第二章 第8話 危うき勝利と虚しさと Ⅱ

文字数 11,881文字

 翌朝、古能代達が包囲し狐支紀(こしき)が立て籠もる山に武装して向かうことになった。都留儀は十人ほどの郎党を付けてくれた。 
 狐支紀(こしき)が立て籠もる山を見渡せる峠を越えて山を下り、川を越えてなだらかな坂道を上っている時のことだった。
「今、何か光りませんでしたか?」
 夜叉丸がそう言った。
「うん? どこじゃ?」 
 朝鳥が夜叉丸の方を振り返って尋ねた。忠頼と古能代達が陣を敷いている場所の手前右手の山裾(やますそ)の方を指差して、
「あの辺りです」
と夜叉丸が答える。
 千方、朝鳥だけで無く、都留儀の郎党達もその方向を凝視した。
「確かに光った」
 郎党の一人が言った。陽の光を浴びて何かが時々光っているのだ。それも、ひとつでは無く、しかも動いているように見える。
「人を入れて何かをさせているのかな?」
と千方が呟く。
「このような時には、まず、敵ではないかと疑ってみるものです」
と朝鳥が言った。
「しかし、狐支紀(こしき)は出て来れぬ筈では……」
 千方が確かめようとして尋ねた。
「決め付けてはなりませぬ。それに、外から援軍が来るということも有ります。疑って見て、それで何事も無ければ結構。逆は取り返しの付かぬことになります」
 朝鳥の目が厳しいものに変わっている。
「朝鳥殿の言われる通りです。我等、先に参りますゆえ、確認出来るまで皆様はここでお待ち下され」
 郎党達を率いる男は、そう言うなり馬を駆って駆け出していた。それに郎党達が続いて駆け出して行く。
「もしもの時、少しでも多い方が良い。我等も参ろうぞ」
と千方が意欲を見せて言った。
「恐ろしくは御座いませんか?」
 朝鳥が千方の目を見て尋ねる。
「恐ろしく無いと言えば嘘になる。だが、いずれは戦わなければならぬ時が来よう。今、怖気(おじけ)付けば、次の時にはもっと恐ろしくなろう。臆病者になるのは真っ平だ」
 そう言い張る千方に、朝鳥は暫し迷っていた。そこに、
「六郎様は我等が必ずお守りします」
と夜叉丸が口を挟んだ。
「夜叉丸。そんなことを考えていては死ぬぞ。(なれ)達も初めてのことだ。ただひたすら敵を倒すことだけを考えよ。そうしなければ命は保てぬ」
 朝鳥がはやる夜叉丸を制する。
「朝鳥の申す通りじゃ。夜叉丸、秋天丸、麿に構うな。己のせいで郎党を失えば一生、悔いることになる」
 兄・千常を(かば)って討ち死にした、朝鳥の三男・三郎是光(これみつ)のことが、千方の脳裏を一瞬(よぎ)った。
「郎党とは(あるじ)を護る者ではないのですか?」
 秋天丸が不満げに言った。
「一人前のことを申すな。(なれ)達はまだ半人前にも成っておらんのだ。一人前になって六郎様をお護りすることが出来るようになる為にも、命を無駄にするなと申しておるのじゃ。六郎様に万一のことが有った時は、麿ひとりがあの世までお供する。良いな!」
 二人とも不満げな表情を浮かべている。
「この(たび)は朝鳥の申すように致せ。我等はまだ、戦いというものを知らぬのだ」
 千方も朝鳥の心配を察して二人を制した。
「さ、いつまでぐずぐずして居ては遅れを取りまするぞ。覚悟が出来ましたら参りましょう。(もっと)も敵かどうかまだ分りませんが」
 腹を決めた朝鳥が声を掛ける。
「うん! 参る。続け!」
 千方が先頭を切って駆け出した。

 やはり敵であった。暫く走ると、先を行く都留儀の郎党達に向かって矢が射掛けられて来て、木立の中から蝦夷の風体(ふうてい)をした一団が飛びだして来るのが見えた。狐支紀(こしき)の部下達であろうか? 大和化(やまとか)するのを嫌って、昔ながらの習慣を守っているものと見える。
「六郎様!」
 走りながら朝鳥が叫んだ。
「弓を射るのは夜叉丸と秋天丸に任せて、矢が飛んで来たら、馬の首に体を伏せて避けるのです。射ようなどとしたら、(かえ)って(まと)にされるだけですぞ」
「分かった。まだ、下手糞(へたくそ)だからな!」
 千方もそう声を上げる。
「お分かりのようだ。…… それと、下野(しもつけ)の郷で見た競馬(くらべうま)の後の余興を思い出されませ! あれが蝦夷の戦い方で御座います」
 下野の隠れ郷に連れて行かれた日の翌日に見た催しの光景が、千方の脳裏に鮮やかに甦った。

 前を走る馬に追いついて騎手の後ろに乗り移ったり、駆けながら騎手が後ろ向きに乗り換えたり、地面に突き刺した太刀を、殆ど逆さまになりながら拾い上げて、すぐさま体勢を建て直しそのまま走って行ったり。
 いつかはあのように乗り(こな)してみたいものだと思った気持ちを思い出した。
 自分の乗馬技術は、まだそれには遠く及ばない。『生き残れるだろうか?』という不安が心を(よぎ)った。
 その気持ちを振り払うかのように、 
「うお~っ!」
と千方は大声で叫んだ。その声に気付いて、既に接近戦に入って都留儀の郎党達と切り結んでいた敵のうち、数騎がこちらに方向を変えて駆け寄って来た。
 前を駆ける二騎が手綱(たづな)から手を放し、駆けながら射て来た。千方は咄嗟(とっさ)に馬の首に顔を伏せた。ぴゅっという矢が風を切る音を聞いた。しかし、千方が顔を上げた時、射掛けて来た二人は共に落馬していた。夜叉丸と秋天丸が見事に射落としていたのだ。馬だけがそのまま少し走り、すぐに速度を落とし脇に()れて行った。
 ほっとする間も無く、五~六騎の敵が蕨手刀(わらびてとう)を振り上げて、千方らに打ち掛かって来た。そのうちの一人と対した時、千方は振り上げた蕨手刀に一瞬気を取られた。ところが敵は振り上げた手を大きく回し、馬の横に身を乗り出して、体制を低くして、千方の足を目掛けて切り付けて来たのだ。
 ガチンと脛当(すねあ)てに刃が当たった。少しずれていれば、脛当(すねあ)ての繋ぎ目を切り裂かれていただろう。幸運ではあったが、叩かれた衝撃で千方の足が(あぶみ)から外れ不安定になった。(あぶみ)に足を乗せようと、そちらに気を取られた瞬間、何かがぶつかって来て、千方は落馬した。素早く馬を返した敵が千方に跳び掛り、一緒に落馬したのだ。ド~ンと背中を打って、一瞬息が止まったのと、敵が自分に()し掛かって居ると気付いたのはほぼ同時だった。
 敵は馬乗りになって、左手で千方の肩を地に押し付け、右手で逆手(さかて)に持った蕨手刀(わらびてとう)を振り上げて、千方の喉を突こうとしていた。
 顔がはっきりと見える。四十年配の鬚面(ひげづら)の男だ。『目が小さいな』と(およ)そこの場にそぐわない印象を千方は持った。相手の右足の内側に千方の手が入っていた。左手で敵の膝の裏を思い切り押し上げると同時に、千方は、足と頭を支点にして己の腹を思い切り突き上げ体を(ひね)った。敵はバランスを失って前に突んのめったが、一回転して向き直った。千方も跳ね上げた勢いを()って起き上がっている。
 (にら)み合いとなった。相手の動きを注視しながら、互いにゆっくりと動く。重い(よろい)を着ている分、打ち合いになれば、千方の方が、動きが鈍くなる。しかし、一旦、刃が相手を捕えれば、ダメージは比較にならないくらい敵の方が大きくなる。軽武装の敵の体の方が、()き出しになっている部分が圧倒的に多いからだ。
『相討ちに持ち込めれば』と千方は思った。落馬したこともあり、息が上がっている。肩で息をしながら、千方は、父・秀郷から貰った毛抜型太刀(けぬきがたのたち)を構えたままゆっくりと立ち上がった。それに連れて敵もゆっくりと立ち上がる。腰を落とし、前屈(まえかが)みに構えている。
 既に一人を倒した朝鳥が近寄って来た。それに気付いた千方が一瞬相手から視線を外した瞬間、敵は襲い掛かって来た。千方の喉元(のどもと)を狙って突き上げて来たのだ。はっとして千方も太刀を振るった。太刀が長い分、千方の方が有利だった。敵は千方の太刀筋(たちすじ)を外そうと身を(かわ)したが、避け切れず肩を斬られた。血が飛び散る。この傷自体は軽傷だったが、次の瞬間、千方が飛び込んで袈裟掛(けさが)けに斬り倒していた。
「わ~っ!」
という声が上がった。包囲軍が騒ぎに気付いて駆け付けて来たのだ。
 (ひる)んだ敵の一人を夜叉丸が斬り落としていた。逃げ出した敵に向かって秋天丸が矢を放ち、二人射落とした。
(きも)を冷やしましたぞ。転げ落ちるのを横目で見た時には、お連れした己が愚かだったと我が身を責めました。こちらも命の()り取りの最中だったので、どうすることも出来ませんでしたが」
 苦笑いを浮かべながら朝鳥が言った。
「朝鳥らしく無いことを申すのう。(いくさ)となれば、命など最初から有って無いようなものと違うのか?」
と千方が朝鳥を詰める。
「…… と仰りながら、実は、後になって体中に震えが来ているのでは御座いませんかな?」
 ニヤリと笑った朝鳥にそう返された。
「何を申すか! 震えてなどおらぬわ!」
と反論したが、落馬したことによる体中の痛みを今になって感じると同時に、体が小刻(こきざ)みに震えているのは確かだった。


 少し時を戻そう。
 後方の騒ぎに気付いて、一隊を率いてそちらに向かった古能代。駆け出して間も無く、蝦夷装束(しょうぞく)の三~四十人ほどの者達が郎党姿の少数の者達を襲っている光景が遠目に入って来た。
「声を上げろ!」 
 そう言った古能代が、 
「うお~!」
と声を上げると、従っている者達も一斉に声を上げた。少しでも早くこちらに気付かせて、味方には勇気を、敵には恐怖心を持たせる為だ。
 気付いた敵はすぐに逃走に掛る。しかし、それは逃げるというより、包囲軍を狐支紀(こしき)の立て()もる山から引き離す為だろう。『いったい何者なのだろうか?』と古能代は思った。
能代(このしろ)様。(かたじけな)い」
 近付いた時、舘から来た郎党を束ねる者が言った。
「いや、背後の敵に気付かせてくれて礼を申す」
 続けて古能代は、三の隊の(かしら)の方を振り返り、 「そのまま追ってくれ!」と指示した。三の隊は敵を追って駆け出して行く。
「三人やられました。他に傷を負った者もおるようです」
 郎等が古能代にそう報告する。
「忠頼殿に報告されよ。吾は六郎様の許に参る」
「申し訳無い。お待ち頂くようお伝えしたのですが……」
 古能代は少し離れた所で戦っていた千方一行の許に向かった。朝鳥の他、夜叉丸、秋天丸も千方の側に集まって来ていた。
「おお、古能代、手間を掛けて済まぬのう」
と朝鳥が馬を寄せて来た。 
「六郎様にお怪我(けが)は?」
「いや、大事無い」
 そう言って千方は乗馬しようとしたが、体が痛むのか少しもたついた。
「取り()えず御無事のようじゃ」
 乗馬にもたついた千方の方を横目で見てそう言った後、朝鳥はふっと溜息(ためいき)を突いた。
「夜叉丸! その傷は?」
 夜叉丸の左腕から血が出ているのを見て、古能代が鋭く言った。
「いえ、大したことは有りません。ちょっと矢が(かす)っただけです」
 夜叉丸は笑って答える。
「馬からすぐ降りろ!」
 そう怒鳴って自らも馬から飛び降りた古能代が夜叉丸(やじまる)に駆け寄り、馬から引き()り降ろした。
「何するんじゃ!」
 夜叉丸は面喰(めんくら)って少し抵抗したが、古能代は構わず抑え付け、自分の袖を蕨手刀(わらびてとう)()き、夜叉丸の左腕の肩近くをきつく縛った。そして、傷口に口を付け吸っては、吸い出した血を、何度も(つば)と一緒に吐き捨てる。
「毒か?」
 朝鳥が言った。 
「奴等は(やじり)に毒を塗っています」
 古能代は、革袋に入った水を掛けて、夜叉丸の傷口を洗い、自分の口も(すす)いだ。
 その時、狐支紀(こしき)が立て籠もり、忠頼が包囲する山の方が騒がしくなった。

    

 千方らに同行して来た都留儀の郎党達と敵の戦いが始まる少し前のことである。忠頼は士気を高める為、兵達の間を廻っていた。
「良いか! 気を緩めるでないぞ。敵が出て来ぬとこちらが思い込んだ時こそが敵に取っての好機となる。もし吾が狐支紀であったなら、それを見逃さぬ。油断している敵の不意を突き混乱させれば勝機も見出せるものだ。例えそれが出来なくとも逃げる機会を得られる。それが戦術というものだ。(いくさ)は数のみで勝敗が決まるものでは無い。くれぐれも油断するな。分ったか?」
 一団にそう声を掛けては、また別の一団にそう繰り返し、忠頼は兵達の間を忙しく動き廻っている。兵達はいずれも『はっ!』と力強く返事を返すが、心の奥底までそう簡単に切り替わるものでは無い。
「忠頼様の言われたこと、(きも)に命じ、気を引き締めろ!」
と末端の指揮を執る者も繰り返すが、忠頼の姿が遠退(とおの)いた時、兵の一人がこう言った。  
「出入口はひとつしか無いのですから、出て来れば間違い無く、栗の(いが)のようになりましょう」
「ま、そうだな。しかし、他から出て来ぬとも限らぬ。…… とは言っても、要所要所に見張りを置いて、それなりの人数を配置してあるから、堤を越えて舟で堀を渡ろうとしても、渡る前に討ち取れる。実際に狐支紀(こしき)が討って出て来ることを心配されていると言うより、忠頼様としては、我等の気が緩むのを案じておられるだけだ。気の入った返事をして、我等の気が緩んでおらぬことをお見せすれば良い」
 上の者からして真剣さは無い。
「そういうことですな。それにしても、狐支紀(こしき)の奴、破れかぶれになって討って出て来てくれぬものかな。そうすれば、栗の(いが)にして、さっさと引き()げられるのにな」
 そう別の男がぼやく。
狐支紀(こしき)もそこまで愚かではないわ」
「それなら、我等が一旦引き揚げた振りをして奴等を誘い出し、出て来た処を襲うとか、何か策をお考えにならぬのかのう?」 
 一人がそう言った。
「こら、(なれ)は忠頼様に策が無いと申しておるのか!」
 末端で指揮を執る者は、流石に忠頼批判とも取れる発言には目くじらを立てた。
「いえ、飛んでもねえ。どうかご内聞(ないぶん)に……」
 言った者は慌てて詫びる。
(なれ)狐支紀(こしき)なら、我等が引き揚げたという報せを受けて、疑いもせずのこのこと出て来るか?」
「いえ、出て来ぬでしょう。放って置ける訳もありませんから…… まずは罠と思うでしょう」
「所詮、(なれ)達の考えはその程度のものじゃ。頭は使わんで良いから気を入れろ!」
「へい! 分りました」
 結局、話はその辺で落ち着いてしまう。どうすれば忠頼の気分を害さないで済むかと言う事に神経を使ってはいるが、緊張感を本気で維持しようと思っている者など居ないのだ。
 しかし、古能代ひとりは考えていた。『狐支紀は裏切った村を襲った。動機は恨みだと言う。恨みであれば、村を焼き尽くすとか村長(むらおさ)を徹底的に探し出して殺そうとする筈だ。それなのに、ひと当たり荒らし回った後、さっと引き揚げている。恨みから襲ったにしてはあっさりし過ぎては居まいか? もちろん、安倍の兵が出張って来れば数的に(かな)わないから、本隊が到着する前に引き揚げたと言うのは極めて理に(かな)っている。そして、一直線にこの山に逃げ込んだ。包囲されることは分っていた筈だ。そして、一旦包囲されれば、安倍が途中で諦めて引き揚げることは考えられない。外から援軍が来ぬ限り、いずれは捕えられるか殺される。それとも、冬まで持ち(こた)えれば完全包囲は難しくなると踏んで、そこで勝負を掛けるつもりなのだろうか? いや、ひょっとすると、始めから安倍を誘い出す為にあの村を襲ったのではないか? そう考えれば、恨みにしては、余りにあっさりと引き揚げたことの説明は付く。
 しかし、この山に逃げ込んだ後、どうしようと言うのか? 逃げ込んだのは五十人ほどだが、中に更にどれくらいの兵が居るのか?それは忠頼に聞いてみなければならないが、余りに多ければ食糧が持たない。とすると、他に策がなければならない筈だ。外からの援軍? それなら、もう来ていなければおかしい。或いは、来る筈の援軍が来なかったのか? とすれば、計算が狂った狐支紀(こしき)は、今相当に焦っている筈だ。出て来るのか来ないのか? やはり、只いたずらに籠っているだけと考えるのは間違いだろう。何か有るに違いない』
 そう考えた。

「いかがで御座るか?」
 戻って来た忠頼が古能代に聞いた。
「いや、特に動きは無い」
 古能代はそう答えた。
「兵達に気合を入れて参りましたが、長引けば気の緩みを抑えることは難しくなりましょう」
 そう言って忠頼は唇を噛んだ。
「中にはどれ程の兵がおりますかな?」 
と古能代が尋ねる。
「二百まではおりますまい。何か考えでもお有りか? 義兄上(あにうえ)
「考えが少し甘かったかも知れぬ」 
 そう言って古能代は、少し顔を歪めた。
「一度、無理攻(むりぜ)めを仕掛けてみてはと思っておった」
と続ける。
「無理攻め?」
 忠頼が古能代の目を見る。
「と言っても様子を見るだけ…… 木を切って、丸太を組んで、(いかだ)を作り、堀を渡りましょう。当然、敵は堤の上から射掛けて来るでしょう。こちらも作業を進める者達の両側に射手を配して応戦する。それで、有る程度、敵の勢力を計れる。…… ただ、どうしても上から射る方が有利。ある程度の犠牲を覚悟しなければなりません。宜しいか?」
と忠頼の反応を見る。
「どうせやるなら、様子を見るなどと言わず、そのまま押し切りましょう。犠牲は仕方が無い。それよりも、このままぐずぐずしていたら、安倍に反感を持つ者達に(あなど)られる。その方が恐い」
と忠頼は積極策を提案した。
「ふ~ん」
と言って考え込むように古能代が腕組みをする。
「渡ることは出来ても、堤を登ろうとすれば、敵は、岩や丸太を落として来るのは目に見えている。犠牲が大き過ぎるのでは?」
 一か八かの作戦には、古能代は慎重である。
「ならば、(やぐら)を組みましょう。堤よりも高い(やぐら)を組んで、堤の上に居る敵を片っ端から射殺(いころ)してしまえば、こちらの被害は少なくなります。(やぐら)は森の中で組んで、運んで来て一気に建てるのが宜しいかと」
 忠頼は一気に決着を着けたいと思っている。
「忠頼殿がその覚悟なら、一気に決着を着けますか。しかし、大仕事になりますぞ。 …… で作業に投入する人数はどれほど必要か? それと、作業が終わらぬうちに狐支紀(こしき)が討って出て来た場合の手配と手順も決めて置かねばなるまい」
「いかにも。…… では……」
と、その時、後方の見張りに付いていた郎党の一人が、馬を飛ばして駆けこんで来た。
 郎党はそのまま二人の身近まで乗馬のまま走り込んで来るので、兵達は慌てて道を避ける。手綱(たづな)を思い切り引き絞った為、馬は前足立ちになるが、郎党は振り落とされもせず飛び降りて、素早く片膝(かたひざ)と右の(こぶし)を地に突いた。周りにいた兵の一人が馬を抑える。
「申し上げます。後方の山裾(やますそ)の辺りで争いが起きております。その装束から判断する限り、遠目では、お舘から来た者達を狐支紀(こしき)の部下が襲っているように思えます」
「なに!」
 古能代は、襲われているのが千方達だと咄嗟に判断した。
「忠頼殿、吾が参る。五十ほど連れて行く。事情は分らぬが、騒ぎに合わせて狐支紀(こしき)が討って出て来る可能性が高い。早急に備えられよ」
「心得ております。こちらのことはお任せあれ。三の隊。義兄上(あにうえ)に従え!」
 忠頼は素早く古能代に従わせる隊を決める。
 三の隊を預かる郎党は「はっ」と返事して素早く隊列を整えた。


 突如、堤の上に現れた数十の兵達が一斉に矢を射掛け始めた。 
「盾を頭上に構えて防げ! 矢傷を負ったら後方に退き、すぐに措置せよ! 命を無駄にするな!」
 忠頼は兵を励ます。前方の一隊は頭上に盾を掲げ、後方の者達が堤の上の敵に向かって矢を射掛ける。しかし、やはり上から狙う方が有利だ。それに、敵の毒矢が威力を発揮し、敵ひとりを倒すのに三倍の負傷者が出る。その負傷者も放って置けば死に至る為、後方に避難させ、すぐに治療しなければならない。安倍の陣営は混乱し始めた。もし、数倍の敵が堤上に居たら、恐らく崩壊していただろう。だが、幸いにも敵の数はそれほど多くはなかった。
「来るぞ!」
 忠頼がそう叫ぶのと、五十ほどの一団が出入り口から飛びだして来たのは、ほぼ同時だった。堤上からの援護が続く中で、飛び出して来た一団も騎射しながら疾駆して来る。
 忠頼は五十程の兵を堤上の射手に当たらせ、残りの兵を率いて、こちらも騎射しながら一団目掛けて突撃を開始した。一隊が狐支紀(こしき)らの行く手を塞ぎ、他の兵達が敵の横から襲い掛かる。
 矢合戦は接近戦に変わり、敵味方入り乱れて馬上での打ち合い、飛び掛かり共に落馬しての取っ組み合いがあちこちで展開される。 
 堤上の敵が姿を消した為、それに対していた兵達も合流して戦いは安倍軍有利に展開して行く。間も無く大勢は決した。何とか逃げようとする者に複数の兵が追い(すが)り討ち取り、戦意を喪失した者を捕える。
 仲間が毒矢の餌食(えじき)になったことへの恨みからか、捕える際に、殴る蹴るの暴行を加える光景もあちこちで見られる。 
 (ひづめ)の音に忠頼が振り返ると、古能代と千方達が戻って来るのが目に入った。
「夜叉丸が矢傷を負った。吸い出しては置いたが、既に毒が廻っているかも知れぬ。念の為、兵達と一緒に手当てを頼む」
 近付いて来た古能代が、忠頼にそう頼んだ。
「大丈夫。これしきのこと、もう心配ありません」
 夜叉丸が強がる。 
「黙って言う通りにしろ!」
 古能代が、いつに無く強い調子で言った。
 その時、
「忠頼様。狐支紀(こしき)を捕えました!」 
と、兵の一人が忠頼に報せを(もたら)した。そして間も無く、後ろ手に縛り上げられた狐支紀(こしき)が、手荒く兵達に引き立てられながら忠頼の前に連れて来られた。
 引き据えられた狐支紀(こしき)は、忠頼を睨み上げる。傷は負っていないようだが、(ひど)く殴られたのか、顔の左半分が腫れあがり、唇が裂け、出血している。 
「殺せ!」
 狐支紀(こしき)が忠頼に向かって叫んだ。
「色々聞くことが有る。そう簡単には殺さぬ」
と忠頼が応じる。
盗人(ぬすっと)小倅(こせがれ)に話すことなど無いわ!」
 狐支紀の罵倒に忠頼は僅かに眉を動かす。
「余程殺されたいと見えるな…… 連れて行け。逃すでないぞ」
と兵に命じた。
「はっ」 
と返事をした兵のひとりが、狐支紀(こしき)の背中を思い切り蹴った。
「うっ」
と声を出した狐支紀だったが、そのまま引き立てられて行った。
「被害は?」  
 古能代が忠頼に尋ねた。 
「死んだ者が七人。毒が回って危うい者が三人ほどおります。他に、矢傷を受け手当をしている者は三十を超えると思います」
 忠頼の答に、古能代が眉を寄せて頷く。
「毒矢とは始末が悪い。致し方有るまい」
「手当には万全を尽くせ。良いな」 
 忠頼が兵の一人に命じた。
「はっ」

 たかが五十人ほどの敵を相手に、七人もの死者を出してしまった。更に、舘から千方に従って来た郎党達のうちの三人を含めて十人。まずい(いくさ)をしたものだと忠頼は思った。もし、千方達が来ないで、背後の敵に気付くのが遅れていたらどうなったか分からない。数の力で勝ったものの、実質負け(いくさ)同然だ。毒矢のせいには出来無い。

 辺りを見回すと殺伐とした戦いの後の光景が広がっている。踏み荒らされた大地。数多くの矢が散らばり、蕨手刀(わらびてとう)を握り締めた敵の死体があちこちに転がっている。味方の死骸は兵達が既に運び去って一か所に安置して有る。
 乗り手を失った馬の一部はいずれへか走り去ったが、残りは兵達が集めて回っている。山裾(やますそ)の木陰では、傷付いた兵達が、或いは横たわり、或いは座って仲間の治療を受けている。
 思い出すのは、笑っている顔、必至で何かをやっている顔、家族と過ごしている時の顔』ロウのように皮膚が変質した遺体の顔を覗き込みながら、忠頼は、ついさっきまで生きていた郎党達の生前の姿を想い浮かべていた。そして、その後ろにある数十人の家族の姿。 
『人とは、死ぬ為に生まれて来るものなのかも知れぬ。そして、遅かれ早かれ、吾もいずれこうなるのだ。…… それまでに何が出来るか?』
 ずっしりと重い何かが忠頼を押し包んでいた。
「忠頼殿。(ふさ)ぎ込んでいてはならん。兵達が見ておる」
 古能代にそう言われ我に帰った忠頼は、矢継ぎ早に指示を出し始めた。
輜重(しちょう)を馬に積み替えて、荷車を空けよ! 死んだ者と怪我(けが)をした者をそれぞれの荷車に乗せ、捕えた敵は、数珠繋(じゅずつな)ぎにして馬に引かせろ!」 
 早くも死臭を嗅ぎ付けて、多くの(からす)が上空を旋回し始めている。一部は大胆にも、兵達が動きまわる近くに舞い降りて、死骸を突き始める。その烏達を追い払いながら、兵達が二人ひと組になって、通行の邪魔になる場所に転がっている敵の死骸を崖下に蹴落とす。


 舘に戻った後、尋問が行われたが、狐支紀(こしき)は毒突くばかりで、肝腎なことは何も喋らなかった。しかし、部下の何人かが、拷問を受け、口を割った。
 立て籠もっていたのは百二十人ほどだ。最初から安倍を誘い出し討ち取ることが目的だった。半分ほどが背後に回り、後ろから矢を射掛け、動揺を誘い、機を(いつ)にして堤上から援護しながら討って出る。それで勝てると狐支紀(こしき)は踏んでいたようだ。
 まず、少人数の何組かが、後方の見張りに背後から近付き、声を出させずに殺す。そして秘かに包囲軍に近付き一気に矢を浴びせる。まさか背後から攻撃を受けると思っていない安倍軍は、それで大混乱に陥る筈だった。
「どうやって後ろに廻った!」
 吊るされて打ち据えられ、血だらけになった男に忠頼が問うた。
「洞窟が…… 有る」
 男が諦めた様子で苦しげに答える。
「洞窟? 馬が通れる程の洞窟が有ると言うのか?」
 驚いた忠頼が追求する。
「馬は…… 馬は、前()って出口の近くに…… 隠して置いた。洞窟は…… うっ…… 洞窟の(せま)い所は、…… 人ひとりが這って通れるほど……」
 狐支紀(こしき)の部下の男が苦しげな息を吐きながら答える。
「元々有ったのか?」
 忠頼は更に追求する。
「外は二つの洞窟を繋いだ。…… 互いに近くまで続いていたので僅かの距離を掘って繋いだ。…… それが…… それが、堀の近くまで続いていて、深さも十分だったので、中から穴を掘って、そこまで繋いだ。三年掛かった」
「…… ふ~ん、成程。降ろして手当してやれ。回復したら案内(あない)させる」
 そう忠頼が命じ、捕虜の男はやっと苦痛から解放された。
 外に出た忠頼は首筋(くびすじ)寒気(さむけ)を感じていた。もし、(すべ)てが狐支紀(こしき)の作戦通り進んでいたら、包囲軍は壊滅していたかも知れないと思った。背後の敵のうち三十ほどは逃げ延びた。その探索をしなければならなかった。

    
 戻った晩、夜叉丸は、やはり体に廻った毒の影響が出て苦しんだ。夜叉丸は幸い命を失うには至らなかったが、更に三人の兵が死んだ。
「郎党、兵を多く失い、申し訳も御座いません」
 都留儀(つるぎ)の前で頭を下げ、忠頼が詫びている。都留儀はそんな忠頼を少しの間見詰めていたが、
「やむを得ぬ仕儀じゃ。(なれ)の罪では無い。残された家族には出来るだけのことをしてやるが良い」
と静かに言った。
「すぐに、残党狩りに出ます。包囲に加わっていた者達は休ませて、留守を守ってい居た者達を連れて行きたいと思います」
(なれ)も疲れておろうが」
と都留儀我言う。
「何の。吾は大丈夫です」
 疲れも見せず、忠頼は言い切った。
「そうか。頼もしく思うぞ」
 突いた両手を膝に戻し、忠頼は何かを想うように(くう)を見詰めた。
「いかがした?」
「父上。ひとつだけ伺って宜しいでしょうか?」
「何か?」
と不審げに都留儀が(ただ)す。
「朝廷とは争わぬことが、大鹿様の遺訓であり、安倍の家訓と言うことは分ります。……しかし、それは蝦夷同士で争うということなのでしょうか?」
 都留儀は(いぶか)しげに忠頼の顔を見た。
「何が言いたい。吾は争いを無くす為に努めて来た。だが、それでも従わぬ者は出て来る。それは討たねばならぬ。争いたくて争っている訳では無い」
「…… お叱りを受けるかも知れませんが、従わせようとするからではないでしょうか?」
 そう言い切った忠頼の顔を都留儀は一瞬見詰める。
「この奥六郡(おくろくぐん)を纏めなければならぬ。それが、大和の介入を招かぬ為の唯一の方法だ」
 それは、都留儀の信念と言える。忠頼の言葉に、今更何を言い出すのかと思った。
「仰ることは分ります。しかし、我等の力が強くなることで、それに反感を持つ者も出て来て居るのでは? 実際、郎党達の中には、安倍以外の者達を下に見て、偉ぶる者もおるようです。言い聞かせてはおりますが、全てに目が行き届く訳ではありません」
と尚も忠頼は続ける。
「郎党達も命懸けで働いておるのじゃ。多少のことは大目に見てやらねば付いて来ぬ」
 少し不快そうに都留儀は言い切った。
 忠頼は、都留儀を見詰めていた視線を下に移した。今言い争ってみても仕方が無いと思ったのだ。
「では父上、探索に行って参ります」
「うん。大儀じゃ」
と都留儀が頷く。


「良いか! 狐支紀(こしき)の残党共、一人残らず探し出すのだ。だが、それ以外の者達に乱暴はならぬぞ、良いな!」
 庭に下りた忠頼は兵達を前にそう訓示した。兵達が一斉に「はっ」 と答える。
 多くの死者を出してしまったことが、忠頼の胸に(とげ)となって刺さっている。(そむ)いた者を討っても、また別の者が叛く。何十年もその繰り返しだ。何かが間違っているのではないか。常日頃忠頼の心の奥に流れていた感情が狐支紀(こしき)との戦いを機に、奔流となって溢れ出していた。

 駆けながら忠頼は考えていた。『大和とは争わぬと安倍が家訓を掲げていることが、安倍を大和の回し者と見る者を増やしているのではないか。それは、始めから安倍の背負った宿命とも言えるが、今よりも遥かに厳しい状況の中で大鹿が取った方法は、力で抑え込むことでは無かった。その姿勢が阿弖流爲(アテルイ)の部下達の心に響いて、協力を得ることが出来、状況を変えることが出来たのだ。父上はそれを忘れているかと思った。『蝦夷が蝦夷を討つ』そのことに忠頼は、言いようの無い違和感を覚えていた。
『結局、大和の思惑通りに我等は踊らされているだけではないのか? 大和の奴婢(ぬひ)の如くなることが、唯一の道なのか? 蝦夷の誇りを失って、血だけを残して何の意味が有るのか?』そうした心の揺れを隠して、今やるべきこと、即ち、狐支紀(こしき)の残党狩りに忠頼は向かう。
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