第五章 第4話 噂

文字数 4,570文字

 朝鳥(あさどり)は、徴兵や輜重(しちょう)の手配で忙しく動いており、舘に帰ったのは夕暮れ時であった。都に行くまでの千方(ちかた)は、武蔵(むさし)草原(かやはら)に住んでいたのだが、千常(ちつね)は、小山(おやま)に移る時に、千方の舘も朝鳥の住まいも用意してくれていた。それは、千常が猶子(ゆうし)である千方を、嫡男(ちゃくなん)・太郎として扱っているからである。

 道端にしゃがみ込んでいる三人の男達が居た。小者一人を従えて馬で帰宅する朝鳥を認めると、その男達は立ち上がった。
「お帰りなさいませ」
 三人の中の一人、老人が朝鳥に向かって頭を下げ、そう言った。
「誰かと思えば祖真紀(そまき)、いや、今は長老と呼ばれているのであったな。久しいのう。家の者に言って中で待てば良いものを」
 朝鳥は今、上の娘、その婿(むこ)とその子ら、つまり孫達と同居している。朝鳥が武蔵に居る間も、彼等が留守を守っていたのだ。
「いえ、我等は野に伏せ、ひたすら待つことには慣れておりますので」
 長老が道端で待っていた理由を明かす。
「ふん、気を使うより、その方が楽と言うことか。まあ良い。住まいで話そう。付いて参れ」

 子や孫達に出迎えられて、長老と二人の郷人(さとびと)を伴った朝鳥は、一旦三人を待たせて着替えを済ませた後、酒等(ささなど)を用意させて対座した。
「こたびのことを案じて参られたか?」
と長老に尋ねる。
「はい。特に古能代(このしろ)のことが」
 先代の祖真紀である長老は、今でも当代の祖真紀を古能代と呼ぶ。
「弁の立つ男ではありません。いかに義弟とは言え、忠頼(ただより)殿の考えを変えさせることなど出来ぬでしょう」
 朝鳥が頷く。
奥六郡(おくろくぐん)を束ねる蝦夷の(おさ)じゃ。祖真紀でなくとも、考えを変えさせることは難しいであろう。蝦夷の立場を第一に考えるのは当然じゃ」
「今立つことが最善と思ってくれるかどうかですな」 
 長老が朝鳥の目を見て言った。
「急なこととは言え、六郎様もその辺をどうお考えであるのか……」 
 朝鳥は軽い溜め息を突く。
「吾同様、案じておられるのじゃな」
 長老が、また朝鳥を見る。
「近頃では、麿も余り口出しせぬようにしておる」
 長老に酒を勧めながら、朝鳥は少し寂しそうにそう言った。
「同様じゃ、吾も、なるべく口出しせぬようにしております。代を譲った以上、いつまで年寄りが口出ししては、(さと)の者達に対するあ奴の立場も無くなりますでのう」
 長老が頷き、朝鳥に同意を示す。
「成りたくも無い年寄りと言う者に、お互い成ってしもうたと言うことよのう」
 少し笑顔を見せて。朝鳥が自虐的に言う。
「亡き大殿が居らしたら、どうされましたでしょうかな」
 長老の問いに、朝鳥は黙って頷いた。
「恐らく、ここ迄の事態に至る前に手を打っておられたであろう。残念ながら、お子達の中に、大殿の読みの深さと慎重さを受け継いでいる方はおられん。それぞれ、色々と考えてお育てしたつもりじゃが、千常(ちつね)の殿は元々一本気で姑息(こそく)なことがお嫌いな性格(たち)。六郎様は思い込んだら突っ走ってしまう処がお有りになる。生まれ持った性格と言うものは、中々変わらん」
「確かに。吾も口の重い古能代の性格を考えて犬丸を付けたのだが、犬丸ごときが口出し出来る問題でも無いしな」
「もはや、我等の口出しする時代でさえ無い」
「朝鳥殿。どう成るかは分からぬが、命の捨て所かも知れませぬな」
 長老の言葉に大きく頷いて、朝鳥は土器(かわらけ)の酒をグイと飲み干した。
「長老。(みこと)と麿は、又も考えが同じと見える。麿もそう思うておったところじゃ。近頃、殿も六郎様も、麿を危険から遠ざけようとしておられる。お気持ちは有り難いが、兵を集めたら麿も出陣するつもりじゃ。例え帰れと言われても、この度ばかりは殿の(めい)も六郎様の(めい)も聞くつもりは無い。長老、(みこと)はどう死に花を咲かせるつもりじゃ」
 長老の土器(かわらけ)に酒を注ぎながら、朝鳥が聞いた。
「はい。都へ潜入して、安倍(あべ)が蜂起すると言う噂を公家(くげ)共の間に流してやろうかと思っております。もし、実際に安倍が立ったとしても、朝廷がそれを把握する迄には、(しば)し時が掛かりましょう。今は少しでも早く、朝廷を慌てさせる必要が御座います」
「なるほど。それは面白そうじゃな。互いに悔いを残さぬように思い切りやると致すか。大事な命、犬死と言う訳には行かんからな」
「はい」
 覚悟を決めた男の表情を満足そうに見遣りながら、朝鳥が頷く。
「そうと決まれば、これが今生(こんじょう)の別れとなろう。幼き頃の六郎様の話でもして飲み明かそうぞ。(あかり)りの油はけちらぬぞ」
 そう言って笑う。この時代、(あか)りを(とも)すための胡麻油は貴重品なのだ。
「それは結構なことで」
 ふたりの老人は、飲みながら満足げに頷き合って笑っている。

 半月後には、長老の姿は都に()った。僧の姿をしている。長老は一人である。供の郷人(さとびと)二人は、別の場所でそれぞれ活動を始めている。
 傘を被った僧形(そうぎょう)の長老は東市(ひがしいち)の近くで一人の牛飼いを認めた。どこぞの公家(くげ)牛車(ぎゅっしゃ)を扱っている者なのだろう。(あるじ)(めい)で使いに出たものとみえる。
 牛飼童(うしかいわらわ)は何歳に成っても元服することは無く、着物や髪型は(わらべ)と同じままなので直ぐに分かる。年の頃は三十前後だろうか。長老は牛飼童(うしかいわらわ)の前に立った。
「なんや(ぼん)さん。喜捨(きしゃ)などせぬぞ。吾は何も持っておらんでな」
 いきなり目の前に立った僧に驚いて、牛飼童が言った。
「凶相が出ておる」
 長老が重々しく言う。
「はあ? なんのこっちゃ」
 牛飼の男は意味が分からない。
「近いうちに(なれ)は死ぬ」
 不意を突かれた驚きから、男の表情が怒りへと変わった。
「こら、坊主。阿呆(あほ)なこと言うとると、殴るぞ」
と、肩を揺らしながら長老に近付いた。
「殴りたければ殴るが良い。その代わり吾の話を聞いてくれ。それで人ひとり救えるなら、殴られても良い」
 牛飼の圧に退くでも無く、長老は牛飼の目を射抜(いぬ)くように見詰めている。牛飼の足は止まらざるを得ない。
「なんじゃい。言うてみるがいい。聞いて気に()らんかったら、ほんま殴ったるわ」
 男は握った(こぶし)を長老に見せ付けるようにして、威嚇する。 
「吾の言うことを聞けば助かる」
 長老に自信たっぷりに言われ、牛飼い童は(ひる)んだ。
「ほんまか?」
と、急に態度を変える。喧嘩腰のハッタリから、本音が透けて見えたと言うことだ。男は少し警戒心を解いたようだ。
「昔、蝦夷(えみし)との長い戦いが有ったことを存じておるか」
 長老は、そう聞いた。
「そのくらい知っとるわ」
と答える。
「吾は陸奥(むつ)で修行しておったのじゃが、又、蝦夷が(そむ)く兆候が有る」
 そう言う長老に、
(ぼん)さんなぁ。そんな北の蝦夷と吾となんの関わりが有るというんじゃ」
と男は聞いて来た。 
「こたびは、その蝦夷が都まで攻め登って来る。その時、(なれ)(あるじ)と共に殺されることになる」
 一旦は話を聞いてみようと思い掛けた牛飼い童ではあるが、老僧の余りの言葉に再び腹を立てた。
「なんやと! (たわ)けたことを言い振らす坊主め。殴るくらいでは済まさん。ひっ捕らえて、お(かみ)に突き出してくれるわ」
 そう言って、牛飼童(うしかいわらわ)は長老に(つか)み掛かった。しかし、掴んだつもりが、長老はその手をするりと抜けている。手が空を切って、一瞬きょとんとした牛飼童だったが、気を取り直してまた掴み掛かる。だが、又しても抜けられてしまった。
「もう許さぬ」
 牛飼童は、今度は殴り掛かって来た。それを()(くぐ)った長老は、(こぶし)で牛飼童の胃の()の辺りを突いた。
「うっ」と言って(うずくま)牛飼童(うしかいわらわ)の耳元に口を寄せた長老は、
「命を大切にせよ。(なれ)を助けたいと思う御仏(みほとけ)(おぼ)し召しじゃ。御仏の(つか)いを努々(ゆめゆめ)疑うことなかれ」
(ささや)いた。

 顔を上げた牛飼童の前に、もはや老僧の姿は無かった。牛飼童は周りを見回したが、やはり、その姿は無い。東西南北に走って角々で四方を見回して見たが、どこにも僧の姿は無かった。
「なんじや、あの坊主」
 忌々(いまいま)しく思ったが、時が()つと、(ささや)かれた言葉が何か気に成って来た。
『ひょっとして、本当に御仏(みほとけ)の遣いだったのか』と思うが、『まさか、そんな阿呆な』と思い返す。だが、腕には自信が有るのだ。喧嘩をしても負けたことは無い。それが、あんな老人にあしらわれてしまった。その上、老僧は忽然(こつぜん)と消えてしまったのだ。痛さの余り(うつむ)いたのは一瞬のこと。あの老僧は走り去ったのか。それとも消えたのか。気に成って、段々落ち着か無くなった。
 (あるじ)も死ぬと老僧は言った。申し上げるべきかと悩んだ。だが、やはり『不埒(ふらち)なことを申しおって』と罰せられるだけだと思い、それはやめた。
 だが、牛飼童は、このことを己の胸にだけ納めて置くことは出来無かった。他家に仕える牛飼い仲間や周りの者達に話し、何人もの者達にどう思うかと聞いて回った。 

 長老達が仕掛けたのは、もちろんこの牛飼童(うしかいわらわ)だけでは無い。公家に繋がる男女様々な者に、僧の姿だけでは無く、色々な設定で噂を吹き込んで行く。
 口から口へと噂が伝わる中、他からも同じ噂を聞いた者が居ると、噂の信憑性は高まる。
「そや、蝦夷が攻めて来ると言う噂、吾も聞いたわ。ほんまやったんかいな」
 そんな会話で噂は広がって行く。数日すると自然と(あるじ)達の耳にも噂は入って来る。
 陸奥から昆布を運んで来た老人に聞いた。祈祷師が蝦夷(えみし)の反乱を予言した。旅の傀儡師(くぐつし)が危険を感じて陸奥から戻って来た。そんな噂が京の街に広まって行った。噂は人の口から口へと伝わり、そもそもの出所もはっきりしなくなって行く。

 遂に、そんな噂が実頼(さねより)の耳にも入った。しかし、多賀城(たがじょう)鎮守府(ちんじゅふ)から報告は上がって来ていない。
()しからぬ噂を流している者がおるとか。掴んでおるか」
 検非違使の別当・藤原朝成(ふじわらのあさなり)を呼んで聞いた。 
蝦夷(えみし)の反乱の噂でございましょうか」
「そうじゃ。そうで無くとも、(さきの)左大臣・源高明(みなもとのたかあきら)の謀叛の計画が露見したことで、民心は不安定と成っている。見過しには出来ぬ。流した者を探し出し処罰致せ」
と命じる。
「既に探索は致しておりますが、噂と言うもの、中々出所を突き止めることは難しゅう御座います」
「出所で無くとも、そのような噂をする者は、見せしめの為、皆牢に入れると布告せよ。それで収まるやも知れぬ。布告で効果が無ければ実際に捕らえれば良い」
(かしこま)りました」
と頭を下げて、朝成は下がって行った。
 三月六日に大納言と成ったばかりの伊尹(これまさ)が同席している。
「何やら匂いますな、誰がやらせているのか」
と実頼に話し掛ける。
秀郷(ひでさと)の子・藤原千常(ふじわらのちつね)かも知れぬ。つい先程、信濃(しなの)から報せが有った。千常が東山道(とうさんどう)を西に向けて兵を動かしていたので、信濃守(しなののかみ)が防いでいると言うことじゃ」 
「兵力はどれ程でしょうか」
と、伊尹(これまさ)が聞く。
「何、僅か二百騎ほどで雑兵(ぞうひょう)は連れておらぬとのことじゃ。上野(こうづけ)から応援が入るので、間も無く制圧出来るとのこと」
信濃守(しなののかみ)平維茂(たいらのこれもち)。制圧すれば手柄で御座いますな。二百騎とは言え、そのまま都に走り込まれれば厄介なことになりますから」
「念の為、甲斐にも応援を出すよう下知(げぢ)しようかと思うておる」
 伊尹(これまさ)が何かを思い付いたような表情となる。
「これは良い機会かも知れませぬぞ。(じじ)様の時代から目障(めざわ)りであった下野(しもつけ)藤原を完全に叩き潰してしまいましょう」
武蔵(むさし)常陸(ひたち)の国府に命じて留守を襲わせるとするか」
 実頼も同じ考えと見える。

 二人とも、この時点では信濃の状況に少しも慌ててはいなかった。
 だが、その翌日、下野(しもつけ)でも兵を募っていると言う報せが入り、五日後には、鎮守府(ちんじゅふ)より、安倍(あべ)不穏(ふおん)な動きが有るとの報せが入る。
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