第七章 第5話 謀略の足音
文字数 3,777文字
天元六年(九百八十三年)。満仲は念願の摂津守 に返り咲いた。これは、兼家の右大臣への転出と無関係では無い。
兼家は、天歴二年(九百七十八年)右大臣となり、翌、天歴三年(九百七十九年に)位階を上げ、従二位 から正二位 に昇叙している。
もちろん、兼家と正面衝突したく無い関白・頼忠の思惑から出た人事ではあるが、絶対権力を得られなかったとは言え、兼家にそれなりの権力を与え、権力を分散させる結果となった。
人事も、帝 を含む四者の駆け引きの中で行われることになる。
満仲は、遠隔地に飛ばされても、兼家に対する貢物 を欠かしてはいなかった。計算高い満仲が、負け続けの兼家になぜ臣従を続けていたのか?
安和 の変までの満仲は、兎に角、貴族に成ることだけを考え、必死だった。何でもやったし、誰に何と言われようと気にもならなかった。だが、安和の変の際の働きを評価されて念願の貴族と成ってから、徐々に心境に変化が表れて来たのだ。
何としても貴族に成ると言う強烈な欲求が満たされると共に、満仲の願いは、一族の繁栄。そして、経基 流・清和源氏 の繁栄を齎 した偉大な祖として、子孫から崇 められる存在と成りたいというものに変わって来ていた。そして、その繁栄は何に因って齎 されるかと考えれば、答は財である。
満仲は蓄財と勢力の拡大に重きを置くようになっていた。蓄財には、地方の国司と成る方が、都での昇進より都合が良い。それも、畿内の裕福な国、出来れば気に入った摂津 の国守 と成りたかったのだ。もはや、都での政争に関心は薄くなっていた。兼家が右大臣と成ると、空 かさず摂津国守再任を願い出た。ついでに、千方、千常の追い落としも図った。
「今以て不可思議なことが御座います。千常の乱に際し、御前 の命 を受け、千常と千方を討つ為に信濃に赴 いた折、当時参議であった前 関白(兼通 )様が突然お越しになり、決裂必至と思われた談合を和議に持ち込んでしまわれたことです。その際、我等は席を外 すよう命じられた為、子細は分かりませぬが、前 関白様は千常に大幅に譲歩した裏取引をされたと思われます。それが証拠に、千方、千常の両名は、その後、前 関白様のお引き立てに寄り出世しております。一体、何が有ったので御座いましょうか。未だ以て分かりませぬ」
そう文 に書くだけで十分だった。兼家に取って、五位の者の人事など関心の外 であるが、
『前 関白様のお引き立てに因り出世しております』
のひと言 は、それが兼通 の意図した人事であることを強調しており、兼家に取っては決して見逃せないひと言 だと言うことを、満仲は良く承知していた。頼忠に取ってもどうでも良い人事なので、聞いて置けば、他の事で兼家の譲歩を引き出せると考えた頼忠の了承も簡単に得られ、満仲の思惑通りとなったのだ。
なぜ兼家から離れなかったのだろうかと、満仲自身も思う。もし、貴族の地位を得る前であったら、間違い無く見限っていたに違い無い。それだけ必死だった。だが、叙爵 に因って満仲の中で何かが変わった。ぎらぎらした必死さが薄れた。
摂津守 に復帰してから満仲は、又、国内の巡視を始めた。その目的のひとつは税収を上げることである。新田開発可能な土地を探したり、隠し田を見付けたりすることが増収に繋がる。
何度も述べた通り、決められただけの物を都へ納めれば、残りは堂々と自分の懐 に入れることが出来る。つまり、増収は国の為では無く己の為に必要なことなのである。
欲ばかり深くて能の無い受領 は、ひたすら搾取する。搾取に変わりは無いが、少しましな受領は、全体の収量を増やし手元に残る分を増やすことも併用していた。
当時、受領に権力が集中し、百姓 による受領 に対する訴えや武力闘争、国司苛政上訴 が頻発していた。『百姓 』とは農民と言う意味では無く、地方の富裕層、国人のことである。
そんな世情の中満仲は、この地を本拠地としようと考えていたので、過酷な収奪は控えていた。あちこち見て歩いた結果、結局、多田盆地に入部。摂津国・川辺郡 ・多田庄 (現・兵庫県川西市多田周辺)を所領として開発することにした。更に満仲は、山本荘 (現・宝塚市山本付近を中心として、東限は猪名川の西岸、西限は昆陽 、北限は万願寺を含む長尾山一帯、南限は有岡(現・伊丹市JR駅前)、飛び地として、呉羽荘 (現・池田市宇保)南野村(現・伊丹市)及び安倉村を含む伊丹台地)を兼家に献上、摂関家の荘園とした。そして、坂上頼次 を荘司 とすると共に、摂津介 に任じて貰うよう兼家に願い出、成功した。頼次は、一族を率いて山本荘に入る。
満仲の関心は私領となった多田荘の経営に移っていた。そんな生活の中三年ほど経った頃、兼家から突然の呼び出しが有った。
『緊急の警護を頼みたいので、郎等十名ほど率いて上洛せよ』
と言うものであった。
「はて、家人 や従者 はいくらでも居るのに、麿に警護せよとは何であろうか」
何か胡散臭 いものを感じた。又、正直、今更面倒であった。しかし、摂津守 への復帰、頼次 を摂津介に任じて貰うなど、このところ色々と世話になっている。断ることは出来無い。
寛和 二年(九百八十六年)六月二十二日、満仲は指示通り十名の郎等を率いて上洛し、午刻 過ぎ兼家の舘に入った。
一方、父・兼家の覚悟を知った後の道兼である。花山 帝が出家し、結果、退位することになれば、次の帝 は甥 であり、父・兼家からすれば孫の皇太子・懐仁 親王になる。父・兼家は、右大臣であり帝 の外祖父と言うことになれば、頼忠を引きずり下ろし、即、摂関と成ることが出来る。しかも、頼忠とは違って絶対的な権力を手に出来るのだ。長年、望んでも望んでも得られなかった摂関の座。それが目の前に有る。道兼には父・兼家の気持ちが痛いほど分かった。
帝 が本気で仏門に入りたいと思っているなら問題は無い。だが、花山 帝がいかに移り気であるか、道兼は良く知っている。重臣の誰かに話して止められれば、簡単に諦 めてしまうに違い無い。それどころか好色であるから、妃の誰かと床 を共にした際、そのことを口にし、泣かれただけでも気が変わってしまう可能性が有る。要は、一時の感情で言っているだけと言うことが、道兼は良く分かっているのだ。
兼家と違って、道兼には帝 を畏 れ憚 る気持ちが少しは有る。『孝 ならんと欲 すれば忠 ならず、忠 ならんと欲すれば孝 ならず』と言う処か。親孝行と忠義の硲 に道兼は陥 ってしまった。
「帝 のお供をして、麿も落飾 しようと思います」
そう兼家に告げた。聞かされて怒鳴り付けたくなったが、兼家はぐっと堪 えた。
「道兼」
と静かに呼び掛ける。
「仏を謀 る気か。そなたの仏心がそれほど厚く無いことは、仏はお見通しじゃ。仏を謀ってはいかん」
そう尤もらしい調子で説教する。
「それは、お上 も同じでは」
と道兼は反論した。
「黙れ。臣下が帝 の御心 を疑うなど有ってはならん。『綸言 汗 の如し』と申す。天子には戯 れの言葉は無いと言うことじゃ」
己を省みず、他人 には平気で綺麗事 を言えるのは、良からぬ政治家に必要な資質のひとつと言える。
「良いか。そなたが剃髪 するなど絶対に許さん。父の心裏切るなよ」
そう言われ、暫しの沈黙の後道兼は黙って頭を下げた。
翌日の内裏 に話は移る。花山 帝は、西廂 から中渡殿 に出て、物思いに耽 るように空を見上げている。いとおしい寵姫 を失った悲劇の帝 としての自分に酔っているかのようである。周りに他の者が居無いことを確かめて、道兼は帝 の傍 に寄り、足許 に座った。
「お上 」
と呼び掛ける。
「何か?」
花山帝が答える。
「畏 れながら、ひとつお伺いしても宜しゅう御座いましょうか」
「なにか?」
「御出家 されたいとの御心 にお変わりは御座いませんでしょうか」
帝 は軽く溜息をついた。
「誰 も本気で耳を貸さぬ。悩ましいことじゃ。誰 も朕 の心を解さぬ」
「僕 は、御心 痛い程お察し申し上げております」
空 かさず、道兼が取り入ろうとする。
「真 か?」
帝 が道兼を見た。
「御意 。僕 にお任せ頂ければ、必ずや、御心 に添うよう手配致します」
ここぞとばかり、道兼は訴える。
「うん?」
何の違和感を感じたのか、帝 は不思議そうな表情を見せた。その返事に道兼は、花山帝が一瞬甘い夢から覚め、現実に戻ったのでは無いかと言う不安を覚えた。
「お上 が仏門に入り、亡き弘徽殿 の女御 ・忯子 (『光る君へ』では”よしこ“と読んでいる)様の御霊 を弔いたいと言う御心 が真 で御座いますれば、この道兼共に仏門に入り、来世迄もお仕え申し上げる所存に御座います」
空 かさず、そう申し上げる。
「真 ならばとはどう言うことか? 朕 の心、疑うか」
「滅相も御座いません」
道兼は慌てて否定する。
「ならば、朕 に従って仏門に入ると申すか」
と、帝 が詰める。
「御意 」
ホッとしたように道兼が答える。
「…… 道兼、嬉しく思うぞ」
「お言葉、勿体無き限りに御座います。全て僕 が手配、段取り致しますが、お上 にもお願いしたき儀が御座います」
「何か?」
「ご重臣方に知れれば、事は不首尾 に終わることとなります。あの方々は本気にはしておりませんが、それでも、万一を考えて、密かにお上 のご様子を見張らせております。その為、この事、お妃 様方を含め、決して誰 にも漏 らされぬようお願い申し上げます」
「分かった」
道兼は低頭 すると共に大きく呼吸した。
兼家は、天歴二年(九百七十八年)右大臣となり、翌、天歴三年(九百七十九年に)位階を上げ、
もちろん、兼家と正面衝突したく無い関白・頼忠の思惑から出た人事ではあるが、絶対権力を得られなかったとは言え、兼家にそれなりの権力を与え、権力を分散させる結果となった。
人事も、
満仲は、遠隔地に飛ばされても、兼家に対する
何としても貴族に成ると言う強烈な欲求が満たされると共に、満仲の願いは、一族の繁栄。そして、
満仲は蓄財と勢力の拡大に重きを置くようになっていた。蓄財には、地方の国司と成る方が、都での昇進より都合が良い。それも、畿内の裕福な国、出来れば気に入った
「今以て不可思議なことが御座います。千常の乱に際し、
そう
『
のひと
なぜ兼家から離れなかったのだろうかと、満仲自身も思う。もし、貴族の地位を得る前であったら、間違い無く見限っていたに違い無い。それだけ必死だった。だが、
何度も述べた通り、決められただけの物を都へ納めれば、残りは堂々と自分の
欲ばかり深くて能の無い
当時、受領に権力が集中し、
そんな世情の中満仲は、この地を本拠地としようと考えていたので、過酷な収奪は控えていた。あちこち見て歩いた結果、結局、多田盆地に入部。摂津国・
満仲の関心は私領となった多田荘の経営に移っていた。そんな生活の中三年ほど経った頃、兼家から突然の呼び出しが有った。
『緊急の警護を頼みたいので、郎等十名ほど率いて上洛せよ』
と言うものであった。
「はて、
何か
一方、父・兼家の覚悟を知った後の道兼である。
兼家と違って、道兼には
「
そう兼家に告げた。聞かされて怒鳴り付けたくなったが、兼家はぐっと
「道兼」
と静かに呼び掛ける。
「仏を
そう尤もらしい調子で説教する。
「それは、お
と道兼は反論した。
「黙れ。臣下が
己を省みず、
「良いか。そなたが
そう言われ、暫しの沈黙の後道兼は黙って頭を下げた。
翌日の
「お
と呼び掛ける。
「何か?」
花山帝が答える。
「
「なにか?」
「
「
「
「
「
ここぞとばかり、道兼は訴える。
「うん?」
何の違和感を感じたのか、
「お
「
「滅相も御座いません」
道兼は慌てて否定する。
「ならば、
と、
「
ホッとしたように道兼が答える。
「…… 道兼、嬉しく思うぞ」
「お言葉、勿体無き限りに御座います。全て
「何か?」
「ご重臣方に知れれば、事は
「分かった」
道兼は