第118話 シーサーペント
文字数 2,520文字
貴史達が甲板に駆け上がると船体は大きく傾いて甲板は急斜面と化している。
接舷していたネーレイド号の姿は無く、傾いた甲板の下側に船員が集まり甲板の端には海面が迫っている。
船員の一人がハヌマーンに報告している後ろで黒く大きな影が動いた。
目に留まらぬほどの速さで動いたのは巨大な蛇の頭部で、一瞬の間にパールバティー号の船員をその口に咥えていた。
蛇の頭部は貴史の感覚で言えば普通乗用車ほどの大きさがあり半ばと閉じた口から船員の脚が覗いてじたばたと動いている。
ハヌマーンは無言で剣を抜きシーサーペントに斬りつけたが、ハヌマーンの剣はかん高い金属音と共にはじかれた。
シーサーペントは分厚いうろこに覆われているのだ。
貴史はネーレイド号が気になり、傾いた甲板の上端まで這いあがって周囲を見回した。
貴史の嫌な予感は幸いにも外れネーレイド号は帆をいっぱいに広げてパールバティー号から遠ざかりつつあった。
しかし、それはシーサーペントの襲撃を受けつつあるパールバティー号から緊急退避するために帆を広げ、向かい風を受けて後進しているのだった。
ネーレイド号の舳先にはアンジェリーナが立ち、望遠鏡でこちらを見ているのが見える。
ヤースミーンはネーレイド号の方向に叫びながら、貴史の知らない身振りをしてアンジェリーナにサインを送っているように見えた。
ヤースミーンの合図を見たアンジェリーナは頭を垂れて海面を見つめていたが、それは一瞬のことで、貴史も知っている「ミスリム神の祝福があらんことを」の仕草をすると振り返って部下に指示を伝える。
ネーレイド号は逆風を受けて後進していた船足を使って舵を切り回頭を始めた。
船員たちは手際よく帆を操作して方向転換に対応し、やがて百八十度方向を変えたネーレイド号は速度を上げて遠ざかっていく。
その間もハヌマーンは船員を飲み込もうとしているシーサーペントに果敢に攻撃を仕掛けていた。
シーサーペントはその巨体でパールバティー号に巻き付いており、船体は締め付けられてミシミシと軋んでいる。
それでもシーサーペントは人間を飲み込もうとしている間は他の動作が出来ない様子で、ハヌマーンはその機会に乗じてダメージを与えるべく、鱗の隙間から剣で刺し貫いた。
シーサーペントは船体を締め付ける力をさらに強め、船体の軋みは大きくなる。
そして、頭とは別方向から尻尾がうなりをあげて飛来して甲板を打ちすえ、甲板を構成する厚い木材が砕け散った。
ハヌマーンは尻尾の飛来を察知してどうにか身を躱したが、一度海面下に消えた尻尾は再び振り上げられて次の攻撃の機会を窺っている。
貴史は自分の剣を鞘から抜くとハヌマーンと並んでシーサーペントに立ち向かった。
ハヌマーンに倣って、鱗の隙間から分厚い皮を刺し貫くとそれなりの手ごたえはあるのだがシーサーペントの巨体の動きを止めるには至らない。
貴史はシーサーペントに再び攻撃を試みたが、風を切る音に気づいて傾いた甲板を逃げた。
その直後に貴史とハヌマーンがいた場所にはシーサーペントの尻尾が直撃し、尻尾は甲板を突き破って船内にめり込んでいた。
貴史はヤースミーンがヤヌス村を襲撃の城壁に取り付いて攻撃を仕掛けているクラーケンの幼生を退治しようとして城壁ごと燃やしてしまったことを思い出して微妙に納得する。
貴史がシーサーペントの頭部を見ると、助けだそうと思っていたパールバティー号の船員は既にシーサーペントに飲み込まれたようすで、貴史は悔しく思いながら再び剣を構える。
その時、青白い光が迸り、甲板にのめり込んだシーサーペントの尻尾を包んだ。
光が収まると甲板にのめり込んだシーサーペントの尻尾は白く凍結し、周辺の砕けた木材と共に凍り付いているのがわかる。
そして、傾斜した甲板の中央部にある船室へのハッチからララアが上半身をのぞかせて手を振るのが見えた。
シーサーペントは尻尾に激痛を感じた様子でその頭部は海中に滑り込み長い身体がその後に続く。
最後に甲板に刺さった状態の尻尾が引っ張られた時、尻尾は甲板に凍り付いていたため、パールバティー号はほとんど横転する状態までシーサーペントに引っ張られていた。
海面寄りの舷側にある甲板のハッチからは容赦なく海水が流れ込み、パールバティー号はこのまま沈没するのではないかと思われた。
パールバティー号の乗員たちは、船の沈没を覚悟して脱出の準備を始めている。
しかし、ララアの強力な氷系の魔法はシーサーペントの尻尾を完全に凍結させており、まだ凍結していない組織との境界部分は強く引っ張られて千切れてしまった。
数人の船員を飲み込んだシーサーペントは、痛い目に遭わされたためにそれ以上食事を続ける気が無くなったのか尻尾を残してパールバティー号を離れ、やがてウラヌス海の深みへと潜っていった。
転覆寸前だったパールバティー号はゆっくりと船体の傾斜を回復させたが、船体内には大量の海水が入り込んでおり、甲板から見た海面はやけに近く感じられた。
ヤースミーンはホッとした表情でつぶやくが、貴史はハヌマーンの船に取り残された自分たちはどうなるのだろうかと不安を感じていた。