第33話 映像・ヴィジョン

文字数 2,796文字

ヘッドライトの光が煌々と道を照らしている。
闇の中を疾走し 何処に向かっているのか。
帰途についているのでも 何かから逃げているのでもない。
何処へ行くのか 自分でも分からない。果てのない闇の中を走り続けている。
不意に ヘッドライトの光が黒い人影を捉えた。スローモーションの様にゆっくりと そして はっきりと其の姿が目に入った。
黒のスーツに 黒い髪をひっつめた若い女。
女が暗い顔を上げて此方を見た。
一縷の紅い目とは違う。
熟れすぎた紅い果実の様な眼球はどろりと濁り 光も通さない。
目が合うと 女は顔を歪めてにたりと嗤った。
ぎざぎざの牙の並んだ口が 横たわる三日月の様に大きく開かれた。

女と 衝突する ―  


「っ…!!」
心は叫んでいたが 習性で声は出ない。
「 … !?」
上半身は跳ね起きようとしたが 中途で断念させられた。
猫なら未だしも 猫の様に布団の上にどっかりと乗っているのは 自分とそう背格好も変わらない同い年位の少年だ。所構わず寝られる神経の持ち主で 以前は其れを知らずに暗鬱な気分にさせられた。

ああ、心配するこたぁねぇっスよ
あんま鬼してると疲れるんで寝るらしいっス

まるで仕事疲れみたいな言い草ではあったが 理由が分かってみれば 何だ、そんな事だったのか、と安堵の余り気が抜けた。

悪い気にあてられやすいってんで 寝てる方が楽なんだと先生が言ってやした

屋敷に医者が居ると言うので一縷を診て貰えないかと相談すると 赤毛の付き人がそう教えてくれた。
「鬼」と言う言葉を以前黒狐の男から聞かされた時は苛立ちしか覚えなかったが 今は受け入れる事が出来る。
一縷を鬼呼ばわりしている此の男からして既に人外の者だ。
悪事を企んでも顔に出る様な、明朗で偽らない性格 其の見かけとは違って良識があり
時折たわいない会話の中に聞き捨てならない言葉が混入しているだけで何の邪気もない。
「鬼」 ― か
自分の「能力」はあらゆる危機から遠ざけてくれたから 廃墟に住んでいた時も化け物の姿を見た事など一度も無かった。
「マキリの著」など 延々と続き ただ過ぎてゆくだけの日々に 一寸した刺激を与えてくれるだけのものに過ぎなかった。
其れが あんな悲劇を齎す事になるなんて思いもしなかった。
其の姿も、其の心までも ― 周りが変わり果ててゆく事に喪心し 残酷な現実を突き付けられても認めたくなかった。
無関心でいれば 楽だったからだ。
だから ずっとそうしてきた。
心を閉ざして 唯 自身の声だけを聞いていた。
此処に来て 今 漸く気持ちの整理がつき始めていた。
あの時 化け物に喰らい付かれ、死をも覚悟した。今と為っては 人外の者の名が出たところで動揺もない。
人と人外の者が混在した世界の中に自ら踏み込んだのだ。
もう後戻りは出来ない。其れに
自身の「力」は 此の世界と関わりを持たさせようとしているかの様だ。
とは言え
映像(ヴィジョン)」を視させられたのか 悪夢を見させられたのか 未だに其の区別もつかない程精度は悪い。
廃トンネルの中でははっきりと「予知」出来たのに。傘を持てば陽が差すようなものだ。「予知」しようと思えば外す。

何処までが「映像(ヴィジョン)」で 何処までが夢なのだろうか。

此処に来た時に見た最初の夢は ― 自身に置き換えられてはいたが
夢、と言うよりは「誰かの記憶を視ている」様な感覚だった

考えていても仕方無い。
映像(ヴィジョン)」であれ夢であれ 事が起らなければ対処も出来ない。其れに今は
何は無くとも一縷をどかせて学校に行かねばならない。


手っ取り早く言やぁ 頭がいかれちまった鬼の事っス

「堕鬼」と言うのは其の名の通り 魂が闇に堕ちた鬼の事だと教えてくれた。
負の念に喰われた心は理性を失い 殺戮と破壊の欲求だけが残る。
一度堕ちれば 二度と元に戻る事は無いのだと言う。

其の魂は 救われる事なく 闇の中を堕ち続け  ―

しまいにゃあ 自分の炎に燃やされて死んじまうってぇ話で
非業の最期ってヤツっスかねぇ
後は「鬼討ち」に遭うか
まぁ どの道あんま長くは生きられねぇっスよね …  


ふと鮮やかな「紅」が目に入った。其れは 自身の体を染めて尚 滴り落ちる。
弐弧は紅い血に染まった自分の体を「視た」。
「うわっ?!
我を忘れて身を引いた弐弧は後ろの机に思い切りぶつかった。
「いってぇ!」
悲鳴が上がる。
「何すんだよ、弐弧ー」
抑揚のない非難の声は
「新那、お前こそ何やってるんだ?」
静かな怒りを滾らせた教師の黒い影が落ちて来ると消えた。


「悪い」
すっかり気落ちして謝罪する弐弧に
「んな謝らなくてもいいよ」
慧は変わらない声で答えてくれた。
「ご尤もね。授業中にスマホを見てる貴方が悪いんだし」
甜伽も変わらず毒を吐いてくる。
「… お前さー、手伝う気ないんならさっさと帰ってくんない?」
放課後に教室の掃除を二人でする事、と鬼瓦の様な顔をした教師から厳しく言い渡された。
うわ、最悪 慧は抑揚のない声でそう言ったが 真面目な性格らしく放課後のチャイムが鳴ると言われるでもなく掃除を始めた。
「用が済んだら帰るわよ」
慧の辛辣な言葉も甜伽はあっさりと躱し、弐弧に向き直る。
「で?何が視えたの?」
唐突に矛先を向けられた上に 問い詰める様な口調で切り出された言葉は余りにも簡潔過ぎて何の事か分からない。
「?」
「何って
困惑と煩わしさの入り交じった苦い表情でそう言い掛けた弐弧に最後まで言わさせず
「惚けないでよ。貴方は確か予知能力があった筈だけど?」
甜伽は多分に厭味を含んだ言い方で詰め寄って来た。
「マジか。スゲーじゃん、弐弧」
慧の抑揚のない声の中に好奇心が覗き見える。
「え!? な …!
「あ ある訳ないだろ、そんな力」
さらっとバラされては思考も追い付かず 狼狽えた否定の言葉しか出て来ない。
「そうね、あの時だって大した助けにはなってなかったものね」
バラされて困る様な極秘事項でもないが 他人に冷たくあしらわれると流石にカチンと来る。
「そんな言い方ねーだろ、甜伽。いくらお前の才能が抽象画だからって」
弐弧に代わって巧みに返したのは慧だった。
「うっさいわ!」
甜伽は汽笛の様な鋭い声と共に 噴煙を上げる程顔を真っ赤にすると 地響きを立てんばかりの足取りで帰って行った。
「俺が今何食いたいか分かる?」
慧は甜伽を怒らせた事等まるで気にも留めず 弐弧にそう聞いてきた。
其の言葉は馬鹿にしているのではなく 寧ろ子供の様な純粋な質問だと感じた。
「… 冷やし中華」
だから弐弧も純粋に返す。
「お前、自分が食いたいだけだろ、それ」
「真面目にやれよ」

かけてくれる言葉も 穏やかに笑う其の顔にも嘘は無い。
不思議とそう感じていた。
其の目が心を伝えてくれる。
そう 知っても

作り笑いは弐弧の顔から消えない。
耳を塞ぎ 目を伏せ 心を閉じて  一瞬のまやかしを断ち切った。
結末は いつも同じだったから。

もう 幾度見て来たか知れない
其の目が  変わってゆくのを ―
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

百鬼弐弧(なきり にこ)廃墟で育った平凡な高校生だが予知能力がある。

蒼鷹一縷(そうよう いちる)廃墟から弐弧が連れて来た鬼の少年

眞輪(まりん) 魅惑ボディの美少女。炎の輪を武器にする鬼姫。

甜伽(てんか) 一縷と弐弧を捕えに来た敵だが、今は同級生。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み