第一章 第18話 初冠(ういこうぶり) Ⅱ

文字数 8,493文字

 秀郷(ひでさと)一行は、宮司(みやのつかさ)の舘に寄宿し、翌日到着予定の千常、千方らの一行を待った。

 朝方到着した千常一行は、鳥居を潜り、石段を上がると神門を潜って、左手にある御手洗(みたらし)で手と口を清め、拝殿の前に進んで、二拝二拍手一拝の作法に(のっと)った参拝を行う。
 一旦、別の部屋で休息を取った後、いよいよ秀郷(ひでさと)と千方の対面が行われた。下座(しもざ)正面に千方、その左後方に朝鳥が控えて待っていると、まず、露女(つゆめ)久稔(ひさとし)豊地(とよち)巫女(みこ)案内(あない)されて現れた。
「母上! それに御爺(おじじ)様、お久しゅう御座います」
 母達に気付いた千方が上気した様子で声を発した。
「おおお~っ。見違えるほど(たくま)しくなったのう千寿丸(せんじゅまる)。今日は目出度(めでた)い、目出度いのう……」
 久稔(ひさとし)は歳のせいか、今にも涙をその目に溢れさせんばかりに興奮している。
「ほんに、六郎殿、立派になられました」
 母・露女(つゆめ)が言葉を合わせたが、こちらは冷静な表情を崩さない。
「六郎様、此度(こたび)は本当に御目出度とう御座います」
 次に声を掛けて来たのは豊地(とよち)である。
「有り難う御座います。叔父上もお変わり無く。良うお()で下さいました」
 千方の左隣に露女(つゆめ)、右隣に久稔(ひさとし)が席を取り、久稔(ひさとし)の右後ろに豊地(とよち)が控えた。
 千方は、髪を角髪(みずら)()い、千常より届けられた新しい水干(すいかん)を身に着けている。
「大殿が見えられます」
 郎党の声に、一同頭を下げ待ち受ける。
 間も無く、秀郷(ひでさと)を先頭に、高郷(たかさと)千国(ちくに)、千常の三人が現れ、秀郷(ひでさと)を中心にして上座(かみざ)に着く。
千寿丸(せんじゅまる)か? 父じゃ。良う参った」
 席に着き、ひと呼吸置いた後、秀郷(ひでさと)が静かに言葉を発した。
露女(つゆめ)が子・千寿丸(せんじゅまる)に御座います。お目に掛かれて、これ以上の喜びは御座いません。また、こたびは初冠(ういこうぶり)の儀を()り行って頂けるとのこと、厚く御礼申し上げます」
「我等よりも重ねて御礼申し上げます」
久稔(ひさとし)が言葉を添え、下座の一同が頭を下げる。
「千寿丸。(おもて)を上げて、父に良う顔を見せてくれぬか……」
「はい」 
と答えて顔を上げ、千方は真っ直ぐに父の顔を見た。
「兄上、千寿丸(せんじゅまる)は中々に良き男振りで御座いますのう。どちらに似たのやら……」
 高郷(たかさと)が笑いながら言った。
「麿に決まっておろうが…… うん? そうであろう?」
「はあ…… 左様ですか」
 高郷(たかさと)が含み笑いをすると、千常、千国(ちくに)も笑った。
 秀郷(ひでさと)の三男・千国(ちくに)は、秀郷(ひでさと)が鎮守府将軍在任中は、秀郷に代わって胆沢(いさわ)に有る鎮守府に詰めていた。欲が無くあっさりした性格の男だが、(すじ)を通そうとする時には、一歩も譲らない一面も持ち合わせている。
 千方は、秀郷(ひでさと)の姿を見詰めていた。父と呼ぶ人は、祖父・久稔(ひさとし)と変わらぬ年頃である。期待とは裏腹に感激は沸いて来ない。初対面であるから懐かしさという感情も無い。
『これが父か』と思うばかりである。ただ、遠くに()った人が目の前に居る。雲の上の人と思っていた人が、普通の人間として、今そこに在る。
千寿丸(せんじゅまる)」 
 秀郷(ひでさと)が声を掛けて来た。
「はい」
と答える。
「そなたが生まれて十四年。一度も会ったことの無いこの父をどう思うておる?」
と千方に尋ねた。千方は直ぐに答える事が出来なかった。間を置いて口を開く。
「お会いしとうは御座いました。ですが、祖父や母、それに叔父達のお蔭で、少しも寂しくは御座いませんでした」
 そう言って秀郷を見た。
「そうか…… それは良かった。これからは、我が家の一員として、又、草原(かやはら)の為にも力を尽して貰うことになろう。ついては、この下野藤原家(しもつけふじわらけ)に付いて少し話して置こう」
 秀郷が話し始める。
「我が家は、藤原北家の祖・房前(ふささき)候の五男・魚名(うおな)候を祖とする。魚名(うおな)候の五男・藤成(ふじなり)という人が若き日に下野掾(しもつけのじょう)として国府に赴任して来た。その後藤成(ふじなり)は、一旦都に戻った後、播磨介(はりまのすけ)播磨守(はりまのかみ)伊勢守(いせのかみ)などを歴任し、従四位下(じゅしいのげ)にまで上ったが、五十を待たずして没した。
 藤成(ふじなり)下野掾(しもつけのじょう)在任中に下野(しもつけの)史生(ししょう)鳥取業俊(ととりのなりとし)の娘との間に子を設けていた。それが麿の祖父・豊澤(とよさわ)だ。祖父も鳥取豊俊(ととりのとよとし)の娘との間に子を設けた。それが、我が父・村雄(むらお)じゃ。そして、我が母は当時、下野掾(しもつけのじょう)を務めていた鹿島一族の娘だ。……  千寿丸(せんじゅまる)。麿の祖父・豊澤(とよさわ)も父を知らずに育ったのだ。祖父を育てたのは鳥取(ととり)の家だ。丁度、草原(かやはら)の者達が千寿丸(せんじゅまる)、そなたを育てたようにな。だから、麿は鳥取(ととり)の一族と思うておる。
 だがな、遂に下野(しもつけ)に戻ることの無かった父親でも、その藤原という(かばね)によって、子である我が祖父にも鳥取(ととり)一族にも計り知れぬ程大きなものを残して行ったと言えるのだ。『藤原』の(かばね)には、やはり、力が有る。残念ながら鳥取(ととり)を名乗っていては、今の吾の地位は得られなかったであろう。草原(かやはら)も、もはや藤原の一族、精々利用することだ。
 魚名(うおな)候と言うより、藤成(ふじなり)候こそが、我が一族の(もとい)となったお方じゃ」
 秀郷は千方から一旦目を離し、何かを思うように視線を(くう)に移した。

 藤原藤成(ふじわらのふじなり)には、奇しくも秀郷(ひでさと)に繋がる別の一面が有った。それは、蝦夷(えみし)との関わりである。
 弘仁(こうにん)二年(八百十一年)播磨介(はりまのすけ)に任ぜられた藤成(ふじなり)は、弘仁(こうにん)四年(八百十三年)、移配させた夷俘(いふ)に対する教化(きょうか)や、夷俘(いふ)からの要請に対応する為の専当官(せんとうかん)を兼ねることになった。蝦夷(えみし)を管理しながら相談にも乗り、不満を解消して、反乱を起こさせないようにする役目だ。つまり、藤成(ふじなり)蝦夷(えみし)大和(やまと)の風習に馴染(なじ)ませる為の教育訓練や身の上相談に当たる職に()ったのだ。彼は、先入観を持たず蝦夷(えみし)に接したと言う。もちろん、(だい)の離れた秀郷(ひでさと)藤成(ふじなり)から何かを学んだと言うことは無い。しかし、彼の血の中に有る何かが、秀郷(ひでさと)蝦夷(えみし)との関わりを選ばせたのかも知れない。

 秀郷(ひでさと)の言葉に、
「一族の為、また草原(かやはら)の為に力を尽す所存に御座います」
と千方が答える。
「うん、捨て置いたにも関わらず立派に育ってくれた。嬉しく思うぞ。命名に付いてだがのう、遠方に()った藤成(ふじなり)候とは違い、下野(しもつけ)武蔵(むさし)。目と鼻の先に()りながら彼方(かなた)に置いてしもうた子ゆえ、我が想いを込め『千方(ちかた)』と名付ける。元服の(のち)は、藤原(ふじわらの)・六郎・千方(ちかた)と名乗るが良い」
 命名の理由を秀郷はそう述べた。 
藤原六郎千方(ふじわらのろくろうちかた)。良き名を頂き、(まこと)に有難う御座います」
 手を付いて、千方が頭を下げる。
「ほんに、深きお心を名に頂き、千寿丸(せんじゅまる)、いえ千方も果報者に御座います」
露女(つゆめ)が続けた。
「そう思うてくれるか? 露女(つゆめ)
 何処かほっとした様子が、秀郷の表情から伺える。
「はい」
 露女は満足そうに微笑んでいる。
「良き日である。目出度(めでた)い」
 秀郷が言った。

 一行は神殿に向かう。拝殿に向かって参拝し、宮司(みやのつかさ)の先導で拝殿に上ると、正面には山海の(さち)が供えられており、秀郷(ひでさと)(かつ)て奉納した(よろい)、太刀、弓等が飾られている。烏帽子親(えぼしおや)を務める千常が右手奥の席に着き、秀郷(ひでさと)高郷(たかさと)、千常、千国(ちくに)らが連なる。
 千方が正面下座の円座(わろうだ)に席を取り、左方には、久稔(ひさとし)露女(つゆめ)豊地(とよち)、後方には朝鳥ら郎党達が居並ぶが、その末席には、祖真紀(そまき)古能代(このしろ)親子も列席を許されて連なっている。

 まず、宮司(みやのつかさ)が、大幣(おおぬさ)を振ってお(はら)いを行い、修祓(しゅうばつ)の儀が()り行われる。
 続いて祝詞(のりと)が上げられ、それが済むと二人の巫女(みこ)の介添を得て、千方が、童形水干(どうぎょうすいかん)から大人の衣装である直垂(ひたたれ)に着替える。正式には、この着替えは五角形の柳の箱の上に立って行われるようになるが、この時、その風習は取り入れられていない。
 着替えが済むと、烏月帽子親(えぼしおや)である千常が歩み寄り、朝鳥と巫女の介添えで、千方の角髪(みずら)()った髪の(もとどり)を切り、大人の髪である冠下(かんむりした)(もとどり)()い上げる。
 続いて加冠の儀へと移るが、『加冠』とは、本来宮中の元服の儀式で(かんむり)(かぶ)らせることを意味する言葉だが、(つわもの)の家では折烏帽子(おりえぼし)を用いる。この折烏帽子(おりえぼし)は、兜下(かぶとした)に被れるように先が折れ曲がった烏帽子(えぼし)であり、後に侍烏帽子(さむらいえぼし)と呼ばれるようになる。
 千常が千方の正面に回り、小結(こゆい)(ひも)を結び、顎紐(あごひも)を結ぶ。そして、秀郷(ひでさと)に向かって礼をして席に戻る。
 ここで、神酒(おみき)拝戴(はいたい)へと式次第は進むところだ。
「千方」
と千常が、付けられたばかりの元服名((いみな))で呼んだ。
 一瞬間を置いて千方が、
「はい」
と答える。己の名を認識するのに一瞬の間を要したのだ。
「これに参れ」
と千常が千方を招いた。戸惑いながら千方が進み出ると、千常は座っていた席を空け、千方にその席に着くよう促す。
「ここに座るので御座いますか?」
と不審そうに千方が尋ねる。
「そうだ」
と答えると、千常は振り返って、
「良いぞ!」 
と入口に向かって声を上げた。
 入口から六人の直垂(ひたたれ)姿の若者達が入って来た。頭に烏帽子(えぼし)は頂いていない。何も聞かされていなかった千方は、はっとして六人を見た。夜叉丸達だ。千方の座っていた後ろに、六人は横に並んで席を取り、千方の方に向かって礼をする。
「郎党達だ。そなたの手で烏帽子(えぼし)を与えるが良い」
と千常が指示する。

 若い郎党達が元服する時は、(あるじ)烏帽子親(えぼしおや)を務めることが多い。一瞬先に元服した千方が、烏帽子親として郎等達の元服を執り行うと言う構図を作ったのだ。

「はい。父上、兄上。有難う御座います。こうまでして頂き、六郎は仕合わせ者です」
 既に髪も結い上げている夜叉丸(やしゃまる)達は、見違えるように大人びて見え、引き締まった表情は、昨日までの蝦夷(えみし)(わらべ)とは全く別人のように思えた。
 緊張のせいか、犬丸や竹丸の顔にさえ笑みの欠片(かけら)も浮かんでいない。(おのれ)自身も緊張していたが、千方は、()えて笑顔を作って、巫女の差し出す烏帽子(えぼし)を次々に彼等の頭に載せ、小結(こゆい)顎紐(あごひも)を結んで行った。
 その光景を、千方以上の感慨を持って見詰めている者が居た。古能代(このしろ)である。弟・支由威手(しゆいて)達は『郎党』の身分を得るまでに十年の歳月を要している。しかし、この者達は、このような晴れがましい席で、元服と共に千方の郎党となることが出来た。己の手柄とは思わないが、父・祖真紀(そまき)や祖父の判断が間違ってはいなかったということだろうと思った。
 厳しい躾の(もと)国時(くにとき)に反発しながら、郎党としての所作(しょさ)や言葉使いを身に付けて行った支由威手(しゆいて)達の葛藤も夜叉丸(やしゃまる)達六人には無縁であった。
 実は、朝鳥が、暇を見付けては(わらべ)達を集め、郎党の心得や所作を面白可笑しく演じながら教えていたのだ。千方に対しては少々口煩(くちうるさ)く反発を買ったことのある朝鳥だったが、蝦夷(えみし)(わらべ)達に取っては、面白く親しみ易い存在だった。

 加冠の儀が済むと、千方は元の席に戻り神酒(おみき)拝戴(はいたい)となる。
 正式に千方の郎党と成った者達の何人かは、初めて口にする(ささ)に、思わず眉根を寄せたり目をきょろきょろさせたりして(わらべ)の表情に戻っている。楽師(がくし)が入り、白拍子(しらびょうし)による今様歌舞楽(いまようかぶがく)が始まると、竹丸などは口を半開きにし、犬丸、秋天丸(しゅてんまる)、それに、鷹丸(たかまる)鳶丸(とびまる)の兄弟も、見たことも無い光景に殆ど放心状態となり、すっかり山童(やまわらべ)のお登りさん状態となっている。唯一人、夜叉丸(やしゃまる)のみが、無理矢理、表情を抑えているのか、(にら)み付けるようにして舞を見ていた。
 今様歌舞楽(いまようかぶがく)が終わると共に拝殿での儀を終え、一行は宮司(みやのつかさ)の先導で秀郷(ひでさと)を先頭にして宮司の舘へと渡る。

 舘には馳走が用意されており、一同席に着いたが、そこには、(くつろい)いで(うたげ)を楽しむ秀郷(ひでさと)や一族の者、それに郎党達。緊張しながらも礼を尽くし心配りをする、千方ら草原(かやはら)の者達。居心地悪そうに隅の方に控えながら、夜叉丸(やしゃまる)ら六人の様子をはらはらしながら見守っている祖真紀(そまき)古能代(このしろ)、三者三様の姿が有った。
「順は逆になったが、あの者達にも名を付けて やらねばのう。…… 千方、そなたの初仕事じゃ」
 秀郷(ひでさと)の酒盃に(ささ)を注いでいた千方に、秀郷(ひでさと)が言った。

 その晩は宮司(みやのつかさ)の舘に泊まることとなった。千方ら、草原(かやはら)一族の為に一間(ひとま)が用意されていた。千方、朝鳥、露女(つゆめ)久稔(ひさとし)豊地(とよち)夜叉丸(やしゃまる)秋天丸(しゅてんまる)、犬丸、鷹丸(たかまる)鳶丸(とびまる)、竹丸の十一人が一堂に会している。
と、突然、秀郷(ひでさと)が現れた。一振(ひとふ)りの太刀を手にしている。一同、慌てて下座(しもざ)に席を移して控える。
「千方」
秀郷(ひでさと)が呼び掛けた。
「はい」
と言って千方が立ったままの秀郷(ひでさと)の前に、膝行(しっこう)で進み出る。
「これはな、陸奥(むつ)の黒川で打たせた太刀のうちの一振りじゃ。我が子のひとりとして与える。大事に致せ」
 そう言って横にして持った太刀を、千方の目の前に突き出す。
「有難く頂戴致します」
 頭上に両手を差し上げ、頭を下げて千方が毛抜形太刀(けぬきがたのたち)を受け取る。
「うん。母や祖父とも一年振りの再会であろう。後はゆるりと致せ」
 そう言い残すと、秀郷(ひでさと)は直ぐに出て行った。一同頭を下げて秀郷(ひでさと)を見送った後、太刀を左手に持ち替えると、千方は上座(かみざ)に戻った。
 その両側に久稔(ひさとし)露女(つゆめ)が席を取る。朝鳥と豊地(とよち)が下座両脇に控え、その(しも)に他の者達が居並ぶ。
「感無量じゃな。…… このような日が来るとは…… のう露女(つゆめ)
久稔(ひさとし)が感慨深げに呟く。
「いえ、父上、これからで御座います。千方はまだまだ修行の身、父上に、まだまだ老いられては困ります」
 その露女の言葉に我に戻ったのか、
「ふん。まだ老いてなどおらぬわ。じゃがな、草原(かやはら)の家の子・郎党に加え、ここにおる者達。その後ろには千常の殿や将軍様が控えておられるのじゃ。もはや我が一族は弱小氏族などではないぞ」
と己を奮い立たせるように言った。
「いつから父上は、そんな甘いお方になられたのですか? 切れるお方と思うておりましたのに……」
 露女は父に厳しさを求めた。
「買い(かぶ)りじゃ。麿は切れ者などでは無い。草原(かやはら)をどう生き残らせるか、それのみをいつも考えておっただけじゃ。 …… しかし千方。(みこと)の母はまるで女院(にょいん)のようじゃのう。…… 今日くらいは気を抜きたかったが、そうはさせてくれぬわ」
と愚痴る。
「ははは。(じじ)様のお心、有難く思います。吾の今日(こんにち)が有るのも、一重(ひとえ)(じじ)様、母上、それに、豊地(とよち)の叔父上らのお蔭。お育て頂きましたこと、厚く御礼申し上げます。又、母上の(いまし)めも深く心に(きざ)み付けたいと思うております」
と千方が言った。
「ふっ。ついこの間『母上と一緒でなければ参りません』などと()ねていおったと聞いた千寿丸(せんじゅまる)と同じとは、とても思えぬな。いつからそのような上手(うま)いことを申せるように成ったのじゃ」
 久稔が愉快そうに笑う。
草原(かやはら)のお舘様。六郎様はこの一年足らずの間に、歳にすれば三つも四つも大人になられました」
 そう朝鳥が口を挟んだ。
「朝鳥と申したのう。そうか、そなたの力か? 礼を申す。これからも、千方を支えてくれ」
と久稔が朝鳥に向かって少し頭を下げる。
「いえ、飛んでも御座いません。六郎様はご自身で成長されたのです。麿の力などでは御座いません」
「いや、千方は、これ以上無い、良き"一の郎党"を得たと思うておる。或いは、将軍様は御承知の上で、そなたを守役にしたのかも知れぬな」
 久稔が一人納得したように頷く。
「何をで御座いますか?」
 その意味が分からず、朝鳥が尋ねた。
「うん? そなたの(かばね)は『日下部(くさかべ)』であろうが」
と久稔が確認する。
「はい。左様(さよう)で…… それが何か?」
「いや、実はな。我が家の()も『日下部(くさかべ)』じゃ」
「左様で御座いますか。存知ませなんだ」
 朝鳥がやっと得心する。
「同族という訳だ。奇遇じゃな」
 久稔は悦に入っている。
「はい。奇遇で御座いますな」
「宜しゅう頼むぞ。千方のこと」
「はい。この命に替えまして」
と久稔の目を見て頷く。
「それはそうと、あの者達に名を付けてやらねばならなかったのであろう」
 久稔が千方に言った。
「左様で御座います……。しかし、急には良き名など思い付きませぬ。御爺(おじじ)様のお力をお借りしとう御座います」
 千方がそう答える。
「うん。そうじゃな」
「あの~」
秋天丸(しゅてんまる)が声を上げた。
「我等、今まで通り呼んで頂ければ宜しいのですが…。なあ、みんな」
と他の者達の同意を求める。
「うん。うん」
と他の者達も頷いた。
「そうは参らん。主人が郎党を幼名で呼ぶのは、なんら差し支え無いが、他人に名を聞かれて幼名を名乗る訳には行かん」
 久稔がそう強調した。
「さりながら、今回のことは予想もしていなかったこと。旋風丸(つむじまる)の件で我等からの使いが来た時、初冠(ういこうぶり)の段取りが成ったとのことで、殿も郷に使いを出されようとしていた処だったという訳ですから、六郎様にご準備が無かったのも当然。六人もの名、すぐには無理で御座いましょう」
と朝鳥が千方を(かば)った。
「うん。明日の朝には真直ぐに(さと)に戻るのであろう。それならば、他人に名を名乗ることも有るまい。名はやはり、主人である千方が付けてやるべきじゃ。郷に戻ってゆるりと考えるが良い」
「麿もそう思います」
露女(つゆめ)が言った。

 宮司(みやのつかさ)の舘。家人(けにん)達の長屋の空き部屋の一室で、古能代(このしろ)は考えていた。
『吾には無理だ。郷長(さとおさ)など務まらん』と断り続けていた古能代(このしろ)であったが、自信が無かったからでは無い。例え一度でも、(さと)が滅びるようなことをしようとした自分が、郷長(さとおさ)などになって良い訳が無い。そんなことは許されぬとの思いが有ったからだ。
 しかし、断り続けていながら、郷長(さとおさ)というものを意識するに連れ、もし郷長(さとおさ)に成ったとしたら、こうもしたい、ああもしたい、と言う考えが勝手に浮かんで来る。その矛盾に気付き、ひとり苦笑いをして、そんな考えを振り払おうとするが、気付かぬ間にまた考えている。
 考えのひとつは、若者達を何人かづつ陸奥(むつ)に送ることだった。もちろん、簡単なことでは無い。ただ、気のせいか、自分の幼い頃に比べ、生まれつき体が不自由な者や、気の(やまい)を患う者が多くなっているような気がする。もちろん、当時遺伝学が有る訳も無いが、(だい)を重ね、狭い(さと)の中で婚姻を繰り返すことに()って、血が濃くなっている為ではないかと感覚的に感じるのだ。若者達を陸奥(むつ)に送ることで、嫁取りを通して新しい血を郷に取り込む。陸奥(むつ)に残り、向うで暮らすことを選ぶ者も出るだろうが、それはそれで良いと思う。

 承平(じょうへい)天慶(てんぎょう)の乱の後、秀郷(ひでさと)の許しを得て、古能代(このしろ)陸奥(むつ)を訪ねた。そしてそのまま七年の間、陸奥(むつ)に留まっていたのだ。
 そこで作り上げた人間関係が有る。受け入れて貰えるはずだ。もうひとつは、(さと)をもっと本格的な戦闘集団に変えることである。
 まず、体や心が弱く(いくさ)には向かない者を、農民として千常に受け入れて貰う。当時、(いくさ)で土地を捨て、そのまま流浪の(たみ)となっていた者は多い。そう言う者達を使って、土豪達は新田開発を行っているのだ。
 千常は承知していても、周りの者達に蝦夷(えみし)と見破られぬ程度の、訓練は施しておかなければならないだろう。上手く行けば、彼等は大和人(やまとびと)となって行くことが出来る。残った者達には、より本格的な訓練を施し、強力な戦闘集落を作り上げる。それには、古能代(このしろ)が十年に渡って経験して来た盗賊との戦いの経験が生かせるはずだ。それに、将門(まさかど)との戦いに加わった経験も、古能代は持っているのだ。

 
「戻った」
 そう言って控えの間に入って来たのは、祖真紀(そまき)だ。
「どこへ?」
と古能代が聞く。
「周りの様子を確かめて来た」
 祖真紀が答える。
(さと)へ帰したと見せて、やはり連れて来ていたのか?」
 郷の男達の事だ。
「敵を(あざむ)くには、まず味方からじゃ。国時(くにとき)様には申し訳なかったが、常に用心は怠れぬ」
 祖真紀はあっさりと認めた。
「この寒さの中、皆には苦労を掛けますな」
 古能代が郷人達の苦労を想って呟いた。
「それが、我等の務め。やむを得ぬ。…… もっと酷な(めい)を下さねばならぬことも有る。気が進まぬか?」
 (おさ)となる為は非情な事を命じる事を避けてはならないと言いたかったのかも知れない。その時、古能代(このしろ)の頭に或る考えが浮かんだ。
『祖真紀は、郷長(さとおさ)交代の道筋を付ける為、旋風丸(つむじまる)が恨みを持っていることを承知しながら、()えて無視していたのではあるまいか……』
 そう思った。しかし、それでは、千方の身に危険が及ぶ可能性をも無視していたことになる。或いは、千方の方が、明らかに腕が上と成っていることまでも計算に入れていたのか? それとも、我が子を崖から落とすようなことさえした男だ。千方の命さえ、実は何とも思っていないのかも知れない。そう思った。
「親父…… まさか策ではあるまいな。旋風丸(つむじまる)の怨念に気付かなんだということ……」
と問う。
「何を申すか。…… 吾も人、抜かりは有るわ。年を取れば尚更にな。だから、隠居すると申しておるのじゃ」
 古能代(このしほ)は改めて祖真紀(そまき)の顔を見た。我が父ながら、この男の本心は分からぬと思った。
古能代(このしろ)、つまらぬことに拘り続けるのは無益じゃ。今、(なれ)祖真紀(そまき)を継ぐことが、(さと)に取っても、殿や大殿に取っても一番良いことなのだ」
 古能代(このしろ)は、はっとして父の顔を見た。
『つまらぬことに(こだわ)り続ける』
とは何を指して言っているのか? 『まさか!』と思った。そして、暫く黙していた。
 しかし、やがて、
「分かった」 
と言った。そして少しの()を置いて、
「だが、少し時を貰えないか? 一度、陸奥(むつ)に行って来たい」
と言った。
「そうだな。陸奥(むつ)に居る妻子を連れ戻って来るが良い。郷長(さとおさ)が独り身では具合が悪いでの。お許しを得て、春になったら行って来い」
と祖真紀が言った。

 実は古能代(このしろ)は、陸奥(むつ)に居た七年の間に、蝦夷(えみし)の豪族・安倍(あべ)氏の娘との間に二人の子を設けていた。そして、子らは安倍(あべ)氏の(もと)で育っている。

参考:
https://7496.mitemin.net/i73653/
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