第5話 百鬼弐弧

文字数 5,532文字



廃墟は周囲を監獄よりも厳重に鉄針のついた高い柵に囲まれて 言う間でも無く立ち入り禁止区域である。
百鬼弐弧(なきりにこ)は辺りに目を遣り 人気がないのを確認すると
遙か昔に其の用を終えて 今は塵の投げ捨て場と化している水路に降り立った。
折れた傘 壊れた自転車や タイヤのないバイク 中身の知れない黒い塵袋 椅子にテレビ…
此の中に死体が混じっていたとしても気付かないだろう。
色んな液体が混じり合って出来た ぬらぬらとしたへどろが隅に溜まり 其の様は
ぽっかりと口を開いた暗黒のトンネルが吐き出した吐瀉物のようであった。
茹だるような暑さの中で 更にきつくなった汚臭が鼻をうつが仕方無い。
遠くに微かなサイレンの音が聞こえ 弐弧は一度上を見上げたが
顔を顰めて意を決し トンネルの中に入って行った。
瓦礫が散乱したトンネルの中は ひんやりとしていて気持ちが良い。
トンネルの奥にも柵があるのだが 名残と言った代物で分けなく取り外せる。
階段を上がれば 徐々に外の世界が見えてくる ―
ピィィィ…
大気を切り裂く声に 空を見遣った。
小さな黒い影が紙飛行機のように 街に向って過ぎってゆく。
一陣の風が吹き抜けて 汗の染みた白いシャツをはためかせた。
弐弧の眼前には 街の屍があった。
木々のようにビルが濫立し 其の風貌は樹海を思わせる。
強烈な陽光が乾いた白い地面に照りつけ、目を眩ませた。
此処では何もかもが干涸らびていて 地面は罅割れ 草木の一本も生えない。
だが 此処は廃墟の中でも 太陽の光が届くだけまだマシな場所だ。
もっと奥に行けば 鬱蒼とした闇が広がり ー  
「茶々丸―!」
そばかすだらけの顔に はち切れんばかりの笑顔。
錆色の髪に 色褪せた小花柄のワンピースを着た少女が 両手を大きく振って駆けて来た。
弐弧も笑顔を返す。
「サビ子!」
挨拶もそこそこに サビ子は弐弧の手を取るなり急かすように引っ張った。
「ほら!早く早く!ブッチが待ってるよ」
顔を上気させて 汗を流している。ずっと此の場所で弐弧が来るのを今か今かと待っていたのだろう。
そう思うとサビ子の健気さに 申し訳なくも嬉しい、そんな気持ちで胸が一杯になった。
「もー!茶々丸ったらー!」
先に駆け出したサビ子は 弐弧がついて来ていないと知ると、立ち止まって拳を振り上げた。
「そんな急かすなって
苦笑しながら言い掛けた弐弧の言葉は ふわりとワンピースの裾が広がり サビ子のほっそりとした足が見えると消えた。
リボンの付いたピンクの靴を履いたサビ子の足は 脹ら脛まで黒くなっていた。
サビ子 其の足 ― 言葉は出て来なかった。弐弧の視線を受け止めたサビ子の目は全てを知っている と言っていた。
「あーあ、すっかり怠け者になっちゃって!置いてくからねー!」
「ほら、走れ走れー!」
サビ子が両腕を振り回して発破をかけている間に
「誰が怠け者だよ。先に行くからな」
走り出した弐弧はサビ子を追い抜いた。
「え
「あー!!?」
「待てー!こら、置いて行くなー!!」
抜かされた事に気付いたサビ子も 弐弧の後を追って全速力で駆け出した。



罅割れた煉瓦の通路に 黄ばんだ白布をかけた丸テーブルと小洒落た白いガーデンチェアが三脚あり その一つに 頭を短く刈り上げた少年が座っていた。
「お!来たな 茶々丸!」
弐弧の姿を認めた少年はクールな笑顔を見せて出迎え
「お誕生日会へようこそー!」
対照的なサビ子が両腕を広げて熱烈に歓迎の意を表した。
二人がこの日の為にかき集めてきた様々な物がテーブルを華やかに彩っている。
藍色の花柄の入った高級そうな食器が並び 銅製のランタン、硝子玉、ブリキの置物、薔薇に牡丹、名も知らない花の造花が 幾つも置かれた色硝子のコップに色彩豊かに入れられている。
「どう?良いでしょー!此処」
建物の一階部分がアンティーク調のカフェだったらしい。
窓硝子は全て地面に堆く積もり シックな木枠だけの窓は全て開かれている。
店内は荒れ放題で薄暗く陰気だったが 硝子のランプシェードやレースのテーブルクロス、落ち着いた色合いのアンティーク家具が置かれていて 其処だけ古い時代の外国にトリップ為たかの様だった。
此の日の為に 二人が其処からせっせと物資を運び出している姿が目に浮かぶ。
「ほら!座って座って!」
サビ子はせかせかと椅子をひくと強引に弐弧を座らせ 「コホン」と一つ咳払いをすると
「お誕生日おめでとう!ブッチ!」
其れを合図に二人は声を揃えた。
「ありがとう!」
ブッチと呼ばれた少年は照れくさそうに笑った。
弐弧が下げてきた紙袋をがさがさ言わせると 二人は首を揃えて爛々と目を輝かせ
テーブルの上に 料理の入ったタッパーが所狭しと並ぶと
「おおー!すげー!」
「うわあ!おいしそ-!」
口々に声を上げて歓喜した。
「流石 茶々丸… 今は 弐弧だっけか?」
ブッチ と言う名は此の少年が自らにつけたものだ。
ブッチは五歳の誕生日を目前に 生まれたばかりの子猫たちと一緒に塵袋に入れて捨てられた。
三人は廃墟で出会い 名のなかった二人はブッチの独断の元に命名された。
冷静な判断力を持つ、仲間のブレーン的存在のブッチと 感情的だが行動力のあるサビ子、三人は此の荒廃した街で 互いの特技を活かし 足りない部分を補い合って生き抜いて来た。バランスの取れたチームワーク。
俺たち、三人なら最強だな ブッチは事あるごとにそう言っては、誇らしげに笑った。

だが
別れの日はやって来た。

俺たちは此処で良いんだ 好きに生きろよ 茶々丸
此処には何時でも来れるだろ
外の世界の話を俺たちに聞かせてくれよ

二人は外の世界に出て行く事を選んだ弐弧の背中を後押しして 自らは廃墟に残る道を選んだ。

「んん~!おいし~…!」
「此れ全部茶々丸が作ったのー?」
サビ子は口いっぱいに料理を詰め込んで 幸せそうに頬を染めながら聞いた。
「当然 …って言いたいけど 店で作って貰った」
声が小さくなる。
「いーんだよ 弐弧のキモチが詰まってんだからな! 其れに 俺は …
ブッチの顔が一瞬翳り 何かを切り出そうとしていたが
「お前に会えて嬉しいよ」
思い直した様にまた笑顔を見せた。
外の世界に出た弐弧の生活は一変した。日々は変わりなくも 瞬く間に過ぎてゆき
廃墟に向う足は徐々に減って 二人と会う事も少なくなった。其れでも
此処に来れば 二人はいつも笑顔で弐弧を迎えてくれた。
「じゃーん!あたしからもプレゼントー♪」
サビ子がリボンをかけた小さな箱をブッチに手渡す。
「おお!ありがとな!」
箱の中には高級ブランドの腕時計が入っていた。
硝子面はすり切れて曇り 中の針は歪んでいて もう二度と動かぬ事は一目瞭然であった。
錆びた腕時計を早速付けると
「どうよ?」
腕を上げてモデルのように決めポーズを取ると ブッチは自慢げに二人に見せつけた。
既にブッチの腕には幾本もの腕時計が付いていたが 其れよりも ―
弐弧の目は 真夏に長袖を着ている少年の腕に広がった黒い染みに吸い寄せられた。
痣は手の甲まで達している。
「あ」
弐弧の視線に気付いたブッチは 決まり悪そうに はは と笑った。

廃墟に子供しか存在しないのは 此の病の所為であった。
此処では 大半が大人になるまで生きられない。
足の先から発症する事が多く 最初は痣の様な感じだが 痛くも痒くもない。寧ろ
「何も感じない」のだ。体が動かなくなる訳でも無く普通に過ごせる。其れも暫くの間だ。
やがて足が真っ黒になり 黒い痣が上半身を這い出す頃には 徐々に体の機能が失われてゆき
次に脳が冒され始める。
記憶障害や感情の欠落 別人の様に変貌し そうして ― 全身が黒く染まれば息絶える。
最期は体が灰の様にぼそぼそになって頽れ 散って往く。
「バイバイ病」
此処ではそう呼ばれている。
廃墟に降る黒い灰に冒されたのだ、と言う話と かかれば最後 此の病には治療法が無く
いずれ体が灰のようになって死ぬ事から 灰とかけてそう呼んでいるらしい。
人体が黒い灰になるなど到底信じられたものではないが
黒ずんだ人間が灰の様に散ったのを 三人は其の目で実際に見た事があった。

「えっと、あの、俺も時計…
弐弧がおずおずと小さな箱を取り出すと 病気の事を何故黙っていたのか、と怒られる覚悟をしていたブッチは 拍子抜けした顔で暫くぽかんとしていたが 大仰な程吹き出し
「分かった分かった!こう言う事だろ?」
二人からの腕時計を嵌めた両腕を交差させると 舌を出し、チャラ男の決めポーズで戯けた。
其れを見たサビ子が声を上げて笑う。
「其れにしても お前が料理人になるなんてなー」
湿っぽい空気を追い出す様に ブッチは態と大きな声を上げてそう言った。
「え いや 居酒屋でバイトしてるってだけで
「廃墟に居る俺たちみたいなのに 腹一杯喰わしてやりたいって思
「飲食って 時給たけーし
「 …
互いに沈黙する。
「おい!ちょっとは良い様に言わせろよ!」
ブッチはいつも笑わせ役を演じ 場を和ませてくれる。
本音で語り合い みんなで笑いあう。
此処ではずっとそうだ。
そして 弐弧は手を振って二人と別れる。

「また何時でも来いよ!」
「茶々丸ー!またねー!」

「またな」

また ― 他愛のない別れの言葉なのに そんな言葉を 後、何度聞けるのだろう

いつの間にか弐弧はトンネルの外に けばけばしく光り輝く街の中に居た。
涙を振り切る様に夜の街を駆けていた。


「寂しいんでしょ?」
瓦礫の上に座って遠くに光耀く街を静かに眺めている少年の背に、サビ子は声を掛けた。
「ねぇ、やっぱり
― 本当は 茶々丸と一緒に行きたかったんでしょ?
だが あの時、ブッチは自分の体に「死」を見つけてしまった。二人に心配をかけまいと 発症した事を自分一人の胸にしまい込んで
どんなに悔しかっただろう。其れでも そんな素振り一つ見せず
ブッチは死ぬまで二人に隠し通す気だったに違いない。
   サビ子 会いたくなったら俺は何時でも此処に居るから
   茶々丸と一緒に行けよ
嘘ばっかり  嘘つき ― あたしが何にも知らないとでも思ってたの?
ブッチの馬鹿!どれだけ嫌われたって あたしは絶対離れてなんかやらないんだからね!
泣き喚くサビ子を ブッチは困った様な顔で暫く見ていたが
   有り難う
そう言った気丈な少年の目は 涙で光っていた。

走れ!
― 人買いからあたしの事助けてくれたじゃない
名前無いのか?俺がつけてやるよ。
― あたしに名前をくれたじゃない
仕様が無いヤツだな。お前は
― いつだって あたしの事心配してくれたじゃない
   有り難う、なんて言わないでよ
「サビ子。お前が居るのに俺が寂しい訳無いだろ?」
向けられたブッチの笑顔に
「え… いや、まぁ 其れはそうだけどさ
サビ子は頬を染めて、もじもじと人差し指を付き合わせながら言葉を濁した。
ブッチは 何処か晴れ晴れとした様な 穏やかな笑顔で街に目を戻し
「… なぁ 昔っからあいつって変わってたよなー」
思い出と語らうように切り出した。
「猫の死骸にたかった蟻に水ぶっかけたりとかよ」
ぶははと笑う。
「あのね!笑い事じゃないでしょ!あれは皆の大事な飲み水だったのに
サビ子の地雷を踏んだと気付いたブッチは まぁまぁと宥める様に手で制し
「雨降ったりとかさ 何か良くない事が起こるとか 不思議だけど、あいつには分かるみたいだったよな」
「そのあいつが此処から出て行く事を選んだ。きっと、何かあるんだろうな」
「いっつも何聞いたって 別に どっちでもーなんっつって好い加減な奴だったのによ」
「此処から出て行くって言い出した時は 全っ然譲らなかったもんな」
ブッチは懐かしい記憶に目を細め
「あいつが決めた事だ。其の選択肢は間違ってなんかいない。答えはきっと自分で見つけるさ」
「けど、あいつ 絶対自分では何にも分かってないんだぜ?」
したり顔でウィンクすると 愉快気に注釈を付け加えた。
「あはは 言えてるー」
サビ子は無理に笑って見せた。
二人の心に開いた小さな穴は もう二度と埋まる事は無いのだろう。
けれど あの日、三人で決めた事だ。誰にも異論は無かった。
― またね ― またな
また会える、そう言葉を交わしても 如何して今も ひと時の別れがこんなに辛いのだろう。
開いた小さな穴から 心が流れ出してゆくかのようだ ―
―  ねぇ 茶々丸
   戻って来てよ
   傍に居てよ
   前みたいに また三人で暮らそうよ
「ね、次に茶々丸が来た時はさ、あたし達がご馳走しようよ!」
「ああ、そうだな」
思い立ったが早いか サビ子はもう次のパーティの準備に必要な物を指折り数え始めている。
「なぁ… サビ子」
「なにー?」
最期の時が来る 其の日まで
「お前と一緒に居られて 俺は
声が詰まって 言葉にならない。気弱な事を言うな そうサビ子に怒られるかと思ったが
「うう~!さぶ!!」
サビ子は派手に身震いしてみせると
「茶々丸ー!早く戻って来ないとブッチが壊れちゃうよー!」
街に向って声を張り上げた。
「あ、てめ!人が折角
サビ子はブッチに向かってあっかんべーをすると 廃墟の方へと駆け出して行った。
やれやれと苦笑したが サビ子の行為は間違っていない。
そうだ。
こんな台詞は自分には似合わない。リーダーたるもの いつも、どんな時でも 毅然としていなければ。
仲間を不安にさせて如何する。
サビ子は怒ったが 弐弧の奇妙な行動には全て意味がある。
優し過ぎるのだ。此の世界で生きて行くには純粋過ぎる。其れでも
心配はしていない。あいつなら きっと 其れを分かってくれる仲間にまた出会えるだろう。そんな不思議な力があいつにはある。
「茶々丸、またな」
最後にもう一度だけ街を振り返ると ブッチの姿はサビ子の待つ廃墟の闇の中に消えて行った。


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登場人物紹介

百鬼弐弧(なきり にこ)廃墟で育った平凡な高校生だが予知能力がある。

蒼鷹一縷(そうよう いちる)廃墟から弐弧が連れて来た鬼の少年

眞輪(まりん) 魅惑ボディの美少女。炎の輪を武器にする鬼姫。

甜伽(てんか) 一縷と弐弧を捕えに来た敵だが、今は同級生。

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