第73話 黒衣の襲撃者
文字数 2,777文字
ガイアレギオンの先遣部隊の司令官であるアグニは、北のはずれにある人類の飛び地領への侵攻に当たって、気を引き締めていた。
そもそも、その地への侵攻は名将として知られるガネーシャやハヌマーンが満を持して進軍したのに、水面下で破壊工作に当たったガネーシャは行方不明になり、ハヌマーンに至っては率いていた軍団の半数近くを失い、自身も深手を負って帰還する有様だったのだ。
アグニは独りつぶやくと、辺境の国ヒマリアの王女が築いたという小さな村を眺めた。
広大な平原の中に島のように見える小高い丘にその村はあり、つい最近そこに侵攻したハヌマーンはマッドゴーレムによる攻撃を受けたという。
アグニは夜間に軍を進めて、村の下まで迫っていた。夜が明け始めた今が、攻撃を行う好機だ。
アグニは自らが指揮する部隊に戦闘の開始を指示した。後方にはムネモシュネが率いる本隊も控えており、危険は排除しなければならない。
しかし、予期していた住民からの反撃はなく、しばらくすると報告が届いた。
アグニは地図を取り出して眺めた。
北西の方向には、かつてガネーシャが潜伏していたという城跡があり、その先には小さな町が点々と連なって、ヒマリア国の首都イアトぺスまで続いている。
カビーアは無言でうなずくと、伝令を呼び、部隊を動かし始めた。
日が昇るころには、アグニが率いる部隊は長い隊列を組んで、かつてガネーシャが潜んでいた城を目指していた。
戦闘部隊が先に立ち、アグニがいる司令部がそれに続き最後に輸送部隊が連なっていく。
大きな軍勢が侵攻するためには食料などを運ぶ兵站線の確保が必須で、遠征してきたムネモシュネとアグニにとって頭の痛い問題だった。
慎重な性格のアグニですら、ヒマリアの首都まで一気に攻め込んで早期に戦いの決着をつけることを夢想するほどだ
副官のカビーアの報告に、アグニはいらいらした口調で答える。
ハヌマーンの部隊が大きな損害を受けた村の周辺での野営は避けたかったため、夕刻までに城跡にたどり着いて体勢を立て直したかったのだ。
港から歩きどおしのお兵士たちは疲労が目立ち、騎馬の騎士も同様だ。
アグニはもっと着実に前進基地を作りながら軍を進めたかったが、進軍を急ぐムネモシュネの意向と、陸揚げできた物資の量の少なさがそれを許してくれなかった。
北の果ての辺境の地で短い夏の間に戦いの決着をつけなければ、ガイアレギオンは寒さと食糧不足に苦しむ羽目になる。
アグニの指示で、司令部の護衛に当たっていた兵士たちも速度を上げて前線へと向かった。
アグニは兵力差が歴然としているはずなのに、てこずっている部下たちに歯がゆい思いを隠せない。
アグニは自分の剣の柄に手をかけて見せる。
アグニ達の司令部は森に差し掛かり、森の木をなぎ倒したような道を進んでいた。
周囲にはうっそうとした木立がそびえ、司令部の隊列も道の幅に沿って長く伸びざるを得ない。
その時突然の雷鳴が辺りに響き渡った。
アグニの視野の端で稲妻が司令部付きの魔導士たちの一団を直撃したのが見える。
そして深い森の中から、風を切って矢が飛んできた。
矢の数は少ないが狙いは正確で馬上の騎士が矢を受けて一人、また一人と落馬していく。
兵士たちが武器を手に取ろうとするが、狭いスペースの中で思い思いに敵の姿を探すため、隊列は混乱し始めた。
その時、三騎の騎士が森の中からアグニ達の隊列に駆け込んだ。
黒ずくめの鎧のセイバー達は、慌てて剣も抜けないでいるガイアレギオンの騎士たちに次々とメイスを叩きつける。
鎧の頭部がへこむほどの打撃を受けた騎士たちは落馬して無様に地面に転がり、三騎のセイバーに続いて現れた同じく黒ずくめのランサー数騎が、落馬したガイアレギオンの騎士を無慈悲に槍で突き刺しながら先行したセイバー達を追う。
剣を抜いて、隊列を立て直そうとしたアグニの配下の士官に稲妻が直撃した。
混乱に陥ったガイアレギオンの隊列の中、三騎の黒ずくめのセイバーはアグニに迫った。
アグニは剣を構えて馬を進め、三騎のセイバーと対峙することを選んだ。
三騎のうちのひと際小柄なセイバーが先頭の騎士を制して前に出たが、騎士が発した言葉を聞いたアグニは耳を疑った。
先頭に立った騎士は目前に迫っており、アグニはタイミングを合わせて渾身の斬撃を放った。
しかし、女性の騎士は身を低くしてアグニの剣をかわすと、すれ違いざまにメイスをバックハンドでアグニの側頭部に叩き込む。
頭全体を覆う甲冑を付けているので、致命傷こそ受けなかったが、アグニは馬から落ちて地面に倒れていた。
慌てて立ち上がって部下に命令を下そうとしたとき、敵のランサーの槍がアグニの背中に突き刺さっていた。
アグニは自分の意識が薄れていくのを自覚しながら、倒れ伏した自分の頭上を通過する敵のランサーたちを眺めていた。
子供に年寄りじゃないか、そんな寄せ集め部隊にやられるなんてと、悔しさがこみ上げるがすでにアグニは視力も失いつつあった。
ランサーたちに指示した年老いた騎士は増速して先を走る三騎のセイバーを追うランサーを援護し、立ちふさがる兵士に稲妻を落とす。
ガイアレギオンの先遣部隊の司令官アグニは自分が剣を交えた相手が敵国ヒマリアの王女だったとは気が付かないままに息絶えていった。