第四章 第7話 敗北
文字数 5,258文字
話は、村上天皇崩御 直後に遡る。太政官 は、直ちに固関使 を派遣することを決した。固関 とは、天皇・上皇・皇后の崩御 、天皇の譲位 、摂関の薨去 、謀反 、政変などの非常事態に際して、『三関 』と呼ばれた伊勢国 の鈴鹿関 、美濃国 の不破関 、近江国 の逢坂関 を封鎖して通行を禁じることである。
権力の空白に乗じて東国の反乱軍が畿内に攻め込むことや、反対に、畿内の反逆者が東国に逃れることを阻止する為の措置である。
固関使 には原則、五位の官人 が任じられ、護衛として内舎人 や近衛府 の兵士が随行した。出発時には大臣直々に使者の証明となる木契 と固関 を命じる勅符 と官符 が授けられ、馬寮 から乗馬を提供されて鈴を鳴らしながら進発するのである。
だが、延暦八年(七百八十九年)には『三関 』の制度自体が廃止される。ところが、以後も固関 が必要な事態が生じた場合には関の跡地を封鎖する手続が取られた。だが、封鎖すべき『三関 』が存在しない状況下で固関 も形骸化・儀礼化が進んで名ばかりとなっていた。三関のうち伊勢国・鈴鹿関の固関使として、五位にも成っていない藤原千晴 と源満仲 が指名された。見ように依っては、高明の両腕の動きを封じ込めようとしているようにも見えるが、高明自身は、寧 ろ、名誉なことと受け止めていた。
千晴は、今、都から離れるべきでは無いと判断し、病 を理由に辞退を申し出たが、満仲が一足先に辞退を申し出ていた。満仲に付いては、若い頃から度々病 と称して休んでおり、見掛けに寄らず持病持ちと判断され辞退を認められた。一方千晴は、嘗 て病 で休んだことが無いことを理由に、辞退は認められなかった。やむなく千晴は伊勢に向かった。
六月五日、師尹 、伊尹 らが実頼 の舘を訪れた日のことである。三人が帰った後、実頼は考えていた。
伊尹 は、摂関 を引き継ぐ為の策として、守平親王 を皇太弟 に擁立すれば良いと言った。だが、それで高明 が絶対的な権力を得るのを阻止することは出来ても、摂関を引き継げることにはならない。伊尹は、高明を排除することまで考えているに違いない。そう思った。罠に掛け、左遷するか引責辞任させようというのか。いや、命まで取ろうと考えているのかも知れないと言うことだ。
藤原氏とは元々そんな家系だ。古 より、他氏は元より皇族まで、邪魔な相手をそうやって葬り去って来た。伊尹 にもその血が流れているのだ。
だが、その父はそうではなかった。実頼 の弟・師輔 は荒事を嫌い、高明 とも親交を深めていた。実頼は思う。考えて見れば、自分の半生は常に師輔を意識し、師輔に引き摺られるような半生であったような気がする。父・忠平 から学んだ有職故実 こそ、小野宮流 として、師輔 の九条流 と並び称されるようになったが、知識・教養の幅広さに於いて、弟に遅れを取っていることは認めざるを得なかった。人望も師輔の方が有った。それに嫉妬して来たことも事実だ。だが、弟・師輔は、やれば出来たのに、位階に於いても官職に於いても、一度も兄を越えようとはしなかった。
やれば出来たと言うのには理由が有る。外戚 となることを狙って、実頼 は師輔と競ったことがある。実頼は述子 を、師輔は安子 を村上天皇の女御 として入内 させ寵 を競ったが、述子は皇子 を生むことなく死去し、一方安子 は、東宮 ・憲平 親王を始め、為平親王 、守平親王 を生んだ。
実頼は、一世源氏である高明 とも縁戚を結んで置いた方が良いと思い、高明に二女を嫁がせたが、その娘は早世し、その後高明は師輔の三女を、その娘が死去すると五女を相次いで妻 とした。実頼は、そう言う運に於いても師輔に勝てなかったのだ。
実頼 は当初、己の運の無さを嘆いた。しかし、師輔と言う男は生まれながらに何かを持っているのだ。どう争っても勝てないと思うに至る。幸い師輔は、形の上では自分を立ててくれている。これ以上争ってみっともなく敗れるより、鷹揚 な兄を演じた方が良いと思うようになった。それからは、師輔とは協力して政 を進めて来た。最後に実頼は寿命で師輔に勝った。
だが、師輔が居なくなったからといって、自分の立場が良くなったかと言えば、そうでは無い。相変わらず名だけの左大臣である。師輔が高明 に代わっただけのことだ。摂政、関白、太政大臣。いずれも目映 いばかりに魅力的な響きがある職名だ。左大臣、右大臣とは格が違う。一度は就いてみたい職である。
伊尹 、兼家は、師輔 の子とは思えぬくらい権力を握ることに貪欲だ。荒事は実頼 も余り好きでは無いが、小野宮流 も引き立てることを伊尹 が誓うなら、話に乗っても良いとさえ思えて来る。長年、心に蟠 っているものが消え、見たことの無い世界を見ることが出来るかも知れない。だが、高明を葬ることを具体的に思い描いてみると、なぜか二の足を踏んでしまう。高明に愛着が有るのか、悪人に成りたく無いのか、いずれにしても、この心の弱さが己の今迄の人生を支配して来たのだとは思う。
実頼 は、関白の地位に就いてからも、立太子 に付いては尚も迷っていた。帝 の遺勅 を偽ることに付いて、なかなか覚悟するに至らなかったのだ。その為、皇太弟の空位は三月 ほども続いていた。関白の権威のせいか、他からせっつかれることは無かったが、伊尹 、師尹 の二人は早く立太子を行うよう盛んにせっついて来た。
漸く決心が付き、八月ももう終わろうとする頃、実頼は高明 と二人だけで会談を持った。
「長月 (九月)の頭に立太子に付いて話し合いを持とうと思うておる」
と実頼が切り出した。
「左様で御座いますか」
実は高明は、なぜ中々皇太弟を決めないのかと、少々訝 っていたのだが、実頼を妙に刺激して、立太子に障 りが出ることを恐れて何も言わないでいたのだ。
「いや、遅くなって済まぬとは思うておったのだが、併せて公卿 らの異動を行うに当たって、色々悩んでおったのでな」
立太子そのものでは無く、それに伴う人事に付いて考えていたと聞いて、高明は少し安心した。
「お一人で悩まずご相談頂ければ、少しはお役に立てたかと思いますが」
柔らかい笑みを見せて、そう言った。
「いや済まぬ。右大臣殿に相談することは当然じゃが、その前に、己の考えを纏めて置かねばと思うたのよ」
さては、関白に成ったことで、主導権を握ろうと意気込んでいるのだな、と高明は思った。
「お考え伺いましょう」
実頼 の本音を聞き出せればと思った。
「一番肝心な処から申そう。右大臣殿には左大臣に転じて頂き、詮議 を取り仕切って頂こうと思う」
高明は率直に驚いた。
「えっ? 麿が左大臣に? では、左大臣様は?」
と訝しげに問う。
「太政大臣 に推しては頂けぬか。何、形だけのことよ。麿の本心は、全て高明 殿にお任せしたいと言う処に有る。承知の通り、太政大臣は名誉職。詮議 には加わらん。麿が左大臣のまま関白を兼ねると言うことは、太政官の決定事項を己が奏上 し、それを、帝 に代わって己が決することになる。それは如何 なものかと思うてのう。役割を別けるべきとは思われぬか?」
実頼 の父・忠平は双方を兼ね、権力を独占していた時期が有ったが、確かに、両者は別けるべきだと高明も思った。
「なるほど、ご尤 も。そう言うことなれば、微力ながら、左大臣受けさせて頂きます」
納得してそう答えた。高明に取っても悪い話では無いと言う事だ。
「右大臣には、師尹 を転じさせる」
実頼はそう言った。師尹はやり難 い相手ではあるが仕方が無い、と高明は思う。
「師尹の後任には、源兼明 を入れる」
中納言から大納言に転じる訳だから、摂関家一人、源氏一人が昇進することになるので、これも、高明に異存は無い。
「そこで相談なのだが、麿が抜けることになるので、大納言以上に藤原の者を一人加えては貰えぬか」
高明は、当然、中納言の師氏 を大納言、若しくは権大納言にということだと思った。しかし、実頼は意外な名を出して来た。
「伊尹 を権大納言 に引き上げさせては貰えぬか」
「え? 師氏殿では無いのですか」
実頼の思惑が読めなかった。
「そこじゃよ。麿が永らく悩んだのは。……正月二十日に権中納言となったばかりの伊尹 。これを権大納言にと言うのを、如何にして右大臣殿にお分かり頂けるか。それを考えて悩んでおった」
「伺いましょう」
「麿が関白。弟・師尹 が右大臣となれば、それ以上我が兄弟だけで要職を占める訳には行かぬ。可愛そうだが師氏 には泣いて貰い、師輔 の子である伊尹 を引き上げてやりたいのじゃ。師輔が薨 じて以来、つい気が回らず出世が遅れておったのじゃ。だが、考えて見れば師輔には随分と援けて貰った。この機会に埋め合わせたいと思っておる」
そう言われると高明 自身も、当時実権を握っていた師輔のお陰が有って今が有るのだ。
「しかし、成ったばかりの権中納言からいきなり権大納言とは」
当然の疑問を口にした。
「尤 もじゃ。それを承知で頼む、この通り」
実頼 が頭を下げた。そこまでされたら、高明としても何も言えない。
「分かり申した」
と承諾した。
九月一日。公卿詮議 が開かれ、まず高明から、実頼 を太政大臣 とする旨、帝 から仰せ出 されしことを披露。尋常の精神の持ち主ではない冷泉 天皇がそんな事を言い出す訳は無いのだが、異を唱える者無し。
続いて、それに伴う異動に付いて審議。伊尹 の}権大納言 への昇進に付いて、中納言・藤原師氏 が説明を求める。高明より説明が有るが納得せず。意見が有った旨記録し多数にて決す。師氏は孤立していた。太政大臣就任に際しての行事日程を勘案し、異動は十二月十三日を以て行われることとなった。
これで他の案件は全て終った。残るは立太子に付いてのみ。特に異論も無く、型通りに決まるものと、高明は思っていた。この日、太政大臣の指名を受ける為、特に詮議に出席していた実頼が、伝えたいことが有るとして発言を求めた、
「申して置かねばならぬことが有る。重大なことゆえ口にするのはこれが始めてである。先帝がお倒れになった時、お側におったのは麿のみである。それは皆も存じておると思うが、倒れられた時、麿に言い残されたことが有る」
皆驚き、ざわめきが広がる。また、どんなことかと思い、聞き耳を立てる。高明に緊張が走った。
帝 が何かを言い残されたと言う話は、実頼から一度も聞いていない。それをなぜ今ここで? 安心していた高明に不安が走る。
「皆は、先帝がお倒れになって崩御 される迄、何も話すこと無く、御意識 が無いまま逝 かれたと思うているだろう。実は、倒れられたばかりの時はまだ御意識が有り、お言葉も話せた。最後に麿に命じたことは『憲平 の後は守平 と致せ』そう仰せになった」
先程、遺勅 が有ると聞いた時のどよめきとは対象的に、源氏の数名が戸惑った表情を見せただけで、藤原の者達は皆、無表情でシーンとしている。高明は『嘘だ!』と思った。だが、そう口にすることは出来ない。太政大臣を嘘つき呼ばわりすることになるからだ。
「何故 、今まで黙っておられたのか」
精一杯の抵抗として、そう詰め寄った。
「重大な遺勅 ゆえ、事前に漏れることが有ってはならぬと思い、この胸に納めておった」
そう。平然と答えた。実頼 にしてみれば想定内の問答である。高明は憎しみの籠 った目で実頼を睨 んだ。実頼は高明とは視線を合わすこと無く、平然と正面を見詰めている。
「先帝のご遺勅 に依り、守平親王 様を皇太弟として立てることに付いて、諸卿のご意見を伺い、決を取ることと致そう」
空 かさず、大納言・師尹 が提案した。
「御遺勅 とあれば、異を唱えることなど有り得ない。皇太弟は守平親王様を推戴 するべきと存ずる」
伊尹 が大声で応じた。高明以外の源氏の者達を威圧しようとしているのだ。中間派の参議達も、
「ご遺勅 とあらば、守平親王様で然 るべきと存ずる」
と言う答が続く。師氏 が、直ぐに答えず妙な間を置いたが、結局、守平親王に賛成した。源氏の者達も同じである。高明から、事前になんらかの指示が有った訳ではないので、遺勅 と言われてしまっては、守平親王擁立にに反対し、空気に逆らって為平親王 を積極的に推す程の勇気は出ない。
「最後に、新たなる左大臣様には、何かご意見が御座いますでしょうか?」
とどめを刺すように師尹 が尋ねた。何か言ってみても、もう仕方が無い。負けた。嵌 められたのだ。人の良さそうな素振りで、実頼 は高明 を嵌める準備を進めていたのだ。満場一致で守平親王が東宮と決まったと言うことは、高明が外戚 と成る道が絶たれたと言うことに他ならない。左大臣の職に留まれたとしても、死に体となり、その影響力は失われる。
変わって外戚である伊尹 が浮上して来る可能性が出て来るのだ。まだ摂関に届く地位では無いが、摂関家の者達が結束して推せば、急速な出世は可能となる。そして、伊尹 に取って高明は、既に乗り越えられない壁では無くなってしまっている。
実頼 の健康状態次第では、或いは師尹 が短期間繋ぐことになるかも知れない。ばらばらだったはずの摂関家が、いつの間にか結束してしまっていた。
権力の空白に乗じて東国の反乱軍が畿内に攻め込むことや、反対に、畿内の反逆者が東国に逃れることを阻止する為の措置である。
だが、延暦八年(七百八十九年)には『
千晴は、今、都から離れるべきでは無いと判断し、
六月五日、
藤原氏とは元々そんな家系だ。
だが、その父はそうではなかった。
やれば出来たと言うのには理由が有る。
実頼は、一世源氏である
だが、師輔が居なくなったからといって、自分の立場が良くなったかと言えば、そうでは無い。相変わらず名だけの左大臣である。師輔が
漸く決心が付き、八月ももう終わろうとする頃、実頼は
「
と実頼が切り出した。
「左様で御座いますか」
実は高明は、なぜ中々皇太弟を決めないのかと、少々
「いや、遅くなって済まぬとは思うておったのだが、併せて
立太子そのものでは無く、それに伴う人事に付いて考えていたと聞いて、高明は少し安心した。
「お一人で悩まずご相談頂ければ、少しはお役に立てたかと思いますが」
柔らかい笑みを見せて、そう言った。
「いや済まぬ。右大臣殿に相談することは当然じゃが、その前に、己の考えを纏めて置かねばと思うたのよ」
さては、関白に成ったことで、主導権を握ろうと意気込んでいるのだな、と高明は思った。
「お考え伺いましょう」
「一番肝心な処から申そう。右大臣殿には左大臣に転じて頂き、
高明は率直に驚いた。
「えっ? 麿が左大臣に? では、左大臣様は?」
と訝しげに問う。
「
「なるほど、ご
納得してそう答えた。高明に取っても悪い話では無いと言う事だ。
「右大臣には、
実頼はそう言った。師尹はやり
「師尹の後任には、
中納言から大納言に転じる訳だから、摂関家一人、源氏一人が昇進することになるので、これも、高明に異存は無い。
「そこで相談なのだが、麿が抜けることになるので、大納言以上に藤原の者を一人加えては貰えぬか」
高明は、当然、中納言の
「
「え? 師氏殿では無いのですか」
実頼の思惑が読めなかった。
「そこじゃよ。麿が永らく悩んだのは。……正月二十日に権中納言となったばかりの
「伺いましょう」
「麿が関白。弟・
そう言われると
「しかし、成ったばかりの権中納言からいきなり権大納言とは」
当然の疑問を口にした。
「
「分かり申した」
と承諾した。
九月一日。
続いて、それに伴う異動に付いて審議。
これで他の案件は全て終った。残るは立太子に付いてのみ。特に異論も無く、型通りに決まるものと、高明は思っていた。この日、太政大臣の指名を受ける為、特に詮議に出席していた実頼が、伝えたいことが有るとして発言を求めた、
「申して置かねばならぬことが有る。重大なことゆえ口にするのはこれが始めてである。先帝がお倒れになった時、お側におったのは麿のみである。それは皆も存じておると思うが、倒れられた時、麿に言い残されたことが有る」
皆驚き、ざわめきが広がる。また、どんなことかと思い、聞き耳を立てる。高明に緊張が走った。
「皆は、先帝がお倒れになって
先程、
「
精一杯の抵抗として、そう詰め寄った。
「重大な
そう。平然と答えた。
「先帝のご
「
「ご
と言う答が続く。
「最後に、新たなる左大臣様には、何かご意見が御座いますでしょうか?」
とどめを刺すように
変わって外戚である