第一章 第8話 古能代・若き日の葛藤 Ⅲ

文字数 3,861文字

 古能代達が佐野に行くことになってから、交代で数日置きに様子を見に行くことは、既に、郷の大人達の話し合いの中で決められていた。だから、支由威手(しゆいて)が国時と対立したことや、それを古能代が止めたことは逐一祖真紀の耳に入っていた。もちろん、小屋の中で古能代が、国時を殺して盗賊になるかと言い出したことまでは知らない。
 国時との対立を乗り越え、盗賊探索の成果を上げながら、五人が日に日に郎等らしくなり、成長して行く様子に大人達は胸を撫で下ろし、いつかは本当に郎時に成れるだろうという期待に夢を膨らませていた。だが、半年を過ぎる頃から、祖真紀の心を、ある懸念が支配し始めた。あまりに順調に行き過ぎている。盗賊達とて馬鹿では無い。いつかは古能代達の動きに気付く筈だ。一方、順調に行けば行くほど、若者達の心には油断と(おご)りが芽生えて来るだろう。その時が危険だ。
 祖真紀(そまき)は、様子を見に行く者の数を二人に増やし、交代の二人が到着するまで戻らぬよう指示した。交代は四~五日置きとし、何か有ればひとりが馬を飛ばして報せに戻る。野宿しながら厳しい環境での行動となった。そして前日、探索を続ける古能代達が、逆に盗賊達につけられていることに見張りの者が気付いたのだ。
 報せを受けた祖真紀の行動は素早かった。若者達の家族を中心に、すぐさま十人の男達を集め、彼らが細作(しのび)として行動する時の衣装に身を固め、古能代達が探索中の山に向けて馬を飛ばした。陽も落ち掛ける頃山に着いた一行は馬を隠し、見張りの者の案内で隠れ場所を決め、身を潜めて夜を過ごし、夜の明けるのを待った。そして、まだ夜も開け切らぬうちに盗賊達が現れ、隠れ場所を決め、罠を仕掛ける様子を見ていたのだ。
 古能代達が罠に掛かった瞬間、指示を求めようとする郷の男達の目に、祖真紀は、『まだ動くな』と、やはり目で指示を与えた。
 跡をつけ、縛られた古能代達が賊と共に洞窟の中に消えて行くのを、祖真紀達は少し離れた岩陰から見ていた。
「どうする? (おさ)
 ひとりが尋ねた。
「生き残るために、どれほど知恵を働かせられ、何が出来るか、少し様子を見てみよう」
と祖真紀が制する。
「手遅れにならないか?」
 別の男が尋ねた。
「たかがこれしきのことで、何の知恵も働かすことが出来ず殺されるようなら、いずれ死ぬ運命の者達でしか無い。済まぬがその時は諦めてくれ」
 そう言われて男達の心境は複雑だった。祖真紀を良く知る郷の者達でさえ、その冷たさと冷静さにゾッとすることが有る。子や身内の命が、今、危ないのだ。子を思わぬ親はないし、兄、叔父とて同じだ。しかし、祖真紀が、普段の柔らかい物腰とは裏腹に、実は厳しい男であることは知っているし、郷全体の未来を考えていることも分かっていた。簡単に諦められるものではないが、今は従うしか無いと思った。
 やがて、賊の男達二人にぴったりと着かれた古能代が出てきた。郷の男達の中のひとりのみを連れ、祖真紀自らが古能代達の跡をつけようとした時、少し間を置いて別の賊二人が出て来た。
 咄嗟に身を隠し、そのふたりをやり過ごしてから、祖真紀ともうひとりが動いた。暫く行くと、少し下った辺りで後ろの二人の足が止まり、何やら下を覗いている。  
()るぞ」 
 そう言った祖真紀に、もうひとりの郷の男が黙って頷く。音も無く近付くとふたりは、二人の賊の背中から一気に左胸を刺し、下に落ちて行かないように襟首を持って手前に引き倒した。
 祖真紀が刺した男は無言のまま絶命したが、もうひとりが「グワーッ」と言う声を上げた。下の様子を見ると、一瞬の機を生かして、古能代が二人を斬り倒していた。
「やりましたな」
 郷の男が言った。
「これからだ。どうするつもりか……」
 (くさむら)に倒れ込んだ古能代を、祖真紀は辛抱強く待った。やがて、(ぬさむら)から這い出して来た古能代は、少し離れた所から洞窟前の様子を探り、身を隠しながら見張りの賊達に近付く。そして、ひとりの後ろから更に近付き、蕨手刀(わらびてとう)を首に回し一気に掻き切った。そして、次の瞬間には、振り向いたもうひとりの賊に飛び掛かり、刃を喉に当て大きく右に引いていた。血飛沫(ちしぶき)が飛ぶのが、祖真紀達の居る位置からも見えた。古能代が死体を(くさむら)に隠している様子を見ながら、
「ふん。少しは、やりおるな」と祖真紀が呟いた。そして、
「後は我等でやる。合図を待て」
 そう言い残し、草を刈るために背を向けた古能代の方に走った。十間ほどに近付いた祖真紀が立ち止まるのとほとんど同時に、古能代が振り向いた。一瞬見合っていたふたりだったが、祖真紀がサッと右手を上げた。郷の男達は祖真紀に続いて洞窟に向かって走った。そういった事情を古能代が知ったのは、後になって沙記室(さきむろ)の口を通してのことだった。

 賊達を縛り上げると、祖真紀は、沙記室(さきむろ)の兄ひとりを残して、他の男達を連れてさっさと引き上げてしまった。古能代ばかりでなく、沙記室以外は身内の者と誰も言葉を交わす暇さえ無かったのだ。沙記室と兄は、列の最後尾を並んで歩きながら話していた。その兄も、盗賊達を引っ立てた五人が無事、国時の待つ辺りに近付いた時に姿を消した。古能代十八歳、祖真紀もまだ三十九歳だった時の出来事である。

    
 古能代は知らぬことだが、その後の、ちょっとした事情について触れておこう。秀郷の舘の一室で、国時が秀郷に事の次第を報告しようとしていた。
「手柄であったのう」
 秀郷が鷹揚(おうよう)に言った。
「いえいえ、賊共を捕えては参りましたが、実は、我等、すんでのところで全滅するところで御座いました。いやはや、誠に申し訳も御座いませぬ。吾も油断をしておりました」
 馬鹿正直な男である。自分は何もしていないが、返り血を浴びた古能代と四人の者達が、八人もの賊を数珠繋ぎにして引っ立てて来た時は驚いた、と事実を話す。ひとの手柄を我が手柄のようにして自分を売り込もうなどという考えは、この男にはまるで無いのだ。そんなところを秀郷は気に入っており、三輪七郎と言う名を縮め、
三七(さんしち)、三七」と呼んで目を掛けている。
 策士である秀郷のような男は、才有る者を見出し使いこなす一方、こんな愚直な男を身近に置きたがるものだ。安心なのだろう。
「古能代とは親子の仲が相当険悪だと聞いておったが、やはり、あ奴もひとの親よ。祖真紀め、見ているだけでは無く、遂に手を貸しおったな」
 国時よりかなり太く長い口髭(くちひげ)(よじ)なりがら、国時がまだ話していないことに秀郷が触れた。
「えっ? 殿は、祖真紀が見張りを着けていたことをご存じだったのですか?」
「麿の膝元に細作(しのび)を放つのに、無断でやると思うか?」
と国時に聞く。  
「はっ。…… 言われてみれば仰せの通りに御座います。…… では殿は、手前からの報せの他に、祖真紀からの報せも常に受けておられた訳で……」
 国時の心境は少々複雑であった。秀郷の信頼に答えなければと、ある意味、命懸けの任を必死でこなして来たつもりだったが、秀郷は、自分からの報告のみでことを判断していた訳では無かったのだ。
「そのほうを信頼しておらぬ訳では無いぞ」
 まるで、国時の心の揺れが見えているかのように、秀郷が言った。
「前からだけで無く、時には後ろからも同時に見ることが必要なのだ。目も耳も多い方が、(あやま)ちが少なくなる。こたびのことだけで無く、麿はいつもそう心がけておるのよ」
「はあ…… なるほど……」
 国時はそう答えたが、理解したとも思えない。『この男には理解出来ぬことであろうが、それで良い』と秀郷は思った。

 将門の乱に際しての身の処し方についても、秀郷のこの考え方がものを言った。細作(さいさく)を放っての情報収集は元より、都の公家達からの情報も集めた。それだけでは無く、自ら常陸や下総、武蔵にまで足を運んで情報を収集し、将門本人とも会談してそのひととなりを見た上で、時間を掛けて己の立場を決めたのである。 
 貞盛(さだもり)が情に(すが)って訴えた時、さも心を動かされたかのように振舞ったが、実は、その時心は既に決まっていた。常陸、下総に広い人脈を持っていた坂東平氏の嫡流(ちゃくりゅう)国香(くにか)の長男である貞盛と、貞盛が携えて来た将門追討の官符(かんぷ)を得たことにより、秀郷の立場は強化された。この辺が、秀郷が"したたか" と評される所以(ゆえん)であろう。

    
 だいぶ遅れて千方の乗った馬が走り込んで来た。思い切り手綱(たづな)を引いて馬を止めると、馬の背に手を突き千方は大きく両足を蹴上げて馬から飛び降りた。少し背が伸びたとは言っても、千方に取っては大変な高さである。勢い余ってつんのめったが、土の上で体を一回転させそのまま立った。受け身は身に着いていた。
「駄目だ。まだまだ(かな)わぬ。いかにしたら、もっと早く駆けさせられるものかな?」
 息を切らせながら千方が古能代に聞いた。
 物思いに耽っていた古能代だったが、(おもむろ)に振り向き一瞬間を置いた後「馬の世話はされておりますかな?」と逆に尋ねた。
「いや……」と答えながら、千方は考えた。
 古能代は、朝鳥のようにくどくどと説明したりはしない。何かを尋ねても、答えはほとんどひと言。その言葉の意味を、千方は自分で考えなければならないのだ。
 言われて見れば、普段、馬をどこに置いているかも知らない。近くに(うまや)は無く、古能代か郷の男達の誰かが引いて来てくれる馬に、千方はただ乗るだけなのだ。
『犬は普段から餌をくれる者の言うことを良く聞く。馬だとて変わりは無いはずだ。もっとうまく乗りこなしたければ、馬の世話をしろと言うことか』
 (じき)にそう思い当たった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み