第一章 第15話 密命 Ⅰ

文字数 7,519文字

 古能代(このしろ)二十七歳と成っていた或る日、国時(くにとき)がやって来て、
郎等(ろうとう)()で立ちにて、お舘に同道するように」
と皆に申し渡した。
「えっ? お舘に行けるのか?」
 高揚して支由威手(しゆいて)が聞いた。
「そうじゃ。名も大道国影(おおみちくにかげ)と名乗るのじゃ」
 忘れ掛けていた名であった。
『いよいよ、正式な郎等として認められるのか』と思った。
「何の為のお()し出しで御座るか?」 
 そう聞いたのは古能代(このしろ)だ。
「言うても(なれ)達には分かるまい。殿はこの度、天下の謀叛人をお討ち()さる決意を固められた。今はそれ以上の詮索は無用じゃ」
「謀叛人? 名は?」
と古能代が聞く。
平将門(たいらのまさかど)
 国時は短くそれだけ答えた。確かに、世間とは隔絶された環境に在る古能代(このしろ)らに取っては知らぬ名であった。

 山を降り、舘への道を辿る。兵の招集や糧秣(りょうまつ)の調達の為に走り廻る郎等達。農夫達や女達がそこここに、三人、五人と集まり何やら話し合っており、戦を前にして、騒然とした雰囲気が町中に漂っている。
 見たことも無い大きな建物。張り巡らされた築地塀(ついじべい)。数え切れないほどの人の波。五人は馬上からきょろきょろと辺りを見回しながら進んだ。さすがの古能代(このしろ)といえどもその例外では無かった。五人は舘近くの郎等長屋に連れて行かれたが、四人をそこで待たせ、国時(くにとき)古能代(このしろ)のみを伴って舘に向かった。

 裏口から入ると、
「ここで暫し待て」
と言い残し、国時(くにとき)は戻って行った。
 古能代(このしろ)は辺りを見回した。張り巡らされた築地塀(ついじべい)。その外に見える数々の(いらか)(さと)とは全く違う世界だ。

 ふいに、奥から立派な身形(みなり)をした五十代と見える男が現れた。太い泥鰌髭(どじょうひげ)を蓄えている。会ったことは無かったが、それが秀郷(ひでさと)であることは古能代(このしろ)にはすぐに分かった。座って左膝を突き、右の(こぶし)を地に突いて(こうべ)を垂れる。
(おもて)を上げよ」
 頭上から秀郷(ひでさと)の声が響いた。古能代(このしろ)が顔を上げると、茫洋とした雰囲気を漂わせた秀郷(ひでさと)古能代(このしろ)を見ている。
 だが、いつまで待ってもそれ以上の言葉は無い。泥鰌髭の男は、黙って古能代を見ているだけだ。思い切って自分から声を掛けた。
「殿とお見受け致します。始めて御意(ぎょい)を得ます。大道古能代(おおみちこのしろ)と申します。お見知り置きを……」
「ふん。なかなか(さま)になっておるな」
 笑顔を見せて、始めて秀郷が言葉を発した。
「恐れ入ります」
と古能代が頭を下げる。
「それに、中々の面構(つらがま)え。…… 国時(くにとき)から聞き及んでおろうが、この度、平将門(たいらのまさかど)と言う謀叛人を討つことにした。その(いくさ)に加わって貰う」
 秀郷がそう続ける。
「有り(がた)仕合(しあわ)せ」
 古能代に取って本格的な戦に加われると言うのは望むところだ。盗賊狩りばかりの毎日には少々退屈を感じていたのだ。
「そのほうらは、信濃(しなの)より駆け付けてくれる望月兼家(もちづきかねいえ)殿の隊に付けることにする」 
と秀郷が告げる。
「ははっ」
と返事をしたが、国時(くにとき)を通して下知(げじ)すれば済むことを、なぜ、わざわざ秀郷(ひでさと)自ら命じる必要が有るのかと思った。
 古能代(このしろ)の心を読んででもいるかのように秀郷(ひでさと)が続けた。
「じゃがな、それは表向きのこと。そのほうに特に命じることが有る。しかと承れ」
 秀郷の表情が厳しいものに変わった。
「はっ」
古能代(このしろ)に緊張が走る。
「麿は、こたびの(いくさ)で、謀叛人平将門(たいらのまさかど)と言う男を討つ。勝算は十分に有るし、その為の準備も抜かり無い。だがな、(いくさ)とは何が起こるか分からぬものじゃ。現に、負ける筈の無い(いくさ)に敗れて滅び去った者もおる。もし、万一我等が崩れ去り、或いは敗れた時、やり方は問わぬ。何としてでも将門(まさかど)を殺せ。それが(めい)じゃ。この(めい)を果たすまでは、無意味な討死(うちじに)は許さん。必要なら、途中で望月(もちづき)殿の陣を抜けるも勝手。それについては望月(もちづき)殿にも話して置く。……出来るか?」
と尋ねる。
「はっ、しかと承りました」
と返事した古能代(このしろ)は、秀郷(ひでさと)が引き上げるか、或いは次の言葉が有るのかと下を向いたまま待っていた。秀郷(ひでさと)は、また暫く黙って古能代(このしろ)の様子を見ている。

 秀郷(ひでさと)がもう引き上げたかと思って古能代(このしろ)が顔を上げると目が合った。
「但し、手柄は望むな」
 古能代の視線を確かめて、秀郷がそう付け加える。
「はっ?」
と返事したが、古能代にはその言葉の意味が分からなかった。
「例え首尾(しゅび)良く将門(まさかど)を討ち取ったとしても、その手柄は(しか)るべき者のものとなる。そのほうの手柄とはならんということじゃ。…… どうじゃ、やる気が()えたか?」
 射込むように秀郷が古能代を見詰める。正直、気持は()えた。『しかし、考えてみれば、朝廷にその存在を隠し続けている蝦夷(えみし)(さと)の者の手柄を報告する訳には行くまい。所詮、我等はそんな者達なのだ』そう納得した。
「委細承知」
と答える。
「参れ!」
 秀郷(ひでさと)が奥に向かってそう声を掛けた。出て来たのは、髭剃(ひげそ)り後の濃い、古能代(このしろ)より幾つか年下に見える若者だった。 
「五男の千常(ちつね)じゃ」
 秀郷(ひでさと)が言った。
大道古能代(おおみちこのしろ)に御座います」
 千常に古能代が挨拶する。千常は「うん」という言葉だけで答えた。
「手柄として朝廷に報告することは無くとも、そのことは麿が覚えておる。そして、もし麿に万一のことが有った時には、この千常が引き継ぐ。どうじゃ?」
と秀郷が古能代に迫った。
 何一つ具体的な恩賞を約束する言葉では無い。秀郷(ひでさと)自身からの恩賞として、所領や身分を与えることをちらつかせることは幾らでも出来る筈だ。後から惜しくなれば、秀郷(ひでさと)の立場であれば、(とぼ)けることも出来る。それを敢えて言わず『信じるか?』と言っているのだ。やる価値は有りそうだと思った。
「有り(がた)き仕合せ。身命を賭して、その(めい)に報じる所存に御座います」
「そうか」と秀郷が満足気に頷き「下がって良い」と古能代に告げた。
「はっ」
と返事をし頭を下げた後、中腰、後退りで裏口に通じる路まで下がってから、古能代が出口の方に向き直る。


 将門(まさかど)との最終決戦となった北山の戦いが始まろうとしていた。

「軍使として将門(まさかど)(もと)に参ってくれ。『まだ陣立(じんだて)が整わぬゆえ、整うまで待って欲しい』と伝えよ」
秀郷(ひでさと)古能代(このしろ)に命じた。言葉はそれだけであったが、古能代(このしろ)に向けられた秀郷(ひでさと)の目は、『将門の面体(めんてい)風貌、しかと目に焼き着けて参れ』と言っていた。

 北山を登りながら古能代(このしろ)は思った。将門(まさかど)()るどころか、吾は間も無く死ぬことになるのではないか? 秀郷(ひでさと)は『将門(まさかど)はそんな男では無い』と言っていたが、例えば、郎等のひとりが興奮しただけでも殺される可能性は有る。恐ろしく無いと言えば嘘になるが、それは心の持ち様で抑えられる。だが、ここで死ぬことには悔いが残る。父親への憎しみだけを抱いて、何も信じず、何も目指さず、ただ心の(おもむ)くままに生きて来たことに悔いが残る。

 五年前、山賊の手から救って貰った出来事以来、父への憎しみは徐々に薄れて来ていた。だが、心を一杯に満たしていた憎しみが薄れると共に、心の隙間が広がって行った。
 (さと)を出たかったというだけで今ここに居るが、他の者達のように『郎等になりたい』と強く望んでいる訳では無い。ならば、何の為に生きるか、何を目指して行けば良いのか、それが全く無い。だから、死ぬことへの恐怖もそれほど大きく無いのかも知れない。
 だが、古能代(このしろ)の心に(とげ)のように刺さっている事がひとつ有った。もしあの時、支由威手(しゆいて)達が賛成していれば、(さと)が滅ぼされることも承知の上で、国時(くにとき)を殺して出奔(しゅっぽん)し、盗賊になろうと本気で考えたことだ。父・祖真紀(そまき)ばかりでは無く、(さと)の者達全てが殺されても構わぬと思ったのだ。その底知れぬ冷たさが己の心の奥底に有ることに、今は恐怖を感じている。やはり、父の子だ。吾も狂っていたのかも知れない。そう思った。支由威手(しゆいて)達四人の普通の若者達の当然の判断が吾を救ってくれた。そう思うと彼等への感謝の気持ちも湧いて来ていた。あの者達の夢を叶えてやりたい。その想いが、心の隙間をわずかに埋めてくれた。だから、将門(まさかど)の暗殺を引き受けた。己自身に対する褒美など本心から望んではいなかった。

 五~六人の武将格の者が床几(しょうぎ)に腰を降ろし、その周りを二十人ほどの武者が立ったまま取り囲んでいる。数を読まれぬ為か、他の兵達は木々の間や反対側の斜面に身を隠すように待機している。将達の後ろでは、将門(まさかど)の旗印である『繋ぎ馬』を描いた(のぼり)や旗が何本も激しく風にはためいており、全ての厳しい視線が登って来る古能代(このしろ)一人に注がれていた。弓を構えて古能代(このしろ)に向ける者は居なかったが、立っている武者達の(すべ)てが、左手でしっかりと太刀の(さや)を掴み、いつでも抜ける体勢を取っている。

 頂上に着くと古能代(このしろ)は軽く立礼し、すぐさま腰を落として左膝を突き、右の(こぶし)を突いて口上を述べた。
御大将(おんたいしょう)平将門(たいらのまさかど)殿に、(あるじ)下野(しもつけ)押領使(おうりょうし)藤原秀郷(ふじわらのひでさと)より申し遣って参りました口上を申し上げます」
その時「待て、下郎(げろう)」と甲高い声が響いた。
(みかど)御名(おんな)を口にすること、(まか)りならん! 口上は麿が聞く」
 そう言って立ち上がったのは、何とも言えぬ風体(ふうてい)の男だった。
 派手な緋縅(ひおどし)(よろい)の脇から萌葱色(もえぎいろ)の長い袖を垂らしている。(かぶと)ではなく立て烏帽子(たてえぼし)を被り、顔は女のように白粉(おしろい)を塗った上に、(ひたい)には短い眉を描き、唇には紅まで引いている。口を開くと黒く塗られた歯が、白い顔の中に不気味に浮かび上がる。公家(くげ)など見たことも無い古能代(このしろ)は『なんだこの化け物は!』と思った。もし、化け物で無かったとしても、こんな格好で戦場に出て来る奴は狂人に違いないと思った。
「どうした。苦しゅう無い。麿への直答(じきとう)許す」
 他に誰も声を掛けては来ない。仕方が無い。どうせ皆に聞こえるのだからと思い直して、古能代(このしろ)は続けた。
「誠に見苦しきことながら、我が軍には(いま)だ陣形が整わず、正々堂々の戦いまで(しば)しのご猶予を賜りたいとの(あるじ)からの申し出に御座います」
と一気に述べる。
「ふ、何と? 陣形が整わぬと? 秀郷(ひでさと)無様(ぶざま)よのう。ほっ、ほっほっほ」
 可笑しくて仕方が無いと言う風に笑いながら見下す態度に、古能代は、飛び掛かって首を刎ねたいと言う衝動を必死に抑えていた。
「はっ、はっはっはっ。これぞ天佑神助(てんゆうしんじょ)。こ奴を斬り殺し、今、すぐ総攻撃を掛けましょうぞ!」
 立ち上がった武将のひとりがそう叫んだ。
「待て! 忘れたか、宮(現・宇都宮)での戦いの折、秀郷(ひでさと)の罠にまんまと(はま)ったことを…… 秀郷(ひでさと)は大狸じゃ、わざわざ『陣形が整わぬ』などと(しら)せて来る処をみると罠に違いない」
 もうひとりの武将がそう制する。
「何を言うておる。(いくさ)は機が大事だ。幻影に怯えて機を逃すようなことが有ってはならん!」
と言い争いになる。
 その時、中央に座っていた将が突然立ち上がった。そして、
「例え罠であったとしても、蹴散(けち)らして見せよう。だがな、麿は小狡(こずる)(いくさ)はせぬ! 暫し待つ。戻って秀郷(ひでさと)に早々に陣を敷けと申し伝えよ」
と言い放って来た。
『これが将門(まさかど)か』と古能代(このしろ)は思った。大男である。引き締まった体に沢瀉威(おもだかおどし)(よろい)を着け、(かぶと)の下に見える顔は浅黒い。勇猛そうでありながら、どこか影のある顔。その姿を古能代(このしろ)は、しっかりと目に(きざ)み付けた。

 戻った古能代(このしろ)は、次第(しだい)秀郷(ひてさと)に報告すると、望月兼家(もちづきかねいえ)の陣に合流した。兼家(かねいえ)とは既に宮の戦いの前日に対面を済ませていた。
「首尾はいかがであった?」
 兼家が問う。
「上々に御座います」
将門(まさかど)は自分にどこか似ている』と感じた古能代(このしろ)であったが、さすがにそれは言わなかった。
「中々の者と見ました」
とだけ告げる。
「そうか」 
 兼家(かねいえ)は、遥かな山上を仰ぎ見た。

 やがて、将門(まさかど)の総攻撃が始まった。本陣から見るその突進は凄まじいものだった。
「いかん! 左翼が破られる」 
 将門(まさかど)が右に大きく旋回した時、兼家が叫んだ。秀郷(ひでさと)の方を見るが、突撃命令はまだ出ていない。
為憲(ためのり)の隊が踏ん張って押し返すことを期待しているのだろうか?』 
 そう思っている間に爲憲(ためのり)の隊が大きく割れて、将門(まさかど)はその隙間を突き抜けて行ってしまった。
 その時、秀郷(ひでさと)の手が上がった。
「行け~!」
 古能代(このしろ)達五人は、まるで親衛隊のように兼家(かねいえ)を取り囲み、左翼に向かって駆けた。
 左翼に着く頃には既に兵達の逃亡が始まっており、折り返して来た将門(まさかど)軍も含めて前線は大変な混乱状態となっていた。
 逃亡兵を避けるように迂回し、兼家(かねいえ)の遊撃隊は将門(まさかど)軍を追った。目指すは将門(まさかど)唯ひとり。だが、追い着くと屈強な郎等達が次々に襲い掛かって来る。古能代(このしろ)達と兼家(かねいえ)の郎等達は、それを払い退()けながら兼家(かねいえ)の進む道を確保して行く。
「あの白塗りの化け物が居たら、ついでに叩き斬ってやる!」
 古能代(このしろ)はそう思っっていたが、ただでさえ目立つ筈のその姿は、乱軍の中には見出(みいだ)せなかった。
 その時、手斧(ておの)を振るいながら、味方の武者を次々と馬上から叩き落として行くひとりの大柄な武将の姿が古能代(このしろ)の目に入った。
『あの沢瀉威(おもだかおどし)(よろい)将門(まさかど)に間違い無い』咄嗟にその方向に馬首を巡らし駆け寄ろうとしたが『待て、殿は遠方より駆け付けてくれた兼家(かねいえ)様に手柄を立てさせようと思っているに違い無い。吾の出番は、味方が敗走した場合のみだ』と思い直した。
「兼家様! あれが将門(まさかど)で御座います」
 太刀で将門(まさかど)を指して叫んだ。
「おう! 良くぞ見分けてくれた。礼を申すぞ」
 兼家(かねいえ)将門(まさかど)目指して突進して行く。古能代(このしろ)達はその道を開けるべく戦う。
 追い付いた時、将門(まさかど)兼家(かねいえ)の頭目掛けてビュッという短く鋭い音と共に、手斧(ておの)を右から左に大きく振るって来た。兼家(かねいえ)は、咄嗟に馬の背に伏せてそれを(かわ)し、下から将門(まさかど)喉元(のどもと)目掛けて突いて出た。将門(まさかど)は辛くもそれを(かわ)した。馬が行き違い、再び向かい会う。その間、周りでは、古能代(このしろ)達と将門(まさかど)の郎等達の争いが続いている。
「何者じゃ!」
 将門(まさかど)が叫んだ。
諏訪三郎(すわのさぶろう)望月兼家(もちづきかねいえ)と申す。縁有って藤原秀郷(ふじわらのひでさと)殿に与力(よりき)しておる者。敵将・平将門(たいらのまさかど)殿と見て推参(すいさん)致した」
と名乗りを上げる。
小癪(こしゃく)な。信濃(しなの)くんだりから坂東まで、わざわざ命捨てに参ったか?」
 将門は兼家を見据えて威嚇する。
「謀叛人・平将門(たいらのまさかど)! その首、頂戴致す」
 兼家はそう叫んで馬の腹を蹴った。
「なに~っ。(ちん)は新たなる(みかど)たる者ぞ。その言葉、聞き捨てならん! 成敗してくれるわ!」
 将門(まさかど)も手斧を大きく振り上げて突進して来た。この将門(まさかど)の手斧を頭上から喰らったら、太刀では受け止め切れない。
 その時、古能代(このしろ)が何かを将門(まさかど)目掛けて投げ付けた。古能代(このしろ)自身も戦いの隙を見て投げたものだったので当たりはしなかったのだが、それを避ける為に身を退()いた為、一瞬、振り下ろす将門(まさかど)の手が止まった。その(すき)兼家(かねいえ)が先に将門(まさかど)に討ち掛かっていた。だが、将門(まさかど)が身を反らせたので、兼家(かねいえ)の太刀は将門(まさかど)(かぶと)(ふち)を強く叩くこととなった。
 もし真面(まとも)に脳天に打ち降ろしていたなら、太刀が折れたかも知れない。
 明らかに、将門(まさかど)(かぶと)の位置が前にずれた。周りで戦っていた将門(まさかど)の郎等達が強引に両者の間に割り込んで来た。眉庇(まびさし)を左手で持って(かぶと)の位置を直した将門(まさかど)が、 
「北山に戻せ~!」と叫ぶ。
 将門(まさかど)軍は雑兵(ぞうひょう)を蹴散らしながら、一旦、北山に向かって引き揚げて行った。

 体勢を整えた後、将門(まさかど)の再度の突撃が始まり、秀郷(ひでさと)らの連合軍が崩壊すると、古能代(このしろ)達は望月兼家(もちづきかねいえ)(もと)を離脱し、本体とは離れて逃走した。
 古能代(このしろ)秀郷(ひでさと)を常に視界に捕え、且つ、距離を取って走った。
 暫く駆けた後、秀郷(ひでさと)が気付く少し前に、古能代(このしろ)は、風が変わったことに気付いた。
「待て、(ゆる)めよ」
 五人は速度を落とした。風が変われば反撃が始まる。将門軍は秀郷(ひでさと)しか目に入っていない。手を分けて、こちらを襲って来る可能性は少ないだろう。そう判断した古能代(このしろ)は、走りながら(くら)に結び付けていた短弓を外した。
 間も無く、風が変わったことに秀郷(ひでさと)が気付いたのか、逃げていた秀郷(ひでさと)軍は馬を止め、反撃に移った。
  
 将門(まさかど)軍も急停止し応戦したが、秀郷(ひでさと)軍有利である。だが、すぐに矢合戦(やがっせん)()み、(ののし)り合いが始まる。少しの間、様子を見ていた古能代(このしろ)は弓に矢を(つが)えた。他の者もそれに(なら)おうとしたが、
「待て! 見ておれ」
古能代(このしろ)が制した。

 時を同じくして、将門(まさかど)軍と対峙(たいじ)している連合軍の秀郷(ひでさと)の隣にいた貞盛(さだもり)が、
「我が父・国香(くにか)を討ったこと忘れたか! 己を討つこの日の為に、命、永らえて来た。父の無念も我が恥辱も今こそ晴らしてくれるわ!」
と言うなり、弓を引き絞っていた。
 貞盛(さだもり)古能代(このしろ)。二人の矢は、ほぼ同時に放たれた。
 将門(まさかど)貞盛(さだもり)の矢を太刀で払ったが、距離の遠い分少し遅れて届いた古能代(このしろ)の矢が左の米噛(こめか)みに突き刺さった。
 落馬した将門を郎等達が取り囲む。その殆どが射殺(いころ)され、将門(まさかど)軍が敗走に移った時、秀郷(ひでさと)が素早く将門(まさかど)の遺骸に駆け寄った。
「皆、聞け~っ! 謀叛人・平将門(たいらのまさかど)は、左馬允(さまのじょう)平朝臣(たいらのあそん)太郎貞盛(たろうさだもり)殿が射落とし、下野押領使(しもつけのおうりょうし)この藤原朝臣(ふじわらのあそん)太郎秀郷(たろうひでさと)が首討った」
 その秀郷(ひでさと)の叫びは、辛うじて古能代(このしろ)達の耳にも届いた。
「当たったのは兄者の矢であろう!」
 支由威手(しゆいて)が叫んだ。
「黙れ! 当たったのは貞盛(さだもり)様の矢だ。余計なことは言うな」
支由威手(しゆいて)を制す。
「いや、吾は見ていた。あれは兄者の矢だ。この場所からといえど、兄者が外す筈が無い」
支由威手(しゆいて)が尚も言い張る。
「そうだ。吾もそう思う」 
 沙記室(さきむろ)支由威手(しゆいて)に同調して言った。
「…… (なれ)達が貰った名には、すべて『影』と言う文字が入っているだろう。我等は影なのだ。()は影を作る者に当たる。影自身に()が当たれば、影はたちまち消え去る。我等は大和(やまと)の世で()の光を浴びてはならんのだ」
 古能代が独り言のように言う。
「だが、それでは、我等、余りに損と言うものだろう」
 支由威手(しゆいて)は納得出来ない様子だ。
「古老から伊治公呰麻呂(これはるのきみあざまろ)の話を聞いたことは無いか?」
支由威手(しゆいて)に古能代が尋ねた。
「いや、知らん」
「昔、蝦夷(えみし)でありながら、大和(やまと)より外従五位下(げじゅごいのげ)という(くらい)を貰い、伊治郡大領(これはるごおりのたいりょう)という地位に就いた男だ。…… どうなったと思う?」
支由威手(しゆいて)に聞く。
「分からん」
支由威手(しゆいて)は首を横に振った。
蝦夷(えみし)(さげす)む周りの目に耐え切れず、上司を殺して反乱を起こした」
 支由威手(しゆいて)は古能代を見詰めたが、暫し言葉を出さなかった。やがて、
「…… でどうなった?」
と聞いた。
呰麻呂(あざまろ)がどうなったかは分からん。だが、それは、日高見民(ひたかみのたみ)大和(やまと)が更に強く圧迫する為の口実となり、大和(やまと)蝦夷(えみし)との、長く激しい(いくさ)の前触れとなったということだ」
「だから、手柄を立てても、他人(ひと)に譲らねばならんのか?」
 そう支由威手(しゆいて)が尋ねる。
「いや、貰うものは貰う。それだけは、この命に賭けて誓う。だが、それは、大和(やまと)の者達が喜ぶような恩賞のことでは無い。信じろ。そして、このこと、口外(こうがい)するな」
 そう言って、古能代は仲間達を見回した。
古能代(このしろ)がここまで言っているのだ。支由威手(しゆいて)、信じようではないか」
 沙記室(さきむろ)が、そう支由威手(しゆいて)を促した。
「分かった。兄者、兄者の言う通りにしよう」
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