第五章 第3話 忠頼の想い
文字数 5,813文字
安和二年(九百六十九年)四月九日は西暦では四月二十八日に当たる。雪解け水が急流となって、川ばかりでは無く澤や街道の溝をも激しく流れ下っている。まだ冷たく頬に張り付く空気の中、柔らかな陽の光を浴びて祖真紀と犬丸は胆沢に向かっている。
祖真紀に取って久し振りの陸奥ではあるが、感傷に浸る余裕は無い。安倍忠頼を口説き落として、決起を促さなければならない。失敗すれば下野藤原家が滅亡することになるだろう。
確かに、忠頼は大和朝廷に支配されることのない蝦夷の国・日高見国を造ることを夢見ている。だが、実質的には既に自治を実現しており、面從腹背で実力を蓄えることに専念しているのだ。いきなり言われて、今、立つだろうか? 立つべき理由、今でなければならない理由をどう説くか、胆沢を目の前にした今も、祖真紀の中でそれがまだ定まっていない。
事が成就すれば、忠頼を陸奥守、若しくは鎮守府将軍に任じて貰うよう千晴を通じて高明に強く働き掛けるつもり、と千方は言った。実質的な自治を確保しているとは言っても、国府や鎮守府の役人達からは、俘囚と呼ばれて蔑まれている。忍耐していることも多い筈だ。国司として公的な管理者の立場に立てるとすれば、蝦夷に取って、権利の面だけでは無く心持ちの上でも魅力的な話ではある筈だ。だが、これは千方の想いであり、高明の約束では無い。事が成就して、高明が復権しなければ、ただの絵空事でしか無い。どれ程の説得力を持つだろうかと不安が過る。忠頼が千方を信じ、千方に賭けてみようと思ってくれること。それしか無いと祖真紀は思った。
一ノ関を越え、衣川を見渡せる辺りまで来ると、流れが二俣に別れる先に集落が見える。川向こうには手前に田畑が広がり、奥の山沿いに竪穴住居の屋根が連なっている。山々の手前には、三十丈(九十メートル)ほどの小山がひとつ有り、頂上に繁る木々の間から、そこに舘が在るのが見て取れる。衣川安倍舘(現・奥州市衣川区石神)である。
館の有る小山の背後から西に掛けては深い山が連なっている。安倍忠頼が築いた山上の舘だ。衣川が天然の堀の役割を果たし、南からの敵に対しては、恰かも堀に囲まれた後世の山城のような防御の固さを見せている。国府である多賀城から兵を出しても、そう簡単には攻め切れないだろう。だが、蝦夷を管理する為に置かれた胆沢城は安倍舘から見て地続きの北(現・岩手県奥州市水沢区佐倉河字九蔵田)に有る。
延暦二十一年(八百二年)、坂上田村麻呂に寄って胆沢城が造営されると、多賀城から胆沢城へと鎮守府が移された。この移転頃から機構整備も積極的に進められ、その後鎮守府の定員は、将軍一名、軍監一名、軍曹二名、医師、弩師(弩の射撃技術にすぐれ、それを兵士に教える者)各一名と定められた。移転後の鎮守府は、多賀城に有る陸奥国府と併存した形でいわば第二の国府のような役割を担い、胆沢の地(現・岩手県南部一帯)を治めていた。
元来、鎮守将軍は、陸奥国と出羽国の両国に駐屯する兵士を指揮し、平時に於ける只一人の将軍として両国の北方に居た蝦夷と対峙し両国の防衛を統括した。管轄地域の一部を同じくする陸奥守や陸奥按察使が鎮守将軍を兼ね、政軍両権を併せることも屡々あった。
この頃の鎮守府の性格は平常時での統治であり、非常時の征討では無くなっている。更にこの後、陸奥鎮守府は一旦実質的に機能しなくなって行くのだ。そんな状況で、北に鎮守府、南に国府・多賀城と朝廷の行政府に挟まれてはいるが、忠頼は窮屈さなど微塵も感じてはいない。むしろ、安倍に多賀城への路を塞がれることを恐れているのは鎮守府の方だった。
この時の鎮守府将軍は、藤原文信である。蝦夷は安倍が抑えているので、騒動の鎮圧に当たることはほぼ無い。安倍自身が鎮守府に逆らうような素振りが無いか。不満を溜め込んでいる様子は無いかなど観察することが大きな仕事となっている。今の鎮守府の兵力では、安倍が本気で反乱を起こしたりしたら、とても防げない。多賀城から応援が来る前に鎮守府が滅んでしまうと言うような事態さえ考えられるのだ。かと言って蝦夷に対して、下手に出る訳には行かない。朝廷の出先である以上、威厳を持って上から接しなければならない。文信はそう考えていた。
衣川(南股川)の堤に着くと、祖真紀は、馬上から大きく両手を振った。事前に連絡を取っている訳では無い。そちらに渡りたい者だと言う意思表示をしているに過ぎない。
小山の上に安倍舘を建てた頃、忠頼は衣川に浮き橋を作った。小舟を縄でしっかりと繋ぎ、その上に丸太を並べた橋である。敵が現れた時には縄を切って流してしまう。ただ、手前で切り離してしまうと舟が敵方に渡ってしまうので、対岸まで行ってそこを切り離さなければならない。浮き橋は、和歌でも有名な『佐野の浮き橋』の話を千方から聞いた忠頼が、それを元に作ったものである。馬が恐がらないように注意しながら、祖真紀と犬丸は浮き橋を渡った。
「おお、これは、古能代様、いや、今は祖真紀様でしたな。良うお出でなさった」
祖真紀を認めると、顔見知りの安倍の郎等が声を上げた。そして、
「お館様にお知らせして参れ」
と、もうひとりの郎等に向かって指示する。言われた郎等は、馬に飛び乗って走り去って行く。
「義兄上、良う参られた」
広間で祖真紀らと対した忠頼が、そう言った後二人を見回す。
千方と同行してこの家に滞在した後祖真紀は、下野の郷の若者達数人ずつを連れて数度この館を訪れている。その際、犬丸も同行していた。
下野の隠れ郷は、数代に渡り狭い郷の中での婚姻が繰り返されて来た為、血に悪い影響が出て来ていると考え、祖真紀を継いだ後、他からの血を入れようと、忠頼に頼み込んで若者を預かって貰っているのだ。下野に妻を連れ帰った者も居るし、そのままここに留まって忠頼の郎等の婿に成った者も居る。この試みは、いわば留学のような役割も果たしており、安倍式の兵の鍛練法を体験したり、戦法を学んだりすると言う点でも、下野の郷に利益を齎している。
祖真紀と犬丸の二人だけなのを見て、忠頼は、今回の来訪の目的は何なのかと思った。
「郷の者共がお世話になっており感謝しております。それから、小鷺も子らも健やかに暮らしておりますゆえご安心を」
と、祖真紀が忠頼に挨拶する。
「姉上もご健勝ですか。それは何より。日高も高見も大きくなっているでありましょうな」
和やかな笑顔を見せて、忠頼が応じる。
「日高丸はこの度、六郎様の許で初陣を果たしております」
祖真紀がそう報告した。
「初陣?」
忠頼は少し驚いたようだ。
「はい。どこ迄ご存知かは分かりませんが、この度、朝廷では大きな動きが有りました」
「実頼様が関白に成られたそうですな」
その情報は伝わっているようだ。
「はい。問題はその後で、下野藤原家の浮沈に関わる事態に発展したのです」
祖真紀がそう話し始めた。
「ふん」
と、忠頼が身を乗り出す。
「六郎様の兄上・千晴様が私君と仰ぐ左大臣・源高明様が、摂関家の罠に嵌まって失脚し、千晴様も濡れ衣を着せられて捕縛されました」
聞いた忠頼の表情が険しくなる。
「それは、容易ならざる事態で。確か、千方様も都に居らしたと聞いていましたが」
と千方の身を案じる。
「六郎様はご無事です。寸前に都を脱出し、下野に戻られました」
頷いた忠頼は、この場で聞く話では無いと判断した。
「義兄上、この場では何だ。続きは我が居室で伺いましょう」
祖真紀も、居並ぶ郎等達の人払いを頼もうと思っていた処だった。
「こたびのご来訪の目的は、大凡察しが付きました」
居室で祖真紀と二人のみ対した忠頼は、そう切り出した。
「下野に戻られた六郎様は、二百ほどの郎等を率い、直ぐさま千晴様の救出の為都に向かわれました。下野では兵を募っており、兵が集まり次第都に向けて進撃する予定です。朝廷、つまりは摂関家ですが、その準備が整う前に事を決しようと言うことです。しかし、摂関家の誘いに乗った者達が敵に回れば、事は難しくなります」
少し乗り出していた身を、忠頼が引いた。
「そこで、我らにも決起して欲しいと言うことですか?」
と祖真紀に尋ねる。
「仰せの通りです。突然で無理なお願いとは思いますが、ご支援を得られるかどうかが、下野藤原の存亡を決めると言っても過言ではありません」
忠頼は腕組みをし、目を閉じた。三つ数える間ほどの間を空けた後、目を開けると、
「義兄上もご承知の通り、なるほど、吾の究極の想いは日高見国を作ることにあります。その為に、いつ大和と手切れになっても対応出来る態勢を作り上げようと心掛けて来ました。鎮守府は直ぐにでも占領出来るでしょう。多賀城も攻め落とす自信は有ります。『陸奥のことは、陸奥で処理するように』と言うのが、今の朝廷の方針ですから、それは、我等に取っては好都合と言えます。ですが、厄介なのは朝廷のもうひとつの基本方針である『夷を以て夷を征す』と言うものです。今の吾が動かすことが出来るのは、奥六郡、すなわち、胆沢、江刺、和賀、紫波、稗貫、岩手の六郡(現・岩手県奥州市から盛岡市に掛けての地域に当たる)の蝦夷のみです。北に付いては徐々に手を広げており、津軽、下北辺り迄、遠からず我等に従うことになるでしょう。だが、問題は西と南に有ります。
出羽で力を持っている清原。この清原が国府方に着けば面倒なことになる。また、蝦夷では無いが、会津には僧兵数千を抱える慧日寺と言う勢力が有ります。これまた敵に回すと面倒なことになる。だが、朝廷がこれらを取り込むには時が掛かるでしょう。一気に南下してしまえば、突破は出来るだろうが、特に清原に背後を衝かれるのは危険です。だから、清原と折り合いを付けるまでは、迂闊に事を起こせぬと思っています」
「やはり無理で御座るか」
祖真紀の表情に苦悩の色が浮かぶ。ここで鎮守府将軍や陸奥守に任じる意向が有るなどと切り出すのは、忠頼を軽く見ていると言う印象を与えるだけで、何の効果も生まないだろうと祖真紀は思った。かと言って、千方が大きな期待を持って任せてくれた策が『駄目でした』と言って帰る訳には行かない。祖真紀は暫く次の言葉を出せなかった。
「義兄上。千方様はどんな条件を出されたのですか? 条件も無しに、ただ説き伏せろと申された訳では御座いますまい」
逆に忠頼に聞かれた。
「確かに」
そう言って祖真紀が頷く。そして、こう続けた。
「……ですが、それで忠頼殿を説得出来るとは正直思っていなかった。高明様と千晴様を救出し、高明様が左大臣に返り咲き、為平親王様が東宮と成られた暁には、忠頼殿を陸奥守若しくは鎮守府将軍に任じて頂くよう、千晴様を通じて高明様に願い出ると言うものです。全てはタラレバ。つまりは何の裏付けも無い条件です」
祖真紀が力無く笑う。
「ふふっ」
と忠頼も笑った。
「六郎様のお気持ちに嘘が有るとは思いませんが、実に雲を掴むような話ですな」
「確かに」
祖真紀は観念したように目を閉じる。
「下野藤原の窮状を知った時は、何としても忠頼殿を説得すると意気込んだ。だが、この地に向かう徒然考えてみたが、忠頼殿の立場を考えれば、こちらの都合を押し付けるような事も出来ぬような気がして来ていたのだ。……かと言って、|下野藤原が滅びるのをただ見ている訳にも行かん……。どうしたものか正直分からんのよ」
祖真紀に近寄って、忠頼は肩に手を掛けた。
「軍を起こすことは出来ませんが、かと言って、姉上を悲しませる訳にも参りません」
そう言って、忠頼が覗き込むように祖真紀を見た。
「うん? どう言うことか?」
「六郎様の命を果たせず、下野藤原が滅ぶ事になると考え、義兄上は自ら命を絶つおつもりでは無いのですか?」
忠頼がそう指摘した。
「死ぬ時は戦って死ぬ。自害などはせぬ」
祖真紀は、忠頼の思い過ごしと即座に否定した。
「義兄上。義兄上の主であり、十五の頃にここに滞在したことの有る六郎様を、吾は見捨てるような真似は致しません。今の朝廷に、昔のように我等蝦夷との全面戦争を戦う余力も気力も有りますまい。また、仮にその気に成ったとしても、五万、十万の軍を送るには五年や六年の時を要す筈です。六郎様はそう読まれた。それは分かります。要は、我等が蜂起すると朝廷に思わせれば良いのではないでしょうか」
「どうやって?」
と、祖真紀が問い返す。
「我等が蜂起すると言う報せが入れば、朝廷は慌てるでしょう」
「確かに。……しかし、どうやって」
「実際に蜂起せずとも、我らが蜂起すると思わせる事は出来ます。兵を募ったり、糧食を備蓄したり、鎮守府にその情報が漏れるよう、せいぜい派手にやります。鎮守府が多賀城の国府に報せ、国府が慌てて都に早馬を走らせるようにすれば良い訳です。慌てた朝廷が、上手くすれば、下野藤原に和議を持ち掛けて来るのではないでしょうか。朝廷に膝を屈する訳では無く、朝廷の譲歩を引き出しての和議なら、千常の殿も納得されるのではないでしょうか」
瞬時にそれだけの策を立てられる忠頼の凄さを祖真紀は感じた。そして、陸奥に蝦夷の国を造ると言う忠頼の願いは、いつの日にか実現するに違いないと確信した。
「申し訳御座いません。今、我等の出来ることはそれくらいです。ここは忍んで頂き、下野藤原家を残すことに専念して頂けないでしょうか。時はいずれ来ます。それまで忍んで頂きたいと、逆に千方様を説得しては下さらぬか義兄上。然るべき時が来るまで忍んでいるのは、我等も同じです」
一度、目を閉じ、暫くそのままでいたが、やがて祖真紀は黙って頷いた。忠頼としてもそれ以上の答をすることは出来ないだろうと納得した。
しかし、もし千方が摂関家を追い落とす事を本気で考えているとすれば、その期待を見事に裏切る事になってしまう。与えられた役目を果たせず、和議に持ち込む事を勧め、暫くの辛抱を説くことしか出来ない。しかし、忠頼の言う通り、それが唯一にして最善の解決法なのだと思った。
祖真紀は黙って頷いた。
「ご理解頂き有難う御座います。精々派手に兵を集め、輜重の準備も始めましょう。そして、藤原文信が、慌てて都へ早馬を立てるよう、上手く操って見せます」
忠頼は自信に満ちた顔でそう言った。
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