第3話 序章 闇の世界

文字数 1,890文字

血も凍る程の冷気を感じながらも 吐き出す息は白くもない。
あらゆる色彩が闇に染まり 大気は重くのしかかって来る。 
今 自分は底無しの闇の世界に足を踏み入れたのだ。
風一つ無く  何の音も無い。
足音すらも深い闇に吸い込まれ 沈黙する大気は重苦しく纏わり付き 息が詰まった。
無の静寂が棺桶にでも入った気分にさせられた。
懐中電灯の明かりの中を 黒い灰のようなものが音も無く降っている。
遙か上にある 月光の中に浮かび上がったドームの天井の 渦巻く骨組みは芸術的ですらあったが
男の居る場所は奈落の底らしく光は地上まで届かない。
嫌な気分になり 男は天を見上げるのを止め 降りしきる物体に光を向けた。
やはり其れは黒い灰の様で 不気味と言うよりは不思議な感じさえした。

業火に焼き尽くされ
骨と灰に為った 巨大な生き物の亡骸。

此の場所は 「死」を想わせる。

詩人を気取るつもりはなかったが すっかり此処の雰囲気に飲み込まれてしまっている。
懐中電灯は壁面に沿って作られたコンクリートの観客席を 其の壁に描かれたアートを照らす。
ありふれたドームのありふれた光景。ただ
中央の地面に巨大な穴が開いている、と言うだけの事だ。
段差のついた観客席が階段宛らに中央に向かい 巨大な穴の中に来訪者を誘おうとしている。
階段と階段の合間に扉のない長方形の縦穴があり 内部に入れるようだ。
懐中電灯の光を走らせる。通路は案外広かったが 右も左もただ闇と瓦礫が在るばかり。
案内板らしきものは角の部分だけが壁にしがみついているだけで役に立たない。
瓦礫を踏み躙る音も懐中電灯の光も 深い闇に吸い込まれ 足を踏み入れれば 自身も
闇の中に消え失せてしまいそうだった。
臆してどうする。
男は通路の中に入り せわしなく懐中電灯の光を辺りに投げかけた。
不意に「何か」の気配が前方を音も無く過った   様な気がした。
脊髄反射で光を向けたが何もない。だが「何か」がいる。
其れも直感に過ぎなかったが 躰が強い恐怖を感じている。
背後に明かりを向けた。
光の中に黒い「何か」が立っていて 心臓が口から飛び出しそうになった。
口は開いたが声に為らなかった。
懐中電灯が照らし出したのは 齢一桁と覚しき幼子で 車道に飛び出した猫の如く立ち竦んでいる。
長い黒髪は乱れ、ぼろ布を纏っていた。
髪が長いからと言って女とは限らないが、直感的に少女だと思った。
骨が浮き出して見えるほど痩せ細っており 其の髪とくれば地面まで届き 尚其の先が見えない。
ぼろ布が赤く染まっていた。真新しい血の色だ。
何かから必死に逃げて来たのか 髪の合間から覗き見える墨のように黒い目が恐怖に見開かれている。
少女は男が入って来た縦穴から飛び出して行った。
こんな最果てまで来た甲斐があったと言う訳だ。一刻も早く此の場から出るにあたって最早臭い芝居は必要ない。
男は其の目に残虐な光を宿し 直ぐ様少女の後を追った。
無我夢中で駆けていた少女は危うい所で止まった。此の先は ―
「! 
背後から短く鋭い音が聞こえ
空を切り裂く弾丸が少女の細い足を撃ち抜いた。弾は足を抜け地面を跳ねた。
衝撃で弾け飛んだ瓦礫が音も立てず ただ吸い込まれる様に闇の中に落ちて消えて行った。
巨大な穴は深淵を覗く者の生気を吸い取るかの様に其の眼を惹き付け 逃れられない奈落へと誘った。

― 闇に 囚われる

細い腕を踏ん張り 半身を起こした所で 男が容赦なく足を踏み躙った。
此処まで来て身投げされたのでは元も子もない。
「 … !
少女は悲鳴も上げず 「痛い」とすら言わなかった。
声を失っているのか。だが「此処」では良く有る事だ。
男が長い髪を掴んで乱暴に引き摺り起こした  刹那

何が起こったのか男には分からなかった
音も無く男の胸から「何か」が飛び出した。
飛び出した鋭利な先端から 紅い血が音も無く闇に雫を落とす。
男の手から滑り落ちた懐中電灯が乾いた音を立てて壊れた。
其の音は闇の中にもの悲しく響き 最期の光を瞬かせると奈落の底へと落ちていった。
紅い血を闇に迸らせて 男の亡骸が後を追うように音も無く落ちてゆく。
少女は男の死を其の虚ろな目に映し   死人の様な顔には何の表情も無かった。 
闇よりも冷たく黒い影が、重くのし掛かる様に少女の上に被さって来ても 身動き一つしなかった。
少女が倒れた時に散らばった十ミリ程の小さな硝子玉は 零れ落ちた涙の滴の様に密やかに光り 其の透明な球体に、少女の惨たらしい運命を映し出した。
紅い双眸が 少女を見下ろしている。
冷気が躰から熱を奪い 全ての感覚を奪い去り     為す術も無い儘
闇に閃く残酷な切っ先に少女の躰は貫かれた。
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登場人物紹介

百鬼弐弧(なきり にこ)廃墟で育った平凡な高校生だが予知能力がある。

蒼鷹一縷(そうよう いちる)廃墟から弐弧が連れて来た鬼の少年

眞輪(まりん) 魅惑ボディの美少女。炎の輪を武器にする鬼姫。

甜伽(てんか) 一縷と弐弧を捕えに来た敵だが、今は同級生。

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