第38話 甜伽 マガイモノ

文字数 2,945文字

原付を停めると 感覚を研ぎ澄ませて辺りを窺う。
追って来る者はない。
人の気配も 生き物の気配もない。
真逆 あんな所で甜伽に会うとは思ってもいなかった。
今の学校は前とは大分違う。此程までに自分に関わって来ようとするクラスメイト達を知らない。
日々は変わらず過ぎてゆくのに 自身の中で何かが変わり始めている事に戸惑い
変わる事を拒む心と 鬩ぎ合っている。

取り出し口に出て来たアイスキャンディの包みを解く。
一縷が何でも食べてしまうからだ。棒は仕方無い。
窓から中に入ると階段を上がってゆく。
花火の時に見つけた此の廃ビルの 此の静けさが好きだった。辺り一帯には同じ様な廃墟が幾らも佇んでいるが 屋上からの見晴らしが良く 近くに起動している自動販売機がまだ在る、と言うのが高く評価出来る。
今は 門限もなく 然程干渉もなく 居心地の良い家も十分な食べ物もある。其れでも
やはり外の世界に勝るものは無い。
夜の帳が下りてくると気分が高揚する。
闇夜に目を凝らし 雨上がりの湿った風を受けて 遠くに光り輝く街を見下ろす。
一縷は相変わらず何の表情もない顔でアイスキャンディを齧っている。
アイスキャンディは 唯一 一縷の中に残っている記憶だ。何かを思い出すきっかけになるかも知れない。
一縷の魂は 今此の時も徐々に蝕まれている。

二度と 元には戻らない ―

例え そうだとしても 過去の記憶が全て消え失せてしまったとしても
今 此の時が また新たな記憶になれば良いだけの事だ。
弐弧は自分の分のアイスキャンディを齧った。


キン  と耳鳴りがすると 不意に音が止んだ。

― る
― 一縷   一縷!!

ばしゃ
手から落ちたアイスキャンディは血溜まりの中に沈んで消えた
足元に広がった血溜まりが 音も無く這い 地面を紅に染めてゆく

恐怖だ

激しい恐怖を感じている
死の恐怖    自分の手の中から 失われてゆく

此の血は ―

紅い目が 弐弧の目に映る。
鮮やかな血の様に紅く 静まった水面の様に透き通った眸が 弐弧を見ている。
一縷 ―
「… あ   え!?
「わあ!!
「わ…!悪い!」
我に返った弐弧は 一縷の右腕をきつく掴んでいる自分に気付き 我ながらあり得ない程狼狽えて手を放した。
「帰ろうぜ 一縷」
羞恥に紅潮した顔を隠す様に背を向けると 足早に階段を下りて行く。
何を焦ってるんだ。
どうせ 一縷には何の感情もないのに ― 
其れよりも 今の「映像(ヴィジョン)」が気になる。
まだ鼓動が乱れている。自身が 何かを予感している。

間も無く 「其れ」は起こるのだ、と。


朧な月が 延々と連なる黒い葬列を虚ろに描きだし  暗闇には何の音も無い。
甜伽は原付の速度を緩めると 辺りに目を凝らした。
トンネルを抜けると寂れたビル街から 其の行く末を見せるかの様に廃墟へと変わる。
普通の人間なら近付かない闇の世界が 故郷に戻ったかの様に 心を落ち着かせる。
何不自由ない暮らしを送っているのに 何処か空虚な日々から逃げ出す様に また戻って来てしまう。
きっと 百鬼弐弧もそうなのだろう。だが
百鬼弐弧と自分では 決定的な違いがある。
同じ闇 同じものを見ているのに 自分には視えないものがある。
自分には 何の「力」もない。視ているのは 自分ではなく ―
右腕に目を遣ると 腕輪に嵌められた蒼い目が 冷たく甜伽を見返した。

真夏の焼けたアスファルトを冷ます 急な雨に降られた後
大気は澄み渡り こんな場所さえも絵画の様に魅せる。さしずめタイトルは

闇に聳え立つ屍 ―

小さな呼び声に導かれる様に 其の場所に辿り着いた。
原付を停めると 甜伽が背負っているリュックから夜彦丸が音も無く地面に降り立った。

廃墟の片隅で
汚泥に塗れ 破れた服を着た 幼い少女。
髪が光っているのは 白雨の所為か。
長い黒髪を 櫛で梳かしてやる者も無く 少女の髪は縺れて絡まり合い
赤黒い 血と覚しき物が べっとりとこびり付いていた。
骨と皮ばかりの黒く腐敗した躰   其の手は

甜伽に向かって伸ばされていた。

少女からは息苦しくなる程 黒い瘴気が大気に放たれている。
伸ばされた手の先から 乾いた爪が剥がれて ぱらぱらと落ちた。
「ま  マ  まマ
声は 少女ではなかった。俯いて座る少女の膝に ぼろぼろになった人形があった。
裂けた人形の腹から音声機が飛び出し 妙に甲高く気の抜ける様な声が 母親を呼んでいた。
少女の黒い躰がざわざわと蠢き 其れで初めて 無数の蟲が躰に群がっているのだと知った。
少女が顔を上げると 其の口から涎の様にぼとぼとと糸を引いて蟲が吐き出された。
「ま ま まぁ まぁぁ
音声が歪に戦慄き 地獄の底から這い出そうとする怪物の様な 悍ましい声を迸らせ
甜伽を見る落ち窪んだ少女の紅い目から どろりとした黒い液体が流れた。
顔面に投げつけられたボールが弾け 透明な液体を被ると 少女は口を大きく引き裂いて割れ鐘の様な悲鳴を上げ 蟲を撒き散らしながらのたうち回った。
矢継ぎ早に巨大な黒猫に炎を吐き付けられ 激しく燃えながらも少女は起き上がると 凄まじい形相で甜伽に向かって来た。
黒い鎖が蛇の様に襲い掛かり 少女を捕縛すると締め上げ 枯れ枝を折る様に 黒い躰を裂いた。少女の細い腕が人形を抱いた儘 炎の中に消え去ってゆく。
「マガイモノ、か」
成ったばかりでまだ躰に然したる変化も起きていない。放って置けば 何れは害を為すだろうが ―
甜伽は鎖を戻すと スマホを取り出した。
   何か、呆気ないけど 本当に此れの事なの?
「ん~ …
画面を見る甜伽の眉間に深い皺が寄っていく。スマホを持つ手がわなわなと怒りに震え
「文が長い!もう、篝(かがり)ちゃん!!」
甜伽が喚くと 黒猫はやれやれ、またかと言わんばかりに鼻息を大きく噴き出し、また普通の猫の大きさに戻った。
あっさり片がついたのに 何も嬉しくない。

変わらない一日が過ぎてゆく ― 其れだけだ。
家に戻ったら また何時もの様に 唯 朝が来るのを待つだけ ― 

また 心が虚になる。
「なぁーんだ。もう終わちゃったじゃない」
甜伽は無理に明るい声を出して ううーんと一つ大きく伸びをすると
「帰ろっか。夜彦丸」
原付に向かって歩き出す。
「あ
頭に手を遣ると ヘルメットを被った儘だった事に気が付いた。
   ―  防災訓練
新那慧の暴言が蘇って来る。甜伽は目を三角に吊り上げ、ぎりぎりと歯を食い縛ると エンジンをかけ 振り切る様に走り出した。

ヘッドライトの光が煌々と行く先を照らしている。
   おかしい
甜伽は辺りを見回した。何処を向いても 鬱蒼と暗い影を落とす廃墟が建ち並んでいるばかりだ。だが
   此の道 さっきも ―
通った様な気がする。
背負ったリュックから顔を出している夜彦丸が 先程から不穏な唸り声を上げている。
何かがおかしい。
どくん、と心臓が跳ね上がると 鼓動が速まり 思考が激しく乱れた。
   落ち着け 落ち着け!
得体の知れない「恐怖」が 迫っている、と自身が教えている。
不意に ヘッドライトの光が黒い人影を捉えた。スローモーションの様にゆっくりと そしてはっきりと其の姿が目に入った。
黒のスーツに 黒い髪をひっつめた若い女。
女が暗い顔を上げて此方を見た。
目が合うと 女は嬉しそうに微笑んで
「甜伽」
其の名を呼んだ。

   お姉ちゃ ―

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登場人物紹介

百鬼弐弧(なきり にこ)廃墟で育った平凡な高校生だが予知能力がある。

蒼鷹一縷(そうよう いちる)廃墟から弐弧が連れて来た鬼の少年

眞輪(まりん) 魅惑ボディの美少女。炎の輪を武器にする鬼姫。

甜伽(てんか) 一縷と弐弧を捕えに来た敵だが、今は同級生。

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