第一章 第2話 将門を殺した男

文字数 11,864文字

 翌日から食事は(さと)の者達と同じ雑穀となった。付くのはひとつまみの(ひしお)と山菜、それに汁のみ。たまに、干した魚が付いた。しかし、なぜかそれは千方(ちかた)に取っては大した苦痛では無かった。出来の悪い強飯(こわいい)より、(ひえ)(あわ)の方がましとさえ思えたのだ。

「ご案内致しましょう。ああ、申し遅れておりましたが、この(さと)(おさ)を務めおります大道祖真紀(おおみちのそまき)と申します」
 物腰は柔らかいが、内に凄みを感じさせる男だと、朝鳥は思った。
蝦夷(えぞ)か?」
 ずばりと聞いた。
 蝦夷(えみし)と呼ばれていた人々は、この頃から、エゾと呼ばれるようになっていた。
「はい。左様(さよう)で」
 (さと)(さとおさ)は、いともあっさりと答えた。
麿(まろ)の下の娘の連れ合いが、蔵番をしておってな。蝦夷(えぞ)らしき風体(ふうてい)の男達が、時々雑穀を受け取りに来ると聞いたことが有る。その男、それ以上のことは何も聞かされておらず、不審がっておったが、殿、(じきじき)々の下知(げじ)なので詮索も出来ず、言われた通り渡していると申しておった。そうか、この(さと)の者達であったのか。得心した」
「ご覧なされませ。田は無く、畑も(わず)かで御座る。木の実、草の根、鳥、(けもの)の肉も食しますが、足りません。殿からのお下げ渡しの物が無ければ、この(さと)の者達は生きて行くことは出来ないのです」
「見返りは?」
 もっともらしい述懐に違和感を覚えた朝鳥が鋭く切り返す。
「今は、さほどお役には立ってはおりませぬ。上野(こうづけ)の山々に分け入って、道や地形を調べたりするくらいでしょうかな。時には、信濃(しなの)の方まで行く者もおります」
()(ほど)、山か。町中の探索には不向きじゃな。目立ってしまう」

 千常(ちつね)上野(こうづけ)()いては信濃にまで進出することを考えていることは、朝鳥も分かっていた。互いに対立する一方と(よしみ)を通じ、相手方に圧力を掛けたり、仲裁に立って恩を売ってみたりと、やっていることは、かつて、坂東を舞台に大争乱を引き起こし、謀叛に突き進んだ将門(まさかど)とそう変わらない。()め事、小競(こぜ)り合いに発展することは度々有る。当然、千常(ちつね)にも乱に突き進む危険が付き纏っていた。
 しかし、これは千常(ちつね)の考えと言うよりも、(したた)かな父、秀郷(ひでさと)の思惑である。

「今日は競馬(くらべうま)などお見せしたいと存じます」
 二日目の朝、(さと)(さとおさ)がそう告げに来た。広場に出向くと、その日も、既に郷人(さとびと)が総出で、馬を引いた五人の男達が広場に控えていた。
 合図を待って乗馬するが、日本古馬は気が荒く、サラブレッドのように大人しく整列などしない。それぞれ、あっちを向いたり、こっちを向いたりとしようとするのを、乗り手が(なだ)めながら、(おさ)の合図を今や遅しと待っている。その中に、葦毛(あしげ)の馬に乗った(おさ)(せがれ)が居ることに朝鳥は気付いた。
 広場脇に(むしろ)が敷かれており、千方(ちかた)達はそこに案内された。千方(ちかた)と朝鳥が席に着くと、乗馬した男達に向かって郷(さとおさ)が手を挙げ、さっと振り下ろす。
 (さと)の中心には、狭い山里には不似合いな幅六間(ろっけん)ほども有る道が、広場を横切って一直線に走っている。その道は山に係る手前で狭まり、緩やかに曲がり、上り坂となって木陰に消えて行く。
 一方、六間道の後ろも同じように山に係り、木陰に消えている。見回すと、馬二頭ほどが辛うじて通れるほどの道が東側の斜面の木立の途切れる辺りに見え隠れする。どうやら、(さと)を半周する道が作られているようだ。
 馬馳せの訓練をするだけなら、こんな大掛かりな道を作る必要は無い。郷中(ごうちゅう)はともかく、低い所とは言え、山を削って馬二頭が並んで走れる程の道を作るには、相当な年月と労力が必要となる。明らかに、見せる為だけに、大変な労力と時間を掛けて作られた道だ。  
 この道は完全な周回路であり、(さと)の外には通じていない。(さと)に入る道は、防衛の為か、狭隘で険阻なまま少しの手も加えていない。競走路の造作は秀郷(ひでさと)が命じたものなのか、あるいは千常(ちつね)か。それとも、郷人(さとびと)自身が考えて作ったものなのか。いずれにしろ、この(さと)が只の山里では無いことを示している。

 歓声が上がる。乗り手であろう者達の名があちこちで叫ばれる。手を振ったり、跳び上がったり、大変な応援である。
 走り出した五頭の馬の列は、次第に縦に伸びて、山に係る辺りでは先を争って()み合いながら木陰に消えて行く。馬の進行位置に合わせて人々は体を巡らせ、千方(ちかた)も朝鳥も立ち上がってその方角に目をやった。木立の途切れる辺りでその姿が垣間見える度にまた歓声が上がる。やがて、後ろの山陰から現れた馬群が、一直線の道で、最後の力を振り絞って広場に雪崩れ込んで来る。
 先頭で飛び込んで来たのは、葦毛(あしげ)の馬に乗った体格のがっしりした、三十代半ばの男だった。
「いや、さすが、(おさ)(せがれ)殿。やり申したな」
 朝鳥が祖真紀(そまき)に言った。
「恐れ入ります」
とは言ったが、祖真紀(そまき)は当然とでも言いたげに、特に喜びの表情は無い。馬を降りた男達が、千方(ちかた)の前に歩み寄り、立ったまま頭を下げる。
千寿丸(せんじゅまる)様。勝ったのは(おさ)(せがれ)殿で御座るよ。お言葉を」
 朝鳥が千方(ちかた)に言った。
「うん! 見事であった」
 千方(ちかた)は興奮気味に(おさ)(せがれ)を見た。
「恐れ入ります。大道古能代(おおみちのこのしろ)と申します。お見知り置きを」
 祖真紀(そまき)(あご)の張った四角い顔を受け継ぎ、眉が太く、しっかりした大きな鼻を持った意思の強そうな男だ。千常(ちつね)よりいくつか年上であろう。
 朝鳥は古能代(このしろ)にどこかで会ったような気がしていた。夕べは気が付かなかったが、こうして正面からまじまじと顔を見ていると、その太い眉、大きな鼻、確かに以前どこかで見た顔だった。それがすぐに思い出せないのが歯痒い。歳のせいか、この頃そう言うことが良く有る。
「以前、何処(いずこ)かで会ったことが有るのう」
「ああ、(さと)の者達を連れてお舘に伺ったことが何度か有りますので、その折では御座いませんか?」
「う? いや違う。婿から聞くまで、御事(おこと)らが雑穀を受け取りに来ていることも知らなかった。お舘で会ってはいない」
「左様ですか。それでは、誰か似た者と見間違えているのでは」
「いや、そのようなことは無い。確かに……」
「朝鳥。良いではないか。そのうち思い出すであろう」
 なぜか、祖真紀(そまき)親子が困っているような気がして、千方(ちかた)が口を出した。
「あ、はあ」
 朝鳥は思い出せそうで思い出せない苛立(いらだ)ちを感じていた。
千寿丸(せんじゅまる)様。まだまだ趣向を用意しておりますので、どうぞ、お楽しみください。さ、(なれ)達も支度に掛かれ。早う」
 話題を変えようとしてか、祖真紀(そまき)が男達を促した。

 前を走る馬に追い着いて、騎手の後ろに乗り移ったり、騎手が、駆けながら地上に立っている男の片手を(つか)んで、ひょいと馬上に拾い上げたりと、競馬(くらべうま)よりはるかに面白い趣向が、千方(ちかた)の胸を弾ませた。
 駆けながら騎手が後ろ向きに乗り換えたり、地面に突き刺した太刀を、ほとんど逆さまに成りながら拾い上げて、すぐさま体勢を建て直しそのまま走って行ったりと、前輪(まえわ)後輪(しずわ)を左右に分かれた居木(いぎ)で繋ぐ形式の大和鞍(やまとぐら)舌長鐙(したながあぶみ)を使っていては絶対に出来ない技に、千方(ちかた)は驚愕した。
 馬馳せ技の数々を観ているうちに、突如朝鳥は思い出した。
「そうだ。あの戦いの折、確かにあの顔を見た」

 その(いくさ)とは、天慶(てんぎょう)三年(九百四十年)二月十四日。朝鳥が是光(これみつ)を失った初戦から十四日目の常陸国幸島郡(ひたちのくにさしまごおり)・北山の戦いに於いて、秀郷(ひでさと)平貞盛(たいらのさたもり)らの連合軍が将門(まさかど)を討って勝利した戦いでのことだ。
 朝鳥は千常(ちつね)(めい)により、千常(ちつね)(もと)を離れて秀郷(ひでさと)に着いていた。本陣に置いて、朝鳥が無謀な突進に出るのを少しでも防ぎたいとの千常(ちつね)の配慮が有ったのだ。

 初戦に策を用いて先鋒を叩き大勝した秀郷(ひでさと)ら連合軍は、将門(まさかど)を追って下総国(しもうさのくに)・川口へ進撃し、将門(まさかど)は沼に囲まれた湿地帯に籠った。
 秀郷(ひでさと)は袋状になった湿地帯の二か所の出入り口を固めて包囲したが、宵闇に掛かる頃、藤原為憲(ふじわらのためのり)の隊の固める辺りが突破され、将門(まさかど)は本拠地である石井(いわい)に逃れた。
 秀郷(ひでさと)らは石井(いわい)近くに進出し、村々を焼き払い将門(まさかど)を追い詰めて行った。将門(まさかど)は自ら舘を焼き、残り少ない兵や家族を連れて身を隠した。この辺りは川や沼が多く、以前、伯父である良兼(よしかね)との戦いに敗れた時も、将門(まさかど)は、川舟に潜み(まこも)に身を隠して時を待ち、再起を図ったことが有った。
 この度もそうしているに違い無いとの見方から、捜索の輪を徐々に絞って行こうと言うことになり、蟻の這い出る隙間も作らぬよう、事は慎重に進められた。強引な方法を取ることは危険だった。
 これまで、将門(まさかど)は数倍の敵を何度か破って来た。死んだ蜂に刺されたり、抑えた(まむし)に噛まれたりするのではないかと思うのと同じような恐怖心が、兵達の心の中に有り、どんなに優勢と思える状況に在っても油断が出来ない。もし、将門(まさかど)が突然現れ、囲みを破り逆襲するようなことが有れば、恐怖心が頂点に達し、四千を超える兵のうち、かなりの者が逃亡してしまうかも知れないのだ。

 秀郷(ひでさと)将門(まさかど)も、いわゆる、領主ではない。元々、律令制の(もと)では、土地も民も建前上は(おおやけ)のものである。土豪達は、毎年、国司との間で請負契約を交わし、それに応じた税を納めるだけの存在に過ぎない。だから、理屈の上では国司は、翌年は他の土豪と契約することも出来る訳だ。しかし実際には、そんなことは簡単には出来ない。種籾(たねもみ)を貸し付けたりして、民との繋がりも出来ているし、独自に開発した私営田もある。
 荘園の拡大なども含めて、既に律令の制度の多くの部分が形骸化しつつあった。また、土豪達の多くが、同時に国府の役人でもある。
 今の時代に例えるなら、地元の有力者が県庁の幹部職員として名を連ねているのだ。更に、役職が部長や局長であっても、実際には、知事や副知事よりも力を持っている者も居る。秀郷(ひでさと)が正にそうであった。いざとなれば、力尽くで国司に反抗する者も少なく無い。
 一方、土豪達にしてみても、(いくさ)に際して狩り出す兵の殆どは農民である。主従関係は無いのだ。軍団制が有った時のように、年に数か月の訓練を受けている訳でも無い。有利と見れば従うが、一旦不利と見れば、数千人の兵が一夜にして逃亡し、翌朝には十分の一になってしまうことも珍しくない。それどころか、(いくさ)の最中であっても、一旦劣性になれば、浮足立った兵達は、退却どころかそのまま逃げ去って二度と戻って来ない者も多いのだ。頼りになるのは、『家の子』と呼ばれる身内と少数の郎党(ろうとう)のみだ。
 戦い続けていた将門(まさかど)にはどんどん兵が集まって来て、遂には数千の兵を率いるようになったが、平安な日々が長らく訪れなかったので、天慶(てんぎょう)二年(九百三十九年)十一月以来、兵を帰して休ませることが無かった。そのまま歳を越し、春の種蒔きの時期が近付くに連れ、兵達をそのまま留め置くことが出来なくなり、遂に帰す決断をした。
 休ませるだけなら、交代で帰せば良い訳だが、誰も、農作業に最適な時期に帰りたいと思うのは当然である。近くに住む者達は交代制にし、遠い者達はすべて帰した。
 その結果、残った兵は、与力の土豪達、それらの家の子郎党すべてを合わせても千人にも満たなくなってしまったのだ。
 細作(しのび)を放って、常に将門(まさかど)の動静を探らせていた秀郷(ひでさと)の耳に、それが入った。
『今だ!』と秀郷(ひでさと)は思った。
 貞盛(さだもり)の他、常陸大介(ひたちのだいすけ)藤原維幾(ふじわらのこれちか)為憲(ためのり)親子も秀郷(ひでさと)を頼って来ていたので、秀郷(ひでさと)はそれぞれにも兵を集めるよう促し、貞盛(さだもり)が八百、為憲(ためのり)が五百の兵を集め、秀郷(ひでさと)の三千の兵と合わせて、既に四千三百の兵を抱える軍を作り上げていた。
 兵の訓練は充分に出来ていた。陣形を組むと言うことは言わばマスゲームだ。いかに素早く陣形を組み直すかを繰り返し叩き込んだ。(かね)や太鼓に合わせて、次々と陣形を変えて行く。ひとつの陣形が破られた時、素早く次の陣形に組み直せなければ、兵はばらばらになり四散する。それぞれが従う将の旗を見分け、(かね)や太鼓の合図の(もと)、素早く集まり、指示された陣形に組み直させなければならないのだ。
 秀郷(ひでさと)は訓練の成果に満足していた。だが、対・将門(まさかど)戦に付いての不安は残った。

 ある朝、将門(まさかど)石井(いわい)の東方半里ばかりにある常陸国幸島郡(さしまごおり)の北山に陣取ったと言う報せを物見の者が齎した。
「しまった。いつの間に……」と言う秀郷(ひでさと)の呟きを朝鳥は聞いた。
 秀郷(ひでさと)はすぐさま全軍を率いて北山に向かい、北側の麓に布陣しようとした。
 以前からの(くらい)や官職からすれば、維幾(これちか)貞盛(さだもり)の方が上だが、実力と任じられたばかりの押領使(おうりょうし)の権限の(もと)、指揮権は完全に秀郷(ひでさと)が握っていた。押領使は軍事指揮権を与えられた地方土豪で、自らの私兵を率いて、通常は一国内の治安維持に当たる役職だが、この乱の鎮圧に当たっては、国を超えた範囲での権限を与えられていた。
 将門(まさかど)鎮圧に際して、他に各国の(じょう)クラスの六人が押領使に任命されていたが、実際、将門(まさかど)に対したのは秀郷(ひでさと)であった。

 (ふもと)に着いてみると、冬の季節にも関わらず、強い南風が吹き付けている。生暖かい風だ。兵の数では完全に将門(まさかど)を圧倒しているものの、山の上に陣取り、しかも強風が吹き降ろしていると言う状況は、将門(まさかど)に有利だった。
「風が変わるのを待たれた方が……」
 そう言ったのは、朝鳥の知らぬ若い郎等(ろうとう)だった。がっしりした体に四角い顔。太い眉と大きな鼻が印象的な若者だ。
「新規お召し抱えの者か?」
 そう思ったが、それ以上気にすることは無かった。
「軍使として、将門(まさかど)(もと)へ参ってくれ。『まだ陣立てが整わぬゆえ、整うまで待って欲しい』と伝えよ」と秀郷(ひでさと)が若者に命じた。
「はっ」と返事をし、若者は木の枝を切ってそれに白い布を括り着けると、北山に向かって駆け出して行った。
将門(まさかど)は待ちましょうか?」
 朝鳥が尋ねた。
「待つ。暫くはな。そう言う男だ。問題は風が変わるのと将門(まさかど)が痺れを切らすのと、どちらが先かだ」

 一方では、私闘や奇襲が頻発し、同時に、名乗り合っての一騎打ちや戦場での作法に従っての戦いも行われていた時代なのである。
 何が違うのかと言えば、私闘か(おおやけ)(いくさ)なのかと言うことなのだ。追討など(おおやけ)に認められた戦いで名乗りを上げたり、戦場での作法を重んじたりするのは、名を挙げ、手柄を立てて恩賞を得、出世する為だ。
 一方、私闘ではその本性が剥き出しになる。だが、すべてがそうだとは言い切れない。史上有名な、平良文(たいらのよしぶみ)(村岡五郎)と源宛(みなもとのあつる)(箕田源二(みのだのげんじ))との一騎打ちは私闘であったが、作法を重んじた一騎打ちをしている。

 秀郷(ひでさと)の読み通り、将門(まさかど)は開戦待ちを受け入れた。追討される側だから、恩賞や出世とは無関係だが、名を挙げたい、或いは『新皇(しんのう)』としての威厳を示したいと言う想いが有ったのだろう。秀郷(ひでさと)将門(まさかど)を見切った通りの甘さがそこに有った。 
 兵の数で圧倒的に不利であり、山頂に陣取ったことと追い風のみが、己に取っての有利であるとすれば、何としても、それを利用すべきであろう。こちらの陣立てが本当に整っていないとすれば、それこそ千載一遇の機会と観るべきである。
「見栄を張りおって。過信か、新皇(しんのう)と名乗ったことに因る増長か、いずれにしろ愚かじゃな」
 秀郷(ひでさと)がそう呟いた。
 仕掛けた罠に、将門(まさかど)がまんまと嵌ったことに満足すると言うより、将門(まさかど)に加担せず見切った自分の判断が正しかったことに秀郷(ひでさと)が満足しているように、朝鳥には聞こえた。

 将門(まさかど)は仕掛けに(はま)ったかに見えたが、向かい風は一向にやむ気配も方向を変える気配も無い。風が変わらなければ、当然策も無駄になる。
 秀郷(ひでさと)が恐れたのは、総崩れである。これだけ戦力に差が有れば、例え不利な向かい風であっても、犠牲は大きくなるが、しっかり戦い続けることによって、必ず勝利は得られる筈だ。だが、再三触れた通り、当てになるのは家の子・郎等(ろうとう)のみ。もし、将門(まさかど)に囲みの一角でも破られれば、充分な訓練をしているにも拘らず、兵達の殆どが逃げ去ってしまう可能性すら有るのだ。
 秀郷(ひでさと)は、わざと陣立てをもたつかせて時を稼いでいる。
『風よ、変わってくれ!』
 朝鳥も秀郷(ひでさと)同様、そう祈っていた。だが、風は変わらず、将門(まさかど)が遂に痺れを切らし、逆落としに討って出て来た。

 ニ月十四日未申(ひつじさる)の刻(午後三時)、連合軍と将門(まさかど)の合戦が始まった。
 秀郷(ひでさと)(かね)を叩かせ、急いで陣形を整えさせる。元々わざと遅らせていたのだから、陣形はすぐに整った。横に広がって鶴が翼を広げた形を表す鶴翼(かくよく)の陣である。大軍で少数の敵に対する際に使われる陣形で、突っ込んで来た敵を包み込んで討ち取る戦法だ。
 矢頃まで降りて来ると、将門(まさかど)は、まず作法通り鏑矢(かぶらや)を放った。追い風に乗って唸りを上げて飛んで来た鏑矢は陣に届き、兵が頭の上に持ち上げた楯に激しく当たって、大きな打撃音を発した。こちらの放った鏑矢(かぶらや)は、風に阻まれて、遥か手前に落ちた。
 続いて、一斉に射られた数百本の矢が、放物線を描いて上から降り注いで来る。陣の前の方に並べた楯は殆ど役に立たない。騎馬武者の大鎧(おおよろい)に矢が突き刺さり、一方、兵達は、胴丸では防御しきれない部分に矢を受けた者が倒れる。そして、二の矢の雨。射返してもこちらの矢は風に吹き戻されて届かない。三の矢が降り注いで、また多くの兵が倒れる。

 暫く矢を射かけていた将門(まさかど)軍が突撃に移った。鋒矢(ほうし)の陣形を組んで一直線に攻め寄せて来る。全体が一本の矢の形となり、鶴翼(かくよく)の陣を突き破る戦法だ。将が最後尾に居て采配を振るう通常の鋒矢の陣とは違って、先頭を切るのは将門(まさかど)自身である。(やじり)の肩に相当する両脇には屈強な郎等(ろうとう)を配し、射掛けながら進んで来る。
 将門(まさかど)の戦い振りはいつも、最初、射ながら疾駆し、近付くと傍の郎等(ろうとう)に持たせた手斧に持ち替えて、それを振り回し相手を薙ぎ倒して行く。後に続く兵達はその光景を目の前に見るだけで、その凄さに酔い痴れ、己も無敵となった心持となり、一体となって突進して来るのだ。
 鋒矢(ほうし)の陣に寄る鶴翼(かくよく)の陣に対する突撃は、いかに素早く突破するかに掛かっている。弱い所を突き破り、反転して後ろからまた襲い掛かる。そうすることに寄って、敵の陣形を崩し混乱を生じさせる。しかし、第一の突破にもたつけば、すぐに包囲されてしまう。
将門(まさかど)ひとりを倒せば良い。それに寄って兵達の暗示は解け、現実の恐怖に(さら)されることになる。そうなれば、多勢に無勢。あっと言う間に勝敗は決まる』 
 秀郷(ひでさと)はそう思っていた。
 将門(まさかど)の弓の勢いは強く、驚くほど正確に射込んで来る。対する秀郷(ひでさと)陣営は、矢が風に吹き戻されて届かないばかりでなく、近付くに連れて、将門(まさかど)軍の馬の蹴上げる砂埃が目潰しのように吹き付けてくる為、まともに目を開けていられない状態になってしまった。
 連合軍の陣に恐怖と動揺が走った。
「恐れるな。射よ! 射よ!」
 秀郷(ひでさと)は懸命に叫んだ。前軍の将達も同じように叫び続けている。このままでは中央を突破されると朝鳥は思った。しかし、逆風とは言え、将門(まさかど)は疾駆してどんどん近付いて来ているのだ。しかも、先頭を切って突っ込んで来る。射続ければ、突っ込まれる前に必ず当たる。大鎧(おおよろい)の上から何本かの矢を受けても致命傷にはならないが、勢いを殺すことは出来る。後は打ち合うのみだ。
「大殿、御免」と言い残し、(もと)可も得ずに、朝鳥は弓を掴んで前線に向かって馬を駆った。
「ここは一旦、退くべきでは」
 狼狽えた様子で、藤原維幾(ふじわらのこれちか)秀郷(ひでさと)に言った。
(たわ)けたことを申されるな! 今退けば総崩れじゃ!」 
 相手の身分も構わず、秀郷(ひでさと)は怒鳴った。
「繁盛だけに任せてはおけん。麿(まろ)も前に出る」
 貞盛(さだもり)は怯えてはいなかった。
 将門(まさかど)に負け続け、父の仇も討てぬ都かぶれの臆病者との誹りを受けながら生き延びて来た。ここで逃げれば、もう永久に汚名を返上し名誉挽回をすることは出来ない。征東将軍の朝廷軍が到着して将門(まさかど)を討ってしまえば、一生臆病者と嘲られて過すことになる。例えここで討死しても、それよりはましだと思っていた。
「それでこそ、坂東平氏の嫡流。行かれるが良い」
 本陣は鶴翼の後方に置かれていた。兵は三百。鶴翼の陣の中央には、秀郷(ひでさと)の長男・千晴に千人の兵を預けて配し、突撃の際、将門(まさかど)の矢面となり易い右翼には、三男・千国と四男・千種、それに五男の千常(ちつね)にそれぞれ五百ずつの兵を与えて計千五百を配した。そして、左翼には、貞盛(さだもり)の弟・繁盛率いる八百に二百の与力を着けて配し、その外側に藤原為憲(ふじわらのためのり)率いる五百の兵を配している。
 本陣の三百はただ後方に構えているだけではなく、五十名ほどを残し、後は、破られそうな所に駆け付ける遊撃隊的な役割を負わせてある。
 朝鳥は単騎中央へ、続いて、貞盛(さだもり)は十名ほどの郎等(ろうとう)を率いて左翼へと、それぞれ前線に向かって駆け着けて行く。
 維幾(これちか)秀郷(ひでさと)の態度にむっとしながらも、言葉を返すことが出来ず、ただ苛々おろおろするばかりだ。

 その時、一直線に中央に向かって突進していた将門(まさかど)が突然右に方向を転じた。龍が大きくその首を右に振った。
 連合軍を左手に見ながら、中央の千晴隊に、続いて貞盛(さだもり)隊に矢を射かけながら平行に進み、左翼端の為憲(ためのり)隊の守る辺り目掛けて突き進んで行く。
 まさか、自分たち目掛けて襲い掛って来るとは思っていなかった為憲(ためのり)隊に動揺が走り、負け癖の付いている彼等は脆くも崩れた。
 秀郷(ひでさと)は本陣に居る遊撃隊二百五十をすぐに左翼に放ったが遅かった。為憲(ためのり)の兵達は、迎え入れるように将門(まさかど)軍が突き進む道を開け、突き抜けた将門(まさかど)軍が反転して襲い掛かって来ることを恐れて、将門(まさかど)を追おうとする味方の軍の方に向かって逃げ始めたのだ。
 まず、貞盛(さだもり)隊と逃亡兵達の流れがぶつかり混乱する。遊撃隊、千晴隊は、それを避けて将門(まさかど)を追おうとするが、貞盛(さだもり)隊の中からも逃亡しようとする者が出始め、混乱が広がって千晴隊の行く手を阻む。
 そうしている間に、手斧(ておの)を振り回しながら将門(まさかど)が、混乱の中心を目掛けて突進して来る。
 迎え撃とうとした騎馬武者が二人、三人と将門(まさかど)の手斧の餌食となって落馬する。将門(まさかど)に続く郎等(ろうとう)達も屈強で、次々と味方が倒されて行く。貞盛(さだもり)は兵を励ましながら、混乱を潜って将門(まさかど)に近付こうとするが、近付けない。
 その中で、将門(まさかど)郎等(ろうとう)の何人かを倒し、将門(まさかど)に近付き一撃を与えたのは、遊撃隊を率いる、信濃国(しなののくに)佐久の(さと)司・望月三郎(もちづきさぶろう)兼家(かねいえ)だった。秀郷(ひでさと)とは以前から親交が有り、挙兵に際し、遥々駆け着けていた。
 兼家は太刀で将門(まさかど)(かぶと)を打ったが、落馬させる程の衝撃を与えるには至らなかった。しかし、将門(まさかど)(かぶと)の向きがずれた。

 逃亡兵達が、今度は空いた北の方に向かって一目散に逃げ始めたのだが、その数は見る見る増えて、恐怖心が伝染したのか、千晴の隊や千国、千種、千常(ちつね)の隊からも逃亡兵が出始める。もはや、陣を組み直すことは不可能な状態となった。陣形を整える為の太鼓や(かね)の音が空しく響き、声を枯らして叱咤する将達の叫び声も乱声に掻き消される。
 又も突き抜け、上りに掛かった辺りで、少し距離を取って陣を組み直した将門(まさかど)軍が、再び矢を放ち始めた時、連合軍は遂に崩壊した。殆どの兵が勝手に退却を始めたのだ。いや、将門(まさかど)軍の矢頃を逃れる為、一目散に逃げ始めたと言った方が正確だろう。
 混乱する連合軍を見下ろしながら、将門(まさかど)は兼家の一撃に因りずれた(かぶと)を荒々しく脱ぎ捨てた。その所作が荒々し過ぎたのか、(かぶと)だけでなく、その下に被っている折れ烏帽子(えぼし)まで脱げそうになった為、将門(まさかど)はそれも脱ぎ捨てた。
 戦場ならではのことで、平安の男に取って、人前で被り物を脱ぐなど、日常では有り得ない行為だ。はずみで(もとどり)が切れ、(まげ)が崩れて髪が乱れ、大童(おおわらわ)となって垂れ下がる。郎等(ろうとう)が代わりの(かぶと)を差し出そうとするのを「要らぬ」と遮り「者共、敵は混乱している。勝ち戦じゃ。命を惜しむな。掛かれ~!」と声を張り上げた。

 再び将門(まさかど)軍の突撃が始まった。解けた髪を振り乱して、やはり将門(まさかど)が先頭を切って迫って来る。
「うぬ。くそっ! 退け~!」
 このままでは、兵の殆どが逃亡して、二度と戻って来ない。もはや立て直すことは不可能と観念した秀郷(ひでさと)は、遂に退却の号令を発した。兵達は四散し、将と郎等(ろうとう)達は秀郷(ひでさと)と合流する為に本陣を目指す。
 各隊の将達は悔しがりながらも撤収に掛かる。それを見た将門(まさかど)は、嵩に懸かって猛追撃を開始した。
「だから、言わぬことでは無い」
 そう漏らした維幾を、秀郷(ひでさと)は一瞬キッと睨んだが、すぐに騎乗し逃走に掛かった。
「くそっ。くそっ!」と叫びながら駆けた。
 耳元を矢が(かす)める。追い風を受けての逃走だから、疾駆していても顔に当たる風圧は感じない。ところが、暫く駆けているうちに、急に顔に風圧を感じるようになった。しかも、冷たい。

 その時、背中に軽い衝撃を感じた。カチッという音がして後ろから飛んで来た矢が(よろい)の背で弾ける。風圧に寄り矢の勢いが殺されているのだ。
「風が変わった!」
 秀郷(ひでさと)は歓喜した。
「止まれ! 踏みとどまれ~! 風が変わったぞ。者共、踏み止まって射返せ~!」
 周りを見回すと、千晴を始めとした息子達。貞盛(さだもり)、繁盛、兼家、それに朝鳥などの郎等(ろうとう)達が集まって来ていた。それでも、百騎に満たない。
 敗走していた連合軍の残軍は踏み止まり、馬を返した。そして、一斉に射始める。
 将門(まさかど)軍は皆強く手綱を引き、馬を止める。横に広がってこちらも一斉に射始めるが、それまでとは違い、秀郷(ひでさと)側の弓勢(ゆんぜい)は強く、将門(まさかど)側は弱い。連合軍の矢は風に乗り、将門(まさかど)軍の矢は風に戻される。
「聞け~! 藤太秀郷(ひでさと)!」 
 将門(まさかど)大音声(だいおんじょう)で呼ばわった。秀郷(ひでさと)は右手を挙げた。
「やめよ! 射ることを止めよ!」
 双方の矢の雨が止む。
「何用か! 朝敵・小次郎将門(まさかど)! 命乞(いのちご)いなら聞かぬぞ」
「何を抜かすか、卑怯者め。命乞いをするのはその方であろう! 一旦はこの将門(まさかど)名簿(みょうぶ)を捧げながら、虚を衝いて謀叛を企むなど(もと)し難い。成敗(せいばい)してくれるわ!」 
「謀叛人はうぬじゃ! この『日本(ひのもと)』に(みかど)は只ご一人(いちにん)しか居坐(おわ)さぬ。勝手に新皇(しんのう)など僭称しおって。謀叛人は己だ。この秀郷(ひでさと)が、朝敵を討つ為に欺いたことに気付かなんだ己を愚かと思うが良い」
「何~い。盗人にも三分の理とは良く言うたものじゃ。藤太、(もと)さぬ!」
 将門(まさかど)は風に乱れたザンバラ髪を振り払い、弓を郎等(ろうとう)に渡して、太刀を抜き放った。
「小次郎! 己はこの平太・貞盛(さだもり)が討つ! 覚悟せよ!」
 秀郷(ひでさと)の脇に(くつわ)を並べて貞盛(さだもり)が叫んだ。
「はっはっはっは。誰かと思えば、臆病者の常平太(じょうへいた)か? 信濃で、陸奥で、良くも逃げ延びたと褒めてやろうぞ。今度も逃げ足は速かったのう。のこのこと出て来居(きお)って。従兄弟の誼、見逃してやるから、さっさと消え失せろ! 都にでも落ちて、遊女(あそびめ)とでも戯れておれ。それとも、やっと(つわもの)の気概を取り戻したか?」
 侮辱されて、貞盛(さだもり)の顔面が紅潮する。怒りの言葉が発せられた。
「我が父・国香(くにか)を討ったこと、忘れたか! 己を討つこの日の為に、命、永らえて来た。父の無念も我が恥辱も今こそ晴らしてくれるわ!」
 言うなり、貞盛(さだもり)が弓を引き絞った。それを見た敵も味方も弓を構える。双方一斉に放った。貞盛(さだもり)の矢が一瞬早く放たれ、続いて、互いの矢が飛ぶ。だが、風に逆らった将門(まさかど)方の矢の勢いは弱く、貞盛(さだもり)らの矢は疾風の如く走った。
 将門(まさかど)が太刀で矢を払った。…… と思えた瞬間、馬上からその姿が消えた。

 どっと雪崩落ちた将門(まさかど)の姿を、敵も味方も、一瞬信じられないと言う想いで見詰めた為、矢の雨が止んだ。将門(まさかど)郎等(ろうとう)達が馬から飛び降り、落ちた将門(まさかど)を取り囲んだ。将門(まさかど)は横たわったまま動かない。
「射よ! 射続けよ!」
 秀郷(ひでさと)の叱咤の声に我に返った連合軍の矢の雨に、将門(まさかど)を守るべく太刀を抜き放って構えたその郎等(ろうとう)達が矢を受けて次々と倒れて行く。そして、僅かに残った者達は遂に逃走を始めた。
「追え! 一人残らず討ち取って手柄とせよ!」
 そう叫ぶと、秀郷(ひでさと)は自ら先頭を切って将門(まさかど)(もと)に駆け寄った。
 兵達は将門(まさかど)の残党を追い、下馬した秀郷(ひでさと)は、いきなり倒れている将門(まさかど)の頭を踏ん付け、刺さった短めの矢を抜き、辺りに散らばっている矢の中に、抜いた矢を放り込んだ。それから、毛抜形太刀(けぬきがたのたち)を振り上げて、(まき)でも割るように、将門(まさかど)の首を打ち落した。
「皆、聞け~っ! 謀叛人・平将門(まさかど)は、左馬允(さまのじょう)平朝臣(たいらのあそん)・太郎貞盛(さだもり)殿が射落とし、押領使(おうりょうし)、この藤原朝臣(ふじわらのあそん)・太郎秀郷(ひでさと)が首討った。大勝利である。謀叛人・将門(まさかど)は潰えたのじゃ、(とき)の声を挙げよ!」
「うお~!」と言う歓声が上がり、続いて
「エイエイ、オー!」と言う(とき)の声が繰り返された。その鬨の声を聞き付けて、逃げ散っていた味方の兵達が、褒美のおこぼれに与ろうと徐々に集まって来る。

 しかし、その流れとは逆に、その場から立ち去って行く五人の郎等(ろうとう)姿の男達が居た。先頭を行く眉が太く鼻の大きな若者は、その手に短弓を携えている。将門(まさかど)の首は、敵と正対していたにも拘らず、なぜか左の米噛みに穴が開き、そこから血が流れ出ていた。つまりは、秀郷(ひでさと)貞盛(さだもり)が居た方向とは別の方向から飛んで来た矢に因って命を落とした可能性が有るのだ。
 何故か秀郷(ひでさと)将門(まさかど)の米噛みに刺さった矢を抜いて、散らばっている矢の中に紛らせるように捨てた。そしてその矢は、長弓の矢では無く、短弓の矢だった。

    
『そうか。蝦夷の風体では無く、他の郎等(ろうとう)達と同じ格好をしていたので気付かなかったのだ。確かに、あの(いくさ)の折、古能代(このしろ)に会っている』と朝鳥は思った。
『しかし、何故(なにゆえ)?』
 そう思いながら、祖真紀(そまき)に声を掛ける。
将門(まさかど)の乱の折、北山の(いくさ)で、麿(まろ)古能代(このしろ)殿と良く似た男を見掛ておる。あの戦に加わっておったのか?」
 祖真紀(そまき)にそう問うたが、朝鳥の言葉に祖真紀(そまき)は反応しなかった。何か他のことに気を取られているような素振りで、聞こえなかったかのように、朝鳥の言葉を無視した。
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