第九章 第9話 種は蒔かれた

文字数 3,358文字

「いかが相成(あいな)るかと思うて見張らせておったが、いや、見事のひと(こと)。天まで味方に付け、敵をキリキリ舞させましたな。いや、愉快、愉快」
 礼と報告の為訪れた千方を前に、甲賀三郎(こうかさぶろう)は上機嫌である。
「天を味方に付けられたのは、大領(たいりょう)に嵐の来ることを教えて頂いたからに他ならず、数々の仕掛けは、全て忠頼殿に教えて頂いたものです。お二方(ふたかた)のご協力が無ければ出来ぬことでした。しかし、これで済むとは思われませんので、この先もご迷惑をお掛けすることになるかと思うと、心苦しく……」
 千方は手放しでは喜べないものと見える。
「それについては、ひとつ良い報せが御座る」
と兼家が告げた。
「どんな?」
と千方が反応する。
「どうやら、検非違使(けびいし)光季(みつすえ)郎等(ろうとう)が仲間割れしたようじや」
「ほう」
「検非違使はさっさと都に引き揚げてしまったようだ。近江(おうみ)の者達も()ぐに引き揚げた。酷い目に合わされたのは満季(みつすえ)のせいだと気付いたのであろう。さて、今一度検非違使を引っ張り出せるか。どうであろうかな」
 検非違使(けびいし)()めた郎等と言うのは鏑木(かぶらぎ)であろうと察しが付いた。二度と会いたく無い相手だ。
「正直、胸のすく思いがしたことは事実ですが、これきりにして、皆と(わずら)い事無く田畑を耕したいものです」
 千方はそう言った。
「そうなれば良いが、千方殿ご自身、田畑を耕すだけでこの先一生終われますかな? 多くの(わずら)い事が有った後ですから、今、そう思われるのは無理も無いが、そのまま埋もれてしまう方とも思えぬでな」
 そう思うのは兼家の買い(かぶ)りだと千方は思う。皆と穏やかに暮らすこと以外、今の自分は、欲も望みも持つ気は無いと思うのだ。
「そんなことは御座いません。昔は()(かく)、今はただの隠居で御座います」
と、答えた。
古能代(このしろ)殿が達者なうちに、郎等達の子らを鍛えて貰ってはどうかな。稀に見る武人じゃからな。仮に何も無かったとしても、これから先末長く、(さと)の護りをどうするかということは、考えて行かなければならぬことであろう」
「はい。確かに」
「麿のやっている仕事も、暇が出来たら少しずつ始めてみてはどうかとも思うておる。まあ、当分は開墾で精一杯であろうが」
「仕事と言いますと、細作(さいさく)のことですか?」
 そう聞いた。細作の仕事を手伝って欲しいと兼家が思っているなら、世話になっている以上、断り続ける訳にも行かない。
「そうだ、(さと)を護る為だけではないぞ。ひとを信用出来ぬ今の世。誰が何を考え、どう動いているか。それを知ることは、身の安全の為にも欠かせぬこととなっている。まして、敵を持つ者なら尚更。その動きを知る為なら財貨を払っても良いと思う者は、益々増えて来ることだろう、意外と良い身入りになるぞ。天災地変も有る。田畑を耕して得られるものだけでは、何かの時に足らなくなる。そうであろう。(さと)を束ねる身としては、それも考えておかずばなるまい」
 手伝えと言う事ではなく、千方自身が郎党を率いて伊賀で新たに細作を生業(なりわい)とする一党を作ってはどうかと勧めてくれているのだ。

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「ご教示胸に止めて、考えてみます。ただ、今は開墾に心血を注ぎたいと思っておりますので」
 甲賀兼家(こうきねいえ)の提案については、はっきりと返事をしないまま、千方は兼家の舘を後にした。

 こちらは、摂政(せっしょう)藤原(ふじわらの)兼家(かねいえ)武蔵(むさし)に人を派遣して調べて見ると、千方では無く忠常(ただつね)に非が有ること、満季(みつすえ)が千方を召喚して取り調べてはいないことなどが分かった。
『麿を利用しようとは、小癪(こしゃく)な奴。満仲の弟で無ければ罰する処だが、満仲の功績に免じて、この(たび)だけは許してやるとするか』
 兼家はそう考えた。兼家がこのように考えたのは兼家側の事情である。ひとつには、満仲と違って、公事(くじ)にも私的都合を絡めて来る満季(みつすえ)を日頃から少々不快に感じていたこと。それに加えて、藤原文脩(ふじわらのふみなが)が、兼家六十歳の賀料(がりょう)として皇太后(こうたいごう)詮子(せんし)に任料を納め、下野(しもつけ)藤原(ふじわら)が朝廷に積極的に従う態度を示している為、文脩(ふみなが)を刺激したく無いと言う気持ちが働いていたのである。 
 
 摂政(せっしょう)兼家(かねいえ)から武蔵守(むさしのかみ)満季(みつすえ)に以下の(めい)が届いた。
『千方に容疑は無いと分かった。不十分な理由を以てお(かみ)を動かしたことは甚だ()しからんことであり、本来、上洛を命じ取り調べるべきところ、特別の温情を以て、こたびは譴責(けんせき)にとどめる。以後、千方には手出し無用のこと』

 検非違使(けびいし)の再派遣を要請していた満季(みつすえ)には、これは衝撃であった。同時に、自分が兼家の不興(ふきょう)を買ってしまったことに気付かされた。どうにも腹の虫が収まらないが、こう成っては千方を始末することは諦めざるを得ない。鏑木(かぶらぎ)を呼び戻すことにした。

 千方らは嵐の傷跡の補修や開墾に取り組んでいた。甲賀三郎(こうかさぶろう)からの情報では、検非違使が再派遣される様子は無いと言うことである。
「あの折は楽しゅう御座いましたな」
 秋天丸(しゅてんまる)が、検非違使らをてんてこ舞いさせた日の事を(なつ)かしんで、土を耕しながら楽しげに話す。
「久し振りに胸が透く思いがした」
 もはや、極端に無口な男では無くなった古能代(このしろ)も同意する。
「統領、矢は何本受けました?」
 そう尋ねたのは夜叉丸(やしゃまる)である。
「七、八本かな」
「射返せば、敵の全部をあの世に送れたでしょうに、残念です」
 夜叉丸がそう言った。。
「もし、そんなことをしていたら、今頃のんびりと畑仕事などしておれんわ」
 (もっこ)を担いでいた千方が、笑いながら返す。
「大成功。いや、愉快で御座った」
 切り株に腰を下ろし作業を見物している安倍忠頼(あべのただより)も愉快そうだ。
「忠頼殿に色々な仕掛けを教えて頂いたことと、運良くと言うか、甲賀三郎殿から嵐が来ると教えて貰ったことが全てだ。お陰で殺さずにきりきり舞させることが出来た。人を殺せば恨みは長く残る。この数十年でそれを思い知らされた」
 千方はそう述懐した。
「摂関家の権力と言うものの始末の悪さも思い知りました」   
 古能代(このしろ)が応じる。
「そうだな。高明(たかあきら)様も太郎兄上もそれに陥れられた。父上のお言葉では無いが、我等の力、未だ蟷螂(とうろう)(おの)だ」
 そう言いながら新しく畑にする所に、千方が(もっこ)の土を投げ出す。
「時勢が変わる時は、いずれ参ります。今は、じたばたしても仕方が無い。 …… しかし、何と言っても、あの嵐は大きかった。中々ああ見事に()まるものでは有りませんぞ」
 そう言って立ち上がると、忠頼は腰に手を当てて歩き始めた。
「忠頼殿、いつまでおられる?」
 千方が聞く。
陸奥(むつ)に雪が降る迄には帰りたいと思っております」
「左様か」
 郎等達の妻子も皆楽しげに働いている。
『ここに新しい郷が出来、代々引き継がれて行くのだな』と千方は思った。
 そこに千方と古能代(このしろ)の子孫は居ないが、夜叉丸(やしょまる)秋天丸(しゅてんまる)、犬丸、鷹丸(たかまる)鳶丸(とびまる)らの子孫が地元の(たみ)と交わって新しき郷を築いて行く姿を、想い描いていた。この先この(さと)をどうして行くか。あまり乗り気ではなかったが、甲賀三郎に言われたことが耳に残っていた。
 細作(さいさく)(さと)。即ち、各地の情報を集め、それを必要とする者に売る。(さと)(まも)りと身入りを考えたら、確かにひとつの目指すべき方向なのかも知れない。そう思った。

 永延二年(九百八十八年)十月三日の臨時の除目(じもく)で、文脩(ふみなが)鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)補任(ぶにん)された。後年、秀郷流(ひでさとりゅう)藤原氏(ふじわらし)は、文脩(ふみなが)の子孫を中心に多くの支族を生み、二百年ほど後には、鎌倉武士として栄えることになる。 
 一方草原(かやはら)氏は、私市(きさいち)氏との関係を修復した後、後年、成木、久下、市田、楊井、太田、小沢、河原各氏と共に私市氏(きさいちし)の許に結集し、武蔵七党の一つとも数えられる『私市党(きさいとう)』を結成して、やはり、鎌倉武士へと成長して行く。

 摂政(せっしょう)・兼家は、永祚(えいそ)元年(九百八十九年)、円融(えんゆう)法皇の反対を押し切って長男・道隆を内大臣に任命して、律令制史上初めての『大臣四人制』を実現させ、更にこの年に太政大臣(だじょうだいじん)・頼忠が薨去(こうきょ)すると、その後任の太政大臣に就任した。翌、永祚(えいそ)二年(九百九十年)の一条天皇の元服に際しては加冠役を務める。これを機に関白に任じられるも僅か三日で、病気を理由に嫡男(ちゃくなん)・道隆に関白を譲って出家、『如実(にょじつ)』と号して別邸の二条・京極殿(きょうごくでん)を『法興院(ほうこういん)』という寺院に改めて居住したが、その二ヶ月後に病没した。享年(きょうねん)六十二歳。怨念に満ちた波乱の生涯であった。(ちな)みに藤原摂関家に最盛期を(もたら)す藤原道長は兼家の五男である。

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