第七章 第2話 新たなる流れ
文字数 3,904文字
円融帝の中宮(皇后)は兼通の娘・媓子であった。当時としては遅い二十七歳で入内した。『中継ぎ』と看做されていた円融帝への娘の入内を多くの貴族が躊躇っていた中で、兼通だけが帝の元服後、ほど無く入内させていたのだ。
媓子は円融帝より十二歳も年上だったが、夫婦仲は睦まじかった。しかし、子には恵まれず、子が無いまま父・兼通と言う有力な後見を失っていた。
そんな折、頼忠の娘・遵子と兼家の娘・詮子が相次いで入内することになる。そして、父・兼通の死後僅か二年後の天元二年(九百七十九年)。三十三歳で中宮・媓子は崩御してしまう。
当然のことのように、頼忠と兼家は後釜を狙って色めき立つ。兼家の娘・詮子は、天元元年(九百七十八年)八月に入内し、同年十一月四日に女御の宣旨を受け、同三年(九百八十年)従四位下に叙せられた。そして、この年の六月一日には、兼家の東三条邸に於いて、第一皇子・懐仁親王を生んでいる。
一方、頼忠の娘・遵子も、詮子と同じ貞元三年に入内。女御宣下を受けていた。詮子が皇子を生んでいるのに対し、遵子に子は無い。
「今度こそ勝った」
兼家はそう思ったに違い無い。ところが、円融帝の一粒種を生みながら、関白・頼忠の娘・遵子に后の座を奪われてしまったのだ。
円融帝には兼家に含む処が有った。兼家が、冷泉上皇には長女・超子を入内させていたにも関わらず、帝である自分の許には娘を入内させていなかった為である。
当時、兼家は次女・詮子を入内させようとしたが、兼通の妨害工作に会い果たせなかったことを、円融帝は知らない。おまけに、円融帝を『繋ぎの帝』と考え、兼家は娘の入内を渋っていると、兼通から吹き込まれていたことが、帝の心に強く残っていたのだ。兼家は、その死後まで兼通にしてやられたことになる。
天元五年(九百八十二年)、頼忠の娘の遵子を中宮と成した帝に失望して、以後兼家は、詮子、懐仁親王共々東三條殿の邸宅に引き籠ってしまった。しかも、事態を憂慮した円融帝に寄る東三條への使いに対し、ろくに返答もしない有様。円融帝も、二度に渡る内裏の焼失の際には兼家への依存を拒んで、里内裏としたのは関白・頼忠邸や譲位後も仙洞御所として使用した故・兼通邸の堀河殿で、両者の意地の張り合いは収まらなかった。
貞元二年(九百七十七年)十一月、陸奥赴任を前にしていた千方に男子が誕生した。松寿丸と名付けられる。当然、生まれたばかりの赤子と侑菜を残しての単身赴任と言うことになる。数ヶ月のことなら兎も角、四年も侑菜達を都に置いて置くことには不安が有った。いつ政変が起こらないとも限らないからである。母子共に旅が出来る状態になったら、下野に移らせようと思った。
「武蔵の草原でお帰りをお待ちしとう御座います。お母上様もいらっしゃることゆえ」
祖父・久稔とその妻は既に亡いが、母・露女は達者で、独り暮らしをしている。少人数の召し使いは居るが、寂しい思いをしているかも知れないと思った。
「そうか。そなたと子が一緒に住むとなれば、母上もきっとお喜びになるであろう。そうしてくれるか」
千方は一も二も無く、侑菜の考えに賛同した。
「はい。喜んで」
「陸奥に参る前に、草原と寒河(下野国・寒河郡の小山に有る千常の舘)に立ち寄って、そのように話して置こう」
「はい。ぜひとも、そのようにして下さいませ」
雛は残して行くが、小山武規(夜叉丸)、広表智通(秋天丸)を始めとして、都で雇い入れた郎等達も含めて、その多くを陸奥に伴うことになる。千方は、駒木元信(鷹丸)を下野の郷に走らせ、祖真紀に、十人ほど率いて急ぎ上洛するよう命じた。舘の警備と侑菜達が坂東へ下る際の警護の為である。
元々、千方の舘は女手も少なく、坂東の兵の舘をそのまま都に持って来たような殺風景な雰囲気を漂わせていたのだが、亮に昇進すると官給の家人も増えた為、郎等達も他人前では、千方のことを『殿』と呼ぶようになった。また、婚姻を期に女子達の数を増やしたことも有り、古い郎等達も、他人前であると無いとに関わらず、千方と侑菜を『殿』『御方様』と呼ぶようになった。普通の貴族の舘の雰囲気に近付いたと言う訳だ。そして千方も自然と古い郎等達を、「小山」「広表」などと呼ぶようになっていた。
侑菜は気丈に振る舞っていたが、やはり寂しさは隠せない。話している時は明るいが、肩を落として俯いている姿を、千方は、遠くから何度か見掛けた。最後に情を交わした夜には、今まで見せたことの無い激しさで、侑菜は千方を求めた。
出立の朝、まだ眠っている松寿丸を、侑菜がそっと抱き起こし、その寝顔を千方の方に向けた。
『戻った時には麿の顔など分からぬであろうのう』
そう考えると四年は長い。千方はしみじみと赤子の顔を覗き込んだ。
「殿。出立の用意が整いました」
小山武規(夜叉丸)がそう告げに来た。武規と雛も無言で視線を交わす。
千方は、侑菜との婚姻の披露の際も草原には寄らなかった。その際、母と豊地が小山に来て、ひと時を共に過ごし、話した。相変わらず露女は毅然としており、『豊地やその子らが良くしてくれているので、自分のことは心配せずとも良い』と話していた。露女は実家を出て、千方が新たに建てた舘に暮らしている。いずれ官を辞し、当主も文脩に譲った後は、草原でのんびり暮らしたいと思って建てたものだ。使用人達が居るとは言え、母ひとり暮らすには広過ぎる舘である。だから、侑菜と松寿丸が共に住むことに問題は無い。
「都の殿様がお戻りで御座います!」
下男がそう叫びながら駆け込んで来た。
「鎮守府将軍を拝したと便りが有ったゆえ、下野に参る前に立ち寄ったのであろう。寄るなら知らせてくれれば良いものを。さて、忙しくなりますね。これ、皆、集まっておくれ」
露女は手を打って女子達を集め、千方を迎える準備をてきぱきと指示した。
「ご無沙汰致して申し訳御座いません。母上にはお変わりも無く、ご壮健そうで安堵致しました」
露女と顔を合わせると、千方はそう挨拶した。
「麿のことは案ずる必要は無いと、下野でも申したはず。こたびは陸奥への赴任、ご苦労なことです。ですが、父上も兄上も務めた名誉なお役目。しっかりとお務めを果たしなさい」
と露女が千方に申し渡す。
「はい。心致します」
「ところで、和子は健やかですか?」
と聞かれ、
「はい。実はそのことでお願いが御座います」
と千方が口を切った。
「何でしょう」
「松寿丸が旅に耐えられるようになったら、侑菜共々この草原でお預かり頂けませんでしょうか。ずっと都に置いて置くのも心配が有りますので」
そう申し入れた。
「下野では無く、この草原で?」
露女は、千方が太郎と言う立場に有る事を考えたのである。
「はい」
と千方が答え、少しの間、露女は考えを巡らせていた。
「そうですね。それが良いかも知れません。そなたが嫡子になっているとは言え、あちらには、文脩殿もお方もおられる。草原で預かる方が良いかも知れません。引き受けましょう」
「有難う御座います。母上に預かって頂ければ安心です」
そう言って、千方が頭を下げる。
「麿も、孫と暮らすのが楽しみです」
満足げな表情を見せて、露女が答えた。
草原に一泊した後、千方は下野の小山に立ち寄った。侑菜と松寿丸を草原に預ける件を話すと、千常は少し考えた上了承した。
「陸奥への赴任は、決して楽では無いぞ」
と戒める千常に、
「童の頃、陸奥に行ったことが有るとは言え、夏のことでしたから、冬の厳しさは経験しておりません。やはり大変で御座いましょうな」
と千方が答える。
「特に多賀城から先は、酷いものじゃ。何も冬の最中に陸奥へ赴任させることも無いと思うがのう」
千常は己が難儀した赴任を思い出して、そう言った。
「他の国司との入れ替えも多いのですから、仕方御座いません」
「分かっておるが、腹立たしいので申しただけだ。ところで太郎」
千常は最近、千方をそう呼んでいる。
「はい」
「源肥と言う男を存じておるか?」
「いえ」
「麿の前に武蔵介を務めていた男じゃ」
「左様ですか。で、その男が何か?」
「今、この下野におる。刈谷と言う土豪の娘を娶ってその家に入り込んでいたそうだが、父親が死んだ後、刈谷の名を捨て、源を名乗って家を継いだ。まあ、それは良いのだが、近頃、近隣の者達と度々揉め事を起こしているようじゃ」
「それは、いけませんね」
千常に、揉め事に介入して欲しくは無いと思った。
「皇孫であることを鼻に掛け、勢力を拡大しようとしているらしい。この処、周りの何人かの土豪達が相談に来ておる。或る者に寄ると、どうも武蔵介を解任されたのを麿のせいと思い、恨んでいると言う。麿は、肥に咎が有っての解任と聞いておる」
「逆恨みと言う訳ですか、少し面倒ですね」
「放って置く訳にも行かぬ」
千常を恨んでいるとあっては、簡単に解決出来る事では無い。
「恨んでいるとなると、そう簡単に押さえ込むことは難しゅう御座いますね」
と千方が言った。
「文脩が、肥と話したいと申しておるが、あ奴に仲裁など出来るか」
話し合うなら寧ろ文脩の方が適任ではないかと思えた。
「案外、文脩は、そのようなこと、得意かも知れません」
と勧めてみる。
「貫禄が無ければ出来ることでは無い。まだまだ、あ奴には無理だ。麿が話す」
千常は文脩を信用していない。それなら、自分がやるしか無いと千方は思った。
「陸奥に立つ前に、麿が一度会ってみましょう」
と申し出た。
「いや、良い。汝が案ずることでは無い。早々に立つが良い」
千常は、飽くまで自分で解決する意志を崩さない。さ
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)