第87話 フラグ

文字数 1,982文字

虚言を締め出し 恐怖心を無くせば 藁人形に遊ばれているだけだと分かっただろう。
百鬼弐弧自身の手で「心臓」を放棄させる為に、男が一芝居打って出たのだと 気が付いただろう。
少年の「力」が 最初に「心臓」に目を付けた迄は良かった。

 自身の「声」に導かれる儘に撃っていれば、呪いなど無いと興醒めしたに違いないのに
藁の巨人と連動した痛みが、男の言葉を立証し 呪いに真実味を与え
自身の「力」が巨人の心臓を狙っているのは 其処が急所だからだと信じて、何の疑念も抱かなかった。
何故と言って 此の白い髪の男が、「自分」の心臓を欲しがっているからだが ― たかが堕鬼の生死如きで彼処まで自暴自棄になる事も無かろうに ― 度重なる悲観的な思いに神経をすり減らし、狂乱に歯止めがきかなくなった。
我に返っても負の念から抜け出せず 一体 何発目で藁の巨人と完全に繋がるのか ― ロシアンルーレットの様に 迫り来る恐怖に怯える心が、自ら「死亡フラグ」を招いてしまったのだ。

反対に 堕鬼は賢くも此の絡繰りに気が付いた。
痛みに怯んだものの、烈しい怒りが恐怖心に勝り また 自身が熱気を帯びれば帯びる程に、同等の威力で跳ね返って来る、と直ぐ様理解した。自身の急所である部位を破壊しても、互いに死ぬ事は無いと分かり 更には 両者が固執する「心臓」を穿つ事で、百鬼弐弧の「力」が示す真意に辿り着き 男の目論見を見破った。

其の時には既に遅く、呪いに囚われた百鬼弐弧を救うには 「元凶」を斃すしかなかった

凌駕する「力」が、自らを焼き尽くす事になったとしても 此の堕鬼は決断を実行に移しただろう。
「劫火の鬼」と「呪われた心臓」 其のどちらが消滅するのか 最高潮に迄達した此の結末は実にあっさりと終わりを迎えた。

黒鬼 伯城鷹司

見る者を殺す 其の蒼い目が、一瞬にして百鬼弐弧から魂魄を奪い 巨人とのリンクを断ち切ったのだ。



血に濡れた長い黒髪をずるずると引き摺りながら 憑かれた躰は幽鬼の様に 乾いた白い大地を彷徨い歩く。
点々と続く血の跡は 「闇」へと誘い 少女の紅い眸は 残虐な「死」を齎す。
黒い蝶が列を成す 其の先に 音も無く現われた男が、同じ紅い眼で少女を見る。
少女は男を見返し 口を大きく裂いて笑んだ。



― ほんと、男なんて軟弱な生き物なんだから

百鬼弐弧、新那慧、皇祀貴 ― 十番街の話は疾うに篝から聞き及んでいる。
其れにしたって。
そんな戦いがあったとは露も知らずに いつも通りの夜を暢気に過ごしていた。致し方無いとは言っても、「回収」の命が下されたところで 「自分」は間違い無く戦力外通告を受ける事になるだろう。
足手纏いになるのは分かっている。何もかもが 「自分」を置き去りにしてゆくから 少しばかり虚しくなっただけだ。
結局「回収」の命は出されなかった。
魅鹿の長、皇祀貴 鬼華の長、伯城鷹司 と名だたる長が参戦し 後始末は向こうで持つとの事だった。

消化出来ない思いを振り落とす様に、甜伽は原付のスピードを急激に上げ 背負ったリュックの中に入って過ぎ去る景色に微睡んでいた夜彦丸は、自身の命運を天に任せて顔を引っ込めた。

「… あれは何?」
風鈴の音色の様に澄んだ声に蠱惑を潜め 蒼い目を窓外に向けている美しい少女の問いかけに 付き人は暫し返答出来なかった。
と言うのも 此の少女は何の前触れもなく唐突に質問して来る上に 好奇心旺盛でありながら、言葉が短過ぎて何について知りたいのか分からないからだ。
「何の事ですか、お嬢」
窓外には街が在り 視界の先までドミノの様に延々と建ち並ぶビル、通りを歩く人々の雑多な大群、無限に行き交う数多の車両、犇めく物資、巻き起こる騒音の嵐 ― 少女の指す「あれ」は無数に存在している。
「ああ、原付のこってすか?」
幼い頃から付き人を任されて来た自負を駆使して主の蒼い目を追えば 左側を弾丸宛らに爆走して行った原付の女子高生が、派手にタイヤを鳴らしながら赤信号で猛々しく急停止した姿に辿り着いた。
「あたしにも乗れる?」
感情の見えない表情をしていながら、声のトーンが上がり ロデオに興奮した白い頬が紅潮している。付き人の色好い返答を期待している事は直ぐに分かった。
「そりゃあいけませんや」
慌てて間髪入れずに返すと
「… 如何して?
「何がいけないの?」
一転 背後から氷点直下の詰問を受け、魂も凍る程ぞっとさせられた。
此れは敵わない。
何が悪いのか、と言う問いに対しての答えなら明確に持っている。
公道を競技場と見なした恐れ知らずの「鬼」が好奇心も旺盛に暴馬を ― 原付を乗り回す 其れだけで十分問題と成り得るのに 万が一事故でも起こされたらどうなる?
「鬼」は死なないが 相手はなんであれ只では済まないだろう。
そう思いながらも、眉一つ動かさず 苦言を呈する程、付き人は命知らずではなかった。



ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

百鬼弐弧(なきりにこ)廃墟で育った平凡な高校生だが予知能力がある。ひねくれ者。

蒼鷹一縷(そうよういちる)弐弧が廃墟から連れて来た堕鬼。気分屋。

新那慧(にいなけい)呪い返しの「力」を持っている。率直が過ぎる弐弧の同級生。

鵺杜守甜伽(やとのかみてんか)弐弧と一縷を捕らえに来た「回収屋」。今は寸鉄人を刺しに来る同級生。

将生眞輪(まさきまりん)鬼虎こと鬼刄の長、将生刀豪の養女。「鬼姫」と呼ばれる魅惑ボディの同級生。

皇シ貴(すめらぎしき)蒼蓮会・魅鹿の長。チャラチャラした雪鬼の同級生。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み