第一章 第18話 初冠(ういこうぶり) Ⅱ
文字数 8,493文字
秀郷一行は、宮司の舘に寄宿し、翌日到着予定の千常、千方らの一行を待った。
朝方到着した千常一行は、鳥居を潜り、石段を上がると神門を潜って、左手にある御手洗で手と口を清め、拝殿の前に進んで、二拝二拍手一拝の作法に則った参拝を行う。
一旦、別の部屋で休息を取った後、いよいよ秀郷と千方の対面が行われた。下座正面に千方、その左後方に朝鳥が控えて待っていると、まず、露女、久稔、豊地が巫女に案内されて現れた。
「母上! それに御爺様、お久しゅう御座います」
母達に気付いた千方が上気した様子で声を発した。
「おおお~っ。見違えるほど逞しくなったのう千寿丸。今日は目出度い、目出度いのう……」
久稔は歳のせいか、今にも涙をその目に溢れさせんばかりに興奮している。
「ほんに、六郎殿、立派になられました」
母・露女が言葉を合わせたが、こちらは冷静な表情を崩さない。
「六郎様、此度は本当に御目出度とう御座います」
次に声を掛けて来たのは豊地である。
「有り難う御座います。叔父上もお変わり無く。良うお出で下さいました」
千方の左隣に露女、右隣に久稔が席を取り、久稔の右後ろに豊地が控えた。
千方は、髪を角髪に結い、千常より届けられた新しい水干を身に着けている。
「大殿が見えられます」
郎党の声に、一同頭を下げ待ち受ける。
間も無く、秀郷を先頭に、高郷、千国、千常の三人が現れ、秀郷を中心にして上座に着く。
「千寿丸か? 父じゃ。良う参った」
席に着き、ひと呼吸置いた後、秀郷が静かに言葉を発した。
「露女が子・千寿丸に御座います。お目に掛かれて、これ以上の喜びは御座いません。また、こたびは初冠の儀を執り行って頂けるとのこと、厚く御礼申し上げます」
「我等よりも重ねて御礼申し上げます」
と久稔が言葉を添え、下座の一同が頭を下げる。
「千寿丸。面を上げて、父に良う顔を見せてくれぬか……」
「はい」
と答えて顔を上げ、千方は真っ直ぐに父の顔を見た。
「兄上、千寿丸は中々に良き男振りで御座いますのう。どちらに似たのやら……」
高郷が笑いながら言った。
「麿に決まっておろうが…… うん? そうであろう?」
「はあ…… 左様ですか」
高郷が含み笑いをすると、千常、千国も笑った。
秀郷の三男・千国は、秀郷が鎮守府将軍在任中は、秀郷に代わって胆沢に有る鎮守府に詰めていた。欲が無くあっさりした性格の男だが、筋を通そうとする時には、一歩も譲らない一面も持ち合わせている。
千方は、秀郷の姿を見詰めていた。父と呼ぶ人は、祖父・久稔と変わらぬ年頃である。期待とは裏腹に感激は沸いて来ない。初対面であるから懐かしさという感情も無い。
『これが父か』と思うばかりである。ただ、遠くに在った人が目の前に居る。雲の上の人と思っていた人が、普通の人間として、今そこに在る。
「千寿丸」
秀郷が声を掛けて来た。
「はい」
と答える。
「そなたが生まれて十四年。一度も会ったことの無いこの父をどう思うておる?」
と千方に尋ねた。千方は直ぐに答える事が出来なかった。間を置いて口を開く。
「お会いしとうは御座いました。ですが、祖父や母、それに叔父達のお蔭で、少しも寂しくは御座いませんでした」
そう言って秀郷を見た。
「そうか…… それは良かった。これからは、我が家の一員として、又、草原の為にも力を尽して貰うことになろう。ついては、この下野藤原家に付いて少し話して置こう」
秀郷が話し始める。
「我が家は、藤原北家の祖・房前候の五男・魚名候を祖とする。魚名候の五男・藤成という人が若き日に下野掾として国府に赴任して来た。その後藤成は、一旦都に戻った後、播磨介、播磨守、伊勢守などを歴任し、従四位下にまで上ったが、五十を待たずして没した。
藤成は下野掾在任中に下野史生・鳥取業俊の娘との間に子を設けていた。それが麿の祖父・豊澤だ。祖父も鳥取豊俊の娘との間に子を設けた。それが、我が父・村雄じゃ。そして、我が母は当時、下野掾を務めていた鹿島一族の娘だ。…… 千寿丸。麿の祖父・豊澤も父を知らずに育ったのだ。祖父を育てたのは鳥取の家だ。丁度、草原の者達が千寿丸、そなたを育てたようにな。だから、麿は鳥取の一族と思うておる。
だがな、遂に下野に戻ることの無かった父親でも、その藤原という姓によって、子である我が祖父にも鳥取一族にも計り知れぬ程大きなものを残して行ったと言えるのだ。『藤原』の姓には、やはり、力が有る。残念ながら鳥取を名乗っていては、今の吾の地位は得られなかったであろう。草原も、もはや藤原の一族、精々利用することだ。
魚名候と言うより、藤成候こそが、我が一族の基となったお方じゃ」
秀郷は千方から一旦目を離し、何かを思うように視線を空に移した。
藤原藤成には、奇しくも秀郷に繋がる別の一面が有った。それは、蝦夷との関わりである。
弘仁二年(八百十一年)播磨介に任ぜられた藤成は、弘仁四年(八百十三年)、移配させた夷俘に対する教化や、夷俘からの要請に対応する為の専当官を兼ねることになった。蝦夷を管理しながら相談にも乗り、不満を解消して、反乱を起こさせないようにする役目だ。つまり、藤成は蝦夷を大和の風習に馴染ませる為の教育訓練や身の上相談に当たる職に在ったのだ。彼は、先入観を持たず蝦夷に接したと言う。もちろん、代の離れた秀郷が藤成から何かを学んだと言うことは無い。しかし、彼の血の中に有る何かが、秀郷に蝦夷との関わりを選ばせたのかも知れない。
秀郷の言葉に、
「一族の為、また草原の為に力を尽す所存に御座います」
と千方が答える。
「うん、捨て置いたにも関わらず立派に育ってくれた。嬉しく思うぞ。命名に付いてだがのう、遠方に在った藤成候とは違い、下野と武蔵。目と鼻の先に在りながら彼方に置いてしもうた子ゆえ、我が想いを込め『千方』と名付ける。元服の後は、藤原・六郎・千方と名乗るが良い」
命名の理由を秀郷はそう述べた。
「藤原六郎千方。良き名を頂き、真に有難う御座います」
手を付いて、千方が頭を下げる。
「ほんに、深きお心を名に頂き、千寿丸、いえ千方も果報者に御座います」
と露女が続けた。
「そう思うてくれるか? 露女」
何処かほっとした様子が、秀郷の表情から伺える。
「はい」
露女は満足そうに微笑んでいる。
「良き日である。目出度い」
秀郷が言った。
一行は神殿に向かう。拝殿に向かって参拝し、宮司の先導で拝殿に上ると、正面には山海の幸が供えられており、秀郷が嘗て奉納した鎧、太刀、弓等が飾られている。烏帽子親を務める千常が右手奥の席に着き、秀郷、高郷、千常、千国らが連なる。
千方が正面下座の円座に席を取り、左方には、久稔、露女、豊地、後方には朝鳥ら郎党達が居並ぶが、その末席には、祖真紀、古能代親子も列席を許されて連なっている。
まず、宮司が、大幣を振ってお祓いを行い、修祓の儀が執り行われる。
続いて祝詞が上げられ、それが済むと二人の巫女の介添を得て、千方が、童形水干から大人の衣装である直垂に着替える。正式には、この着替えは五角形の柳の箱の上に立って行われるようになるが、この時、その風習は取り入れられていない。
着替えが済むと、烏月帽子親である千常が歩み寄り、朝鳥と巫女の介添えで、千方の角髪に結った髪の髻を切り、大人の髪である冠下の髻に結い上げる。
続いて加冠の儀へと移るが、『加冠』とは、本来宮中の元服の儀式で冠を被らせることを意味する言葉だが、兵の家では折烏帽子を用いる。この折烏帽子は、兜下に被れるように先が折れ曲がった烏帽子であり、後に侍烏帽子と呼ばれるようになる。
千常が千方の正面に回り、小結の紐を結び、顎紐を結ぶ。そして、秀郷に向かって礼をして席に戻る。
ここで、神酒拝戴へと式次第は進むところだ。
「千方」
と千常が、付けられたばかりの元服名(諱)で呼んだ。
一瞬間を置いて千方が、
「はい」
と答える。己の名を認識するのに一瞬の間を要したのだ。
「これに参れ」
と千常が千方を招いた。戸惑いながら千方が進み出ると、千常は座っていた席を空け、千方にその席に着くよう促す。
「ここに座るので御座いますか?」
と不審そうに千方が尋ねる。
「そうだ」
と答えると、千常は振り返って、
「良いぞ!」
と入口に向かって声を上げた。
入口から六人の直垂姿の若者達が入って来た。頭に烏帽子は頂いていない。何も聞かされていなかった千方は、はっとして六人を見た。夜叉丸達だ。千方の座っていた後ろに、六人は横に並んで席を取り、千方の方に向かって礼をする。
「郎党達だ。そなたの手で烏帽子を与えるが良い」
と千常が指示する。
若い郎党達が元服する時は、主が烏帽子親を務めることが多い。一瞬先に元服した千方が、烏帽子親として郎等達の元服を執り行うと言う構図を作ったのだ。
「はい。父上、兄上。有難う御座います。こうまでして頂き、六郎は仕合わせ者です」
既に髪も結い上げている夜叉丸達は、見違えるように大人びて見え、引き締まった表情は、昨日までの蝦夷の童とは全く別人のように思えた。
緊張のせいか、犬丸や竹丸の顔にさえ笑みの欠片も浮かんでいない。己自身も緊張していたが、千方は、敢えて笑顔を作って、巫女の差し出す烏帽子を次々に彼等の頭に載せ、小結、顎紐を結んで行った。
その光景を、千方以上の感慨を持って見詰めている者が居た。古能代である。弟・支由威手達は『郎党』の身分を得るまでに十年の歳月を要している。しかし、この者達は、このような晴れがましい席で、元服と共に千方の郎党となることが出来た。己の手柄とは思わないが、父・祖真紀や祖父の判断が間違ってはいなかったということだろうと思った。
厳しい躾の下、国時に反発しながら、郎党としての所作や言葉使いを身に付けて行った支由威手達の葛藤も夜叉丸達六人には無縁であった。
実は、朝鳥が、暇を見付けては童達を集め、郎党の心得や所作を面白可笑しく演じながら教えていたのだ。千方に対しては少々口煩く反発を買ったことのある朝鳥だったが、蝦夷の童達に取っては、面白く親しみ易い存在だった。
加冠の儀が済むと、千方は元の席に戻り神酒拝戴となる。
正式に千方の郎党と成った者達の何人かは、初めて口にする酒に、思わず眉根を寄せたり目をきょろきょろさせたりして童の表情に戻っている。楽師が入り、白拍子による今様歌舞楽が始まると、竹丸などは口を半開きにし、犬丸、秋天丸、それに、鷹丸、鳶丸の兄弟も、見たことも無い光景に殆ど放心状態となり、すっかり山童のお登りさん状態となっている。唯一人、夜叉丸のみが、無理矢理、表情を抑えているのか、睨み付けるようにして舞を見ていた。
今様歌舞楽が終わると共に拝殿での儀を終え、一行は宮司の先導で秀郷を先頭にして宮司の舘へと渡る。
舘には馳走が用意されており、一同席に着いたが、そこには、寛いで宴を楽しむ秀郷や一族の者、それに郎党達。緊張しながらも礼を尽くし心配りをする、千方ら草原の者達。居心地悪そうに隅の方に控えながら、夜叉丸ら六人の様子をはらはらしながら見守っている祖真紀と古能代、三者三様の姿が有った。
「順は逆になったが、あの者達にも名を付けて やらねばのう。…… 千方、そなたの初仕事じゃ」
秀郷の酒盃に酒を注いでいた千方に、秀郷が言った。
その晩は宮司の舘に泊まることとなった。千方ら、草原一族の為に一間が用意されていた。千方、朝鳥、露女、久稔、豊地、夜叉丸、秋天丸、犬丸、鷹丸、鳶丸、竹丸の十一人が一堂に会している。
と、突然、秀郷が現れた。一振りの太刀を手にしている。一同、慌てて下座に席を移して控える。
「千方」
と秀郷が呼び掛けた。
「はい」
と言って千方が立ったままの秀郷の前に、膝行で進み出る。
「これはな、陸奥の黒川で打たせた太刀のうちの一振りじゃ。我が子のひとりとして与える。大事に致せ」
そう言って横にして持った太刀を、千方の目の前に突き出す。
「有難く頂戴致します」
頭上に両手を差し上げ、頭を下げて千方が毛抜形太刀を受け取る。
「うん。母や祖父とも一年振りの再会であろう。後はゆるりと致せ」
そう言い残すと、秀郷は直ぐに出て行った。一同頭を下げて秀郷を見送った後、太刀を左手に持ち替えると、千方は上座に戻った。
その両側に久稔と露女が席を取る。朝鳥と豊地が下座両脇に控え、その下に他の者達が居並ぶ。
「感無量じゃな。…… このような日が来るとは…… のう露女」
と久稔が感慨深げに呟く。
「いえ、父上、これからで御座います。千方はまだまだ修行の身、父上に、まだまだ老いられては困ります」
その露女の言葉に我に戻ったのか、
「ふん。まだ老いてなどおらぬわ。じゃがな、草原の家の子・郎党に加え、ここにおる者達。その後ろには千常の殿や将軍様が控えておられるのじゃ。もはや我が一族は弱小氏族などではないぞ」
と己を奮い立たせるように言った。
「いつから父上は、そんな甘いお方になられたのですか? 切れるお方と思うておりましたのに……」
露女は父に厳しさを求めた。
「買い被りじゃ。麿は切れ者などでは無い。草原をどう生き残らせるか、それのみをいつも考えておっただけじゃ。 …… しかし千方。命の母はまるで女院のようじゃのう。…… 今日くらいは気を抜きたかったが、そうはさせてくれぬわ」
と愚痴る。
「ははは。爺様のお心、有難く思います。吾の今日が有るのも、一重に爺様、母上、それに、豊地の叔父上らのお蔭。お育て頂きましたこと、厚く御礼申し上げます。又、母上の戒めも深く心に刻み付けたいと思うております」
と千方が言った。
「ふっ。ついこの間『母上と一緒でなければ参りません』などと拗ねていおったと聞いた千寿丸と同じとは、とても思えぬな。いつからそのような上手いことを申せるように成ったのじゃ」
久稔が愉快そうに笑う。
「草原のお舘様。六郎様はこの一年足らずの間に、歳にすれば三つも四つも大人になられました」
そう朝鳥が口を挟んだ。
「朝鳥と申したのう。そうか、そなたの力か? 礼を申す。これからも、千方を支えてくれ」
と久稔が朝鳥に向かって少し頭を下げる。
「いえ、飛んでも御座いません。六郎様はご自身で成長されたのです。麿の力などでは御座いません」
「いや、千方は、これ以上無い、良き"一の郎党"を得たと思うておる。或いは、将軍様は御承知の上で、そなたを守役にしたのかも知れぬな」
久稔が一人納得したように頷く。
「何をで御座いますか?」
その意味が分からず、朝鳥が尋ねた。
「うん? そなたの姓は『日下部』であろうが」
と久稔が確認する。
「はい。左様で…… それが何か?」
「いや、実はな。我が家の祖も『日下部』じゃ」
「左様で御座いますか。存知ませなんだ」
朝鳥がやっと得心する。
「同族という訳だ。奇遇じゃな」
久稔は悦に入っている。
「はい。奇遇で御座いますな」
「宜しゅう頼むぞ。千方のこと」
「はい。この命に替えまして」
と久稔の目を見て頷く。
「それはそうと、あの者達に名を付けてやらねばならなかったのであろう」
久稔が千方に言った。
「左様で御座います……。しかし、急には良き名など思い付きませぬ。御爺様のお力をお借りしとう御座います」
千方がそう答える。
「うん。そうじゃな」
「あの~」
と秋天丸が声を上げた。
「我等、今まで通り呼んで頂ければ宜しいのですが…。なあ、みんな」
と他の者達の同意を求める。
「うん。うん」
と他の者達も頷いた。
「そうは参らん。主人が郎党を幼名で呼ぶのは、なんら差し支え無いが、他人に名を聞かれて幼名を名乗る訳には行かん」
久稔がそう強調した。
「さりながら、今回のことは予想もしていなかったこと。旋風丸の件で我等からの使いが来た時、初冠の段取りが成ったとのことで、殿も郷に使いを出されようとしていた処だったという訳ですから、六郎様にご準備が無かったのも当然。六人もの名、すぐには無理で御座いましょう」
と朝鳥が千方を庇った。
「うん。明日の朝には真直ぐに郷に戻るのであろう。それならば、他人に名を名乗ることも有るまい。名はやはり、主人である千方が付けてやるべきじゃ。郷に戻ってゆるりと考えるが良い」
「麿もそう思います」
と露女が言った。
宮司の舘。家人達の長屋の空き部屋の一室で、古能代は考えていた。
『吾には無理だ。郷長など務まらん』と断り続けていた古能代であったが、自信が無かったからでは無い。例え一度でも、郷が滅びるようなことをしようとした自分が、郷長などになって良い訳が無い。そんなことは許されぬとの思いが有ったからだ。
しかし、断り続けていながら、郷長というものを意識するに連れ、もし郷長に成ったとしたら、こうもしたい、ああもしたい、と言う考えが勝手に浮かんで来る。その矛盾に気付き、ひとり苦笑いをして、そんな考えを振り払おうとするが、気付かぬ間にまた考えている。
考えのひとつは、若者達を何人かづつ陸奥に送ることだった。もちろん、簡単なことでは無い。ただ、気のせいか、自分の幼い頃に比べ、生まれつき体が不自由な者や、気の病を患う者が多くなっているような気がする。もちろん、当時遺伝学が有る訳も無いが、代を重ね、狭い郷の中で婚姻を繰り返すことに因って、血が濃くなっている為ではないかと感覚的に感じるのだ。若者達を陸奥に送ることで、嫁取りを通して新しい血を郷に取り込む。陸奥に残り、向うで暮らすことを選ぶ者も出るだろうが、それはそれで良いと思う。
承平・天慶の乱の後、秀郷の許しを得て、古能代は陸奥を訪ねた。そしてそのまま七年の間、陸奥に留まっていたのだ。
そこで作り上げた人間関係が有る。受け入れて貰えるはずだ。もうひとつは、郷をもっと本格的な戦闘集団に変えることである。
まず、体や心が弱く戦には向かない者を、農民として千常に受け入れて貰う。当時、戦で土地を捨て、そのまま流浪の民となっていた者は多い。そう言う者達を使って、土豪達は新田開発を行っているのだ。
千常は承知していても、周りの者達に蝦夷と見破られぬ程度の、訓練は施しておかなければならないだろう。上手く行けば、彼等は大和人となって行くことが出来る。残った者達には、より本格的な訓練を施し、強力な戦闘集落を作り上げる。それには、古能代が十年に渡って経験して来た盗賊との戦いの経験が生かせるはずだ。それに、将門との戦いに加わった経験も、古能代は持っているのだ。
「戻った」
そう言って控えの間に入って来たのは、祖真紀だ。
「どこへ?」
と古能代が聞く。
「周りの様子を確かめて来た」
祖真紀が答える。
「郷へ帰したと見せて、やはり連れて来ていたのか?」
郷の男達の事だ。
「敵を欺くには、まず味方からじゃ。国時様には申し訳なかったが、常に用心は怠れぬ」
祖真紀はあっさりと認めた。
「この寒さの中、皆には苦労を掛けますな」
古能代が郷人達の苦労を想って呟いた。
「それが、我等の務め。やむを得ぬ。…… もっと酷な命を下さねばならぬことも有る。気が進まぬか?」
長となる為は非情な事を命じる事を避けてはならないと言いたかったのかも知れない。その時、古能代の頭に或る考えが浮かんだ。
『祖真紀は、郷長交代の道筋を付ける為、旋風丸が恨みを持っていることを承知しながら、敢えて無視していたのではあるまいか……』
そう思った。しかし、それでは、千方の身に危険が及ぶ可能性をも無視していたことになる。或いは、千方の方が、明らかに腕が上と成っていることまでも計算に入れていたのか? それとも、我が子を崖から落とすようなことさえした男だ。千方の命さえ、実は何とも思っていないのかも知れない。そう思った。
「親父…… まさか策ではあるまいな。旋風丸の怨念に気付かなんだということ……」
と問う。
「何を申すか。…… 吾も人、抜かりは有るわ。年を取れば尚更にな。だから、隠居すると申しておるのじゃ」
古能代は改めて祖真紀の顔を見た。我が父ながら、この男の本心は分からぬと思った。
「古能代、つまらぬことに拘り続けるのは無益じゃ。今、汝が祖真紀を継ぐことが、郷に取っても、殿や大殿に取っても一番良いことなのだ」
古能代は、はっとして父の顔を見た。
『つまらぬことに拘り続ける』
とは何を指して言っているのか? 『まさか!』と思った。そして、暫く黙していた。
しかし、やがて、
「分かった」
と言った。そして少しの間を置いて、
「だが、少し時を貰えないか? 一度、陸奥に行って来たい」
と言った。
「そうだな。陸奥に居る妻子を連れ戻って来るが良い。郷長が独り身では具合が悪いでの。お許しを得て、春になったら行って来い」
と祖真紀が言った。
実は古能代は、陸奥に居た七年の間に、蝦夷の豪族・安倍氏の娘との間に二人の子を設けていた。そして、子らは安倍氏の許で育っている。
参考:
https://7496.mitemin.net/i73653/
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