第七章 第14話 結論

文字数 4,632文字

 国府との対立は長引いていた。

 目代(もくだい)鏑木(かぶらぎ)は兵を率いて新田(しんでん)(おもむ)くのだが、下野藤原家(しもつけふじわらけ)の郎等達に遮られても、力を以て踏み込もうとはしなかった。ただ、必ず藤原の郎等達に向かって長広舌(ちょうこうぜつ)を残して行く。
国守(くにのかみ)目代(もくだい)としてお役目上武力を以てしても立ち入るべきところながら、正直麿は荒事(あらごと)は余り好まぬ。ご当主殿とも出来れば話し合いを以て解決したいと思うておるのだが、なかなかお聞き入れ頂けぬゆえ、仕方無くこうして兵を率いて出張って来ておる。
 各方(おのおのがた)も、そちらはそちらでお役目と言うことであろう。ご苦労なことじゃ。お互いこのようなことは早く終わりにしたいものじゃな。先々代からの下野藤原(しもつけふじわら)の気概と言うことであろうが、先々代の人としての(うつわ)の大きさをご当代もお持ちであれば良いが」
 などと、皮肉とも何ともつかぬ捨て台詞を残して引き上げて行くのだ。
「殿を愚弄しておるのか!」
 千方の郎等が反発すると、
「いやいや、勘違いして貰っては困るな。ご当代を(けな)すつもりなど御座らん。麿は、先々代・秀郷様を(うやま)っておると申したかっただけじゃよ」
 などと逃げる。強行すると、見せ掛けるだけで、結局、微妙なところで、衝突を避けているのだ。
「いずれにせよ、ここは一歩も通さぬ。早々に引き揚げられよ」
 今回も千方の郎等達は、そう言って、立ち(ふさ)がった。
「そうか。ならば引き揚げると致そう。だがな、麿のことはさて置いて、下野守(しもつけのかみ)様がどのようなお方か存じておろう。麿が取り成しても、下野守様がいつまでご辛抱下さるか保障の限りでは無い。その時に成って慌てても知らんぞ。何しろ我が殿は、都で並ぶ者の無き(つわもの)であると同時に、摂政(せっしょう)様に全幅の信頼を得ているお方であることを忘れるなよ」
 千方に脅しが通じぬと見て、郎等達に脅しを掛けているのだ。これも鏑木(かぶらぎ)の揺さぶり作戦のひとつである。下野(しもつけ)の郎等達とて剛の者である。こんな虚仮脅(こけおど)しで直ぐにびくつく者は居ない。だが『秀郷(ひでさと)だからこそ突っ張り切れたのだ。果たして千方にそれだけの器量が有るのか?』そんな疑問を抱く者が一人でも二人でも居れば良い。それで、下野藤原(しもつけふじわら)の結束がじわじわ緩んで行く。鏑木(かぶらぎ)の狙いはそこに有った。

 千方は少々苛立(いらだ)っていた。いっそ鏑木が強引に仕掛けて来てくれればと思う。国府の兵が乱入すれば下野の者達は当然反発する。理不尽な敵が現れれば、内部の結束は強まる。
 仕掛けて来れば一歩も退かず受けて立つ覚悟は出来ている。鏑木(かぶらぎ)如き者、国府に押し込めて何も出来ぬようにして見せる自信は有った。それで満仲に救いを求めたとしても、今の満仲では摂政家(せつしょうけ)家司(けいし)と言う立場上、郎等を率いて坂東まで押し掛けて来る訳には行かない。兼家まで巻き込んで権力を行使したとしても、今の下野藤原をそう簡単に潰すことは出来まい。千方はそう考えていた。
 だが、鏑木(かぶらぎ)のやり方は巧妙である。文脩(ふみなが)端野昌孝(はしのまさたか)、土豪達、そして郎等達に、手を変え品を変えして、次々と揺さぶりを掛け続けている。文脩(ふみなが)の本心が摂関家(せっかんけ)との融和に有る以上、こうした状況が続けば鏑木(かぶらぎ)の術中に陥ってしまう危険が有る。悩ましいことだと千方は思った。

 下野藤原家(しもつけふじわらけ)の当主として、千方には大きな弱点がふたつ有る。ひとつは、千常の実子・文脩(ふみなが)が居るのに千常の弟である自分が跡を継いだことである。それについては、千方自身にも戸惑いが有り固辞し続けていた。しかし、問答無用の千常の決定に寄り、仕方無く継ぐことになった。あの時千常は『文脩には(つわもの)の気概が無い』とだけ言った。その時は、真の意味を千方は理解していなかったが、今と成っては『成るほど。そう言うことか』と思う。
 下野藤原家の安泰の為なら、文脩(ふみなが)は摂関家に膝を屈することも(いと)わない考えの持ち主である。千常はそれを見抜いていたのだ。
『誰ぞの足許に平伏し、何もかも差し出すならば、命だけは永らえることが出来ようが、それはもはや男子(おのこ)では無い』
 (わらべ)の頃、佐野の舘から『隠れ郷』に向かう途中で、殴られた上、千常にそう薫陶を受けたことを、千方は思い出した。『いかに可愛い我が子であっても、それだけは許せなかったと言うことか』
 九月の月が雲間に隠れようとしている。それを見上げながら、千方はひとり想いを巡らせている。
 千常の遺志であるから、郎等達に表立って不満を表す者は居ない。だが、千方と文脩(ふみなが)の考えの違いが表面化すれば、郎等達も必然的に二派に割れて行く。土豪達もそうだ。そう成っては、鏑木(かぶらぎ)の思う壷。何とかしなければならないと思う。
 しかし、それはもうひとつの弱点と関わっている。隠れ郷から戻って数年、草原(かやはら)に帰る迄の青年期の数年を除いて、千方は殆ど下野(しもつけ)の佐野や小山(おやま)に居たことが無い。従って、下野の郎等達や土豪達との絆が細い。もちろん、当主を継いでからは積極的に郎等達と接し話を聞いたり、土豪達を訪ね歩き、困り事が有れば相談に乗ったりして、出来る限り助けもして来た。だが、それくらいのことでは、秀郷(ひでさと)は元より千常(ちつね)と比べても、その絆の太さに於いて到底比べ物にはならない。いざと言う時にその影響がどう出るか予見出来ない不安が有った。

 ふと、父から初めて大役を任された時のことを思い出した。
 信濃(しなの)望月家(もちづきけ)の内紛に介入し、甲賀三郎兼家の甥・貞義(さだよし)が、当主の座を狙った叔父の兼光に暗殺されそうになったのを救った一件である。
 状況はまるで違うが、下野藤原にあのような内紛だけは起こすまいと強く思った。しかし、どうすれば良いか分からない。下野藤原家の今後の()り方に付いての、千方と文脩(ふみなが)の考え方の違いは歴然としている。表面上、文脩(ふみなが)は千方を立てて退()いているが、考えを変えた訳では無い。いずれ表立った争いにならざるを得ない。争いとなればどちらかを排除することでしか決着が着かなくなる。それだけは避けたいと千方は苦悶し、考え抜いた。

 夜は既に白々と明けている。文脩(ふみなが)の目的は当主の座を奪うことでは無い。純粋に下野藤原(しもつけふじわら)の将来を考えてのことだと理解している。 
 しかし、このまま溝が埋まらなければ、側近の郎等達の意見もその方向に流れ、結局、千方を排除しなければならないと言う結論に至るに違いない。争いたく無いし、大恩有る千常の実子である文脩(ふみなが)を討つことは出来ない。
 眉根に皺を寄せて考えていた千方の表情が急に緩んだ。
「ふっふぅふ。はっはははは。何だ簡単なことだ。なぜ分からなかったのか。麿が退()けば良いのだ」
 誰かが覗き見ていたら、千方が狂ったと思ったかも知れない。千方は声を出して笑い、(ひと)(ごと)を言った。
 (わらべ)の頃からそうだった。考え抜いてその方向がどうしても無理と結論付けると、さっと気持ちを切り替えられる。元々、当主に成りたいと思っていた訳では無いし、千常の(めい)に寄り引き受けざるを得なくなった後も、なるべく早く隠居し文脩(ふみなが)に譲るつもりでいた筈なのだ。ところがいざ当主となって見ると、気負いも湧いて来たし、やらねばならない事の多さに心奪われて初心を忘れてしまっていたのだ。自分が当主で有る限り、満仲や摂政・兼家に膝を屈することは出来無いが、文脩(ふみなが)が当主である下野藤原家(しもつけふじわらけ)が例え兼家に臣従したとしても、それはもはや自分の口出しすることでは無い。そう思った。
 ただ、それを嫌って、文脩(ふみなが)に跡を継がせず、()えて千方に継がせた千常の気持ちを考えると、申し訳無いと言う想いが有った。
 だが『子なら兎も角、例えば孫や曾孫(ひまご)、更には玄孫(やしゃご)がどんな道を選んだとしても止めようが無いではないですか。それは、その時の当主が判断することで宜しいのでは』もし、千常が今居たとしたら、そう言って説得したいと思った。

 その日のうちに文脩(ふみなが)を呼んだ。まだ誰にも打ち明けていない。部屋に入って来た文脩(ふみなが)は、明らかに落ち着きが無い。千方が自分を暗殺しようとしているのではないかと言う疑念を抱いたのだ。着いて来た義時らも警戒感を(あら)わにしている。まずいことに、夜通し考えていたせいで千方の目が少し窪み、薄らと(くま)まで出来ている。文脩(ふみなが)は何とか口頭で危機を回避しようと思っており、郎等達は命がけで文脩(ふみなが)を護る腹を固めている。しかし、千方の方はたったひとり。いつも側に(はべ)っている広表智通(ひろおもてともみち)小山武規(こやまたけのり)の姿も無い。それが文脩(ふみなが)らの警戒心を却って煽っている。
「急なお呼び出し、どのような御用向きで御座いましょうか?」
 文脩(ふみなが)が不安げな表情で尋ねる。
「うん?」
と言って千方はにこやかに笑った。
「急なことで済まぬ。色々思案した揚句(あげく)のことじゃが、麿は草原(かやはら)に隠居することにした。後は宜しく頼む」
「はっ? 急に何を言い出されるのですか?」
 千方の発した言葉の意外さに、文脩(ふみなが)もその郎等達も真意を測りかねている。
下野(しもつけ)の今後のことじゃ。以前申したように、麿は己の信念を曲げることは出来ぬ。そなたは麿に従うと申したが、本意では有るまい」
「いえ、決してそのようなことは……」
 文脩(ふみなが)は必死で否定した。誘いに乗ってうっかり本心を吐露した途端、言質(げんじち)を取られて粛清されると言う事は、有り得るからだ。
「隠さずとも良い。下野(しもつけ)を案じるそなたの心、麿は理解しておるつもりじゃ。のう義時、それで全て丸く収まるであろう」
「は、いえ、そのう……」
 義時はすっかり狼狽(ろうばい)してしまっている。
「先日のご無礼の数々、平にお許し下さいませ」
 前回の己の発言が、ひょっとして、千方に文脩を除く事を決心させたのではないかと思ったのだ。
「別にそのほうを責めている訳では無いし、言われたから隠居しようと思った訳でも無い。文脩。麿や五郎兄上には出来ぬことでも、そなたには出来ることも有る。鏑木(かぶらぎ)に好き放題やらせておいては下野(しもつけ)が割れる。和解して、工作をやめさせよ」
 油断させて罠に嵌める例は、世間には良く有る。返事をした途端に郎等達が飛び出して来て、囲まれるのではないかと疑う心がまだ有った。見ると、千方は(さわ)やかな表情を見せている。
「兄上、本当にご隠居されるおつもりですか?」
 思い切ってそう聞いてみた。
「本来、嫡男(ちゃくなん)のそなたが継ぐべき家。好きなように致せ」
 どこぞに郎等達が潜んでいる気配も無いし、千方は太刀に触れようともしていない。
「本当に、それで宜しいのですか?」
 文脩がそう念を押す。千方は黙って頷いた。
「ご本心で言うておられるのですか?」
 文脩(ふみなが)は尚も言葉を重ねた。
「麿の本心は、五郎兄上と同じく、摂関家には従わないと言うものであるはず。それが何で急にと思うているのであろう」
 千方は、文脩の戸惑いを指摘した。
「は、はい」
「確かにその通りだが、下野藤原(しもつけふじわら)の嫡男はやはりそなたじゃ。五郎兄上のお心に添えぬことは、正直、心苦しい。だが、兄上とて、孫や曾孫(ひまご)の考えまで支配することは出来ぬ。(だい)が代われば考え方も変わる。それが、孫や曾孫の代では無く、そなたの代で変わると言うだけのことだ。そう思うた。麿は麿の生き方を貫くつもりだが、それは麿ひとりのこと。下野藤原を巻き込むことでは無い。以後、下野藤原の在り方に口を挟むつもりは無い。家の安泰を第一と考えるそなたの考えでやってみよ」
 そう言い渡した。少しの間、文脩(ふみなが)は黙って千方を見詰めていたが、一旦目を閉じ見開くと、手を突いて深々と頭を下げた。
「有難う御座います」
 緊張していた文脩の顔に笑みが戻った。

 その月の内に千方は隠居し、小山(おやま)の舘を文脩(ふみなが)に明け渡して、家族と少数の郎等のみを連れて草原(かやはら)に移った。

 その頃、都では、京人(みやこびと)の誰もが耳を疑うような珍事と言って良い出来事が起きていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み