第51話 鬼子の宴 お開き

文字数 2,213文字

白白と夜が明けてゆく。
昇ってゆく太陽は徐々に光を増して 白光の刃が薄闇を刺し貫いた。


「若ー!そろそろ起きて下せぇよ!」
六時半。
鬼子がちゃんと起きているか確認する。放って置けば一日中ベッドで蜷局を巻いているに違いないからだ。若さと言うのか 兎に角赤子の様に良く眠る。
唯 其れは 何に対しても無気力になっている表れなのかも知れなかった。
「んー…」
返事をしたからと言って安心は出来ない。やれやれと行きかけて振り返ってみると 全然起きていないと言うのがもう常の事になっている。
「だから、寝ないで下せぇって!」


そんなたわいのない日常が 感傷的に思い出されて自分でも驚いた。
あの鬼子はもう戻っては来ない と心の何処かで思っているのか。
夜明け前に送迎車用のレーンは製造工場の流れ作業の様に同じ動作を繰り返し 次々と車を街へ送り出して行った。
匂いで誰を迎えに来ているのか分かる。
夜が明ける頃には 同胞の匂いは殆どしなくなった。
太陽が昇る頃には 自分だけになっていた。
根が生えた様に其処から動けなかった。何かを期待しているのでも無く 絶望に打ちのめされているのでもない。頭の中には 何の考えも、何の感情も湧き起こらなかった。
ジリリリリ
「わーーっ!?」
不意に 虚無の世界を打ち破るけたたましい音が、スーツの胸ポケットから鳴り響き バイブレーションが電気ショックの様に体を走り抜けた。


どれだけ車を飛ばしても 優に二時間はかかるような場所に居る。
携帯のGPSは今も動き続け 鬼子が大人しく迎えを待っていない事を示している。
「外の世界」に慣れている子供だけに 放って置くと風来坊の様に何処に行くか分かりはしない。
真上に昇った太陽が照りつけると 流石に汗ばんで来るくらいの陽気がまだ残っている。
廃墟が目立つ閑散とした工場街。
寂れた街の何処かから 長く伸びるサイレンの音が聞こえて来る。アスファルトは罅割れ 塵が散乱し 錆に冒された鉄網が半身を力無く倒している。
腐蝕した街には 生き物の気配もない。錆色の陰々滅々とした景色は何処までも続く。
長年放置され 赤い錆が全身に行き渡った工場内に、心音の様にリズム感のある音が響いていた。
くすんだ空の下、乾いた大地の上で 何処で見つけたのかサッカーボールで遊んでいる。
頭に、太腿に、足先に 優れたバランス感覚だ。此の鬼子の能力を以てすれば 何処にボールが落ちて来るかを知るのは 息をするのと同じ位簡単な事だろう。身体能力も其れに見合ったものだ。
嘆く必要等 何処にもなかったのに。
門扉が開け放たれた廃工場の敷地内で 動いているのは鬼子だけだったが
驚かされたのは鬼子が無事だと言うだけではなく 塗装の剥げたドラム缶の上に座って鬼子の妙技を眺めている堕鬼の存在だ。
生々しい物を口に咥え 爛々とした紅い目は 今にも襲い掛からんばかりにボールを追っている。
深手を負い、屋敷で死んだ様に眠っていた堕鬼が何故此処に居るのか。地下の会場からどうやってこんな離れた場所に来れたのか。疑問は尽きない。
其れにしても ― 人の気も知らないで暢気なものだ。
見た所、二人には大した怪我もなく 唯 やんちゃ盛りの子供の様に汚れている、と言う位で 普段は陰気な鬼子が太陽の下で楽しそうにリフティングしている姿と こうして生きている、と言う喜びが大きくて 問い詰めて邪魔をする気にはなれなかった。
もう暫くだけ 好きにさせてやろう。
「教えてあげたんだから 礼はきっちりして貰うわよ」
何時の間にか背後に回り込んだ人物が 陽光も凍り付く冷ややかさで欣の耳元に囁いた。
「分かってまさぁ、ね
「姉ちゃんなんて馴れ馴れしく呼ぶんじゃない」
最後まで言い終える事も出来ず 固めた拳でごつんと頭を殴られた。
「此の世界じゃ姉弟関係は何の意味もない」
「だけど 此処が魁邏(かいら)の地で命拾いしたわね」
黒いスーツからはち切れんばかりの艶めかしい肢体。閉じ込められた胸が 収まりきらずに白いシャツが悲鳴を上げている。横に垂らした艶やかな赤毛混じりの髪は一族の証だ。
金色の目をサングラスで隠してはいるが 其の肢体が隠密行動の妨げになっているのは間違い無い。
蒼連会魁邏の長は女で 狼に狐 配下は美しい雌の獣で構成されている。
男には夢の様な城だが 一度足を踏み入れれば自身の存在も儚く消え去るだろう。
此の城の女達にとって 男の存在など下僕か餌かの二択しかない。
長は女伊達らに 豪胆でさっぱりとした性格 細かい事には拘らない。
名のある組の若君とは言え 挨拶もなくシマに入って来た不作法な二人の処遇も「迷子」と言う扱いだった。
本来なら 鬼子は見逃されたとしても 堕鬼はそうはいかない。
其の存在は害虫の様に 見付かれば即座に駆除される。他所のシマで何が起ころうとも 一切干渉出来ない。身を弁えずに勝手に入り込んだのが運の尽きだ。
だが 堕鬼が始末されるとなれば鬼子が黙ってはいない。そうなれば ―
鬼華の長は冷酷無比だと言われているが 何処まで冷酷でいられるのか。果たして 自身が養子にした子を死体で返されても 冷酷に受け止められるのだろうか。其の冷酷さが 違う方向に向く可能性もある。
欣はぞっとする考えを早々に頭から締め出した。
厄災が降りかかる前に連絡をくれた姉には感謝しかないが ― 謝礼は途轍もなく高くつくだろう。
本当に
あの二人の行動は養父に似て 周りを苦悩のどん底まで落としてくれる。

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登場人物紹介

百鬼弐弧(なきり にこ)廃墟で育った平凡な高校生だが予知能力がある。

蒼鷹一縷(そうよう いちる)廃墟から弐弧が連れて来た鬼の少年

眞輪(まりん) 魅惑ボディの美少女。炎の輪を武器にする鬼姫。

甜伽(てんか) 一縷と弐弧を捕えに来た敵だが、今は同級生。

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