第七章 第6話 嵌められた帝

文字数 5,058文字

 寛和(かんな)二年(九百八十六年)六月二十日、右大臣・兼家(かねいえ)の舘。満仲(みつなか)が兼家邸に呼び出される二日前のことだ。

 母家の西隣の塗籠(ぬりごめ)で、兼家(かねいえ)、長男の道隆(みちたか)、三男の道兼(みちかね)、そしてもう一人、尋禅(じんぜん)と言う僧が(ひたい)を寄せて話している。
 塗籠(ぬりごめ)とは物置で、普通、こんな所で話すことは無い。この頃の舘に壁は無いのだが、唯一塗籠だけは壁も天井も有る。
 人を近付けぬようにしてこんな所で密談をするのは、それだけの大事であるからだ。尋禅(じんぜん)は、山科(やましな)に有る元慶寺(がんぎょうじ)の住職であり、天台座主(てんだいざす)でもある。そして何より、師輔(もろすけ)の十男、即ち、兼家の異母弟に当たる。
 先代の天台座主・良源(りょうげん)は師輔の財政的支援を受けて比叡山(ひえいざん)を再興し中興の祖と成った。しかし、それは一方で叡山(えいざん)(比叡山)の世俗化を招き、師輔の子の尋禅が跡を継ぐことになる。つまり、ここに集っているのは、全て摂関家(せっかんけ)九条流(くじょうりゅう)の者達である。

 数日前、尋禅(じんぜん)は『折り入って相談したいことが有るので、忍びで訪ねて貰いたい』との(ふみ)を、兼家から受け取った。洛中に用事を作って、それを手早く済ますと、密かに兼家の舘に入っっていた。
()るお方が、仏門に入りたいと強く願っておられる。だが、それぞれの思惑から、周りの者達がそれを阻止しようとしておってな。麿としては、是非ともご希望を叶えて差し上げたいと思っておる。事は密かに且つ迅速に行わねばならん。手筈(てはず)はこちらで整えるので、貴僧の手で是非」 
 兼家はそう切り出した。
()るお方とはどなたで?』などと言う馬鹿な事は、尋禅も聞かない。全てを察した。後は淡々と段取りを確認して行く。

 六月二十二日、午刻(うまのこく)過ぎ、満仲が到着する。
「お召しに寄り摂津守(せっつのかみ)・満仲、御前(おんまえ)(まか)り越しまして御座います。右大臣様には、日頃、事の(ほか)お目を掛けて頂き、ご厚情に常々、深く感謝致さぬ日は御座いません」
「うん。今まで良う着いて来てくれた。麿もそのほうを頼りにしておるぞ」
 満足気(まんぞくげ)に兼家が応じる。
勿体無(もったいな)きお言葉。満仲、万感の喜びに御座います」

 挨拶が済むと、兼家は尋禅に話したのと同じ言い方で事態を説明する。満仲も、それだけで全てを理解した。事の重大さに流石の満仲も息を飲み『迷いを見せる訳には行かぬ』と腹を決めた。
「で、いつ?」と兼家に聞く。
(うし)の刻に事を起こす。洛中は目立たぬよう少人数で進む。三条通りから鴨川を越えた辺りで待て」
(かしこ)まって(そうろ)う」

 夕刻になって、満仲と郎等達は、目立たぬよう数人ずつ兼家邸を出る。
 子刻(ねのこく)。兼家と道隆は紫宸殿(ししんでん)の東に有る詰所に入った。今宵(こよい)蔵人(くろうど)の道兼は宿直(とのい)の番に当たっている。
 兼家は道隆に諸門の閉鎖を命じた。道隆は家人(けにん)数人を率い、諸門を回り、右大臣の(めい)として門を閉鎖するよう命じる。
 道隆は、当時、右近衛(うこんえの)中将(ちゅうじょう)春宮権大夫(とうぐうごんのだいぶ)であり、衛門府(えもんふ)とは無関係である。
 右大臣の(めい)とは言え、職掌(しょくしょう)から言うと、衛士(えいし)とすれば右衛門督(うえもんのかみ)左衛門督(さえもんのかみ)にそれぞれ確認すべきことである。職掌(しょくしょう)違いの道隆の(めい)に従う(いわ)れは無い。しかし、この時代、公的な立場と私的な立場の区別は曖昧なのだ。右大臣の嫡男の(めい)()えて逆らおうとする者は居ない。

 (みかど)の身支度は、他の者達を遠ざけて、道兼がひとりで整えた。予定通り、日付が変わった丑刻(うしのこく)には、出発の準備が整う。道隆の家人(けにん)が確認に来て、直ぐ戻って行った。
 異様な雰囲気の中、花山(かざん)帝は、冒険に出掛ける前の子供のように興奮している。輿(こし)を担ぐ者の他、護衛は道隆の家人と従者合わせて五人。目立たぬよう最低限にした。
 道兼が先導し、夜御殿(よるのおとど)の北に有る部屋、后妃が参上した時の控えの間でもある藤壷(ふじつぼ)(うえ)を通り、小戸から北廂(きたびさし)に出る。そこから西北渡殿(わたどの)を通り切馬道(きりめどう)に着けた輿(こし)(みかど)が乗り込もうとする。
(しば)し待て」
花山(かざん)帝が立ち止まった。
「いかがなされました」
と道兼が不安そうに尋ねる。
弘徽殿(こきでん)女御(にょうご)からの(ふみ)を置き忘れた。取って参る。待て」
 普段、肌身離さず持ち歩き、繰り返し読んでいた亡き忯子(きし)(「光る君へ」では『よしこ』と読んでいる)からの手紙を出掛けに置き忘れたことを思い出したのだ。 
 戻ったことに因り、気でも変われば大変と道兼は焦った。
「今が過ぎれば、人目を避けることに支障が出て参るに違い有りません。お心お察し致しますが、(こら)えて下さいませ」
 そう言って道兼は泣き真似(まね)をした。尚も手紙に心惹かれる素振りを見せながらも、花山(かざん)帝は仕方無く輿(こし)に乗った。

 道隆が先導し、輿は、北に飛香舎(ひぎょうしゃ)(藤壷(ふじつぼ))南に後涼殿(こうりょうでん)を見、その間を通って陰明門(いんめいもん)に至る。道隆が開門を命じ、
「このこと、他言(たごん)無用」
門衛(もんえい)の兵に厳しく命じる。
 一行は内裏(だいり)築地塀(ついじべい)に沿って北に進み、右折、玄輝門(げんきもん)の前で左折する。左側が蘭林坊(らんりんぼう)、右側は桂芳坊(けいほうぼう)である。蘭林坊(らんりんぼう)桂芳坊(けいほうぼう)と共に、大嘗会(だいじょうえ)釈奠(せきてん)などの儀式の際の用具を始めとする御物(おもの)(しょ)などが納められている倉庫のような建物だ。従って、深夜に人気(ひとけ)は全く無い。真っ直ぐ進むと朔平門(さくへいもん)に至る。
 同じようにして門を抜ける。大内裏の北寄りは、倉庫や官庁が並び、夜間の人気は無い。東に行くと官人(つかさびと)の通用門である上東門(じょうとうもん)に当たる。
 上東門は、大内裏の東面、陽明門(ようめいもん)の北。大宮大路(おおみやおおじ)に面し、土御門大路(つちみかどおおじ)に向かう。他の門とは異なり、単に築地を切り開いただけのもので屋根が無い為『土御門(つちみかど)』と呼ばれていた。

 土御門(つちみかど)から東の方角へと(みかど)を連れ出したところ、安倍晴明(あべのせいめい)の家の前を通ると、晴明が手を激しくぱちぱちと叩いて、
(みかど)がご退位なさると思われる天の異変が有るが、既に行われてしまったようだ。参内(さんだい)して奏上(そうじょう)するとしよう。早く牛車(ぎゅっしゃ)の支度をせよ」
と命じていた。
 恰も、その声を(みかど)がお聞きになられたかのように、ご自身で出家を決めたのにも関わらず、(みかど)の中で、心引かれる思いが沸いて来た。
「ひとまず、御所(ごしょ)へお報せ致せ」
と晴明が言うと、人の目には見えない何かが、戸を押し開けて出て行こうとした。
 式神(しきがみ)は、(みかど)ご一行の後ろ姿を見たのだろうか。
「たった今、ここをお通りになっていらっしゃるようです」
と答えた。
「待て !」
と晴明が式神を制した。
悪巧(わるだく)みが行われようとしています。早くせねば、手遅れとなりましょう」
「いや、良い。それが御為(おんため)と言うことかも知れぬ。今や朝堂は魑魅魍魎(ちみもうりょう)跋扈(ばっこ)する所となってしまっている。
 前帝(さきのみかど)も妖怪どもとの闘いに疲れ果て、御自(おんみずか)ら退位された。まして、主上(しゅじょう)無垢(むく)なお方。修羅場におられるより、御仏(みほとけ)にお仕えするほうが、御心(みこころ)が休まれるのかも知れぬ」
「宜しいので?」
「良い。見ぬ振りをする」
 そう言い残すと、晴明は居室に戻り、式神も姿を消した。
 晴明の家は、土御門大路(つちみかどおおじ)と町口通りとが交差する場所に()るので、御所からの道筋だった。

 (みかど)一行が大内裏(だいだいり)(官庁街)を出るのを見届けると、道隆は、兼家の待つ詰所に引き返した。
「無事、大内裏から出るのを確認致しました」
 道隆が兼家に報告する。
「うん、ご苦労。したが、これからじゃぞ。気を抜くな」
「はっ」
 二人は先ず温明殿(うんめいでん)内侍所(ないしどころ)(賢所(かしこどころ))に行き、八咫鏡(やたのかがみ)が納められていると言う箱(実態は(みかど)自身も含め、誰も中身を見ることは出来ないとされている)を接収。続いて清涼殿(せいりょうでん)に向かい、草那芸之大刀(くさなぎのたち)(草薙剣(くさなぎのつるぎ))の形代(かたしろ)八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)が入った箱を持ち出す。
 形代(かたしろ)とは、模して造られ(みたま)を降ろしたもので、単なるレプリカでは無い。天皇の践祚(せんそ)に際し、この神器(じんぎ)のうち、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)並びに鏡と剣の形代(かたしろ)を所持することが皇室の正統たる(みかど)(あかし)しであるとして、皇位継承と同時に継承される。いわゆる三種の神器(じんぎ)である。
 (ちな)みに、ヤマトタケルの死後、 草薙剣(くさなぎのつるぎ)は伊勢神宮に戻ること無くミヤズヒメ(ヤマトタケルの妻)と尾張氏に寄って尾張国で(まつ)られ続けたと言われる。これが熱田神宮(あつたじんぐう)の起源であり、現在も同宮の御神体として(まつ)られている。

 いずれにせよ、兼家は、皇位継承を正当化する為、三種の神器を皇太子の居所である凝華舎(ぎょうかしゃ)(梅壷(うめつぼ))に移したのだ。
 一方、(みかど)の一行は、道隆の従者(ずさ)松明(たいまつ)(あかり)で辺りを照らしながらも、ひっそりと深夜の大宮大路(おおみやおおじ)を下り、三条大路(さんじょうおおじ)に折れて東に進む。
 偶然一行を目撃する者が有ったとすれば、『物の()』の一団と思ったかも知れない。
 三条大橋を渡った所で、十人ほどの男達が待っていた。満仲と郎等達である。道隆の家人(けにん)従者(ずさ)達は引き返して行く。

 出立する時は雲間に隠れていた月が姿を現し、辺りは明るさを増していた。
「止めよ」
花山(かざん)帝が声を上げた。
 先を急ぎたい道兼だったが、仕方無く列を止める。
「いかがなされました」
「見るが良い。このように月が明るくては目立ち過ぎることよ。いかがしたものかな」
 自分に酔っていた(みかど)が我に帰り、剃髪(ていはつ)することが億劫(おっくう)になって来たのだと道兼は感じ取った。
「そう仰っても、お取りやめなさることは、もはや難しゅう御座います。神璽(しんじ)宝剣(ほうけん)は、既に東宮(とうぐう)(皇太子)様の(もと)にお渡りになりましたので」
 花山(かざん)帝は、一瞬絶句する。これは現実なのだと始めて悟ったかのようである。そうしているうちに、再び月に叢雲(むらくも)が掛かって、辺りは少し暗くなった。
(ちん)の出家は成し遂げられるのであるな」
 観念したかのようなひと言であった。
 深夜に輿(こし)で内裏を発ったが、山科(やましな)元慶寺(がんぎょうじ)に着く頃には、夜は明け始めていた。

 (みかど)輿(こし)を降り、寺の回廊に立った。見上げると西の空に有明(ありあけ)の月が浮かんでいる。
『有明の月』とは、夜が明けても尚空に残っている月のことを言う。陰暦(いんれき)の十六日以後、特に二十日を過ぎてからの月である。
「夜が明ければ、もはや出番では無いと言うに、未練な月よのう」
 花山(かざん)帝は自らの未練を嘲笑(あざわら)うかのように、そう呟いた。

 出迎えた尋禅(じんぜん)が先導して本堂に入る。本尊・薬師瑠璃光(やくしるりこう)如来(にょらい)の前に、既に剃髪(ていはつ)の支度が整えられている。
「どうぞ、あれへお渡り下さいませ」
 天台座主の正装を身に纏った尋禅が、手を差し伸べて座を勧める。
 一瞬立ち止まった(みかど)だったが、ひと呼吸すると、意を決したかのように歩を進める。

 (みかど)の頭を剃刀(かみそり)が伝い、一筋の青い頭皮が(あらわ)になった時、順を待って控えていた道兼が声を掛ける。
「お(かみ)
「何か」 
「実は、仏門に入ることを父に話しておりません。
 父に無断で剃髪することは親不孝では無いかと思い至りました。最後になる俗世の姿を見て貰い、ひと言、父に断って参りたいと思います」
 (みかど)が不審の眼差(まなざ)しを道兼に向ける。道兼は(ゆか)に手を突き、泣いているのか肩を震わせている。
「馬を調達して往復するつもりですので、長くは掛かりません。(みかど)のお供をして出家するとあらば、父も快く許してくれるものと思います」
 そう言って再び低頭(ていとう)すると、(みかど)の返事も待たず、道兼は本堂を出て行ってしまった。

 花山(かざん)帝は、一瞬、声も出なかった。既に一部剃刀が入っているので、身動きも出来ない。
 遠くからその光景を見ていた満仲は、ふっと溜め息を吐いた。実は、道兼が(みかど)と一緒に、本当に剃髪してしまうのではないかと、兼家がひどく心配していたのだ。他人には非情な兼家もやはり親である。
『多少手荒なことをしても良い。絶対に止めろ』
と満仲は命じられていた。
 満仲は直ぐに道兼の後を追った。表門に四人、裏門に四人、そして、(きざはし)の下の両側に一人ずつ。満仲の郎等達は、鯉口(こいぐち)を切って太刀を直ぐに抜けるようにして警戒している。
 義懐(よしちか)惟成(これしげ)が察知し、(みかど)の出家を阻止する為、人数を繰り出して来ることを想定してのことだ。

 道兼が取り乱した様子で慌ただしく回廊を走り出て来た。
「先にお舘にお連れせよ」
 追うように出て来た満仲が、(きざはし)下の二人の郎等にそう命じる。
 兼家に与えられた任務を無事済ませたのだから、いつもなら、ほっとするところなのだが、苦い水が胃の府から上がって来るような不快さが、満仲を襲っていた。
(みかど)(たばか)る手先を努めてしまった』
 皇孫であることを誇りとし、そんな身が他家の使用人などに身を落としてたまるかと言う想いで必死に生きて来た男である。
(しがらみ)に流され、決して、してはならないことに手を染めてしまったのでは無かろうか』
 そんな考えが満仲の頭を(よぎ)った。

 花山(かざん)帝は僅かな望みを持って、道兼が戻るのを待っていた。
 自分ひとり、永遠の闇の中に放り出されたような恐怖が襲って来た。本尊の薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)像が、まるで閻魔大王(えんまだいおう)のように背後から迫って来る。尋禅を始めとする僧達の表情も無機質で、この世の者では無いように見えた。
      
 いつまで待っても道兼は戻って来なかった。いつの()にか、満仲達の姿も無い。
(たばか)られたか』
 青く剃り上げられた頭を(てのひら)(さす)り、花山(かざん)帝、いや花山院(かざんいん)(法皇)は苦悶の表情を見せた。
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