第62話 ハヌマーン襲来
文字数 2,954文字
丘の上に戻るとララアがマッドゴーレムに指示して、ガイア・レギオンの宿営地攻撃を続けていた。
その脇には文字通り体力を使い果たしたアルベルトとダニエルが倒れている。ハンスは二人の世話をハルトマンに任せてララアの様子を見た。
マッドゴーレムの巨体を動かし、天地を焼けつくすような火炎攻撃を仕掛けているのがララアだとすれば、想像もつかないほどの魔力を消費しているはずだが、彼女は疲れた様子を見せていない。
ララアの攻撃で広い範囲で発生した火災の向こうで、空が明るみ始めているのが見えた。
もう、ホフヌングの村など跡形もなくなっているかもしれないとハンスはここ半年ほど開拓と建設に明け暮れた村の暮らしを思い出しながら嘆息し、気を取り直してララアに声をかけた。
ハンスは攻め寄せてきた敵兵をどうにか追い払えたので今のうちに攻撃を終了してララアを連れ帰りたいのだ。
ララアはさらにマッドゴーレムに攻撃を命じた。彼方の平原に新たな火球が発生して猛烈な火炎が爆心地から周囲を薙ぎ払っていく。
ハンスはララアに呼びかけた。
ララアが同意したのでハンスは胸をなでおろした。
ハンスの指示通りに、二人は疲労困憊した仲間を助け起こすがアルベルトとダニエルは足元がおぼつかない。
ララアはそんな様子を見ながら楽しそうに笑顔を浮かべる。
ハンスは、巨大なマッドゴーレムをどうやって連れて帰るのだろうと何気なく上を見上げて、空に異変が生じていることに気が付いた。
次第に明るくなっていく夜空の自分たちの頭上にだけどんよりとした雲が渦巻いているのだ。そして、雲からは巨大な二つの手が自分たちをめがけて降下してくる。
ハンスの叫び声を聞いて、ララアも上を見上げた。そして強大な二つの手を見てハンスには聞き取れない言葉で叫んだ。
その時には巨大な手はマッドゴーレムの頭を掴んでひょいと持ち上げていた。
もう一つの手はマッドゴーレムの胴体を掴み、二つの手はマッドゴーレムの体を。強い力でぐいぐいと引っ張っているようだ。
やがて、マッドゴーレムは胴体の真ん中あたりでぶちっと引きちぎられた。
ララアの叫ぶ声が辺りに響いた。
それはどうやら怒りの叫びで、相手に対する呪詛の言葉を吐き散らしているようだ。
ハンスの部下の兵士たちも口々に悲鳴を上げる。彼らの場合は超絶的な破壊力を見せつけたマッドゴーレムをいとも簡単に破壊する何者かが現れたことに対する悲嘆の悲鳴だ。
そして、マッドゴーレムと巨大な手の姿はその上に見えていた雲と共に唐突に見えなくなった。
上を見上げていたハンスは、自分たちの目前にマントを羽織った長身の戦士がたたずんでいることに気が付き愕然とする。
マントを羽織った戦士は顔に金色のマスクを着けていた。目と口の部分に切れ込みが入っただけのシンプルなマスクだが、表情が読めないことが戦士の不気味さを増している。
戦士はララアの足もとに胴体の真ん中で引きちぎられた人形をポンと投げ捨てる。それはララアが抱えてきた人形の無惨な姿だった。
ララアは仮面の戦士に何か叫ぶがハンスには聞き取れない。しかし仮面の戦士はララアの言葉に反応を示した。
ララアは右手を高く上げてから振り下ろし、魔法を解放した。天空から稲妻がほとばしり、仮面の戦士を直撃したように見えたが、戦士の体は青い光に覆われて稲妻は跳ね返される。
そして、仮面の戦士の背後から回り込もうとしていたカールとエルマーは稲妻の余波を受けて倒れていた。
間髪を入れずに、ハルトマンが矢を放ったが、戦士は顔の前で素手で矢を受け止めた。
片手の指先で矢をへし折った仮面の戦士は、折れた矢を投げ捨てて、ハルトマン達に片手を向ける。
ハルトマンは次の矢をつがえ、アルベルトとダニエルもそれに倣ったが、3人は仮面の戦士が放った念動力で瞬時に跳ね飛ばされて丘の斜面を転げ落ちて行った。
終始無視された形だったハンスは自分も剣を構えてハヌマーンとララアの間に割り込んだ。
ハヌマーンは無言でハンスに詰め寄ると、剣を水平にして薙いだ。
ハンスは剣を縦に構えて受け止めたが、ハンスの剣は真っ二つに折れ、ハンス自身は横ざまに吹っ飛ばされて立ち木にたたきつけられた。
ハンスが動きを止めたのを見たララアは大地を蹴って飛ぶような勢いでハヌマーンに斬りかかった。
電光のように襲ったララアの剣をハヌマーンは鮮やかに受け止める。
渾身の一撃を受け止められたララアのスキをついてハヌマーンは鋭く切りつけたが、ララアはハヌマーンの剣の下をかいくぐって、懐に飛び込んでいた。
ララアはハヌマーンの足の甲を踏みつけて、脇腹から心臓を貫こうとしたが、ハヌマーンはその動きを読んでいた。
ララアの剣を受け止めながら身をかがめたハヌマーンはララアのみぞおちに肘をたたき込んでいた。
ララアは肺の空気を吐き出す音と共に気を失った。
ハヌマーンはララアの体を軽々と小脇に抱えると、周囲を見渡した。
何処からともなく出現したマッドゴーレムの攻撃で彼の指揮する軍団の兵士は半数以上が失われていた。
前日に、避難民を襲撃すべく斥候を兼ねて送り出した中隊も音信不通で全滅した公算が高く、応援に出した中隊もマッドゴーレムを攻撃して返り討ちにされたようだ。
ハヌマーンはため息をつくと、災厄を運んできたとしか思えない少女を抱えて瞬間移動の術を使った。自分の司令部を置いた丘の上に跳ぶつもりだ。
ハヌマーンが姿を消した丘の上で、倒れていたハンスは首だけを動かして身じろぎした。
口の中は血の味がして身動きするだけで全身に痛みが走る。そして、一撃で倒されてララアを連れ去られた悔しさがハンスの心を押しつぶしていた。
ハンスは弱々しくつぶやいた。
ハンスの目に映る焼けただれた平原の向こうには血のように赤い朝日が昇り始めていた。