第二章 第6話 日高見の息吹 Ⅱ

文字数 9,886文字

 舘に戻り都留儀(つるぎ)に挨拶を済ますと、そのまま軍議となる模様だったので、古能代を除く千方主従は遠慮し退席した。
「逃げ足の速い奴よのう」
 (あご)に手を掛け(ひね)りながら都留儀(つるぎ)が言った。
「捕り逃がし、申し訳も御座いません」
 忠頼が頭を下げる。
「いや、やむを得ぬ仕儀じゃ。う~ん、秋まで待たねばならぬか……」
 都留儀(つるぎ)が腕組みをする。
「お舘様。毎夜火矢を射掛けてみてはいかがでしょうか?」
 そう言ったのは古能代だ。
「しかし、大した効果は期待出来ませぬでしょう」
と忠頼。
「もちろん。秋の枯草のようには行きません。多くの矢は岩に当たったり、土に突き刺さったりするのみでしょう。しかし、(くさむら)に刺さった矢でも、そのままにして置けば、露を含んだ青草でさえ、やがては燃え上がらぬとは限りません。たまたま木の幹にでも刺されば尚更です。見張りの者達も放っては置けますまい。火を消す為に走り回ることとなります。
 雨の日以外、それを毎夜繰り返すのです。兵達が疲れ果てるばかりで無く、上からも火は見えますから、狐支紀(こしき)らも、おちおち寝ては居られなくなります」
 古能代が都留儀(つるぎ)にそう訴える。
「ふ~ん。やってみる価値は有りそうだな」
都留儀(つるぎ)が頷く。
「さすが、義兄上(あにうえ)。やってみましょう」
 忠頼も乗り気となった。


 狐支紀(こしき)を包囲して五日が経っていた。
 忠頼と古能代が二百の兵を率いて包囲している。三日目、四日目と連続して夕方から激しい雨となったが、いずれも二刻(一時間)ほどで上がった。草も木もたっぷりと水分を含んで燃え難くなっている。それでも五十本ほどの火矢を堤の内側目掛けて射込んだ。狐支紀(こしき)が討って出て来てはくれぬかと、忠頼も古能代も思ったが、動きは無かった。

 一方、千方、朝鳥、夜叉丸、秋天丸は郎党の案内で近くを見て回ったり、都留儀(つるぎ)の話を聞いたりして過ごしていた。
 安倍の舘は胆沢(いさわ)近くの山裾(やますそ)に有る。その周りには二百ほどの竪穴式住居が点在しているが、山蔭にはまた別の集落があり、森を越えるとまた別の集落が姿を見せる。それぞれは、()ぐに連絡が取れるほどの距離に配されており、俯瞰(ふかん)すれば、まるで現代のネットワーク図のようでさえある。
 このネットワークのような集落の配置に次々と情報を伝達して行く手順が確立されているのであろう。出陣が触れられると同時に伝令が周りの集落に飛び、そこから又その周りの集落に飛ぶという風に伝播して行き、舘から出陣した一隊を追うように合流して行く。舘に(すべ)ての兵を集結させてから出陣するより遥かに短時間で多くの兵を集めることが出来るのだ。

 この頃の陸奥の蝦夷は『村』という単位を作っていた。『村』は現代の村とは違い、多くの集落、(さと)の集合体であり、ごく小規模ながら村落国家ともいうべき纏まりを見せていた。
 この村の(おさ)の中には都留儀(つるぎ)のように、大和風に『お(やかた)』と呼ばれるようになっている者も居たが、大和の役人達は、その(すべ)てを侮蔑の意味を込めて、古くからの呼び方である『酋長(しゅうちょう)』と()えて呼んでいた。
 阿弖流爲(あてるい)の投降後、暫くして、事実上、蝦夷の自治を認めざるを得なくなった時、大和朝廷は、蝦夷の(おさ)の中から人望のある者を選んで支配させることとしたが、その多くが実質的な蝦夷集団の支配者である『酋長(しゅうちょう)』であった為、その呼び方が定着していたのだ。

 だが、安倍氏はそうでは無かった。早くから大和に降り、その先兵として対蝦夷戦を戦って来て、位階をも授かっていた。外従八位上(げじゅはちいのじょう)。それが与えられていた位階である。

 外位(げい)とは何か? 分り易く言えばノンキャリアである。上は五位までしか無く、それ以上の出世は望めない。そして、同じ位階であっても就ける職は、より低いものとなる。そして、例外を除いて外位(げい)の者が内位に進むことは無い。位階は本人限りのもので相続出来るものでは無い。
 しかし、比較して内位(ないい)と言われる本来の位階では、五位以上の者の子には蔭位(おんい)と言うものが有る、二十一歳に成ると父の位階に応じた位階が与えられるのだ。
 (ちな)みに、従四位下(じゅしいのげ)・藤原秀郷の庶子(しょし)である千方には、二十一歳に成ると従七位下(じゅしちいのげ)が授けられることになる。限られた家柄の者以外の者が高位に進むことを防ぐ仕組みが出来上がっていたのだ。
 当時の日本は、家柄により官位が与えられ、その官位に因って高い職を得ることの出来る一部の人達に寄って支配される社会であった。
 律令制は唐の制度を取り入れたものだが、科挙(かきょ)という、試験に寄って在野の秀才を官僚に登用する制度を取り入れることは無かった。ごく一部の大手柄を立てて大出世をした者を除いて、高級官僚は世襲に寄って独占されていたのである。
 (ちな)みに、藤原忠平(ふじわらのただひら)の長男・実頼(さねより)は、二十一歳どころか、十六歳の時に元服し、その翌日に従五位下(じゅごいのげ)に叙されている。


 投降後、大和側の思惑に寄って、再び蝦夷社会に送り込まれた安倍氏に対して、当初蝦夷側の反発は強く、裏切り者と看做(みな)され、大和人(やまとびと)以上に嫌われ憎まれることとなった。
 四面楚歌、いつ寝首を掻かれるかも知れないような毎日。それが、忠頼の曾祖父がこの地に入った頃の状況だった。さすがに正面から戦いを挑んで来る者は居なかったが、面従腹背(めんじゅうふくはい)、陰で足を引っ張ろうとする者ばかり、誰もが安倍氏の失脚を願っていたと言っても良いかも知れない。


 そんな中で、意外な者達が安倍氏の味方となる。他でもない、それは阿弖流爲(あてるい)の残党である。
 まだ阿弖流爲(アテルイ)が大和と対峙していた頃のこと。彼の部下の中に倶裳射(くもい)という男が居た。大和の移民の娘と良い仲になり、一旦は阿弖流爲の(もと)を離れて大和人(やまとびと)の移民集落で暮らすようになったが、(さげす)みの目に耐え切れず妻子を連れて再び蝦夷社会に戻った。
 しかし、阿弖流爲(あてるい)の許しを得て戻ってはみたものの、今度は仲間の蝦夷達から、大和の回し者ではないかと疑いの目で見られるようになる。
 倶裳射(くもい)は己の疑いを晴らす為に、大和側の情報を阿弖流爲(あてるい)に漏らす。もちろん底辺に生きる者であるから、知っている情報は些細なことに限られる。それでも、蝦夷達が知らなかった情報も有り、後にそれが事実と確認されるに連れ、徐々に信用を得て行った。
 己が認めて貰える道はそれしか無いと感じた倶裳射(くもい)は、より大きな情報を阿弖流爲(アテルイ)(もたら)したいと考えるようになった。そして、単身、大和社会に潜入し、より重要な情報を得ようとした。
 ところが、前線に出張っていた安倍氏の郎党に怪しまれ捕まってしまう。当時の安倍氏の当主は、忠頼の曾祖父の父・安倍陸奥臣(あべのむつのおみ)大鹿(おおじか)である。大鹿の前に引き出された倶裳射(くもい)は、もうこれまでと観念し、大鹿を睨み付けて、
「殺せ!」
とひと(こと)叫び、例え拷問に掛けられようと、後は何も喋るまいと心に決めた。
大和人(やまとびと)身形(みなり)をしているが、蝦夷だな」
と大鹿が問う。倶裳射(くもい)はそれにも答えず、ただ睨み付けている。  
「ふふ。飽くまで喋らぬつもりと見えるな。良かろう、望み通りにして遣わす。まず、手足の指一本一本の爪を剥がし、目を(えぐ)り、体中に無数の浅い傷を付ける。その傷に腐った魚を()り潰した物を塗り付けてやる。(はえ)がたかり、やがて(うじ)が沸いて(もだ)え苦しみながら死ぬことになる。どうじゃ、それが望みか?」
 倶裳射(くもい)は表情も変えない。
「白状致さば、ひと突きで、苦しむ(いとま)も無く殺してやる。どちらでも、好きな方を選べ」
 大鹿は暫く黙って倶裳射(くもい)の返事を待った。だが、いつまで待っても倶裳射(くもい)は黙したままだ。やがて大鹿が言った。
「皆、下がっておれ」
 郎党達が出て行くと、大鹿はしゃがみ込んで倶裳射(くもい)の縄目を解いた。
 大鹿が何をするつもりか? 倶裳射(くもい)は目まぐるしく考えたが、逃げるのは今しか無いと思う。しかし、すぐに捕まってしまうだろうとも思った。大鹿に襲い掛かって太刀を奪い、人質にして楯として逃れるしかない。
 振り向きざま太刀を掴もうとした。右手が上手く大鹿の太刀の(つか)に掛ったが、同時に、大鹿にその手首を掴まれていた。構わずそのまま抜こうとした。だが、手首を(ひね)られ、(ひじ)を上から押さえ付けられて、前に強く引かれた。倶裳射(くもい)は、そのまま前につんのめった。大鹿は倶裳射(くもい)をうつ伏せに組み伏せ、裏返しに横に伸ばした倶裳射(くもい)の腕の肘と手首を上から抑え付け、脇腹と手首に膝を押し付けている。
 倶裳射(くもい)は全く上半身を動かすことが出来なくなっていた。
「騒ぐで無い。大和の為に働いてはおるが、吾も蝦夷だ」
 そう言うと、大鹿は抑えつけていた手を放し立ち上がった。少し置いて倶裳射(くもい)も腕を擦りながら起き上がり、座ったまま大鹿を見上げた。もはや、もう一度襲い掛かろうという気力は失せていた。
(なれ)の覚悟は、しかと見極(みきわ)めた。少し吾の話を聞いてみる気はないか? ……」
 大鹿が倶裳射(くもい)の目を見詰めて言う。倶裳射(くもい)は大鹿の意図を図り兼ねていた。だが、大鹿の視線に誘い込まれるかのように、そのうち思わず頷いていた。
「蝦夷とは言っても我等は俘囚(ふしゅう)だ。大和の手先となって同胞(はらから)と戦い、多くの者を殺して来た。許せぬであろう。きっと阿弖流爲(アテルイ)も許さぬ。……好き好んで蝦夷を殺している訳ではない。…… それしか生きる道が無かった。
 己が生き延びる為に同胞(はらから)を殺して来たのだ。それが許せぬと申すであろう。…… だが、大和には勝てぬ。勝てぬのじゃ。…… 分るまいのう。もうじき大和は五万の大軍をこの陸奥(むつ)に送り込んで来る。阿弖流爲(アテルイ)の本拠を一挙に壊滅させるつもりだ。すべてが焼き払われるであろう。皆殺しになるかも知れぬ。…… このこと、阿弖流爲(アテルイ)に伝えて貰いたい」
何故(なにゆえ)……」
 思わず倶裳射(くもい)が問い返した。
「何度も申すが我等も蝦夷じゃ。(なれ)達は我等を許さぬだろうが、せめてもの贖罪(しょくざい)のつもりだ。出来ることなら投降し、この(いくさ)を終わらせて欲しい。これ以上闘っても、いたずらに犠牲を増やすだけだ。しかし、今の阿弖流爲(アテルイ)には分かるまい。飽くまで戦い続けるつもりであろう。…… どう判断するかは阿弖流爲(アテルイ)次第だ。だが、伝えて置きたいのだ」
 大鹿の眼差しは真剣だった。しかし、倶裳射(くもい)は尚も用心していた。
『五万の大軍で阿弖流爲(アテルイ)の本拠を殲滅するつもり』と脅して降伏させようと言うのか? それとも、吾を解き放して、跡を付けさせるつもりか? いずれにしろ、そのまま信じられるものでは無い」
倶裳射(くもい)は思った。
(なれ)の思惑通りにはならぬ」
と言い切る。
 大鹿がさらりと太刀を抜き放った。そしてしゃがみ込み、左手で倶裳射(くもい)の右手首を掴んだ。倶裳射(くもい)は刺殺されると覚悟した。ところが大鹿は、太刀の(つか)倶裳射(くもい)に握らせて来たのだ。
「何としても阿弖流爲(アテルイ)に伝えて貰いたい。それには(なれ)に信じて貰う他に無い。信じられぬとあらば、今、吾を刺し殺せ。多くの同胞(はらから)を殺して来た身だ。悔いは無い」
 射抜(いぬ)くように見詰める大鹿の目に、倶裳射(くもい)気圧(けお)された。例え郎党達がどこかに潜んでいたとしても、この距離で自分が大鹿を刺したら、間に合う筈が無い。
『この男は本気なのだ』
 そう思った。
(なれ)の言うことなど頭領は信ぜぬわ」
と言ってみる。
「分っておる。阿弖流爲(アテルイ)は我等を信ぜぬだろうし、決して許しもすまい。だからこそ、(なれ)に信じて欲しいのだ。そして、吾が申したこととは言わず、(なれ)が探り出したこととして阿弖流爲に報せて欲しいのだ」
 圧倒的に優位な立場にある筈の大鹿が、倶裳射(くもい)に懇願するかのように言った。
「そう簡単には信じられぬ」
 倶裳射(くもい)は用心を解かない。
「いずれ阿弖流爲(アテルイ)の耳にも入ることだ。だが、少しでも早く報せて置きたい。策を錬る時が必要だ」
と大鹿が続ける。
「断ったら? ……」
 倶裳射(くもい)が大鹿を試すかのように言った。
 少し間を置いて大鹿(おじか)は立ち上がった。そして、倶裳射(くもい)に握らせた太刀を静かに取り上げ、鞘に収めた。そして、一度大きく溜息を突く。
(たれ)かおるか!」
 郎党が急ぎ足で入って来る。縄を解かれている倶裳射(くもい)を見て怪訝(けげん)そうな表情を浮かべた。
「疑いは晴れた。この者、取るに足らぬ者だ。怪しい者では無いと分かった。吾も忙しい。早々に追い出せ」
と大鹿が郎党に命じた。
「はっ」
と返事をした郎党が倶裳射(くもい)の傍に駆け寄り、襟首(えりくび)を掴み引き立て、そのまま(みち)まで連れて行って突き転がした。

「伝えると約束もしなかったのに、何故(なにゆえ)あの男は吾を解き放ったのだろうか?」
 そう考えながら倶裳射(くもい)は走った。つけられてはいないかと時々後ろの様子を(うかが)う。だが、誰もつけて来る様子は無かった。走りながら悩み、悩みながら走った。
 意図は分らぬが何かの策略であるとすれば、同胞(はらから)に対して大きな裏切りをすることになる。もし本当のことだったとしても、その情報の出所を隠すため阿弖流爲(あてるい)に対して嘘をつかなければならない。己ひとりで決断するには余りに大きな事柄ではあった。かと言って誰かに相談出来ることでは無い。
「あの男の目に嘘は無かった」
 悩みに悩んだ挙句、そう結論付けた。万一(だま)されているとすれば、己の命を捨てることは元より、家族がどうなるかをも含めて(すべ)ての事態を覚悟するしかない。そう思った。

 倶裳射(くもい)の報告を阿弖流爲(あてるい)は信じてくれた。そして、胆沢(いさわ)の地を護る為、本拠地が日高見川(現・北上川)の東岸に有ると大和側に思わせる工作に、()ぐに取り掛かった。
 しかし、本当に己の判断に間違いは無かったのかという不安と、情報の出所に付いて阿弖流爲(アテルイ)を偽っているという後ろめたさは、巣伏(すぶし)の戦い(延暦八年(七百八十九年))で阿弖流爲(アテルイ)が大和軍に大勝するまで、倶裳射(くもい)の心を離れることが無かった。

 その後も倶裳射(くもい)は情報の出所に付いては隠し続けていた。阿弖流爲(あてるい)が降服し、都に送られて首を()ねられたと収容所で聞かされた時、何とも複雑な想いが倶裳射(くもい)の心を支配した。情報の出所に付いて、最後まで阿弖流爲(アテルイ)に本当のことを言わなかったことへの後ろめたさ。そして、『大和には勝てぬ。降伏するしか無い』と大鹿に言われた時、卑怯者の言い訳としか思わなかったが、今に成って見ればその通りだったことへの驚き。『あの時、頭領に降伏を勧めていれば、頭領が命を落とすことは無かったのか』と思ったりもした。
 しかし、それは単に己の心を慰めようとしているだけのことでしか無く、あの時点で阿弖流爲(アテルイ)が降伏するということは、有り得無いことであったと分かってもいた。

 安倍氏が胆沢(いさわ)の地に入って暫くして、倶裳射(くもい)は大鹿と再会することになった。
 大鹿は、始めに北の方に住む者達を説得しに回っていたが、その努力は殆ど報われていなかった。安倍氏に対する反発と冷たい視線が蝦夷社会に蔓延していた。
 その中で大鹿は『大和の介入を避けて我等自身の手で日高見国(ひたかみのくに)を作り上げて行こう。その為には、騒ぎを起こさぬことと、苦しくとも決められた物を納めて行くことが今は必要なのだ。不満かも知れぬが、今はそうすることが日高見国を作る為の唯一の道であり、他に道は無い』と説いて回った。
 しかし、蝦夷達の心の中には大和の手先となって大勢の同胞(はらから)を殺して来た裏切り者が今更何を言うか。(なれ)に身内を殺された者は多く居るのだ』と言うものだった。

 阿弖流爲(アテルイ)の部下達が住む(さと)へ大鹿がやって来て、(さと)の者達が集められた時、倶裳射(くもい)は列の後ろの方から見詰めていた。そして、『あの時の男だ』と直ぐに分かった。大鹿は気付いていない。そして、いつものように大鹿が説き始めた。郷人達は、やはり冷たい視線を大鹿に投げ掛けている。 
「吾も蝦夷だ。皆、分ってくれ。そして信じてくれ。吾は我等の日高見国を作る為、この世で残された命の全てを捧げたいと思っておる。その為には皆の力が要る。吾に力を貸してはくれぬか」
 皆、黙って下を向いている。()えて逆らうつもりも無いが、従うつもりも無いと無言の意思を示しているのだ。
「ふ~っ」
と大鹿が大きな溜息を突いた。
「まあ良い。一度で分かって貰えるとも思わぬ。困ったことあらば、何でも言うて参れ。吾に出来る限りのことはするつもりじゃ」
 簡単には行かぬ現実を大鹿は又も思い知らされた。そして、改めて根気強く説得する覚悟をしなければならないと思った。その時、
「お待ち下さい!」
 そう言って人波を()き分けて走り出て来た者が居た。倶裳射(くもい)だ。
「皆聞いてくれ!」
 倶裳射(くもい)が仲間達に向かって叫んだ。そして、両手を広げて語り始めた。
「皆に話さなければならぬことが有る。吾は昔この方に命を助けられた。そればかりでは無い。あの巣伏(すぶし)の戦いに勝てたのはこのお方のお陰も有るのだ。
 大和が大軍を以て我等の本拠を殲滅しようとしていることを最初に教えてくれたのはこの方なのだ。吾はそれを頭領に報せた。もちろん頭領のこと、他の筋からも本当かどうか確かめたに違い無い。だが、頭領が、我等の本拠が日高見川(現・北上川)の東岸にあると大和側に思わせるよう工作する為の時を稼げたのは、この方がいち早く教えてくれたお陰だ。…… だが、吾は誰から聞いたかを頭領に告げなかった」
「頭領を(たばか)ったのか!」
 誰かが叫んだ。
「…… そう言われればそうに違いは無い。巣伏(すぶし)の戦いに大勝した、その寸前まで、吾は(おのの)いていた。もし吾がこの方に騙されているとすれば、吾は頭領を(たばか)り、皆を裏切ったことになるからだ。だが、吾はこの方を信じた。そして、それは事実だった」
「確かに、(なれ)の言うことが事実であれば、恩義が有ると言うことになるな」
 一人の老人がそう言った。
「頭領を謀ったことに違いは無い。何故(なにゆえ)、誰から聞いたかを言わなかったのか? 頭領が裏切り者の言うことを信じる筈が無いと思ったからだろう」
 別の男がそう追求した。
「これ! 言葉が過ぎるぞ!」
 老人が、発言した者を叱咤した。男は下を向いた。大鹿は無言のまま倶裳射(くもい)を見詰めている。
「吾が頭領を裏切ったと言うなら、ここで叩き殺されても仕方が無い。もはや、命が惜しいとは思わぬ」
 倶裳射(くもい)は座り込んで目を閉じた。暫しその場を沈黙が支配した。
 少し後、倶裳射(くもい)が再び目を開き、言葉を続けた。
「あの時、この方は言われた。本当は降伏して欲しい。だが、それを今の阿弖流爲(アテルイ)に言っても無駄だろう。これが、今の吾に出来るせめてものことだと」
「黙れ! 聞きたく無い。どのような言い訳をしようと、貴様が頭領を謀ったことに変わりは無い」
句意桔(くいきつ)、黙るのは(なれ)の方じゃ」
 白鬚の老人が言った。
(なれ)が先程、『裏切り者』と言ったこと。大鹿様が即座に(なれ)を斬り捨て、我等全てを捕えていても仕方の無いほどのこと。頭領の想いを裏切っているのは(なれ)じゃ!」
 句意桔(くいきつ)と呼ばれた男は動揺した。
「長老……」
 白鬚の老人に何かを訴えようとした。
「申すな。確かにあの頃の頭領は、大和に協力した者達を許さなかった。しかし、その後十数年を経て、結局、大和に降らざるを得無くなった時、最後に頭領が言ったことを(なれ)は覚えておらぬのか。
『滅びてはならぬ! 日高見(ひたかみ)(たみ)は滅びてはならぬのじゃ』
 頭領はそう申された。だからこそ、我等は大和に反抗せず、何事も忍んで来たのではないか。その想いを(なれ)は無にしようと言うのか! …… それから頭領は、こうも言われた。『皆、いつかまたどこかで会おうぞ。我等が支配する日高見国(ひたかみのくに)でな。そして、皆で狩をし、田を耕し、祭を楽しもうではないか』
 皆覚えているであろう。だが、皆はあの言葉をどう取った? 吾は、あの時は、我等の命を護る為に自らの命を捨てる覚悟をした頭領が、いつかあの世で会おうと言われたのかと思った。そして、そう思い続けていた。しかし、今、それは違うと思い当たったのだ。
『肉体は滅びても吾の魂は滅びぬ。いつの日か、また皆の(もと)へ必ず戻って来る。その時には皆で狩をし、田を耕し、祭を楽しもうではないか』そう申されたのではないかと気付いたのだ。ならば、頭領の魂が戻って来られるその日までに何をすべきか? ただ忍んでいるだけで良いのか? そう思った。我等がすべきことは、昔のように実り豊かな土地を取り戻し、我等の手で天地の神を(まつ)り、一日も早く頭領と母礼(もれ)様の魂をお迎えすることでは無いのか? 皆そうは思わぬか? もちろん大和に勝ってそれが出来れば、それが一番良い。だが、もはやそれが叶わぬことは皆も分かっておろう。だが、幸いにも今、大和は、大和の役人に寄って我等を支配することを諦めた。(いくさ)で大和に勝たずとも、我等の国を作り上げることが出来るのだ。この機を逃すべきでは無い。
 しかし、各地で反乱が相次ぎ、それが拡大するようなことになれば、再び鎮守府が介入して来ることになる。大和もそうせざるを得まい。そうなれば日高見の夢も消え失せてしまう。吾は思う。今、我等は大鹿様に協力し、反乱を起こしている者、また起こそうとしている者達に説いて廻るべきではないかとな。
 今尚、頭領を(した)う者共は多い。我等が阿弖流爲(アテルイ)の直属の部下だと分かれば、話に耳を傾けてくれる者達も多いに違いない。それこそが、頭領の想いを継ぐことになる。吾はそう思う」
 長老は皆を説いた。
「しかし、我等も大和の手先と思われてしまうのではないか?」
 そう発言したのは、句意桔(くいきつ)とは別の男だ。
「今反乱を起こして勝てるのか? 滅ぼされるのみではないか。思いとどまらせることは、その者達を救うことでもあるのだ。(いくさ)で身内を失った者達は、大鹿様に力を貸すことに割り切れぬ想いを(いだ)くであろう。大鹿様が我等と戦ったということを、忘れろと言うのは無理かも知れぬ。しかし、考えても見よ。我等も結局は大和に降り、今は俘囚(ふしゅう)と呼ばれる身だ。もし大和から、反乱した者を討てと言われたら、拒んで滅ぼされるか、言われた通り反乱した者を討つか、どちらかしか無い。つまり、あの時の大鹿様と同じ立場に立たされるのだ…… 今争うことは無益だと説いて廻ろう。そして、我等の力を蓄え、その後どうするかは、子や孫や曾孫(ひまご)達に任せようではないか」
 皆複雑な想いを胸に秘め、誰も言葉を発する者は居なかった。
 黙って聞いていた大鹿が、口を開いた。
「長老、(かたじけな)い。吾の想いを察し、良くぞ皆に伝えてくれた。今、皆に心を決めてくれとは言わぬ。良く考えてみてくれ。…… 倶裳射(くもい)と申すか? 懐かしいのう。良くぞ無事で居てくれた。阿弖流爲(アテルイ)を動かしたのは、吾では無い。(なれ)の覚悟だ。…… 何度も言うが、吾も蝦夷だ。後ろめたさと苦しさを抱て大和の中で生きて来た。…… だが、我等の手で我等の国を作りたいという想いは皆と変わらぬ。それだけは分って貰いたい」
 言い終わると大鹿は郎党達を引連れて戻って行った。そして、阿弖流爲(アテルイ)の部下達は何度も話し合いを重ね、大鹿に力を貸すことにしたのだ。

 予想以上に多くの者達が、阿弖流爲(アテルイ)の部下達の説得に応じ、反乱を思いとどまってくれた。しかし、一方で、説得に応じない者達の(もと)に何度も通ううち命を落とした者もあった。


 それから二代を経て、都留儀(つるぎ)の代になっても、反乱を起こす者が居なくなった訳ではない。狐支紀(こしき)のような者は絶えず現れるし、北にはまだまだ、まつろわぬ者達が多く残っており、いつ攻めて来るか気を抜けない状態が続いているのだ。

 翌日も熱い一日となり、夕刻から雨雲が湧いて来た。
「また今日も降りそうですな。上った後に火矢を射掛けますか?」
 忠頼が言った。
「雨が上ったら射掛けましょう」
 古能代が答えた。
「しかし、雨上がりに射込んでみても無駄ではありませんか?」
 忠頼は懐疑的だ。
「いや、無駄とは思わぬ」
 古能代が自信を持ってそう言う。
何故(なにゆえ)ですか?」
 忠頼が聞く。
「火を点けることが目的では無い」
「しかし、……」
 忠頼はまだ納得が行っていない様子だ。
「まだ六日目ではないか。忠頼殿、(あせ)ってはならぬ」
と古能代が諭す。
「はあ。()でも作って、舘まで届く火矢を打ち込みたいものですな」
 忠頼の我慢は限界に近付いているようだ。出来もしない事まで言い出した。
「そう簡単には作れぬ。それより、こういう時は、とかく兵達の気が緩むもの。時折引締めることが肝要」
 古能代が忠頼を現実に引き戻そうとする。
「はい。分りました」
 忠頼も納得した。遠くで稲光がし、だいぶ間を置いて、かすかな雷鳴が響いた。

「遠雷ですね、義兄上(あにうえ)。冷たい風が吹き始めれば、間も無く激しい雷雨となりましょう。…… しかし、(いかずち)とは一体何なので御座いましょうな? やはり、神の怒りでしょうか?」
と古能代に問う。
「神は、お怒りになる季節が決まっているというのか? 吾には、死んだ者達の魂が天に溢れ、ぶつかり合って光と音を発し、地上へ落ちて来るもののように思える」
 雷雲を恨めしそうに眺めながら、二人は己が心を引き締める。
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