第四章 第8話 明暗

文字数 4,373文字

 まさか実頼(さねより)()められるとは、高明(たかあきら)は思っていなかった。そんなことが出来る人間とは思ってもみなかったのだ。実際、その見方は大きく間違ってはいなかったのだろう。自ら(はかりごと)を巡らすような男ではない。伊尹(これまさ)が扇動したに違いない。そう思った。
 摂関家はばらばらだと言う満仲の報告を鵜呑みにし、その後の動向を注意深く追うようなことはしていない。何か有れば、また満仲が報せて来るだろうくらいにしか思っていなかったのだ。
 高明に付いては、切れ者と言う評判が有る。高明自身もそう自負していた。しかし、果たしてそうだったのだろうか。確かに、知識の幅も広く教養も深い。特に、朝儀(ちょうぎ)有職故実(ゆうそくこじつ)に練達しており、前例を聞かれて担当の公卿(くぎょう)が、『それについては、調べた上でお答えしたい』などと言い(よど)んだ時『それに付いては、いついつこう言う事例が有る』と即座に答えることも度々有った。小野宮流(おののみやりゅう)を名乗る実頼(さねより)さえも及ばない程の知識を持っているのだ。
 だが、(まつりごと)とは、そんなことばかりで成り立っている訳では無い。(まつりごと)要諦(ようてい)(はら)の探り合いであるとするなら、高明(たかあきら)は、所詮元皇族でしかなかった。甘いのだ。
 そんな高明が、(つまづ)くことも無く、誰にも足許を(すく)われることも無く順調に出世を重ねて来たのは、後ろに村上帝がおり、また、師輔(もろすけ)が摂関家を押さえて来たからである。太皇太后(たいこうたいごう)穏子(おんし)中宮(ちゅうぐう)安子(あんし)が高明の後ろ楯と成っていたのも、村上帝が高明を信頼しており、且つ、縁戚である師輔が高明と親しかったからである。
 穏子、安子、師輔、そして最強の後ろ楯である村上帝までもが、相次いでこの世を去ってしまった今、高明を護る者は誰も居なくなっていた。それに気付かず、己の力を過信していた高明の隙を摂関家、特に伊尹(これまさ)に突かれてしまったと言うことなのだ。

 東宮(とうぐう)には守平親王(もりひらしんのう)をなどと、村上帝が言い残す筈は無い。しかし、唯一その場に立ち会っていた関白・実頼を嘘つき呼ばわりすることは出来ない。また、そう言い張れる証拠も無い。完敗である。考えてみれば、伊尹(これまさ)権大納言(ごんだいなごん)への昇進は亡き師輔への配慮などでは無い。高明(たかあきら)を嵌める策を献じたことに対する論功行賞だったのだ。せめて、あの時点で気付いていたらと思ってみても仕方が無い。仮に、村上帝がいかに為平親王(ためひらしんのう)(いつく)しみ、生前、将来の皇位継承候補として遇していたかを言い立ててみても『理由は分からぬが、確かにそう仰せになった。確かにこの耳でそう聞いた。お考えが変わることも有ろう』と言われてしまえばどうしようも無い。源氏の公卿(くぎょう)達も、関白に逆らってまで高明の味方をすることは無かった。

 もし高明が(したたか)かな政治家であったなら、満仲の言葉を鵜呑みにすること無く、別の筋からも情報を集め、用心すべき存在と認識していた伊尹(これまさ)の動向を追っていたことだろう。そうしていれば、伊尹が、師尹(もろただ)と実頼に接近することに成功したことを掴めていたかも知れない。そして、源氏だけでは無く中間派の公卿にも根回しをして、何らかの対策を講じる道が開けていたかも知れない。だが、高明は根回しなどと言う事をしたことが無い。それで済んで来たのだ。
 高明はまた、打たれ強くも無かった。摂関家の真の恐ろしさを見せ付けられ敗北を悟った瞬間から、摂関家と闘おうと言う気力が失せてしまった。己の保身を考えた。この上は、実権の無い左大臣でも良いから、ひっそりと、少しでも長く務めたいと思ってしまった。典型的な事無かれ主義の公卿に成り下がってしまったと言って良い。
    
 話はまた遡る。村上帝崩御(ほうぎょ)の二日前、秋天丸(しゅてんまる)千方(ちかた)の舘に戻って来た。犬丸を伴っている。
「統領と鷹丸、鳶丸も追っ付け別々に上洛致します」 
 千常に(みかど)御不例(ごふれい)を伝えると共に、祖真紀(そまき)らを上洛させるよう命じていたのだ。何が起きるか分からない、幸い自分の舘を構えたので、隠れ()を用意する必要も無い。目立たぬよう別れて入京することも指示してあった。

 村上帝崩御(ほうぎょ)後、千晴(ちはる)に呼ばれた。固関使(こげんし)満仲(みつなか)と千晴が選ばれ、二人とも(やまい)を理由に辞退したが、満仲のみ認められ、千晴は伊勢に(おもむ)かなければならなくなったことを聞かされた。そして、高明(たかあきら)邸の警備体制の管理を託された。千方は、満仲、満季(みつすえ)の動向にも注意を払う必要が有ると感じ、祖真紀達を呼び寄せて置いて良かったと思った。

 その満仲である。私君(しくん)であるはずの高明が摂関家に()められたと言うのに機嫌が良い。固関使(こげんし)を命じられたが病を理由に辞退し、首尾良く認められたので、外出する訳にも行かず舘に(こも)っているが、手の者を使って師尹(もろただ)伊尹(これまさ)とは頻繁に連絡を取っている。 

 摂関家の者達を結束させる為走り回ったのは、満仲である。切掛けは、高明邸で兼通(かねみち)に侮辱されたことである。師輔(もろすけ)に嫌われていた為、その生前には摂関家に近付くことが出来なかった。死後、誰に近付こうかと考えていたところ、高明邸の庭で兼通に侮辱された。兼通が弟の兼家と犬猿の仲だと言う噂は聞いていたので、兼家に近付こうと決めたのだ。 

 貢物(みつぎもの)を持って何度か通っているうちに、兼家の心を掴むことに成功した。或る時兼家から、その兄・伊尹(これまさ)の舘に行ってみろと言われ、行った。そして伊尹から、摂関家を纏める為、日頃疎遠になっている実頼(さねより)師尹(もろただ)と話し合う切掛けを作れるかと問われた。恩を売って置けば後日何かの役に立つ。そう思ってふたつ返事で引き受けたのだ。
 師尹(もろただ)実頼(さねより)にも、兼家の時と同じように接近を図った。師尹に接近することには成功したが、実頼の(ふところ)に飛び込むことは難しかった。伊尹(これまさ)は実頼を訪ね訴えた。しかし、結局追い返されてしまっていた。
 この辺りまでの状況の大まかなことを満仲は『摂関家は纏まっていない』と言う形で高明(たかあきら)に報告していた。もちろん自分が関わっていることは伏せた上でのことだ。どちらに転んでも生き延びる道を付けて置く為だ。
 満仲が摂関家に近付くことを、高明が許していたのは、いわば二重スパイとして使っているつもりでいたからである。満仲自身は、単に自分の都合だけで動いていたのだが、高明を納得させる範囲での報告は欠かさなかった。
 摂関家をひとつにする為、伊尹(これまさ)が会いたがっていることを師尹(もろただ)に伝えると、師尹は承知してくれ、伊尹と会った。師尹は、実頼、次いで師氏と会った。実頼は相変わらず煮え切らない。師氏は、直ぐ下の弟である師尹に追い越されたことを根に持っており、師尹の話に耳を貸さない。師尹は粘って、今、摂関家が結束することの重要さを説いたが、結局決裂した。師尹は、師氏を危険と判断し、詳しい話はしなかった。単に摂関家が結束する必要が有ることを繰返し訴えただけだ。 
 最後に、師尹を伴って実頼を訪れ、伊尹は遂に実頼を口説き落とすことに成功した。そして、実頼、師尹、伊尹、兼家の間で、反・高明(たかあきら)同盟とでも言えるものが成立し、高明を()めたのである。 
 兼通(かねみち)は、高明に近いと言う理由で、始めから外した。師氏(もろうじ)に付いては、(かたく)なに師尹を嫌っている為、外した。満仲に付いては、伊尹(これまさ)初め摂関家の者達は、走り使いくらいにしか思っていない。だから、摂関家の結束の為とだけしか話していない。だが、満仲は海千山千の(したた)か者。反・高明同盟であることは見抜いていた。 
 事が上手く行き始めてからは、満仲は高明に新たな情報を提供していない。と言うのも、丁度この頃、満仲の中で千晴に対する嫉妬と高明に対する不信感が芽生え始めていたからである。
 守平親王が東宮(とうぐう)と成ってから数ヵ月が()った。満仲は、もう高明邸に近寄りもしなくなっていた。もはや負け犬となった高明に近付くことは何の益にもならないばかりで無く、摂関家に睨まれることになるからである。摂関家派であることを鮮明にし、兼家に更に近付いていた。何とも現金な男である。千晴の将来が閉ざされたことにも、一応は満足していた。

 数ヵ月後、満季(みつすえ)満仲(みつなか)を訪ねて来た。まだ、蓮茂(れんも)の件を諦めてはいないようだ。執拗(しつこ)い男だ。だが、まだ殆ど何も掴めていないらしい。 
「いや、蓮光寺に出入りしている者達は分かって来ている。中務少輔(なかつかさしょうゆう)橘繁延(たちばなのしげのぶ)左兵衛(さひょうえの)大尉(だいじょう)源連(みなもとのつらなる)平貞節(たいらのさだよ)と言った連中だ」
 満季が満仲に成果を誇る。 
「目的は? その者達が集まった目的は何だ?」
「まあ、私的な和歌の集いと言ったところかな。以前は千晴も時々顔を見せていたようだが、守平親王立太子以後は、さすがに顔を出してはいないようだ」   
 満仲が反応した。
「何? 千晴も加わっているのか。何を話しているか知りたいものじゃな」
 もう満仲は『千晴殿と言え』などと満季を(たしな)めたりはしない。   
「さすがにそこ迄は分からん」
 意気込みの割には不確かな情報と分かり、満仲はがったりした。
(なれ)検非違使(けびいし)であろうが、それを突き止めることも出来ぬのか!」
 不機嫌にそう言った。
「お役目では無い。麿が勝手に調べていることだ。限界が有る」 
「組織を使えぬと言うことか。ならば、お役目とすれば良いではないか」 
「いや、蓮茂(れんも)と円恵が同一だと言う根拠が、まだ薄くてな」
 満季(みつすえ)は、慌てて言い訳する。 
「いつ迄そんなことに(こだわ)っておる。(たわ)けが、千晴が加わっているのであろう。良からぬ相談をしている疑いが有るとでも言え。それで、摂関家は食い付いてくる。頭を使え」 
「わ、分かった。やってみる」
 最早、曖昧な情報では満仲は許してくれないと分かり、満季は、そそくさと満仲邸を退散した。
 
 それから間も無くして、蓮茂(れんも)に叱責された後、一人の寺男が姿を消した。腹を立てて逃げたのだろうと蓮茂は思ったが人手が足りない。困って檀家である、とある官人(つかさびと)にそれを話すと、その官人が代わりの男を直ぐに紹介してくれた。その男は、実は検非違使の密偵だった。

 守平親王の立太子以来、千晴は苦しい毎日を送っていた。高明(たかあきら)一筋で来た千晴に取って、高明の敗北は、すなわち千晴自身の敗北でもあった。久頼と千方の早い出世も、平義盛との争いが直ぐに千晴有利に決着したのも、全て高明の力有ってのことであった。千方は修理亮(しゅりのすけ)になったばかり、千晴自身も五位に上ることがほぼ確実となり、満を持して表舞台に撃って出る、正にその寸前の出来事だったのだ。
 千晴の前途は無くなったも同然である。都に於いて下野(しもつけ)藤原家の基板を作るという目的も頓挫してしまった。かと言って、今更下野に引き上げることは出来ない。坂東のことは全て千常(ちつね)に任すと言う約束で援助も受けて来た。どの(つら)下げて戻ることが出来よう。どうすれば良いか分からなかった。

 高明(たかあきら)も変わってしまった。恐らく、大事なことは、実頼(さねより)師尹(もろただ)、そして、権大納言(ごんだいなごん)と成った伊尹(これまさ)の間で決められてしまい、高明は会議を主導する事すら出来ない。そんな状況からか、戻って来ても終始機嫌が悪い。以前とはうって変わって、投げ()りで扱い(にく)(あるじ)に変わってしまっていた。
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