第五章 第2話 信濃騒乱

文字数 7,369文字

 まだ寒さが残る坂東の野を、千方(ちかた)千常(ちつね)と共に二百の騎馬隊を率いて西へ進んでいる。頬に当たる風は冷たいが、駆け続けているうちに体が熱を持ち、その冷たさが心地好く感じるようになっている。二十数年前、大軍を率いて坂東の地を駆けた男のことを千方は考えていた。今自分は、将門(まさかど)と同じように、朝廷に対して牙を()こうとしている。『朝敵』と言う言葉が頭を(よぎ)る。だが、(みかど)に敵対しようなどと言う気持ちは全く無い。自分が憎しみを感じている相手は、摂関家(せっかんけ)満仲(みつなか)兄弟である。しかし、摂関家に逆らうことは、今や朝敵となることに等しいのだ。この国の真の(あるじ)は随分昔から(みかど)では無く藤原であり、今は、その中の摂関家であると思う。
 なぜ藤原摂関家は、実質この国最高の権力者である姿を隠し、黒子のように陰から(みかど)を操ろうとするのか。その疑問に対する答のひとつが、摂関家に楯突くことすなわち朝敵と成ってしまうと言うことにある。朝敵と言う名を被せる事により、敵の攻撃を(かわ)し、征伐という大義を掲げて敵を討つ事が出来る。この構造を簑虫(みのむし)(みの)のように使って、摂関家に対する攻撃を朝廷に対する攻撃と巧みにすり替えて来たのだと分かる。新皇(しんのう)と名乗った将門ですら、(みかど)に逆らおうなどとは考えていなかったのではないか。そう思えた。
 いずれにしろ、失敗すれば千方の首は、千常と並んで四条河原(しじょうがわら)(さら)されることになる。だが、もうやるしか無いと覚悟は決めた。
『勝ち目は有る』そう思った。

 事情を知らぬ下野(しもつけ)の民達は何事かと思いながらも、この一隊を黙って見送るのみだ。それは、上野(こうづけ)に入っても変わらなかったが、上野(こうづけ)では国庁に多くの報告が寄せられた。だが、上野(こうづけ)国衙(こくが)が対応を迷っているうちに、千常らは上野(こうづけ)を駆け抜けてしまっていた。

 平将門(たいらのまさかど)。その名は幼い頃の千方に取って、父・秀郷(ひでさと)が討った謀叛人、朝敵と言うだけのものでしか無かった。十四の時、下野(しもつけ)の隠れ(ざと)に連れて行かれてから、郎等(ろうとう)である朝鳥が、将門を単に謀叛人としてだけ見ている訳では無いことに始めは違和感を覚えた。単純に朝廷こそが正義と思っていた考えに初めて疑問が湧いて来た。朝廷に賞されて出世した筈の父・秀郷自身がそう思っていないことが朝鳥や千常の言動から読み取れたからだ。 
 秀郷と将門は元々敵対する存在では無く、成り行きで立場が別れただけであり、将門と秀郷の立場が入れ替わっていたとしても何の不思議も無かったのだ。坂東の民の、都から派遣されて来る受領(ずりょう)の収奪に対する怨嗟(えんさ)の声が根底に有る。土豪層の、公卿(くぎょう)達、特に藤原摂関家の者達に対する反発も共通するものが有った。ただ、目指す処の政治の形に違いが有り、将門と秀郷は、互いに相容(あいい)れなかっただけなのだ。
 そして、朝廷そのものとも言える摂関家に対して、千方は将門と同じように、今、弓を引こうとしている。

 東山道(とうさんどう)中路(ちゅうじ)である。三十里(約十六キロメートル)ごとに駅馬(はゆま)十匹を備えた駅家(うまや)が置かれていた。
 信濃に入り、長倉駅、清水駅を越え進撃する。ところが日理(わたり)駅に係る頃、俄作(にわかづく)りの木製の仮柵で、街道が(ふさ)がれていた。
「我等が来ることを知っての封鎖で御座いましょうか」
 右手を挙げて隊列を止めてから、千方が千常に問うた。
「間違い有るまい。信濃守(しなののかみ)平維茂(たいらのこれもち)出張(でば)って来ているのか。面倒だな」
 千常はそう言って路の先の方に見える柵の方に視線を送った。

 信濃守・平維茂は平貞盛(たいらのさだもり)の養子だが、貞盛は多くの養子を取ってきたので十五番目の子ということになり、後に余五(よご)将軍と呼ばれるようになる男だ。『余五』とは、拾と余り五、すなわち『十五』を意味する。実の父は貞盛の弟・繁盛(しげもり)である。
 貞盛と下野藤原家(しもつけふじわらけ)は良い関係にあったが、実父・繁盛同様、維茂は下野藤原を日頃から良く思っていなかった。
 千方らが都から逃走した後、望月貞義(もちづきさだよし)の所へ寄って馬を替えていたことを掴んでいた。そしてその後、(おおやけ)の手配では無いが、源満仲(みなもとのみつなか)から千方捕縛の依頼を密かに受けていた。そこで維茂は、自分に近い土豪達を集める一方、下野に細作(さいさく)を放って様子を探らせていたのだ。千方、千常らの出陣は把握されていた。

 千方は、千常の郎等(ろうとう)達と元・千晴の郎等達を後ろに下げ、祖真紀配下の者達を前に出した。
「日高丸」
と千方が呼んだ。
「はっ」
 日高丸は力強く返事する。
初陣(ういじん)であろう」
「はいっ」
「良いか。これから、麿と(さと)の者達であの柵を取っ払う。まず、矢を射掛けて敵が(ひる)んだ処を見計らって突っ込み、下馬して素早く柵を取り除く。良いな。柵に掛かる者は十人で良い。後の者は援護に回れ」
 祖真紀一党に対して千方が指示する。
「はいっ」
 日高丸が緊張しているのが見て取れた。
「夜叉丸。日高丸にびったり着いて離れるな」
と、千方が夜叉丸に指示する。
「分かりました」
 夜叉丸が答える。千方も夜叉丸も十五歳の頃に経験した陸奥(むつ)での戦いを思い起こしていた。
「六郎。ここは任せる。郎等達と様子を見、開いたら一気に駆け抜けるぞ」
 千常が早る馬を制しながら言った。
「はい。そのようにお願いします」
 千方は指を挙げ、風を読んだ。幸い追い風である。
「はっ!」と言う掛け声と共に千方と(さと)の者達の馬が一斉に駆け出す。
射掛(いか)けよ!」
 千方の号令と共に騎射が始まり、柵からも応射して来た。祖真紀一党の狙いは恐ろしく正確である。柵を挟んでいるにも関わらず、柵の間をすり抜けて矢は的確に敵を射抜いて行く。
 暫しの矢合戦の後、敵は崩れ始めた。
「今だ、突っ込め!」
 千方は先頭を切って駆け、駆けながら射た。夜叉丸、日高丸、秋天丸、鷹丸、鳶丸らが続き、祖真紀一党が続く。柵の手前で馬を止め大半が騎射を続ける中、十人ほどが飛び下り仮柵を崩しに掛かる。柵が三分の一ほど撤去された処で、
蹴散(けち)らせ!」
と千常が号令を発した。 
 残り百六十の騎馬隊が突撃を開始する。国府側はたまらず逃走する羽目となった。
「深追いするな! 怪我人(けがにん)の手当てをせよ」 
 千方が指示する。
「どうする。六郎」
 馬を寄せて来て、千常が尋ねた。
「一旦逃走したとは言え、このままでは済みますまい。態勢を立て直してまた襲って来るのは必定(ひつじょう)信濃路(しなのじ)はまだ長い。ここで時を費やす訳には参りません。望月(もちづき)殿の力を頼み、滋野(しげの)三家を味方に付け、一挙に駆け抜けるしか御座いますまい」
 千方はそう答える。
「六郎。頼もしくなったのう。武蔵から連れて来た頃のひ弱なわっぱとは別人のようだ」
 感慨深げな千常に、千方が苦笑(にがわら)いをした。
「兄上のお陰です。こんなことを申し上げると、また殴られましょうか」
と、笑いながら聞く。
(たわ)け。殴る方も(こぶし)が痛いのじゃ。もたもたしている(いとま)は無い。行くと決めたら、()ぐにでも望月の舘に参るぞ。必ず味方してくれるとは限らん。油断するな」
 千常はそう言って、鷹丸を先に走らせた。

 舘の前まで貞義(さだよし)が迎えに出ていた。
「千常の殿には始めてお目に掛かりますが、千方殿には、その節は大変お世話になりました」
 貞義(さだよし)が丁寧に頭を下げた。近江国(おおみのくに)甲賀郡(こうかごおり)郡司(ぐんじ)と成って赴任した兼家に代わって、信濃望月家は、弟であり貞義の父である兼貞(かねさだ)が継いだ。ところがその兼貞が早世(そうせい)してしまった。そこで、子の貞義が継ぐことになったのだが、それに不満な伯父の兼光(かねみつ)が貞義を殺して跡目を奪おうとしたのだ。兼家はその情報を察知していたが、当時、動きが取れなかった。そこで、旧知の秀郷(ひでさと)に解決を依頼した。秀郷にこの件の解決を任された千方が策を用いて兼光を捕らえ、騒動を収めていた。
「こちらこそ、下野(しもつけ)に戻る際にはお世話になり申した」
 挨拶が済むか済まないかの間に、貞義が急に表情を引き締めた。
「実は、急ぎ申し上げなければならないことが御座います。ついさっき、甲賀(こうか)から早馬にて報せが有りました。申し上げ(にく)いことですが、千晴様は既に隠岐(おき)に流されたそうです」
 思わず、千方と千常は無言で顔を見合わせた。少しの間、誰も言葉を発しなかった。
 まずは都を急襲し、素早く千晴を助け出し下野に戻る。その上で改めて軍備を整え、安倍の決起を待つ。その根本方針が崩れてしまったのだ。千晴が流罪になってしまった以上、たった二百騎で都に上ってみても仕方が無い。
「兄上。一旦下野(しもつけ)退()くと致しましょうか」
 そう言った。
「うん。そうする他あるまいな」
 千常も同意する他無い。
退()くにしても、まずは、舘で暫しお休み下さい」
 貞義が言った。
「貞義殿。我等は既に信濃守と刃を交えてしまっている。お舘に入れば、(みこと)にも類が及ぶことになる。朝敵の一味としてな」
 千方の言葉に、
「既に目は付けられております」
と貞義が答える。
「まだ、言い訳は立ちましょう。過日は、事情も知らず、知り合いの(よしみ)みで頼まれて馬を貸しただけ、訪ねて来たが断った。そう言えば良い」
「麿は受けた恩を忘れるような人間にはなりとう御座いません。あの折、千方殿の助けが無ければ殺されていた身です」
 貞義の気持ちを千方は嬉しく思ったが、
「今の世でそんなことを言っていたら早死にするだけ。お気持ちは(うれ)しいが、巻き添えには出来ません。それに、今、お舘に入らせて頂いたとしても、状況が変わる訳ではありません。このまま引き揚げます」 
と重ねて舘で休息することを辞退した。
「左様ですか。ならば、お気を付けて」
「そうと決まれば、長居は無用。行くぞ」
 千常がそう声を掛けた。

「元々貞義を巻き込むつもりでは無かったのか」
 駆けながら千常が言った。
「状況が変わりました。引き込むとしても今はその時ではありません。我等が引き揚げた後貞義殿が(とが)を受ければ、誰に取っても得は有りません。勝つ目処(めど)が立ったらまた誘いましょう」
「祖真紀が安倍を口説き落とせるか。全てはそこに掛かって来たな」
 そう言ったが、千常は祖真紀が安倍を口説けるかと言う不安を拭えていない。
「はい」
 千方も想いは同じであった。

 望月の舘を後にして半時(はんとき)()たない頃、砂埃(すなぼこり)を上げて早駆けして来る一頭の馬が有った。気付いた千方が、右手を挙げて隊列を止める。
「何事で御座いましょうか」
と千常に聞く。
「望月に何事か有ったな」
 追い付いて来て、馬から飛び降りた郎等風の男。千常の馬の側に(ひざまづ)き、
「手前、望月貞義(もちづきさだよし)が郎等・小出昭義(こいであきよし)と申す者。足をお止めして申し訳御座いません」 
と言上する。
「何事か?」
と聞く千常に、
「舘が国府方の兵に取り囲まれております」
と答えた。
「我等が居ると思うてのことであろう。おらぬと言えば済むことであろう」
「恐れながら、平維茂(たいらのこれしもち)は、生易(なまやさ)しい男では御座いません。一度疑えば痛め付けてでも吐かそうとするに違いありません」
 郎等はそう必死に訴える。 
「見殺しには出来ません。兄上、戻りましょう」
 千方が言った。そして、
「やむを得ぬ。皆の者! 引き返すぞ。望月の舘が囲まれておる。助けに参るぞ。祖真紀の一党は前へ」
と命じる。疾駆して行くと、なるほど舘はしっかりと囲まれている。

 こちらは、信濃守(しなののかみ)平維茂(たいらのこれもち)。 
 守りを固めて出て来ない貞義に(ごう)を煮やして、火矢でも射掛けてやろうかと思っていた。その時、背後に馬蹄(ばてい)の響きを聞いた。
「後ろだ! 敵は後ろから来るぞ。備えよ」
と声を限りに叫んだ。
 兵達に動揺が走る。先程、正確な騎射で痛い目に()っている。今度は柵さえ無いのだ。動揺が恐怖心に変わった。
 その様子見て取った貞義が、門を開いて撃って出る。挟み撃ちにされた国府側は、たまらず、国衙(こくが)とは反対方向の南に向かって逃走した。
 戦わずして勝つことが出来た。
「これで、頼まずとも望月を味方に出来たな」
 逃げ去って行く国府軍を遠目で見ながら、千常が千方に言った。

 千方、千常、貞義が舘の中で顔を付き合わせている。
「巻き込んでしまったようですな」
 千常が貞義に言った。 
「いえ、やむを得ない成り行きでした。それよりも、お助け頂き有り難う御座いました」
「信濃も駆け抜けるつもりであったが、思わぬ抵抗を受けた。恐らくは上野(こうづけ)から、逸早(いちはや)く早馬が跳んだものと見える。直ぐに集められる人数で待ち伏せたのであろう。あんな柵まで用意していたとはな、平維茂(たいらのこれしげ)、油断のならぬ男じゃな」
「仰せの通り」
と貞義が応じる。
「処で」
と千方が口を挟んだ。
「我等を呼びに来た者は、良く抜け出せたものですな」
「囲まれる前、国府方がこちらに向かっているとの報せが入った段階で、直ぐに外に出しました」
「なるほど」
「維茂は今頃盛んに兵を集めていることでしょう。次は簡単には参らぬと思います」
 そう言って貞義は腕組みをし、眉根(まゆね)を寄せた。
「ご案じ召さるな。我等が率いて来ている祖真紀(そまき)一党の者達は、例え数倍の敵であっても戦える者達じゃ」
 千常は微笑んでそう言った。
「心強うは御座いますが、いつまで持ち(こた)えられましょうか」 
 貞義は尚も不安げである。
「六郎。話すしか有るまい」
 そう言って千常が千方を見た。
「貞義殿。お覚悟をお願いしたい」
 千方がそう切り出す。
「既にご承知のように、我等の私君(しくん)源高明(みなもとのたかあきら)様が摂関家(せっかんけ)の罠に()まり失脚し、我が家の長兄・千晴も、隠岐(おき)に流されました。摂関家は元々、忠平(ただひら)の時代より我が家を潰そうと虎視眈々(こしたんたん)と狙っております。父の用心深さと高明様のお力のお陰で今まで逃れて参りましたが、先帝の突然の崩御(ほうぎょ)以降摂関家が息を吹き替えし、高明様共々、兄も罠に(はま)まってしまいました。
 兄だけでは無く、次には我等も潰しに掛かって来ることでしょう。黙って潰される訳には参りません。摂関家がでっち上げた絵図は、高明様が為平親王(たみひらしんのう)を擁して東国に逃れ、謀叛を企てると言うものです。もちろんそんな(くわだ)てなど有りません。しかし、こうなったならば、その通りにやってやろうではないか。それが、我等の考えです」
 そう言って、千方は貞義の目を見詰めた。
「謀叛を起こそうと言うのですか!」
 貞義は驚いて声を上げる。
「摂関家はそう言うでしょう。しかし、我等が目指しているのは、朝堂(ちょうどう)から摂関家を排除し、高明様を始め兄達を都に戻して、為平親王様を皇太弟(こうたいてい)として(いただ)くと言うもの。(みかど)や朝廷に楯突くつもりなど毛頭有りません。だが、摂関家を排除する迄は、謀叛人、朝敵と呼ばれることになりますでしょう」
「軍も起こさず、この人数でそれをやろうと言うのですか?」
 貞義は『正気の沙汰では無い』とでも言いたげである。
下野(しもつけ)では、千国(ちくに)千種(ちたね)の兄達も兵を集めている処。将門(まさかど)も、もっと素早く動けば、承平の乱の結果は変わっていたと思う。朝廷は、討伐軍を整える迄に多くの日を費やさねばならぬ。その(いとま)を与えないことが肝要。将門は、素早く上洛しなかった為に、朝廷が様々な手を打つ時を与えてしまったと言うことです」
 そう言って千常が貞義を見詰める。
「我が家も下野藤原家も将門と戦った家柄ではありませんか」
 我らは元々朝敵を討った側ではないか、と貞義は言いたいのだ。朝敵と呼ばれることへの拘りが捨て切れない。
「確かにその通りですが、こたびは(つわもの)同士が戦うようなことにはしたく無いのです。(つわもの)同士が血を流して戦い、公卿(くぎょう )共は手も汚さず都でのうのうとしている、そんな戦いは御免だ。財と権力が無ければ、あの者達はひ弱で哀れな存在でしかないのです。その財と権力を振るう(いとま)を与えず、とどめを刺す。それが一番と思いませんか」
 貞義の迷いは振り切って置かなければならないと千方は強く思い、熱っぽく貞義に迫った。
「言うは易いが、なかなか、そう簡単には」
 貞義は溜息を突く。
「甲賀三郎殿のお力をお借り出来れば可能です。都の状況を報せて頂き、死角を突いて潜入します」
 甲賀三郎の力を借りる為には、貞義を完全に味方に付ける必要が有る。
「乗るしかありますまいな。その話に。甲賀の伯父には使いを立てましょう」
 貞義は改めて覚悟を決めたようだ。
(かたじけな)い」
 千方は明るく礼を言ったが、貞義の表情は暗かった。
「貞義殿。今の話だけでは不安で御座ろう。だが、我等には、別に秘策が御座る。まだ申し上げられませんが、それが上手く行けば、朝廷は震るえ上がることでしょう。麿は上手く行くと思っています」
と告げる。貞義は口元を引き締め、頷いた。
「信じましょう」
「もうひとつお願いが御座います」
 千方は、ここぞとばかり話を進める。
滋野(しげの)三家の結束ですな」
「はい」 
「それはお任せ下さい」
と、貞義はそれも引き受けた。

 滋野氏は『滋野』を(うじ)の名とする氏族で、信濃国(しなののくに)小県郡(ちいさがたごおり)に住んだ一族であり、(かばね)朝臣(あそん)である。
 承平八年(九百三十八年)、平将門(たいらのまさかど)に追われ東山道(とうさんどう)を京に脱出しようとした平貞盛(たいらのさだもり)が、二月二十九日に追撃してきた将門の軍勢百騎と信濃国分寺付近で戦った。このとき貞盛は、信濃国・海野古城(うんのこじょう)を拠点とする滋野氏の(もと)に立ち寄っており、滋野氏のみならず小県(ちいさがた)郡司・他田真樹(ただのまさき)らの信濃国衙(しなのこくが)の関係者達も貞盛に加勢したが将門軍に破れた。この当時の滋野氏は信濃国内の御牧(みまき)全体を統括する牧監(ぼっかん)であった。その一族である望月氏は、信濃国・佐久郡(さくごおり)・望月地方を発祥の地とする。
 正四位(しょうしい)・参議・滋野貞主(しげのただぬし)の嫡流・滋野為道(しげのためみち)の子・滋野則重(しげののりしげ)の孫・広重(ひろしげ)に始まるとされる。
 貞観(じょうがん)七年(八百六十五年)に、それまで八月二十九日に行っていた信濃国の貢馬(こうば)の『駒牽(こまひき)』の儀式を、満月(望月)の日八月十五日に改めた。この日に駒牽された貢馬を『望月の駒』と呼び、朝廷への貢馬の数が最も多かったのが、信濃御牧(しなののみまき)の牧監・滋野氏であり、信濃十六牧の筆頭『望月の駒』を継承した一族として望月の姓が与えられた。滋野三家は非常に緊密な一体感を持っており、様々な時代の流れの中でも一族が分かれ戦うことが非常に少なかったことでも知られている。

 信濃守の待ち伏せを受けたことは想定外であり、速攻作戦に支障を(きた)したことは確かだ。平維茂(たいらのこれしげ)は更に兵を募っていることだろう。しかし、滋野三家を味方に出来れば十分対抗出来る。また、時を費やすことになるが、下野(しもつけ)での徴兵や、陸奥(むつ)で安倍の挙兵を待つ方向に作戦を修正することは出来る。千方はそう考えた。朝廷が討伐軍を起こす為には、更に数倍の日数を要するはずである。

 翌日、朝早くから出掛けていた貞義が夕刻近くなって舘に戻った。千常に提供した居室を訪れ、千方も呼ばれた。
「根津、海野の助力を取り付けて参りました。ご安堵下さい」
 貞義は吹っ切れたような笑顔を見せた
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