第五章 第10話 朝鳥の死

文字数 3,438文字

 千常(ちつね)は兵を退()き、下野の小山(おやま)に引き揚げた。
 千方とその郎等(ろうとう)達は武蔵の草原(かやはら)に戻り、祖真紀(そまき)郷人(さとびと)達は隠れ(ざと)に帰った。山に戻った祖真紀は、父である長老が、二人の郷人を供に都に上ったと聞かされる。
「はて、都で何をするつもりなのか」
と考えた。何か嫌な予感がした。

 その二日後、近江(おうみ)甲賀三郎兼家(こうかさぶろうかねいえ)からの使いが千常を訪れた。伊尹(これまさ)下僕(げぼく)として潜入させてある手の者からの情報だと言う。伊尹の舘に、蝦夷(えみし)が一人侵入し、従者(ずさ)らに斬り(きざ)まれ、死骸はいずこかに捨てられたと言う。
「馬を引け!」  
 聞き終わった途端、千常が叫んだ。
「どちらへ?」
 今は千常の側近と成っている、朝鳥の上の娘の婿(むこ)・足立三郎・盛末(もりすえ)が聞く。
「良いから、さっさと馬の支度せい!」 
 千常は気が短いので、重ねて聞くことは出来ない。盛末は仕方無く馬の手配に掛かる。但し、盛末自身を含め、五人の郎等の馬も用意させた。

 千常達は隠れ(ざと)に向かった。
「長老はおるか」
 慌てて迎えに出た祖真紀(そまき)にいきなり尋ねた。
「手前の留守中に都に向かったとのことです」
 千常の表情が曇る。
「それきり繋ぎは無いのか」
「はい」
と答え、祖真紀は、千常の表情から父が既にこの世に亡いことを悟った。千常の次の言葉を静かに待つ。 
近江(おうみ)望月兼家(もちづきかねいえ)殿より報せが有った。都の藤原伊尹(ふじわらのこれたまさ)邸に忍び込んだ蝦夷がひとり殺されたそうじゃ」 
「父で御座いましょう」
 祖真紀は静かに答えた。
「あの男が、そう簡単に殺されるとは思えぬ」
「死にに参ったので御座いましょう。ひとりと言われましたね、潜入したのは」
「申した」
「父は、郷の者二人を連れて行っております。恐らく、巻いたか(だま)して置き去りにしたのでしょう。ひとりで死ぬ為に」
 言われてみれば、それで説明が付く。
「ふん。そうで無ければ連れて行く筈か。伊尹は、賊が入ったことを極秘にしているそうじゃ。二人の者は、未だに長老の行方(ゆくえ)を探しているのかも知れぬ。戻って来ぬのは、そう言うことか」
 父の死は、祖真紀の心に、矢張り重く伸し掛かっている。
「不出来な(せがれ)の穴埋めをしたつもりか、親父め」
 遣り切れない想いで、祖真紀が呟く。
陸奥(むつ)でのことなど長老が知る訳も有るまい」
 陸奥(むつ)安倍忠頼(あべただより)が蝦夷蜂起の噂を流すと言うことを、誰も長老に話してはいない筈なのだ。ところが、まるでそれを知っての行動だったとしか思えなかった。
「我が親ながら、底知れぬ男で御座います」
 祖真紀が感慨深げに言った。
「ふん、確かに。底知れぬものを持ちながら、影として生き、影として死んだと言うことか」
 千常も長老に想いを馳せている様子だ。
「我等の定めに御座います」 
「我が父や麿を恨まぬのか」
 千常が祖真紀にそう聞いた。
「いえ、大殿に『(みこと)』と呼ばれたことを、父は生涯喜んでおりました」
 祖真紀がそう答える。 
「そのほうには、そんな死に方はさせぬ。先代・祖真紀への、それが、せめてもの手向(たむ)けじゃ。千方もそう思うじゃろう」
 やり切れなさを振り払うかのように、千常が言った。
「どうか、我等にお気遣い無く」
祖真紀はそう答えた。その晩は郷に泊まり、千常は郷人達と長老を偲んだ。 

 十日ほどして、長老に従い都に上った二人の郷人(さとびと)が戻り、予測がほぼ正しかったことが裏付けられた。長老の死は、武蔵の草原(かやはら)に居る千方と朝鳥にも知らされていた。

 四、五日、風邪で()せっていた朝鳥が、その日たまたま出て来ていた。
「やりおったな」
 話を聞いて、朝鳥がぼそっと呟く。
「何か存じておったのか」
 千方がそう尋ねた。
「先日、別れを……」
と言い掛けて、朝鳥は()き込んだ。
「大丈夫か」
 千方が、そう言って朝鳥の背中を擦る。
「申し訳ありません。大事御座いません」
 千方の手を退()けるようにして、朝鳥は後退りした。
「麿に別れを告げに参りました」 
 朝鳥が又、()き込む。
「戻って、寝ておれ」
 千方が命じる。
「何のこれしき。その時は麿も、ゴホッ、先陣を務めるつもりでおりましたので」
 朝鳥は、また(せき)き込んだ。
「朝鳥。(めい)じゃ。住まいに戻れ。夜叉丸(やしゃまる)(ひな)に送らせよう」
「そんなお気遣いはご無用に、一人で戻れますゆえ。お言葉に甘えて下がらせて頂きます」
 礼をして、朝鳥は下がって行った。千方は夜叉丸を呼ぶ。
「夜叉丸。(ひな)と共に朝鳥を送って行ってくれ。草原(かやはら)の住まいには、飯炊きの婆と下僕(げぼく)しかおらぬゆえ、雛を看病の為残して来て欲しいのじゃ」
 そう命じた。
(かしこま)りました」
 返事をすると直ぐ、夜叉丸は一端、郎等長屋に戻り、雛を連れ、朝鳥の後を追った。

 千方の前を辞してから、朝鳥の体調は急に悪化した。馬に乗るのもしんどかった。春と言うのにやたらに寒さを感じ、体の芯から震えが沸き上がって来る。温かいそよ風が吹いている筈なのに、木枯(こが)らしのように寒さが身に()みる。ともすれば、頭がぼーとして来て落馬しそうになるので、下僕(げぼく)手綱(たずな)を取らせ、両手で(くら)の前輪をしっかりと握っている。
「旦那様。大丈夫だべか」
 下僕が声を掛けた。
「大事無い」
と言いながら、体が揺れている。今までこんなことは無かった。風邪など気合いで治るものと思っていた。少し楽になったと感じた。
 花が咲いている。春だから当然とは思ったが、住まいから千方の舘への道筋にこのような美しき場所が有ったかなと思う。その時、行く先にひとつの影が現れた。良く見ると、影は次第に人の姿になった。
「おお、祖真紀(そまき)、無事でおったか」
 当代の祖真紀では無い。朝鳥は長老を昔の名乗りで呼んでいるのだ。
「してやられたと思ったぞ。(いくさ)とならず、死に(そこ)なってしもうたからな。何か、(なれ)を裏切ったようで心苦しかった。おまけに性質(たち)の悪い風邪までひいてしもうてのう」
「旦那様!」
 叫ぶ下僕の声が聞こえた。朝鳥は、いつの間にか長老と(くつわ)を並べている。長老が微笑んだ。
「ん? 忘れ物じゃ。六郎様に、芹菜(せりな)の腹におったお子のことを話しておらん」
 朝鳥は昔、祖真紀(長老)とした約束を思い出していた。それを果たす為、戻らなければならないと思った。
「ご心配無く、(せがれ)がいずれお話しするでしょう」
 長老は笑顔でそう言う。それを聞いて安心したのか、張り詰めていた朝鳥の気力がすーっと抜けた。
「うん? そうか。そう言う約束であったな。それにしても、見事な花畑じゃな」 
 崩れ落ちる朝鳥の姿と、それを必死で受け止める下僕の姿を夜叉丸と雛は遠目で見た。
 二人は走った。そして、朝鳥を受け止め、そのまま尻餅を突いてしまっていた下僕の側へ走り寄った。
「どうしたのだ!」
 叫ぶように夜叉丸が聞く。
「具合悪そうだなと思って見ていたら、急に大きく揺れて落ちて来なされた!」
 下僕は、半分泣きながらそう喚いている。夜叉丸は直ぐに朝鳥の胸元に手を入れた。だが、既に朝鳥の(しん)(ぞう)から鼓動を感じる事は出来無かった。

 朝鳥の遺体は下野(しもつけ)小山(おやま)に運ばれ、葬儀が行われた。
「長老め、ああ見えて以外と淋しがり屋であったと見える。さっそく朝鳥を迎えに来おった」
 酒を酌み交わしながら、千常が千方に言った。
「かも知れません。年が近いこともあり、仲が良う御座いましたから。いつも身近に居た者なので、父上が亡くなった時以上に、(こた)えております」
 千方がそう独白する。
「さも有ろう」
 千常が頷く。
「朝鳥には、数えきれぬほどのことを学びました」
と言う千方の言葉に千常も同調する。
「父上が、麿にもそなたにも朝鳥を付けたお気持ちは分かる。荒武者でありながら、考えの深い男であった」
(まこと)に。……(いくさ)で死にたいと申しておりましたが、それは、叶いませんでしたね」
(いくさ)を止めたのは朝鳥じゃ。己の死に方よりも、下野藤原家(しもつけふじわらけ)を残すことを優先したのであろうよ。我等には(もっと)もらしい説教をしおるくせに、己は無茶なことばかりする男だったが、最後は、先陣を切りたい気持ちを抑えて、戦わぬよう説いた」
「左様で御座いましたな」
 存亡を懸けた戦いに迄は至らず、事は収束した。朝鳥は下野藤原を陰で支えていた大きな存在と言える、下野藤原家は、朝鳥と先代・祖真紀の二人をほぼ同時に失うこととなった。それは、千常と千方の心に悔いを残した。

 信濃(しなの)の国府から『千常の乱』が報告されたとの記録があるが、詳細は(しる)されていない。そして、安和(あんな)二年(九百六十九年)四月には、やはり、事の詳細は示されないまま、『秀郷(ひでさと)子等(こら)教喩(きょうゆ)す』との記録のみが残されている。教え諭して、乱を思いとどまらせたと言う意味か? 何とも不自然で、如何にも体面を取り(つくろ)ったような、疑わしい表現である。
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