第17話 狂った現実 後編

文字数 2,229文字

「何だ弐弧 まーた早退して来ちまったのかよ」
「しょーがねーヤツだな」
一旦鉈を下ろしはしたものの 冷笑する其の顔は弐弧の知るアキのものではなかった。
「何も無かった事にしてやろうって思ってたんだけどよ
「お前が悪いんだぜ?
「何こんな奴連れ込んでんだよ
「もう殺すしかねーだろ」
返事をする前に 弐弧は短い苦痛の声を上げて床に倒れ込んでいた。
アキに殴りかかろうとした弐弧よりも素早く立ち回った誰かが背後から腕を捻り上げ 床に押し倒したのだ。
「えー?何お前、そんな行動的な奴だったっけ?」
「いつもぼけーっとしてんのにねー」
嘲笑う声が頭上から聞こえて来たが 右腕を捻り上げられ背に乗られた弐弧は身動きも出来なかった。
「ダチって噓なんだろ?」
「ダチな訳ねーよな」
「金だろ?売り物か、見世物かどっちだ?」
こんなに悪どい顔で笑えたのか。こんなにも酷い事が言えたのか。
自分の知っているアキは こんな奴じゃなかった。
親切で屈託の無い笑顔に誰もが騙されていたのだ。今此の時も アキの本心を知る者はないのかも知れない。
「巫山戯んな!アキ!」
腕をへし折られそうな程捻り上げられながらも 弐弧はもう本気の怒りを隠せなかった。
「何怒ってんの此奴?」
「めんどくせーなー。黙らせるか」
弐弧の背に乗った少年が腕を捻る手に力を入れる。骨がみしみし、と鳴った。
不意に扉が開き 全員の目が一斉に向けられる。
助かった、一瞬でもそう思ったのが間違いだった。
「ねー。殺るなら早く殺んなよ。もう次の授業始まっちゃうよ?」

   な
   何言って

顔を覗かせた女生徒が部屋の中に声を掛けると
「次の授業って岡本じゃね?」
「うっそ!ヤバ!あたし予習とか全然してないんだけど!」
皆口々にざわめきだした。
人を刺し 血塗れの姿で 平然と授業の話をしている。

此の狂った世界が 現実だと言うのか ―

「大丈夫 死んじまったら其の内忘れっからさ」
残酷な笑顔を見せ アキは鉈を大きく振り上げた。
少年は何の抵抗もしない。
目を開けているのに
殺されると分かっている筈だ 其れなのに ― 如何して

だが あれは、化け物だ。
助けられたとして 其処から如何する?捨て猫を拾って来たのとは訳が違う。
此の少年が 化け物として再び目覚めた時に
其の鋭い爪で 牙で また 誰かを殺める様な事があったとしたら ― 
あの時も 何が出来た?

目の前に居ながら 少年を止める事も サビ子を護る事も出来なかった

サビ子を殺したのは「自分」だ。
「自分」の取った浅はかな行動が 封印された化け物を解き放ち サビ子を死に追いやった。
にも関わらず サビ子が殺されるのを 唯傍観していただけだった。
酷い様だ。言い逃れも出来ない。だから 頭から閉め出して 何も考えない様に自己防衛していたのだろう。そうやって 自分の心からも 現実からも逃げていた。

― 本当は 聞こえていたんだろう?

今も 此の儘、少年が殺されるのを 何も為ないで見ているつもりなのか。
心を欺いた儘 此の先死ぬまで 平気な顔をして生きていくのか。
何が本当に正しいかなんて
選んだ未来がどうなるかなんて 誰にも分かりはしない。そうだろう?

― 今だって
如何したら良いかなんて もうとっくに分かってるんじゃないのか?

ああ …… そうだ

態と聞こえない振りをしていた。本当は 疾うに分かっていた。何もかも。けれど
其れは 自分の身を守る為の汚い言い訳でしかなかったから 二人の心を知りながらも 戻れなかった悔恨の苦しみから逃れる為に 心の奥底に封じ込めていた。

― 茶々丸 御免 … 御免ね
  気付いた時には ブッチはもう …  あたし 何にも出来なかった
  ブッチを助けられなかった

違う  サビ子 お前の所為じゃない
俺が 目を背けたから  俺が
逃げずにちゃんと向き合っていれば  例え
殴られてでも 彼処から連れ出すべきだった

― お願い あたしを殺して

あの時 少年に向かって叫んだサビ子の声は 今も耳から離れない
自身が失われてゆく中で サビ子は命を賭して弐弧を護ってくれた
なのに 自分は まだ其の選択から逃げるつもりなのか
例え 其れがどれ程残酷な運命を選択する事になったとしても 為すべき事を
自身の「声」は 最初から 違えずに教えてくれていたではないか ―  

どんな時も そうやって乗り越えて来ただろう
辛くても前を見ろよ
自分を信じないで如何する

― お前は   俺は 如何したい?

「何やってんだよ!
「勝手に諦めるな!」
痛みに耐えながら此処まで背負って来たのは 殺させる為にではない。
「起きろ、此の馬鹿!」
こんな事の為に 死を望む少年を彼処から連れ出したのではない。
「一縷 …  っ!
ぼき と鈍い音がして
背に乗った少年に抵抗した弐弧の腕の骨が折られたのと 次いで其れは起こった。

アキの目に紅い目が映る。其の眼は振り下ろされる鉈を見ているのではない。猛禽の様に鋭く 血の様に真っ赤な目がアキを見上げている。其の眼は生を得て禍禍しく耀き ― 



次に目を開けた時には 弐弧の体は降りしきる瓦礫と耀く火の粉と共に宙に在った。
目に映る幻想的な光景を虚ろに見ながら 抗う力も無く ただ深い闇に落ちていく。
くん、とネクタイを引かれて目が向いた。紅い目の少年が弐弧のネクタイを咥えていた。
弐弧の腕を鋭い爪のついた手が掴んでいる。助けようとしているのか。
其の口元から白い牙が覗き 黒い炎が細く吐き出されていると言うのに。
恐ろしくない。
弐弧は少年の腕を握り返していた。
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登場人物紹介

百鬼弐弧(なきりにこ)廃墟で育った平凡な高校生だが予知能力がある。ひねくれ者。

蒼鷹一縷(そうよういちる)弐弧が廃墟から連れて来た堕鬼。気分屋。

新那慧(にいなけい)呪い返しの「力」を持っている。率直が過ぎる弐弧の同級生。

鵺杜守甜伽(やとのかみてんか)弐弧と一縷を捕らえに来た「回収屋」。今は寸鉄人を刺しに来る同級生。

将生眞輪(まさきまりん)鬼虎こと鬼刄の長、将生刀豪の養女。「鬼姫」と呼ばれる魅惑ボディの同級生。

皇シ貴(すめらぎしき)蒼蓮会・魅鹿の長。チャラチャラした雪鬼の同級生。

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