第九章 第3話 乱を継ぐ者

文字数 2,496文字

 千方が逃走したと知った満季(みつすえ)()ぐに追っ手を放った。しかし、相模(さがみ)に入られてしまった。こうなると、武蔵守(むさしのかみ)の権限で捕縛することは出来ない。相模守(さがみのかみ)に話を通せば良いのだが、そんなことをしているうちに駿河(するが)に抜けられてしまうだろう。取り敢えず数人が跡をつけ、行き先を確かめる段取りをして、他の者達は武蔵に戻る。
 満季(みつすえ)は悔しがった。忠常が出頭して来ていて、父・忠頼を通じて、豊地(とよち)を喚問するよう願い出た。あわよくば、この機会に草原(かやはら)を己の影響下に置こうと企んでいるのだ。
草原(かやはら)には手を出すな』との摂政(せっしょう)・兼家の(めい)が有るので、満季は一応兼家の了承を取ることにして、忠常の申し出を退(しりぞ)けた。

 村岡に戻った忠常は憤懣やる(かた)無い。
「何と言うことだ。千方に逃げられた上に、草原(かやはら)には手を出すなだと? だから、受領(ずりょう)など信用出来ぬと申したのだ」
 そう喚き散らしているだけなら良いのだが、とばっちりを受けたくは無いと郎等達は思う。
「若、お父上のお立場もお考え下さい。こう言っては何ですが、(たみ)を斬ったのはこちらが先、若にお(とが)めが無かったのは、殿が武蔵介(むさしのすけ)であればこそです。草原(かやはら)のことは、もうお忘れ下さい」
 そう宥めようとするのだが、忠常はその郎等をキッと(にら)んだ。
「貴様、朋輩(ほうばい)が殺されて口惜(くちお)しくは無いのか」
 宥めようとする郎等をそう問い詰めて来る。
「それは口惜(くちお)しゅう御座いますが……」
 郎等は『問題はそこでは無いだろう』と思うが、言い返したりしたらとんでもないことになる。
「だが何じゃと申すのか」
 忠常は更に突いて来た。
「成り行き上、仕方無いかと」 
と郎等は答える。草原(かやはら)の民を斬ってしまったのだから、当然、草原(かやはら)の者達は斬り掛かって来る。その斬り合いに負けたと言うだけの話だ。
(たわ)け! 下賎の者と村岡の郎等の命、引き換えられるか。引き換えるとすれば、豊地(とよち)か千方の命じや」
 忠常は尚も息巻いている。
「我等の命、そのように思って頂いていることは有り難く思います」
 そう答えるしか無い。
「ならば、何か方策を考えろ」
「はっ」
 そう言われても、武蔵守から手出しするなと言われている以上、どうしようも無いではないかと郎等は思った。


 ひと月程して摂政(せっしょう)・兼家から満季(みつすえ)に返書が有った。やはり『草原(かやはら)には手を出すなとの沙汰である。但し、千方に付いては、召喚に応じず逃亡したと言うことであれば、武蔵守(むさしのかみ)面子(めんつ)に掛けて探索し、捕らえよ』と言うものであった。

 千方の行方は知れなかった。東海道と言う一本道であるにも関わらず、跡をつけた者達は巻かれてしまった。駿河(するが)以降、千方らの姿は()き消えてしまったのだ。どこかで間道(かんどう)()れたとしか考えられない。

 報告を受けた満季は、又しても千方にしてやられたことに歯噛みした。あれこれと考えているうちに思い当たったのは、信濃(しなの)近江(おうみ)である。
 信濃には千常の乱の時関わった、望月貞義(もちづきさだよし)が居る。又、近江の甲賀には、千方が上洛する前に立ち寄った望月貞義の伯父・甲賀三郎兼家の舘が有る。『その、どちらかだ』と見当を付けた。

 早速双方に細作を放つ。信濃に千方らが現れた形跡は掴めなかった。近江からの報せは、まだ届かなかったが、甲賀に違い無いと(にら)んだ。何度も煮え湯を飲まされて来た千方の郎等達に加えて甲賀三郎の手の者達も邪魔をするだろう。追っ手には、それなりの人数が必要だ。だが、そんな多くの兵を近江(おうみ)まで派遣する訳には行かない。普通なら摂津(せっつ)の兄・満仲を頼る処だが、何をとち狂ったか、満仲は出家してしまっている。摂政の承認を受けていることなので、こう成ったら正式な申し(ぶみ)を送って、都から検非違使を派遣して貰う外無い。そうすれば、甲賀三郎も大っぴらに千方に味方して戦うことは出来まい。只、それでは、千方を殺すことは出来ず捕らえるのみとなる。吟味(ぎんみ)の結果、無罪、或いは微罪で済んでしまう可能性が有る。そんなことでは腹の虫が収まらない。満季は、この際、何としても千方を葬りたいのだ。 
 満季は、(さきの)検非違使介(けびいしのすけ)である。都から派遣されるのは、恐らく元満季の部下と言うことになるだろう。それが誰か分かれば、ひと工作出来る。武蔵から二十人程の郎等を送り、検非違使と共に行動させる。千方を殺す機会が有れば、検非違使には目を(つむ)って貰えば済む。そう考えた。
 策は整った。後は、千方が甲賀に居ると言う報せが入るのを待って、工作を開始するだけだ。時を無駄にしない為に、鏑木(かぶらぎ)に二十人の郎等を付けて、先に近江(おうみ)に向かわせることとした。
 
    
 千方は反乱に突き進む道を回避し逃亡した。だが、後年大規模な反乱を引き起こす者が意外な所に居た。将門(まさかど)の妹を母に持つ平忠常(たいらのただつね)である。
 かなり先のことではあるが、四十年後の長元元年(千二十八年)、忠常は上総国(かずさのくに)下総国(しもうさのくに)常陸国(ひたちのくに)に父祖以来の広大な所領を有し、傍若無人に振る舞い、国司の(めい)に服さず納税の義務も果たさなくなっていた。その年の六月、忠常は安房守(あわのかみ)平維忠(たいらのこれただ)を焼き殺す事件を起こす。乱は長期戦となり、戦場となった上総国(かずさのくに)下総国(しもうさのくに)安房国(あわのくに)の疲弊は(はなは)だしかった。
 本来、上総国(かずさのくに)の作田は二万二千町有ったが、乱後、僅かに十八町に減ってしまったと言う。この乱は房総三カ国を疲弊させただけで、(ほか)には何も残さなかった。
 そして、この乱を平定したのが、源満仲(みなもとのみつなか)の三男であり、満季の甥に当たる頼信(よりのぶ)である。乱の鎮圧を切っ掛けに、坂東の(つわもの)の多くが頼信(よりのぶ)の配下に入り、清和源氏(せいわげんじ)が東国で勢力を広げる契機となったのだ。歴史に於いては、正義が勝つ訳ではない。勝った者が正義として名を残して行く。 
 平忠常の乱は期間に於いて将門の乱を(しの)ぐものであったが、歴史的評価は低いし、世間の関心も薄い。それは、第一に、大義名分の無い反乱であったこと。第二に大規模な土地の荒廃以外に何も残さない反乱であったこと。そして何よりも、結末がだらしないものであったことが理由であろう。
 この乱に因って漁夫の利を得たのは、奇しくも、満仲に寄ってその基礎が築かれていた清和源氏であったと言うことだ。

 そんな将来が有るとは夢にも思わず、忠常(ただつね)は、まんまと千方に逃げられた満季(みつすえ)を陰で罵倒し、郎等達に当たり散らしていた。
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