭に響いて来る。
闇を見詰める弐弧の目は 遠く離れた暗がりの中で、幽鬼の様にひっそりと立つ女を映している。
黒い髪が解けて闇と同化している。血塗れの顔を上げると
「出来損ないの堕鬼じゃない。影が薄すぎて分かんなかったわ」
女は陰惨な紅い眼を歪に細めて嗤った。
醜い爪痕をつけられた顔から 赤黒い血が這い出す様にどろどろと流れ 女が嗤うと顔中に口がある様に見えた。

ドオオォォォ    ン

紅焰が激しくぶつかりあう。一縷が刀の如く鋭い爪を薙ぐ度に アスファルトが大きく裂け 轟音が地を激しく揺るがした。
巨大な紅い火柱が夜天を焦し 崩れゆくビルから砕け散った硝子片が、冷たい光を放ちながら瓦礫と共に地上へと降り注ぐ。黒煙が雷雲の如く濛々と拡散し 火の粉が舞い踊った。

女は手練れの闘牛士の様に、華麗な身のこなしで攻撃を躱し 紛れ当たりした時でさえ、嬉しそうに嗤い 其の紅い眼には憐れみを湛えた。
「ほんと 可哀想な子ね」
一撃に脅威的な力がありながらも持ち腐れ同然 動きは荒く、避けるのは容易であった。防御に関しては皆無に等しい。炎の威力が同等であるからこそ 少々防御はしなくとも傷を負う事は無いが 無駄な動きを続ければ徒に疲労するだけだ。
「鬼」だからと言って 体力が無限にある訳では無い。
女の嘲る様な炎に纏わり付かれた堕鬼の少年は 怒り狂って炎を振り払うと 其の勢いで近くに在った廃バスを叩き壊し 路肩に放置された廃車を次から次へと薙ぎ飛ばした。破壊行為が更なる衝動に駆り立て 目に映る全てのものを消し去ろうとしているかの様な暴れ振りを見せている。
自分が誰と戦っていたのかも、もう忘れたとしか思えない。
頭に血が上れば 盲目的な攻撃に拍車が掛かるばかりか 鬼の血に狂ってゆく自身を止められなくなる。
此の鬼は、そんな事にすらも考えが及ばなくなってしまっている。
「おーにさん、こーちら」
女は少年を翻弄して愉しんだ。
一帯は壊滅的な被害を受けているが 女は最初の一撃を食らっただけで、紛れで当たったかすり傷を踏まえても 死に至る事は無い。
対する少年は 我武者羅に攻撃していたのが、今や動きを止めて全身で喘いでいる。
こめかみには血管が切れそうな程に迄浮き上がり、激しい怒りに紅い炎が口の端から止め処もなく零れ落ちて 完全に心が壊れるのも、最早時間の問題だろう。
そうなってしまえば 少年の命を奪うのは、赤子の手を捻る様なものだ。

形を失った車が頭上すれすれを凄まじい勢いで飛んで行き 背後のビルに激突すると、其の激しい衝撃音と爆風に抗う体が硬直した。
矢継ぎ早に、紅蓮の炎が眼前を走り抜け 過ぎ去った後の地面には 異様な世界を分断する深い裂け目が入っていた。
悔しいほど此処から動けない。唯 其の場に立ち竦んで、見ている事しか出来ない。
「一縷!」
分っていた事だ。
自分の力だけでは 我を忘れて衝動の儘に目に付く物を見境無く攻撃している一縷を止められない。
一度狂ってしまえば
どれだけ叫んでも 弐弧の声はもう一縷に届かない。
「逃げなさいよ! 馬鹿 …っ!」
真っ直ぐな声が闇を切り裂く。甜伽が上半身を起こしていた。
「甜伽!」
戦いから目を離した 一瞬

次に 弐弧の目に映ったのは 「恐怖」だった。

紅い血を迸らせ 斬られた腕が スローモーションでも見ているかの様に飛んだ
女の両腕から 棘の様に無数の刀身が飛び出し
左腕が一縷の体を刺し貫いて 反対側から幾つもの冷たい切っ先を光らせている
拷問具の様に もう一方の腕が挟み込みにかかる ― 
一縷の足が腹にめり込んで、女の躰がくの字に折れた 蹴られた女には何の表情も無く 暴風に吹き飛ばされるマネキンの様に 地面に激しく叩き付けられては大きく弾んで転がっていった

乱暴に引き抜かれた刃は体を裂き 凄惨な傷から血が噴き出す
一縷は血溜まりの中に頽れた

―  る
―  一縷 !!

映像(ヴィジョン)」で視た自分の声が 頭の中に反響する。
「 … い  一縷 !
弐弧は走り出していた。

「駄目よ…! 馬鹿! 離れて !!」

鬼は自らの血で 最も狂う

堕鬼同士の戦いを見たのは初めてだ。
鬼は 血に狂う程攻撃力が上がる。だが 其の代わりに自我が失われ
終いには 見境なく殺戮に走るバケモノと化してしまう。そうなってしまえば
もう戦い方も己の武器すらも忘れて 唯々 衝動の儘に暴れ狂うだけだ。
最も手強い堕鬼は 此の女の様に中途の状態だ。
まだ自我が残っていて 自ら武器を生み出せる。
此の女が己の武器を忘れるほど完全に自我を失えば 斃す事が出来るかも知れないが 其れ迄持ち堪えられるかだ。

百鬼弐弧が甜伽を呼び寄せたのではない
甜伽が 百鬼弐弧に禍を招いたのだ

女の上体を捕えて炎は奪ったが 女は飛ぶ様に駆け あちこちに叩き付けられながらも鎖を意地でも放さない甜伽を此処まで引き摺って来ると 鎖を掴んで疾走する原付の前に放り投げた。
百鬼弐弧の危機回避能力が衝突を避け 夜彦丸が瀕死の傷を負いながらも甜伽が地面に叩き付けられるのを防いでくれた。
自分は
何の「力」も持たない自分は  唯 為す術も無く ― 

馬鹿! 馬鹿 何やってんのよ!
あんたの所為でしょ 甜伽
何とかしなさいよ!


「くっつけ!くっつけよ!!」
弐弧は一縷の血を浴びながら 気が狂った様に斬り飛ばされた右腕を接着させようとしていた。
自分がしている事が信じられない。狂気の沙汰だ。

   何だよ これ

頭がどうにかなりそうだ。正気等保てる訳がない。
混乱する思考は 恐怖によってどうにか抑えられている。

恐怖だ  ―  激しい恐怖を感じている。

一縷の紅い眼は何も見ていない。
口から吐き出される血が 紅い炎を伴ってめらめらと燃えている。
声のない荒々しい呼吸が徐々に大きくなり 激しい衝動を抑えきれずに 其の躰から目に見える程の凶気が立ち昇っている。

其の紅い眼は 破壊と殺戮を齎す
躰が  闇に染まる ―  「一縷」が失われてゆく
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登場人物紹介

百鬼弐弧(なきり にこ)廃墟で育った平凡な高校生だが予知能力がある。

蒼鷹一縷(そうよう いちる)廃墟から弐弧が連れて来た鬼の少年

眞輪(まりん) 魅惑ボディの美少女。炎の輪を武器にする鬼姫。

甜伽(てんか) 一縷と弐弧を捕えに来た敵だが、今は同級生。

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