第五章 第6話 転機

文字数 4,343文字

 朝早く、陸奥(むつ)安倍忠頼(あべただより)の説得に行っていた祖真紀(そまき)が戻って来た。夜通し馬で駆けて戻って来たのだろう。急いで足を(すす)ぐと、貞義(さだよし)(やかた)の中の千常(ちつね)が使っている居室に通った。千常と千方が居並んだ前に出た祖真紀は、無言で床に座り、手と頭を突いたまま顔を上げない。
如何(いかが)した」
 千常に促されたが、尚もそのまま無言でいる。
「首尾良く行かなかったか?」 
 千方がそう尋ねた。
「申し訳御座いません。安倍は出兵出来ぬと申しております」
 顔を伏せたまま祖真紀が答える。
(わけ)は?」と千方。
「強引に南下する事は可能だが、そんな事をしたら、出羽の清原、会津の慧日寺(えにちじ)に背後を突かれる恐れが有るとのこと。又、北の平定も十分では無い為。今の時点での蜂起は難しいと言うことです」
「なるほど。そのような周辺事情が有ったか。元々、互いに話し合って策を積み重ねて来た訳では無い。こちらの勝手な都合での依頼であった。祖真紀、そのほうの(せめ)では無い。気に()む必要は無い」
 千方は腕を組み、瞑目(めいもく)した。 
「恐れ入ります。ただ、兵を募り、糧食を集めるなどの動きを派手に行い、その報せが都に飛ぶようにすると約束してくれました」
「それは有り難い。しかし、それで国府が慌てるかな」
と千方が祖真紀に聞いた。
「その点に付いては、忠頼殿は自身を持って約束してくれました」
「左様か」
 そこに千常が口を挟む。
「六郎。火急の際、あらゆる方策を試みることは間違いでは無かった。だが、可能性を探るのは良いが他を頼ってはならぬ。最後に頼るのは(おの)が力のみ。こう成ったら、いつまで信濃(しなの)で愚図愚図している訳には行かぬ。下野(しもつけ)の勢力のみで、迅速に攻め込むことが肝要。摂関家を排除して為平親王(ためひらしんのう)を擁し、その後、兄上と高明(たかあきら)様を都にお迎えする。大事なのは、摂関家に策を講じる(いとま)を与えぬことじゃ」
「仰せの通り。さっそく下野(しもつけ)に人をやり、どれ程の兵が集まっているか。いつ出陣可能かを問い合わせてみましょう」
 千方は、鷹丸を直ぐに下野に向けて出発させた。一方、見張りに付いては、望月から人を出して貰い、街道の上野(こうづけ)方面、都方面、それぞれを見張って貰っていたが、夕刻近くになって都方面から五、六十人の武者が現れ、突破されたと言う報告が入った。
「その後、その者達は国衙(こくが)に入ったものと思われます」 
 報せを受けた貞義(さだよし)がそのことを千常と千方に告げに来た。 
「何者であろうか」
 千常がそう(つぶや)く。
源満仲(みなもとのみつなか)と名乗ったそうです」  
と貞義。
「何! 満仲。饅頭(まんじゅう)がしゃしゃり出て来おったか。これは、油断ならぬこととなりました。どんな策を講じるか分からぬ男ですから」
 そう言って千方が千常を見た。
「うん。高明(たかあきら)様を裏切り摂関家に着いた上、高明様と兄上を侮告し出世した男。生かしては置けぬ。良い機会じゃ。討ち取ってしまおう」
「祖真紀。殺ってくれるか」
 千方が祖真紀に問うた。
「必ず」
と祖真紀が応じる。

 祖真紀は、郎等(ろうとう)長屋に足を運び、(さと)の者十人ほどを選び出した。
国衙(こくが)に忍び入り、源満仲と言う者を殺す。吾に命を預けてくれ」
 そう言った。
「統領。今更何を。我等、いつ何時(なんどき)でも、命は統領にお預けしております」
 配下の一人が力強く言い、他の者達も大きく頷いた。

 時は戻る。
 こちらは、封鎖を突破して国衙(こくが)に着いた満仲。六十人ほどの武者が国衙に向かっているとの報せを受けた国衙では、千常方(ちつねがた)の襲撃と思い、臨戦態勢を取っていた。
「これは源満仲(みなもとのみつなか)と申す者! 大納言・藤原伊尹(ふじわらのこれまさ)様の(めい)により助力の為駆け付けて参った。国守(くにのかみ)平維茂(たいらのこれもち)殿にお取り次ぎ願いたい」
 大声でそう叫んだ。
「お、お待ちを!」
 驚いて一瞬左右を見回した守備の責任者らしき男は、近くの者に「お報せして参れ」と命じた。暫くして、平維茂が走り出て来た。
「皆の者、道を開けよ。満仲殿、ようこそお()で下された。どうぞ通られよ」

 広間に落ち着いた満仲は、改めて挨拶し、来訪の主旨を告げる。
「いや、大納言様のお心遣い、有り難く感謝致します。都で高名な(つわもの)・満仲殿にお()で頂けた事は(まこと)に心強き限り。ようこそお()で下された」
 維茂がそう挨拶を返した。
「こたびのこと、都では根も葉も無い噂が流布されておる。大事になる前に鎮圧せよと言うのが、大納言様の(めい)でござる」
 満仲がそう伊尹(これまさ)(めい)の主旨を伝える。
「恥ずかしながら、思いの(ほか)手間取っております」 
 維茂(これしげ)が渋い表情を作りながら言った。
「今宵、さっそくに夜襲を掛けましょう。火を掛けて出て来たところで、我が手の者が千方(ちかた)千常(ちつね)を討ち取ります。急いで、枯れ柴、松明(たいまつ)を出来るだけ多く用意して下され。派手に燃やしてしまいましょう」
 満仲が奇襲の策を提示し、維茂が頷いた。

 ()の刻(23時から午前1時の間)。図らずしも、枯れ柴を積んだ荷車を引き、火矢を用意して松明(たいまつ)(かざ)した一団が国衙(こくが)を出たのと、黒装束を身に纏った祖真紀一党が望月(もちづき)の舘を出たのは、ほぼ同じ時刻であった。
 覚志(かくし)駅の手前で祖真紀が国府勢の持つ松明(たいまつ)の火に気付いた。闇に潜み、じっと待つ。そして、枯れ柴を積んだ荷車が目の前を通り掛かった瞬間、松明を持った兵の一人に数人が襲い掛かり、奪った松明を荷車目掛けて投げ込んだ。
 松明の火は荷車を襲い、枯れ柴が大きく燃え上がる。襲われた兵の周辺に居た兵達が、襲った祖真紀の配下の男達に斬り掛かる。祖真紀と他の祖真紀配下の者達が飛び出し、混乱が広がって行く。
 一時(いっとき)刄を交えた後、祖真紀一党は四方に散って、再び闇に姿を消した。配下を残し警戒に当たらせた祖真紀は、そのまま引き返し、風の如く千常の寝所(しんじょ)に通った。
「祖真紀に御座います」
 声を掛けると、眠っていた千常が飛び起きる。
国衙(こくが)の兵が、この舘を襲うべくこちらに向かっております」
 祖真紀が千常の床に近付き、小声で伝えた。
「何? 夜襲とな」
「はい。火を掛けるつもりでこちらに向かっているところに出会(でくわ)し、混乱させた上で、急ぎ駆け戻りました」
 報告を聞いた千常は太刀を取って(ひさし)に出た。そして、
「お出会い召され。国府方(こくふがた)が間も無く襲って参るぞ。お仕度召され!」
と声を上げた。
 間も無く貞義(さだよし)も駆け付けて来た。
「まだ時は有る。落ち着いて仕度するよう命じられよ」
(かしこま)って(そうろう)。落ち着け、時は有る。落ち着いて仕度致せ」
 貞義も郎党達に声を掛けて回る。庭では祖真紀が全ての配下を集めていた。そこへ、五人ほど残して来た物見の一人が戻って来た。
「敵は燃え上がった火の始末に手間取っております」
 そう報せる。
「良し、改めて総攻撃を掛けるぞ」 
 祖真紀が皆にそう指示した。

 祖真紀は一党を率いて再出発した。そして、燃える荷車の明るさが確認出来る辺りまで来ると、松明(たいまつ)を消した。空を赤く染めて燃え上がる、荷車からの火の手前に動く人影目掛けて、一斉に矢が放たれた。国府方は混乱する。

 一方、同じ時刻の国府方の動きであるが、闇から急に現れた者達に因って、兵が持っていた松明(たいまつ)が枯れ柴を積んだ荷車に放り込まれた。望月舘を焼き討ちする為用意したものだが、読まれていたのかと満仲は驚いた。桶に水を用意している訳でも無く、近くに川が流れている訳でも無い。荷車の上の枯れ柴からは高く炎が上がり、闇を照らし出している。風も有る。火の粉が飛んで山火事とならないとも限らない。平維茂(たいらのこれもち)は、刺又(さすまた)などを使って、柴を崩し叩いて消火に務めるよう指示した。

 満仲は、作戦を続行すべきかどうか迷っていた。夜討ちを察知していたとなれば、このまま進めば罠に()まる可能性が有退()る。一旦退()くしかないか。そう思って、消火作業を見守っていた。

 暫くして、満仲は敵の気配を察した。
「敵だ! 備えよ」
 満仲が指示した途端、矢の雨が降り注いで来た。 
退()け! 一旦、国衙(こくが)まで退()けー!」
 平維茂は声を限りに叫んだ。

 祖真紀は満仲を探した。暗闇に居るのか、炎に照らし出され襲い掛かって来る者の中に、満仲らしき姿は無い。
「満仲、満仲出て来い。何処(どこ)だ」
 斬り掛かって来る者達を払いながら、祖真紀は満仲を求めた。
 敵が自分を討とうとしていることに気付くと、満仲は郎等達に周りを固めさせ国衙(こくが)に向かって逃げた。何としても満仲を討とうと思っていた祖真紀だが、結局、国衙に逃げ込まれてしまった。
 互いに守りを固め、また、膠着状態が続くかと思われた。ところが三日目に、望月舘と国衙に前触(さきぶ)れが有り、参議・藤原兼通(ふじわらのかねみち)が仲裁の為に下向(げこう)し、国衙(こくが)に入るとのこと。『手出し無きように』との通達があった為、どのようなつもりかと思いながらも、千常方(ちつねがた)兼通(かねみち)の一行を手出しせずに通した。  

 納得行かないのは国府方(こくふがた)である。騒乱を起こしている者に対して、仲裁とは何事か。どういうつもりかと平維茂(たいらのこれしげ)(いぶか)った。満仲は兼通(かねみち)と聞いて、直ぐに高明邸(たかあきらてい)の庭で侮辱された事を思い出した。聞こえよがしに、兼通は満仲を『犬』と呼んだのである。

『何者か?』
 兼通(かねみち)に気付いて庭に膝を突き頭を下げた満仲を見て、牛車(ぎゅっしゃ)に乗り込もうとしていた兼通は、そう誰何(すいか)した。そして、満仲の名乗りを聞くと、
『犬か』と呟いたのである。いや、呟くと言う声の大きさでは無かった。周りに居る誰もが聞き取れる程の声の大きさで、そう言ったのである。
 顔も見たく無い相手ではあったが、仕方無く、満仲は維茂(これもち)と共に参議・兼通(かねみち)の前に出た。 
「こたびの騒動を収める為に、(みずか)下向(げこう)して参った」
 兼通は、まずそう言った。
「我等もそのつもりで、大納言・伊尹(これまさ)様の(めい)により参っております。千常、千方の両名を討ち取って収めますゆえ、暫しお待ちの程を」
 満仲は、そう主張した。自分は大納言の(めい)に従って来ているのだ。参議如きの(めい)など聞けるかと言う気持ちである。
「争いはやめ。話し合いに依って麿が収める。従って、以後、手出し無用。良いな」 
と、兼通(かねみち)は強く命じて来た。維茂と満仲は、思わず顔を見合わせた。
「恐れながら、これは土豪同士の争いでは御座いません。不埒(ふらち)者を国司が捕らえようとしているもの。話し合うとはどのようなことで御座いましようか」 
 維茂がそう反論する。 
「黙れ。これは関白・太政大臣様の(めい)である」
 兼通はそう言い切った。
「恐れながら、『千常と千方を討て』との大納言様の(めい)に付いては、関白様もご同意と承っております」
 満仲もそう主張する。
「その後、関白様のお考えが変わったのじゃ」
 兼通(かねみち)実頼(さねより)(めい)と言い立てて伊尹(これまさ)(めい)を覆そうとする。
「大納言様は何と」
 近頃、伊尹の権勢が実頼を凌駕している事を知る満仲は、尚も強気に言い立てる。
「関白・太政大臣様の(めい)に従えぬと申すか。満仲」
 兼通にそう言われてしまうと、流石の満仲も、それ以上逆らう事は出来なかった。
「いえ、そのような訳では」
と言ったが、満仲は爆発しそうな怒りを必死の思いで(こら)えていた。
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