第32話 一縷の心

文字数 1,425文字

原付を停めて夕闇に染まってゆく空を見上げる。

夏の夕暮れに カナカナカナと聞こえて来るあの声が やけに物悲しくて嫌いだった。
声から逃れる様に屋敷の中に入ると 真っ直ぐに自分の部屋に向かった。
其の部屋以外は知らない。
障子を開けた弐弧は驚きに目を瞠った。
「若!お帰りなさい」
「丁度起きてたもんスから、此の際だと思いやしてね」
「どうっスか?結構様になってるでしょ?」
欣はヘアスタイリスト気取りで鋏を片手に悦に入っている。
一縷は表情のない紅い目で座っていた。
髪は綺麗にカットされてざんばらではなくなっている。蛇側財布の男から失敬してきた黒いパーカーではなく 一縷は弐弧と同じ白い半袖シャツに黒のネクタイ姿であった。
こうしてみれば 一縷は普通の高校生と何ら変わりない。
「今日は街の方で花火が上がるみたいっスよ」
「夏の思い出に二人で見に行って来たらどうっスか?途中まで送りまさぁ」
送迎される事に気後れする様だ、と分かったらしく 欣は無理強いしなかった。
「祭りン時なら少々目が紅くったってバレやしませんや」

欣に言われたから、と言うだけではなかった。
其れが自身の望みでもあると知ったからだ。
結局は 何処までも同じ日々が続くだけだ、と諦めにも似た感情に囚われて、又以前の様に無気力になり始めていた。
唯 紅い目が異質だと思われないとしても 一縷を連れて人混みの中に行くのはまだ無理だ。
一縷がひとたび「鬼」の本能を剥き出しにすれば 弐弧の命を以てしても止められはしないだろう。
「此処から入れそうだ」
「行こうぜ 一縷」
良さそうな廃ビルを見つけると、割れた窓から侵入し 住み慣れた家の様に階段を上がってゆく。一帯が廃墟になっており 灯りは一つとしてなかったが 暗闇を恐れた事は無い。
一縷も弐弧の後を追って入って来る。
屋上に出ると 満天の星よりも光耀く街が見渡せた。
「すげー …!
打ち上げられた花火が煌めく光を空一面に撒き散らしている。落ちてゆく光は まるで流星群だ。
初めて見る花火は 心臓に響く破裂音も 大輪の花が夜空に咲き誇る様も圧巻であった。
写真を撮ろうとスマホを取り出す。
学校に通うにあたって、欣が用意してくれた一式の中に新しいスマホが入っていた。
「あー、またダメか」
タイミングが難しい。
画面を見ながら奮闘していた弐弧は
「一縷 其処にいろよ」
「絶対動くなよ」
一縷に釘を刺し、階段を駆け下りていった。ある「物」が目に入ったのだ。
弐弧が戻って来ると 言いつけ通り、一縷は微動だにせず同じ場所に立っていた。
「ほら、約束しただろ」
両手に持っていたアイスキャンディの一つを一縷に差し出す。
「遅くなって御免な」
道路の一角に起動している自動販売機が並んでいた。上に取り付けられた看板にICEの文字が見えたのだ。
喜んでくれたかどうかは分からないが 一縷は表情のない顔でアイスキャンディを棒ごとがりがりと齧った。
「ん …? うわ!」
「何だよ 早過ぎだろ」
まぁ、木だから良いか、等と見ていたら 溶け出したアイスキャンディが手を伝って地面にぼろぼろと零れ落ちていた。
手を振ってアイスの残骸を落としながらぶつくさ言っていた弐弧はふと顔を上げた。
花火が終わった後の夜空に白煙がたなびいている。
光を取り戻した幻想的な蒼い月を背にして立ち 一縷が弐弧を見ていた。

どうせ また声に反応して目が向いただけだ

其れなのに
おかしな言い方だが 一縷が人間に戻った様な気がした

其の紅い目の中に 心が見えた気がした ―

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登場人物紹介

百鬼弐弧(なきり にこ)廃墟で育った平凡な高校生だが予知能力がある。

蒼鷹一縷(そうよう いちる)廃墟から弐弧が連れて来た鬼の少年

眞輪(まりん) 魅惑ボディの美少女。炎の輪を武器にする鬼姫。

甜伽(てんか) 一縷と弐弧を捕えに来た敵だが、今は同級生。

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