第八章 第6話 衝突

文字数 3,610文字

 なぜ、忠常が動かないのか、千方には分からなかった。
 古能代(このしろ)は戻り、代わりに、元信(もとのぶ)(鷹丸)と末信(すえのぶ)(鳶丸)が交代で村岡に潜入し、様子を探ることにした。上新郷村(かみしんごうむら)を始めとして、村岡との領界の警戒も人数を減らして継続していた。

 七日ほど経った日、一人の客が豊地(とよち)の舘を訪れた。私市(きさいち)本家の当主・氏尚(うじひさ)である。
 草原氏(かやはらし)は元々私市氏(きさいちし)の一族である。日下部黒山(くさかべのくろやま)から数えて六代目の長久(ながひさ)の弟・忠家(ただいえ)草原(かやはら)氏の祖となるが、千方の祖父・久稔(ひさとし)の時代には本家とは疎遠になっていた。だが、反目したり敵対したりしていた訳では無い。一族としての最低限の付き合いは続いていた。

 この五十年ほどの間に、北武蔵の状況も様変わりしている。まず、将門との関係を疑われながらも、秀郷(ひでさと)の勢力拡大を(はば)む狙いから、罪を一切問われなかったばかりで無く、勢力の拡大に付いても大目に見られていた平良文(たいらのよしぶみ)
 良文は、平高望(たいらのたかもち)の五男ではあるが、側室の子である。昌泰(しょうたい)元年(八百九十八年)に父の平高望(たいらのたかもち)が東国に下向した際には、正室の子である国香(くにか)良兼(よしかね)良将(よしもち)は従ったが、側室の子である良文(よしぶみ)は従わなかった。

 延長(えんちょう)元年(九百二十三年)、三十六歳の良文(よしぶみ)醍醐(だいご)天皇から『相模国(さがみのくに)の賊を討伐せよ』との勅令(ちょくれい)を受けて東国に下向し、盗賊を滅ぼしたと伝わる。
 そんな関係で、相模国(さがみのくに)鎌倉郡(かまくらごおり)(現・神奈川県藤沢市村岡地区)に所領を得たが、その後、武蔵国(むさしのくに)埼玉郡(さいたまごおり)熊谷郷(くまがやごう)(現・埼玉県熊谷市村岡)に移り、ここに拠点を築いた。更に承平(じょうへい)の乱終息後の混乱に乗じて、下総国(しもうさのくに)結城郡(ゆうきごおり)(現・茨城県下妻市)にも所領を得、そのいずれの地も村岡と名付け村岡五郎と名乗った。現在の千葉県東庄町の大友城、同香取市にも居館があったと言われる。
 そんな訳で村岡氏の勢力伸長には目覚ましいものが有り、当然のことながら周りの氏族は警戒感を強め、対抗策を模索して行った。 
 私市(きさいち)氏も、鷲宮(わしみや)神社を氏神とし、太田郷(おおたごお)から大里郷(おおさとごお)に勢力を広げて行った。 
 この頃の私領と言うのはその成立の過程からして、小さい地域があちこちに点在しており、複数の領主の私領が複雑に入り組んでいるのだ。そんな訳で、(つわもの)の私領は、(こおり)(ごう)にきっちりと別れている訳では無く入り組んで点在しているので、争いは絶えず、その版図も常に変化している。

 氏尚(うじひさ)は、村岡に対抗する為には私市(きさいち)一族のより強い結束が必要と考え、太田氏や久下(くげ)氏、河原(かわら)氏との話し合いを続けて来た。草原(かやはら)に付いては、下野藤原(しもつけふじわら)との関係を考え様子を見ているところだった。しかし千方が戻り、村岡との関係が悪化した今、一度豊地(とよち)と話して置く必要が有ると氏尚(うじひさ)は考えたのだ。
 草原(かやはら)の当主は千方である。そして郷長(さとおさ)であり、私領の領主でもある。下野藤原(しもつけふじわら)の当主を降りた千方だが、なおも下野藤原の一員であり、家の子と言う立場で文脩(ふみなが)の下に在ることになる。 

 私市(きさいち)本家から見れば、草原(かやはら)下野藤原(しもつけふじわら)に乗っ取られたようなものだ。だが、承平(じょうへい)の乱と言う非常時を前に、将門(まさかど)良文(よししぶみ)、双方の脅威から身を守る為、下野藤原の傘下に入ったのは仕方が無いと、氏尚(うじひさ)は思っている。
 もし、千方が引き続き下野藤原(しもつけふじわら)の当主で有り続けていたら、草原(かやはら)の当主と郷長(さとおさ)の地位は豊地(とよち)に委譲され、千方は、草原(かやはら)に於いては、私領を支配するのみの存在となる筈であった。ところが、千方が下野藤原の当主の地位を余りに早く降りてしまったので、それらの委譲は行われていなかった。
「六郎様は、今後、草原(かやはら)をどのようにされるおつもりなのであろうか」
 氏尚(うじひさ)が豊地に尋ねる。
「どのようにとは?」
「いや、あのお方は下野藤原(しもつけふじわら)の人間……」
 豊地は氏尚の物言いに不快なものを感じたが、極力その感情を表情には出すまいと思った。
「名乗りこそ藤原だが、六郎様はこの草原(かやはら)で生まれ、ここで育った草原(かやはら)の者に御座る」
と応じる。
「と言うことは、藤原の名乗りを捨て、将来は草原(かやはら)を名乗る可能性も有ると言うことかな」
 氏尚が何を言いたいのかは見当が付いた。
「さて、どうでしょう。無いと言い切ることは出来ぬが、可能性は少ないでしょう」
と躱す。
豊地(とよち)殿は、六郎様の家の子で満足されていると言うことか?」 
「その通り。それ以上のことは望んでおらん」
 豊地(とよち)は意識して事も無げに答える。
「分かり申した。村岡との関係が悪化していると聞いている。草原(かやはら)が、我等の力を必要とするならば役に立つつもりでおる」
 氏尚の真意が分かり、その言葉を豊地は有り難く感じた。今は、一人でも多くの味方が必要な時なのである。
「有り難きお言葉、心強く思います」
 そう言って、豊地は心から頭を下げた。
「だが、今の状況では、我等もひとまず下野藤原の出方を見ることになろう」
「ご尤も。ですがこの豊地、本家のお心遣いに付いては、有り難く思っております」
 重ねて礼を述べた。
「左様か。相談に乗って欲しいこと有らば、いつなりと参られよ」
 氏尚(うじひさ)が、一族の結束を図ろうとしている以上、草原(かやはら)下野藤原(しもつけふじわら)と手を切ることを望んでいることは分かった。豊地は本音で話し、今まで通り千方を(あるじ)として立てる意思を伝えた。

    
 村岡との(にら)み合いが続いたまま年が開け、満季(みつすえ)武蔵守(むさしのかみ)として赴任して来た。それを待っていたのが忠常である。千方を痛め付けることは差し支え無いと言われている。だが痛め付けると言うことは、ひとつ間違えば死ぬことも有ると言うことだ。
 千方を殺せば、当然検非違使(けびいし)吟味(ぎんみ)を受けることになろうが、武蔵守(むさしのかみ)満季(みつすえ)であり、満季は前廷尉(さきのていじょう)、即ち検非違使佐(けびいしのすけ)でもある。その権威で田舎の検非違使など思うままになる筈だ。
()るなら今だ。満季(みつすえ)の指示など待っていられるか」
 忠常はそう思った。

 相模に行く(てい)を装い、屈強な郎等十人ほどを連れ、東山道武蔵街道を南下する。そして、桶川(おけがわ)から草原(かやはら)に続く間道を北東に進み、一気に草原(かやはら)を襲う計画である。この方向の警戒は薄いと踏んでのことだが、実際、警備の網に掛からず草原(かやはら)に侵入出来た。

 忠常は上手くいったと思っていたが、相模(さがみ)に行くには出発の時刻が遅過ぎる。怪しんで後を着け、桶川(おけがわ)で間道に反れるのを確認した末信(すえのぶ)(鳶丸)は、忠常一行を何気無く追い越し、報せに走った。 

 千方の舘近くの小さな社の森で、奇襲の最終的な打合せをし、先ず郎等の一人を物見に出そうとしていたその時、半弓を構えた千方とその郎等達に囲まれた。千方がいつも取る戦法である。千方らの弓の腕前を良く知っている者なら、間違い無くここで武器を捨てる。だが、強気な忠常は、 
(ひる)むな。掛かれ!」
と命じた。
 千方側の誤算である。全滅させることは簡単である。しかし、千方は殺すなと命じていたのだ。だが、さすがに忠常が選んだ猛者(もさ)達である。腕の皮を矢で切り裂かれながらも、太刀を抜いて斬り掛かって来た。古能代(このしろ)を始め千方の郎等達も、太刀を抜いて応戦する。
 優劣は直ぐに着いた。傷を負った忠常の郎等達は千方の郎等達に歯が立たない。千方の郎等達は、追い払えば良いと言うつもりで相手を殺さぬよう気を付けて戦っている。
退()けー!」
 劣勢続きに、にたまらず忠常が命じる。追っ払って、千方側としては一段落となる筈だった。不測の事態が起こった。逃げに入って走り始めた忠常らと、騒ぎに気付いて何事かと薮から出て来た五人の農夫達とが鉢合わせしてしまったのだ。驚いて硬直してしまった農夫達に、忠常の郎等達が、
「どけ! 下郎共」
 そう言って斬り付けた。それを見た千方の郎等達は追い(すが)り、忠常の郎等達に斬り付ける。この揉み合いで、農夫二人と忠常の郎等三人が死に、忠常と残りの郎等達は逃げ去った。
「少々面倒なことになりましょうな」 
 事態を知って駆け付けて来た豊地(とよち)が言った。 
「忠常の郎等を斬ったのはやむを得ぬことです。こちらに落ち度は有りません」
 智通(ともみち)(秋天丸)が言った。 
「それは、そうだが……」 
と、豊地は尚も不安げだ。
「それよりも、草原(かやはら)の者を二人も死なせてしもうた。済まぬ」
 千方が豊地に頭を下げる。
草原(かやはら)に侵入し、襲って来たのは忠常ですし、我等は草原(かやはら)(たみ)を殺した敵の郎等を斬った迄、豊地(とよち)様そうで御座いましょう」
 智通(ともみち)が豊地に迫る。
「豊地が案じているのは、武蔵守が満季(みつすえ)であると言うことであろう」
 千方が問う。
「はい。忠常と殿が国府に呼び出され、検非違使の吟味を受けることになりましょう。真面(まとも)であれば、殿はお構い無し、忠常が罰せられる筈です。しかし、満季(みつすえ)が武蔵守であり、且つ検非違使をも意のままに操れるとすれば、どうなるか分かりません」
 豊地の心配は当たっている。
「どうなるか分からないでは無い。間違い無く、満季(みつすえ)は何としても麿を罪に落とそうとするであろう」 
 千方がそう答える。
「殿を出頭させる訳には行かん。と成れば、国府と戦うのみ。村岡に加えて国府まで敵に回すと言うことになれば、容易なことでは無い。豊地(とよち)殿はそれを案じておられるので御座いましょう」
 古能代(このしろ)がそう補った。千方も腕組みをして考えている。
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