第八章 第5話 駆け引き
文字数 3,381文字
承平の乱に際して、村岡五郎こと平良文は、将門と通じていたのではないかと言う疑いを当初から持たれていた。
承平の乱の直接的な原因が将門の父・良将の遺領を廻ってのことだったとしても、それ以前から、源護の娘達を妻とする国香、良兼、良正ら言わば源護ファミリーと、良将、良文との間に利害を廻って対立が有ったのではないかと推測される。
一つの根拠は、『将門記』の冒頭に、抗争の原因の一つとして『女論』と言う表現が有ることだ。ただ『将門記』の冒頭の多くの部分が失われているので『女論』が何を意味するのかは分からない。将門が良兼の娘を略奪して妻にしたことを指すかと言えば、それ以前から将門と良兼は争っている。だからこそ、良兼の了承を得られず略奪したと考える方が良いだろう。
そう言うことで、女論とは女系に連なる源護一派と、良将、良文連合の対立が元々有ったとの考えが大勢を占めているようだ。
そして、将門が滅んだ後、良文が将門の娘を嫡男と成っていた忠頼の正室として迎えていること。将門を討った軍に加わっていた平繁盛の納経を邪魔した際『仇敵』と呼んでいることなどを併せて見ると、良文が将門に肩入れしていたことは間違い無いだろう。
将門に取っての本格的な戦闘が、伯父達とでは無く、まず、源護の息子達との間で起こったことも偶然では無く、その際、追撃し一挙に護の本拠地を焼き払ったのも、単に反撃を恐れたという訳では無く、一気に敵の喉元に噛み付いたと言うことだったのかも知れない。
では、なぜ良文は将門に援軍を送らなかったのか。それは、この時期、良文が陸奥に居たからである。天慶二年(九百三十九年)四月十七日、良文は奥羽で起こった反乱を鎮圧するため鎮守府将軍に任じられた。それ以前に陸奥守だったとも言われる。
この天慶二年二月、将門は、武蔵権守・興世王と足立郡司・武蔵武芝との紛争の調停に乗り出し、同年十一月には常陸の国府に侵入し謀叛に踏み切っている。それ迄は私闘であり、幸いにも将門は大方勝ち続けていたので、連絡は取り合っていたかも知れないが、援軍を出すほどのことでは無かったのであろう。しかし『謀叛』となると、さすがの良文も悩んでしまったのだろう。鎮守府将軍の職を放り出して坂東に戻れば、正に将門と共謀して謀叛を起こしたことに成ってしまう。将門が謀叛に踏み切ったのを知ったのは翌年になってからであろうが、その年の二月十四日には、既に将門は敗死している。将門と共に謀叛に踏み切ることは無かったが、良文にはやはり、将門に対して強い想いが有ったのではないだろうか。
その想いを、子の忠頼も孫の忠常も引き継いでいた。
「下野藤原と面倒なことになると、父上から止められていたこともあって、草原に手出しすることは控えておったが、摂政様のお墨付きが有るとなれば遠慮はせぬ。草原などひと捻りにしてくれるわ」
秘かに訪ねて来ている鏑木に忠常が豪語している。そこへ千方に追い払われた郎等達が戻って来た。
「なんじゃ、そのざまは!」
傷付いた郎等達を見て、忠常が怒鳴り付けた。
「申し訳御座いません」
「情け無い奴等だ。それでも村岡の郎等か。まあ良い。元々上新郷村へ入って開墾の真似事をさせたのも、千方に手を出させる為だ。これで名文が出来た。こう成れば豊地の舘も千方の舘も焼き払って、奴等を草原から追い出してくれるわ。それとも、いっそ殺すか?」
忠常が鏑木に問い掛ける。
「それはお待ちを。実は、次期武蔵守は我が主との内諾を得ておりますので、最終的な決着は主が着けると思います。それ迄は、草原への手出しは控えて頂きたい」
「何? 左衛門佐様が次期武蔵守とな。来年のことでは無いか…… 気の長い話で眠くなって来るのう」
『左衛門佐様』とは、従五位上で左衛門権佐と検非違使佐を兼ねていた満季のことである。
「まあまあ、そう言わず。ここは秘かに千方を襲って痛め付ける程度に押さえて頂ければ」
「言うことがころころ変わりますな」
「忠常殿、麿の言葉と思われるな。主の言葉であり、あのお方の命であるとお思いなされ」
鏑木に噛み付きたい想いを忠常は堪えていた。兼家の命であれば、いかに忠常でも、正面から逆らうことは躊躇われた。
「話は分かり申したので、今日はお引き取りを」
「ならば良しなに」
去って行く鏑木の後ろ姿を見送りながら、忠常は苦虫を噛み潰したような表情を見せた。
「鏑木の奴、調子の良いことばかり申しておったくせに、これでは雁字搦めではないか。痛め付けるだけで良いだと? 千方は草の民では無いのだぞ。中途半端なことをしたら、こっちが逆に寝首を掻かれることになるわ!」
忠常は、郎等達に当たり散らした。
その七日ほど前のこと。都では、文脩が摂政・兼家に呼ばれていた。
「村岡と草原の間で揉め事が起こりそうだと言う報せが入った。どのような成り行きになろうと、そなたは関わるでない。良いな」
ひと言で済ますつもりで、そう命じた。ところが意外なことに、
「畏れながら」
と文脩は言葉を返して来た。
「なんじゃ、不服でも有るのか」
兼家が不機嫌そうに問う。
「滅相も御座いません。お引き立て頂き深く感謝致しております」
「ならば、なんじゃ」
「恥ずかしながら手前は、当主の座に就いたばかりの未熟者で御座います。田舎土豪の郎等達の中には、世の移ろいも分からず、ひたすら、祖父や父を敬っている者も多数御座います。そうした者達に、時を掛けて、下野藤原の将来の為にはどうするのが良いかと言うことを説いて参りました。我が家の支配下にある草原が侵され、それを、指を咥えて見ていたとなると、兄・千方が当主であれば、そんなことはさせなかったろうと思う者も少なくは無いと思われます。やはり、祖父や父の遺志を継いでいたのは兄だったと思う者が増えれば統制も効かなくなり、十分なご奉公も出来なくなるのではないかと案じます」
「己の郎等達を押さえられぬと申すか?」
「申し訳御座いません。手前の未熟、不徳の致すところで御座います。今の手前では、祖父の代から仕えている者達を制するには、手前が当主に成って良かったと言うことを積み重ねて行く以外方法が御座いません。御前のお陰をもちまして、内舎人と成ることが出来、都との繋がりも回復出来たことで、郎等達を安心させることが出来ました今、手前が当主では頼り無いと思わせるようなことは出来ません」
「麿の機嫌を損じて、内舎人の職を失うことになってもか?」
実は兼家は、文脩の言い分を理解したのだが、わざと意地悪くそう言った。
「下野藤原の心をひとつにして、ご奉公したいと思っております」
兼家は暫く文脩を見詰めていた。腹を括っていると兼家は感じた。手懐け掛けた下野藤原を今更手放す訳には行かない。
「分かった」
やがてひと言そう言った。
「有り難う御座います。死力を尽くしてお仕え致します」
文脩は、それだけ言って、それ以上言葉を重ねることはしなかった。
満季が兼家に呼ばれた。
「満季。千方などどうしようと構わぬが、草原には手を出すな」
いきなりそう言われた。
「は? しかし先日は……」
「黙れ。麿の命には黙って従え。何のかんのと申して、そのほうは己の都合ばかり押し付けて来おる。兄の満仲は、何が有っても麿に面倒を掛けたりはしなかったぞ。武蔵守の件は聞き届けてやるので、麿に面倒を掛けずに始末せい」
「はあ、申し訳有りません」
満季は、納得行かない表情を隠さず下がって行った。
「使えぬ奴じゃ」
兼家がそう呟く。
公卿の言うことはころころ変わる。それは分かっていたのだが、満季は腹立たしい想いで屋敷に戻った。そして、仕方無く上野に居る鏑木に早馬を送った。
『千方を痛め付けるのは良いが、今は、草原に手出しはさせるな』
そんな内容の指示である。
受け取った鏑木も不本意ではあったが、満季と違って、そんなことも有るだろうと腹に納めて忠常の許を訪れたのだ。
古能代自身が村岡に潜入し、忠常の動向を探っていた。早ければその晩にでも夜討ちを掛けて来るのではないかと警戒し、いつでも対応できるよう準備を整え、千方らは待機している。そして、上新郷村の辺りを中心に、村岡との境には草原の郎等達を配して警戒させている。
不思議なことに二日経っても三日経っても忠常に動きは無かった
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)