第56話 弐弧の予知

文字数 2,643文字




何処かで電話が鳴っている

固定電話では無い スマホの着信音だ
此の場にそぐわない 軽快な音楽が鳴り響いている
漆黒の闇の中に 灰色の地面が浮かび上がり
ぴしゃ
ローファーの足先が水溜まりを弾いた 其れは 闇の中から現れ
冷たいアスファルトの地面をじわじわと侵蝕し 元を辿る目は 不意に眼前に現れた巨大な瓦礫の塊に行き着いた
瓦礫の下から 音も無く 水が意志あるものの様に這い出し 足元に水溜まりを作っている
電話を鳴らしているのは 自分だ
右手にはスマホがあり 発信画面が白い光を顔に投げかけている
同じ様に光を放ちながら 暗い床の上に取り残されたスマホが しきりに音を鳴らして主を呼んでいる
亀裂の入った液晶画面には 歪んだ文字が映っていた
目は 手にしたスマホの画面に吸い寄せられる 白い文字が 「誰か」を教えていた

― 新那 慧

突如 轟と言う音と共に 辺り一帯がオレンジ色の炎に包まれ、熱波が襲った
瞬く間に黒い煙が立ち籠める
瓦礫に押し潰されたバイクや自転車が めらめらと燃えている
炎に照らされた紅黒い血が 灰色の地面に 音も無く広がってゆく

気付いた時には もう遅かった
背後を振り返りかけた目に 紅い飛沫が映った

斬られた自身の首から迸る 真っ赤な鮮血を見ている  ―



スマホのバイブレーションが弐弧を揺さぶり起こし、飛び上がらせた。
あの日 ― 戦える、と言う揺るぎない決意と根性がある事を自他共に見せつけた。
気力は十分にある。足りないのは ―

紅葉して来た森の木々は暖かみのある色に溢れ 上空の風に煽られて、枯葉がはらはらと舞い落ちる。
灰色の世界ばかりを見て来た目に、飛び込んで来る鮮やかな色彩が眩しくて 弐弧は目を細めた。
昇り始めた太陽の穏やかな光の中で 目を覚ました鳥たちの活発な鳴き声が聞こえて来る。
其れに引き換え
弐弧は膝に手をついて 絞り出す様な息を苦しげに吐き出し 肺の痛みに耐えている。
戦う気力に体力がついてこない、と言うのを思い知った。
深い森に囲まれた屋敷は 人知れず修行出来る格好の場でもあった。起伏のある自然の道を こうして毎朝早起きしては登校前にランニングしているのだが、体は一向に慣れてくれない。
一寸走っただけで 鈍った体は直ぐに悲鳴を上げ、息も絶えそうになっている。
あれが予知なのか、悪夢なのか 判別がつかないのも相変わらずだ。
懇親会で手に入れた銃は 紛う事無き骨董品だった。赤毛の付き人は何とか持ち上げようとしていたが 心にも無い褒め言葉は弐弧の冷たい視線を浴びると消えた。
「若?!」
「何かあったんで?誰かに追われたんスか?」
屋敷の門まで後少しと言う所で 鬼華の若君が全力疾走して来たかの如く滝の汗を流し、息を切らせて 疲労困憊の余り今にも倒れそうになっている。親切心から駆け寄ってみれば あろう事か殺気立った鋭い目を向けられ 要らぬ世話だった様だと即座に悟った。
気まずい空気を破る様に 出し抜けに ざざざ、と葉擦れの音を立てて、脇の茂みから黒い影が躍り出し 互いに其れ以上の醜態を見せずに済んだ。欣は素早く若君を背に庇い、臨戦態勢をとったが
「…! 一縷!?」
道に降り立ったのは 色取り取りの枯葉で黒のジャージと黒髪を彩った、「一縷」と言う名の堕鬼の少年だった。本来なら恐れるべき存在だが 此の堕鬼は一風変わっていて 理由もなく人を襲ったりしない。猫の様に寝てばかりいて 鯉を喰う。
「何だ、一緒だったんスか」
付き人は安心した様に ぱっと笑顔になったが ―
一緒にランニングに出た覚えは無い。弐弧が部屋から出て行く時 一縷はまだ布団の上で眠っていた。付き人はそう言ったが 若しそうなら 一縷は悠々と散歩でもして来たかの様に平然としている。つまり 弐弧と同じ距離を走って来たのなら 体力が天地の差である、と言う事だ。
弐弧の苦々しい表情から察したのか 一縷がにまと挑発する様な笑みをくれた。
「 …!」
弐弧は憮然としたが 一縷の此の変化については喜ばしい事だと思う事にした。
紅い目の少年は 日増しに感情を取り戻していくかの様だった。
表情の無い顔でいる事が多いが 虚だった目には光が宿り、もう以前とは違う。
こうして時折笑顔も見せる様になった。其れが 例え、少しくらい癪に障る笑みであったとしてもだ。

―  一縷が 心を取り戻し始めている


「何かいーことでもあった?」
唐突に声を掛けられ、はっと我に返ったが おくびにも出さず
「別に」
弐弧は横目に見ただけで、突っ慳貪に返した。どんなにぼうっとしていても 閉鎖的な感情は自然に口から出て来る。
「何か嬉しそーじゃん」
後ろの席に座る慧が スマホの画面を見ながら抑揚のない声でそう言って来た。
「気のせいだろ」
素気無く前に向き直ると 会話を断ち切ったのに
「今日ヘルズカリー行かね?」
急に脈絡の無い謎の言葉を発してくる。会話の展開について行けない。
「行かない」
けんもほろろだ、と聞こえる様に願った。
「何で?」
何故と言いたいのは此方の方だ。とは言え 理由を述べろ、と言われれば無い。弐弧は渋面になった。
「他の奴と行けよ」
まだ 慣れていないのは、ランニングだけでは無い。
「他って誰?」
「俺はお前と行きたいから言ってんだけど?」
けんもほろろだ。是れ以上会話を続ければ動揺を隠しきれなくなる。
「何言ってるか分かんねーし」
「別に俺じゃ無くたって良いだろ」
何でそんな言い方しか出来ないんだよ、と言う自身に対する批判と 関わらせないでいる為には此れで良いんだ、と言う相反する思いに心をかき乱されて 頬杖をつく手が熱い。
「お前さ、直ぐそーやって意固地になるから面白ーよなー」
「は?!何言って ―
「そー、それな」
スマホから目を離した慧は 感情の鬩ぎ合いが極限に達し、席を蹴って立ち上がらんばかりの勢いで振り返った弐弧を指差した。
突き付けられた其の指先に 言い掛けた言葉は喉の奥に押し戻され
「 … !!」
反射的に片手が顔を覆ったが 見抜かれた事に赤面しているのは分かっている。
脳まで茹だりそうだ。
精神面が脆弱な自身への憤りと、屈辱に絶句した後
「… っ 死ね!」
我ながら子供じみた行動だとは思ったが 止められなかった。
ノートを投げつけると 慧は態とぶつけられるが儘に 憎たらしい程声を立てて笑ったが
其れ以上 慧を責める事は出来なかった。
何時の間にか授業が始まっており 何時の間にか二人の仲裁に入って来ていた教師の顔が 噴火寸前の様相を呈し 巨体の黒い影が落ちると体の芯まで凍り付いたからだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

百鬼弐弧(なきり にこ)廃墟で育った平凡な高校生だが予知能力がある。

蒼鷹一縷(そうよう いちる)廃墟から弐弧が連れて来た鬼の少年

眞輪(まりん) 魅惑ボディの美少女。炎の輪を武器にする鬼姫。

甜伽(てんか) 一縷と弐弧を捕えに来た敵だが、今は同級生。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み