第一章 第5話 目覚め

文字数 12,189文字

 北には裏切り者が居た。また、大和(やまと)軍も北上を始めていた。杜木濡(そまきぬ)一族は、冬の寒さを避ける為、大和(やまと)の警戒網を潜り、山中を南に向かって逃れた。そして下野(しもつけ)に至って、遂にこの(さと)を見付けたのだと言う。
 杜木濡(そまきぬ)一族のその後についても祖真紀(そまき)は語ったが、それには触れないことにする。


 千方の日常に戻ろう。弓と馬馳(うまは)せは、暫くの間、古能代(このしろ)が付きっ切りで教えることとなった。筋肉が疲れていない朝方、まず、短弓の稽古をする。次に馬馳せ。最後に太刀打ちとなるが、これは朝鳥が受け持つ。太刀打ちの最後は、決まって朝鳥の連続横面打ちとなり、千方が()を上げるまで続く。
 この(さと)に来て三日目には客扱いの日々は終わり、そんな繰り返しが千方の日常となった。角髪(みずら)も解き後ろで束ねて、その姿は完全に(さと)(わらべ)同様となった千方は、(いま)だ経験したことの無い毎日と向き合うこととなった。
 古能代(このしろ)との稽古は、豊地(とよち)との稽古とも、朝鳥とのそれとも違っていた。豊地は、只管(ひたすら)熱心に指導し、微に入り細に入り、千方に技を教え込もうとした。朝鳥は、豊地と比べれば乾いた態度で千方との距離を取り、少し突き放した様子で接していた。しかし、ぶつかりながらも、千方にはやはり甘えがある。
 ところが、古能代(このしろ)との稽古は、それとは全く違った雰囲気をふたりの間に漂わせることとなった。もちろん古能代は千方に威圧的に接したりはしない。あくまで謙虚で慇懃(いんぎん)な態度を崩したりはしないが、その風貌と無口な性格からか、千方から見れば、甘えを許さない壁がそこにある。
 なんのかんの言っても、朝鳥は千常から与えられた千方の郎等であるのに対し、古能代はそうではないということもあるのかも知れない。 弓について言えば、長弓と短弓の違いはあるが、千方も幼い頃より習っている。しかも(すじ)は悪くはない。呼吸を整え、形を作って精神を集中してじっくり(まと)を狙う稽古を続けて来た千方がそのようにしようとすると、古能代は、引き絞ったら間髪を入れず放つよう指示した。しかも、(まと)などは設置せず、とにかく次から次に放てと言う。矢がどこへ飛ぼうと、そんなことは全く気にする様子は無い。
 これが朝鳥相手の稽古であったなら『こんなやり方で上手(うま)くなるのか?』と千方は問い掛けていたことだろう。しかし、なんと無くではあったが、そんな質問を投げ掛けられる雰囲気は無かった。おまけに、短弓は千方が想像していたよりもはるかに張りが強く、千方の腕の筋肉は見る見る固くなって行った。疲労の溜まった筋肉では十分に(つる)を引き切ることが出来なくなり、矢は急速に力を失って近くに落ちるようになる。
 それを見ていた古能代が、
「少し、休まれませ」
と声を掛けた。しかし、気を抜いた千方が何と無く空を見上げていると、
「そろそろ参りましょうか」
と声を掛けて来る。もう少し休みたいと思ったが、仕方無く千方はまた射始める。一度疲労の溜まった筋肉はそう簡単に回復はしない。前よりも短い時間で限界に達する。頃合いを見て古能代が声を掛けて来るが、休んだと思う暇も無く、また再開することになる。それが数度繰り返され『もう、この辺で良いであろう』と千方が思い始めてから大分()った頃、(ようや)く、
「弓はこの辺に致しましょうか」
とやっと古能代が言った。
「では、後ほど馬馳せの稽古を致しましょう。矢をお願いします」
 そう言い残して古能代は去ってしまった。
 ”矢?” 一瞬、千方には何のことか分からなかった。少しして『矢を拾えということか』と思い当たった。千方としては、矢は後で誰かが拾い集めるものだと思い込んでいたのだ。最初、郷人(さとびと)の誰かに言って拾わせようかと考えた。しかし、それならば、古能代自身が指示しているはずだ。自分で誰かに命じるのは少々気が重いし、さすがに気が引ける。
 結局『自分で拾えということなのか』そう思い至るまでに、千方の思考回路は多少の時間を要した。
 木に突き刺さっているものが多いが、外れて遥か遠くに落ちているもの、射損(いそこ)ねてあらぬ方向に飛んで行ったもの、力無く近くに落ちたものなど、様々に散っている。仕方無く千方は、近くに落ちている矢から拾い始めた。それは良いのだが、どこへ飛ぼうと古能代が何も言わなかったこともあり、疲れて来てからは、半ば承知の上で藪に打ち込んでしまった矢もあるのだ。
『何でこんなことまでやらねばならぬのか』との思いは()ぎったが、仕方が無いとすぐに諦めが付いた。結局今はそれをやるしかないのだ。拾いながら、朝鳥なら何と言っただろうと考えてみた。
『矢は(いくさ)の際に最も大事なもののひとつで御座いますぞ。矢切れとなれば命に拘わります。その大事なものを人任せにされるおつもりか? 矢一本を作るのにどれほどの手間が掛かるとお思いか。まず、鷹を捕えねばなりますまい。一羽の鷹から取れる矢羽は限られます。矢竹の節の部分をきれいになめし、全く凹凸がないようにする。切れ込みを入れて羽根を選んで差し込みしっかりと固定して真直ぐに飛ぶように調整する。詳しいことは分かりませぬが、兎に角、手間が掛かります。ここの者達はそれをすべて自分でやっているのです。今放たれた矢の一本一本が、誰かが自分の為に精根込めて作ったものですぞ』
 きっとそんな風に長々と講釈するに違いない。想像すれば自分でも察しのつくことをそんな風に言われたら、きっと自分はむくれるだろう。そう考えると千方は自分でも可笑しくなった。
 余りやる気が無かったので、最初、十本ほど拾ったら戻って矢筒に収め、また拾いに行くという全く非効率なやり方でやっていたが、或いは試されているのではないかと思い当たった。千方は、矢筒を三つほどその()(ひも)を持って肩に担ぎ、矢の散っている辺りまで行ってそこに置き、ひとつを持って拾い集め、一杯になったら替えるという方法に替えた。
 気持ちを切り替えたせいか作業も早まり、木に刺さったものを抜いてほとんどの矢を集め終わった。しかし、左手奥の(やぶ)に打ち込んでしまったものも何本かあるはずである。探して見ようと藪に入りあちこち探してみたが、わずか一本の矢を見付けることが出来ただけで、後はどこに飛んだのか皆目分からない。おまけに、落ちていた竹の枝を踏んだ時、その端が足の裏に刺さってしまった。
「うっ」
(うめ)いて左足を上げ、竹を掴んで刺さった小枝を抜いた。『もうこの辺で良いだろう』探そうという気持ちの切れた千方は、そう自分に言い聞かせた。
 左足を爪先立(つまさきだ)ちにして引き()りながら(やぶ)から出て来ると、そこに、犬丸と姉の芹菜(せりな)が居た。
「何をしておる?」
 千方が問い掛けた。犬丸は、
「へへへ」
と笑って、後ろに隠していた五本の矢を前に出し千方に見せた。
そして「藪の中の矢は拾っておきました。…… まだ一本残っておりましたか?」と言う。
 千方は、さては、どこかで見ておったなと思った。『ならば最初から出て来て手伝え』と思ったが、それは口に出さなかった。
「済まぬ。拾ってくれておったか。助かったぞ」
と何食わぬ顔をして言った。
「足はどうした?」
 芹菜(せりな)が千方に聞いた。
「竹の小枝を踏み抜いたが、大事無い」
と千方は答えたが、
「後で高熱を出して死ぬ者もおる。放って置かぬ方が良い」
と、芹菜(せりな)が言って来た。
「そんな大袈裟(おおげさ)な傷ではないわ。(まむし)に噛まれた訳ではないからな」
 軽く笑って千方が応じる。
「そう言っていて、十日ほどで死んだ者もおる」
 芹菜(せりな)は真面目腐ってそう突いて来た。
「脅かすな」
 そう千方は躱した。
「いえ、それは本当ですわ。前の年、死んだ者がおります。木の枝を踏み抜いて放っておいたら、何日もしてから体が突っ張って弓のように反って死んでしまいおりました。まるで狐に()かれて狂ったようでしたわ」
 そう言ったのは犬丸だった。
「この裏に小川が流れている。早く行って傷口を洗った方が良い」
 犬丸の()げ足を取ることもせず、芹菜(せりな)は真剣な表情をしてそう言う。
「分かった。そうすることにしよう」
 千方が答え芹菜(せりな)が支えようとしたが、千方は何と無く気恥ずかしくなって、
「犬丸肩を貸してくれ」
と言って犬丸に近付いた。透かされた芹菜は、一瞬目を泳がせた。しかし、何気なさを装って、犬丸から五本の矢を受け取り、矢筒の置いて有るところに行って納め、それらを背負って歩き始めた。
 林を抜けて少し下ったところに小川が流れている。澄んだ水が山から下って来る勢いを保って岩に当たって飛沫(しぶき)を上げている。その水音は弓を引いていた千方にも聞こえていた(はず)だ。しかし、意識の内には無かった。流れに逆らって泳いでいる小魚が、(こけ)でも(ついば)んでいるのか岩に口を付けては流されて少し離れ、(ついば)む為にまた近付く。
 犬丸の肩を借りて水辺まで下りた千方が足を洗っていると、矢筒を置いて一度姿を消した芹菜(せりな)が戻って来た。何かの草を手に持っており、それを水で(すす)ぐと手早く揉んで「足を出して」とややぶっきらぼうに言う。
 水辺の岩に腰かけて足を水に漬けていた千方が水から足を上げると、その足先を持って自分の膝の上に乗せ、取り出した布で軽く拭く。反射的に千方はなぜか足を退()こうとしたのだが、芹菜(せりな)はそれをぐっと押さえ付ける。芹菜(せりな)太腿(ふともも)の柔らかい感触を千方は足首の裏に感じた。
「動かねえで!」
と強く言う芹奈(せりな)に、
「いや、…… 済まん」
 と千方は、なぜかどぎまぎしながら答えた。そして、自分がどぎまぎしていることを犬丸に気付かれるのではないかと案じた。
「犬丸。見ておったのか、弓の稽古を」
と、芹菜(せりな)には無関心を装って犬丸に話し掛ける。
「ええ、まあ」
 その辺をうろうろと歩き廻っていた犬丸が答える。
「思ったより、あの弓はきついな。あれほど張りが強いとは思わなかったぞ」
 千方は、心で芹奈(せりな)を意識しながら、無関係な話題を犬丸に振る。
大和(やまと)の弓は甘いと、(さと)の大人達は言うとります」
「そうか。まあ、そう言われてもやむを得んな。腕がぱんぱんに張っておる。これでも弓には自信があったのだが、あの強い弓を、ああ次から次に引くのでは持たぬわ」
 千方はわざとらしく苦笑いをして見せる。
古能代(このしろ)様は、弓も太刀打ちも馬も誰にも負けません。言う通りやっておれば、きっと、上手(うも)うなりますわ」
 犬丸の提供した話題に千方は少し興味を誘われたようだ。
競馬(くらべうま)は見せて貰ったが、そうか、古能代(このしろ)は太刀打ちも強いのか」
「はい。何でも、阿弖流爲(アテルイ)の再来とか大人達は言うております」
「そうか、阿弖流爲の再来か……」
 そんな会話を犬丸と交わしながらも、草の汁を足に塗り付けている芹菜(せりな)の意外に柔らかい手の感触を、千方は改めて感じた。千方は何か(なつ)かしいものを芹菜(せりな)の横顔に感じていた。顔の輪郭が母・露女(つゆめ)に似ているのだ。母の肌は透き通るように白い。それに比べて芹菜(せりな)の肌は褐色である。だが、母も芹菜(せりな)も同じように漆黒(しっこく)の豊かな髪を持っている。残念なことに、ふたりともこの時代の美意識からすると、美人ではない。むしろ、男には人気の無い方なのだ。
 大和(やまと)の、特に京の都で美人として連想されるのは深窓の姫君である。庶民は滅多にその顔を見ることは出来ないから、それは、ほとんど想像の世界となる。上品で控え目な(まなこ)を持ち、色はあくまで白く、(ほお)はふっくらとしていて、豊かな長い黒髪を持つ。胸や腰回りは肉付きが良く豊かで柔らかでなければならない。季節に寄って定められた色を重ねた十二単衣(じゅうにひとえ)の裾を扇のように広げ、(こう)の香りを漂わせながら、肉厚で小さな唇、即ち"おちょぼ口"から時折ふっと小さな溜息(ためいき)を突く。それが理想の美女なのだ。
 だが坂東には、実際にはそんな女性は居ない。しかし、都の姫の心象(しんしょう)は男達の中に出来上がっているから、少しでも、それに近い女性を求めようとする。

 千方の母・露女(つゆめ)は若い時から活発な女性だった。身分を気にすることも無く、奴婢(ぬひ)に混じって立ち働く。もちろん、たかが郷長(さとおさ)の娘だから、姫君ではない。しかし、その身分なりのお嬢様振りが求められる訳だが、伏せ目勝ちどころか無遠慮に大きな目で相手をまともに見る。頬は削げて(あご)(とが)っていて鼻は下品に高い。唇はおちょぼ口どころか薄くて横に広がっている。肩や腰にむっちりとした肉付きは無く、木の枝のように細い体をしている。取り柄()と言えば、色が白いのと豊かな黒髪を持っていることくらいか。だから、男達にも余り人気が無かった。
『千方を(はら)んだ時、周りの者は疑ったが、月足らずの出産でも無く露女(つゆめ)の身持ちも固かったので、秀郷は吾子(わがこ)と認めた』と書いたが、実は、モテなかっただけのことなのだ。手短に説明する為『身持ちが固い』と言う表現を使ったに過ぎない。女性に過度な貞操が求められるようになったのは、儒教思想が普及した遥か(のち)の時代からのことであり、この時代は性に対しての考え方がもっと大らかだった。夜這(よば)いは当然の習わしであり、むしろ、年頃になっても男が通って来ないならば、親が心配したほどだ。そんな時代に、露女(つゆめ)には通って来る男も居なかったのだ。
 武蔵守(むさしのかみ)を兼ねていた秀郷(ひでさと)は、草原(かやはら)からそう遠くない西の街道を通って、何度も下野(しもつけ)武蔵(むさし)を行き来していたが、一度として、草原(かやはら)に足を向けることは無かった。土地の有力者と結び付くことを太政官(だじょうかん)が警戒していた為、無用な言い掛かりを付けられない為の配慮が有ったと言えば聞こえが良いが、露女は郡司(ぐんじ)の娘などではない。たかが、郷長(さとおさ)の娘なのだ。太政官(だじょうかん)が目くじらを立てるほどの相手でも無い。要は秀郷(ひでさと)に、露女(つゆめ)に会いたいという気が余り無かったのだ。
 一方、蝦夷(えみし)には深窓の姫君への願望などは無い。だが、漠然とした時代的な美的価値観の共有というものは有ったのかも知れない。それに、芹菜(せりな)は口が悪い。相手が男だろうと遠慮無くずけずけと物を言う。だから、敬遠する男も多い。しかし、犬丸が言うほど男に相手にされない訳ではなく、露女(つゆめ)と比べれば、それなりに人気はあるのだ。働き者で気立てが良いと思っている男も居るのだが、当の芹菜(せりな)は全く気付いていない。

 もう気付かれただろうか? 平安の目で見れば、決して美人とは言えないこのふたり。現代の目から見れば、色白と小麦色の肌の色の差は有っても、世代こそ違うが、実は二人とも、大きな瞳を持ち鼻筋の通ったスレンダーな美女なのだ。だが、残念ながら平安美女は下膨(しもぶく)れのおかめ顔でなければならない。ふたりの、(ほお)から(あご)にかけての逆三角形のラインも、贅肉の付いていない体も、この時代の男達から見れば、貧相にしか見えないのだ。
 現代の男達が見たら思わず振り返るほどのこのふたりも、平安時代に於いては残念ながら醜女(しこめ)でしかない。
 ふたりは生まれる時代を間違えたという訳だ。

   

「もう良いぞ」
 芹菜(せりな)は、布の端を噛んでぴっと裂くと、千方の足の甲から土踏まずにかけて二回りほど回し、手早く縛った。措置を終えると、芹菜(せりな)は、少し乱暴に千方の足を膝から下ろし立ち上がった。
「世話を掛けた。礼を申す」
 千方が芹菜(せりな)に言った。
「犬丸もそうじゃが、(わらべ)は良う怪我をする。手当は慣れておるから気にするな」
 ”(わらべ)”と言われて千方は相当気落ちした。いや、傷付いた。自分では、精一杯、大人振っていたつもりなのに、芹菜(せりな)に”(わらへわ)”と言われ、()きになって反論したくなったが、それこそが(わらべ)なのだと気付き、口には出さずに済んだ。しかし表情まで抑えることは出来なかった。
(ねえ)。六郎様に無礼な物言いをするな」
と犬丸が(たしな)めるが、逆効果であったようだ。
「ならば、後は(なれ)がやれ」
 立ち上がると芹菜(せりな)はさっさと立ち去ってしまった。
「すいません。あんな姉ですわ」
 済まなそうに千方に頭を下げる。
「う? いや、良き姉ではないか。(わらべ)と言われたのは正直ちと情けなかったがな」
「よう言うときますわ」
「いや、それには及ばん」
 なぜか千方は少し慌てた。


 千方に弓の稽古をさせていた場所から離れた古能代(このしろ)は、祖真紀(そまき)の住まいに向かった。隣に住まいを建て、ひとりで住んでいるが、食事は祖真紀(そまき)の住まいで父母と共に()る。入口を入り土の階段を三段下りると「ご苦労だったな。和子(わこ)様はどうじゃった」と母が声を掛けて来た。
「さあな…… 分からん。取り()えず矢を拾うておるじゃろう」
とぶっきらぼうに答える。
「無茶するでねえぞ。(さと)の童とは違うでのう」
「しとらん。しとらん。親父とは違うでのう、吾は」
 母は(わん)に盛った稗飯(ひえめし)を奥に運びながら「ふーっ」とひとつ溜息(ためいき)を突いた。
 奥の熊の毛皮を敷いた席には、祖真紀(そまき)胡座(あぐら)を掻いて(すわ)っている。しかし、その(かも)し出す雰囲気は、千方や朝鳥が知っている腰の低い祖真紀(そまき)とは大きな(へだた)たりがある。少し陰鬱でひとを近付けぬ威厳さえ漂わせているのだ。
 母とは気軽に言葉を交わしていた古能代(このしろ)は、無言のまま祖真紀の左側の席に座る。母が汁と山菜を蒸したものをふたりの前に置くと朝餉(あさげ)が始まる。しんとして、固い(ひえ)をくちゃくちゃと噛む音が聞こえるほどだ。
(うら)んでおるのか」
 やがて祖真紀(そまき)が一言漏らした。
「いや」
 古能代(このしろ)も一言だけ答える。
 また暫くの間、(ひえ)を噛む音だけが響く。
 祖真紀(そまき)は幼い頃から古能代(このしろ)を鍛えた。その鍛え方が少し異常だった。ある時、崖の上で太刀打ちをしていた時、追い詰められた古能代(このしろ)が足を滑らせて崖から落ちた。本当に運の良いことに、古能代(このしろ)崖際(がけぎわ)のすぐ下に生えていた松の枝を咄嗟(とっさ)に掴み命拾いしたのだが、翌日、祖真紀(そまき)古能代(このしろ)を、また同じ場所に連れて行って太刀打ちをしたのだ。
 この時、古能代(このしろ)は『今日こそはきっと親父に殺される。助かる為には、この親父を打ち殺すしかない』真剣にそう考えた。そして、殺す為に打ち込んだ。だが勝てなかった。散々に打ち据えられて翌日は起き上がることも出来ないほど体中が痛んでいた。
 古能代(このしろ)は『自分はきっとこの男の子ではないのだ。本当は(かたき)の子か何かで、その(かたき)への恨みを晴らす為に自分を甚振(いたぶ)っているに違いない』そう思った。今は勝てぬが、いつか、逆にこの男を殺してやる。そう思って稽古に打ち込んだ。その稽古は(はた)から見ても、とても”稽古”などと言えるものではなかった。殺意の籠った目をぎらぎらさせて、毎日が果し合いのようなものであった。
『吾は狂っていた』と、今では祖真紀(そまき)自身も思う。刀を打つ者が、たまたま質の良い砂鉄を手に入れた。まず、良い刀を打つ為に、どれほど高い温度の火を起こせるか必死に工夫し、今度はその火で熱した鉄をこれでもかこれでもかと打つ。打てば打つほどその強さを増して行く鉄に魅入られ、狂ったように打ち続ける。そんな心境になっていた。子に対する(いと)おしさという感情は、どこかに置き忘れてしまっていた。
『あの頃の吾は一体何だったのだろうか? 鬼に魅入られていたのだろうか』祖真紀(そまき)はそう思う。

 そんなある日、
(さと)の若者を五人ほど預けぬか。麿の郎等(ろうとう)として育てる」と秀郷(ひでさと)が言って来た。祖真紀(そまき)はその要請に応えて、古能代(このしろ)とその弟、他に三人の若者を秀郷(ひでさと)(もと)に送った。この時、古能代(このしろ)は十七歳であった。


 犬丸に案内されて斜面に付けられた細い道を上がって行くと舘の裏に出た。かなり急な道ではあったが、足の痛みはそれほど感じなかった。舘の裏には、洗い場といくつかの(かまど)が有り、(かや)()きの簡単な屋根が掛けられている。そこで数人の女達が立ち働いていた。洗い場にはいくつもの土器が並べられている。(ふし)を抜いて半分に割った竹の(とい)から流れ出る水でトチの実の灰汁抜(あくぬ)きをしているらしい。

 縄文人は大量の団栗(どんぐり)灰汁抜(あくぬ)きして食料としていたが、この時代、一般には、団栗を食べることは殆ど無くなっていた。そう言う意味では珍しい光景である。トチの実は灰汁抜(あくぬ)きして粉に()き、水に溶いて薄く延ばし、焼いて携帯食として用いる。携帯食と言えば()(いい)が連想されると思うが、それは、米を日常食している者達の携帯食である。

 女達の中に芹菜(せりな)の姿を見付けたが、きびきびと立ち働いている芹菜(せりな)は、千方どころか、犬丸にも声を掛けようともしない。
「いいお天気で御座いやした、和子(わこ)様」
「犬丸、今日はお(とも)かい?」
 他の女達がそれれに声を掛けて来た。
(せい)が出るな」
 千方もそう声を掛ける。
和子(わこ)様。朝餉(あさげ)はもうお運びしましたで、朝鳥様お待ちでごぜえますよ」
と中年女が言う。
「そうか、世話を掛ける。だが、和子(わこ)様はやめてくれ。六郎で良い」
 少し照れながら、千方が応える。
「あれ、そうでごぜえますか? そんなら…… 。ところで六郎様。足どうなさいました?」
と、聞かれた。
「いや、大事無い。手当も済んでおる」
 余り触れられたくは無いのだ。そこに、
(ねえ)が手当した」
と犬丸が言った。
『余計なことを言わずとも良い』と千方は思った。
「あれ、そうかい。芹菜(せりな)、それで来るのが遅うなったか?」
 女は、これで芹奈(せりな)をからかう材料が出来たとばかり、芹奈(せりな)にそう語り掛けた。
「ああ、そうだ。(しゃべ)くっとったら日が暮れる。手え休めとっていいんか?」
 芹菜(せりな)は相変わらず不愛想に応じた。
「あれま。吾もいい年をして娘っ子に言われてしもうたわ。はっはっは、そんなら、六郎様」

    

「帰った」
 舘の入口を入り、声を掛けると、朝鳥が奥から出て来た。
「お帰りなさいませ。いかがで御座いましたかな? 弓の稽古は」
「いや、特に…… まだこれからであろう」
 その時千方は、朝鳥に弱音は吐きたくないと思った。
「吾はこれで」
 犬丸はそう言うと、軽く頭を下げた。
「世話を掛けたのう。宜しく伝えてくれ」
と千方が犬丸を(ねぎら)った。『宜しく……』とは”芹菜(せりな)に” という意味なのだが、朝鳥が聞いていることを意識して、名は省いた。
『いちいち説明するのが面倒だから』というのが自分自身に対しての言い訳だった。
 犬丸が去った後、千方は自分で布を水に浸して絞り、足を拭いて上がった。朝鳥も()えて手伝おうとはしない。
 祖真紀(そまき)達が食べたものもそうだが、(ひえ)(かゆ)になっている。食べながら、朝鳥は色々と聞いて来るが、千方は生返事(なまへんじ)をしながら、適当に(あしら)っていた。朝鳥も千方の足に布が巻かれていることにすぐに気が付いた(はず)だが、なぜかそれについては聞いて来なかった。
「少し横になる。古能代(このしろ)が来たら起こしてくれ」
 朝餉(あさげ)が済むと、千方は朝鳥にそう言って、横になった。だが、なぜか疲れているのに眠れはしなかった。目は閉じているものの、頭の中は冴えている。芹菜(せりな)太腿(ふともも)や手の生々しい感触が甦って来た。それを振り払うかのように、千方は寝返りを打った。

 一刻(三十分)ほどして、古能代(このしろ)が現れた。
「おお古能代(このしろ)殿。世話をお掛け申す。…… 六郎様お支度(したく)を」
と言われても、特に支度などは無い。草鞋(わらじ)を履いて、千方は表に出た。
 古能代(このしろ)は、舘から細い道を西に取り、林の中に入って行く。馬は連れていない。暫く歩いて行くと、少し開けた所が有り、丸太が吊り下げられていた。丸太の前と後ろの端に(つた)を縛り付け木の枝から吊り下げられており、厚く古布を巻き付けた上に更に毛皮が巻かれている。その太さは丁度馬体ほどであり、千方の腰の高さくらいに吊ってある。
『なんだ、これは。まるで(わらべ)の遊びではないか』と千方は思った。
 祖真紀(そまき)に、千方に弓と馬馳せを教えるようにと言われた時、古能代(このしろ)は戸惑った。そんなもの教えたことが無いのだ。この(さと)(わらべ)達は、幼い頃から父親の前に乗せられて走り廻っているうちに、自然とバランス感覚や手綱捌(たずなさば)きを身に着けて行く。父が居ない者は叔父や兄がそれに代わる。
 だから、ああだ、こうだと説明した経験が無い。弓に着いても、遊び半分で毎日引いているうちに自然と腕力が着いて行く。狙い方も狩りに連れて行って貰った時、見様見真似(みようみまね)で覚えて行く。

 千方には基本的な体力が無い。弓を習っていたとは言っても和弓の張りは弱い。もちろん、三人張り、五人張りといった強弓(こわゆみ)も有り、名立たる(つわもの)の中には、それを引くことを自慢にしている者も多い。しかし、一般的な強さの弓は、女でも引けるほどの強さなのだ。

 この時代の弓の材質はイヌガヤなどの丸木であり、同じ太さのものを使えば短ければ短いほど張りは強くなる。しかし、木を細くすれば飛ばなくなるし折れやすくなる。だから、そう細くは出来ない。蝦夷(えみし)の弓は、細くはなく、その上蔓草(つるくさ)の皮を巻きつけて補強してある。引く為には相当な腕力を要するのだ。
 そのため蝦夷(えみし)の体型は、上腕が発達しており、それに比べて下半身は貧弱であったと言う。

 古能代は、まず千方の腕力を鍛えなければならないと思った。
 それなら、毎日、空弓(からゆみ)を数多く引かせて置けば良いのだが、それでは、興味と意欲が続くまいと思った。そこで、どこへ飛ぼうがお構いなしに、兎に角、数多く引かせることから始めた。腕力が着かぬうちに狙わせてみても当たらない。すると、色々と考えるばかりで、やる気を無くしてしまうだろうと思ったのだ。同様に、馬馳せに付いても、安定した大和鞍(やまとぐら)に腰を降ろすように乗っていた者には、バランスを取る感覚があまり身に付いていないし、内股を締めて体を支える力も不足している。そこで考えたのが、この遊具のような吊り丸太なのだ。
(またが)ってみて下さい」
 高さも低いし、丸太の上の端に蔓草(つるくさ)の結び目を作ってあり、横にぐるぐる回ってしまうことも無いからどうということも無い。古布を厚く巻いた上に馬の毛皮を巻いてあるので馬に跨ったような感覚がある。しかし、子供じみているように思えたし、随分と自分の馬馳せ技術を低く見られているような気がして、千方は不満だった。
「では参ります」
 そう言って、古能代(このしろ)が丸太を蹴った。前後に動くばかりでなく、吊ってある枝の揺れに寄って上下にも動く。丸太は長さがあり、吊ってある(つた)には手が届かない。千方は簡単に転げ落ちた。
 油断していた為と思い、黙ったまま千方は、また丸太に(またが)った。また、古能代が丸太を蹴る。またしても、あっさりと転げ落ちた。また(またが)り、古能代(このしろ)が蹴ってまた転げ落ちる。
 蹴り方に依って揺れは様々となり、千方のバランスを崩す。何度目かに、千方はつい、両の(てのひら)をべたりと毛皮の上に付き、体を支えようとしてしまった。
「手は上に上げておかれませ」
 古能代(このしろ)に注意された。
「分かっておる」
 つい言ってしまった。
「分かっておいでなら、そのようになさいませ」
 静かではあるが、毅然として反論を許さぬ口調である。古能代(このしろ)の蹴り方に依って、丸太は前後左右上下と様々な方向に動く。また、その振幅も様々となる。千方が転げ落ちてばかりいれば、揺れを小さくし、千方がかろうじて耐えられる範囲にとどめ、必死で体勢を維持する時間を持たせる。
 一見すれば子供の遊びのようにも見えるこの鍛錬も、しっかりと膝を締めて、上体を柔らかくしてバランスを保つ感覚を養う為に必要な鍛錬だった。腰ほどの高さであれば、何度転げ落ちても大した怪我はしない。いきなり馬から落ちれば、大怪我(おおけが)どころか、死ぬ可能性すらあるのだ。
 千方は大袈裟(おおげさ)に言えば、満身創痍(まんしんそうい)となっていた。右腕の張りは取れておらず、左腕の内側は弓の弦に繰り返し弾かれたことにより、赤く腫れ上がっており、転げ落ちる度に腕の外側には擦り傷が付き、打ち身が残る。落ちた時、(てのひら)や肘を突くことは古能代(このしろ)に厳しく戒められた。腕は大きく上に伸ばして耳の脇に当てることによって頭を(かば)い、体の力を抜いて落ちることを繰り返し求めた。(てのひら)は外側に向ける。どんな落ち方をしても大した怪我をする高さではないが『ここで叩き込んでおかねばならない』古能代(このしろ)はそう思っていた。
「今日はこの辺に致しましょう」
 古能代(このしろ)が言った。
 意外に早く終わったと千方は思った。しかし、体は疲れ切っていた。千方は黙って古能代に頭を下げた。
「それでは、また明日」
 そう言って古能代(このしろ)は去って行った。 
 千方は下草の上に寝転んだ。生い茂った木の枝の間から見える空は澄み切っている。風が木の枝を揺らし、春の心地よい日差しが辺りを包んでいる。うっすらと汗の(にじ)んだ(ひたい)を手の甲で拭い、千方は大きく息を吐いた。
 この数日のことが夢のように思える。
 朝鳥も祖真紀(そまき)古能代(このしろ)も。そして、夜叉丸(やしゃまる)秋天丸(しゅてんまる)、犬丸、千常(ちつね)さえも、ほんの七日ほど前までは会ったことも無い人達なのだ。あの日、千常が迎えに来なかったら、或いは一生会うことも無かったかも知れない。もちろん、芹菜(せりな)にも。
草原(かやはら)の人達は今何をしているだろうか?』
 草原(かやはら)の風景が思い浮かべられた。母がおり、祖父がおり、豊地(とよち)が居た。そこには、今も変わらぬ日常の時が流れているに違い無い。
 その時、その光景の中に、千方は自分の姿を見出(みいだ)した。千方は妙な感覚に襲われた。『もうひとりの自分が、今も草原で生活しているのではないか?』そんな気がした。
『そうすると、今ここにいる自分は一体誰なのか? 或いは長い夢を見ているのか? このまま眠り込んだら『こんなところで眠ったら、風邪を引きますぞ』と言って揺り起こすのは豊地(とよち)ではないのか』そんな思いが()ぎった。
 急激に変わった環境に、千方の潜在意識が取り残されていたのかも知れない。本当に眠りに落ちてしまいそうな自分を感じた瞬間。千方は意識して頭を振った。そして、両足を大きく上げ、両手を頭の上に伸ばし大きく反動を付けて起き上がった。

『まだ、やることが有る』
 千方は舘に向かって、意識して足速に歩き始めた。少し前から、朝鳥に弱みを見せたく無いという思いが芽生え始めていた。秋天丸(しゅてんまる)が原因だったのかも知れない。その時は感じなかったが、朝鳥に負けて悔しがっていた秋天丸(しゅてんまる)の姿を(おのれ)と比べた。。
 あの時自分は『大人の朝鳥に負けたのは仕方ないとしても……』と考えていた。しかし、秋天丸(しゅてんまる)は、大人も(わらべ)も関係無く、負けたこと自体を悔しがっていたのだ。そこが、秋天丸と自分の違いなのだと、千方は突然気付いた。相手が誰だから負けても仕方無いと思うのは、稽古としてしか考えていないからだ。実際の戦いで、相手が誰だから殺されても仕方ないなどと思うはずが無い。例えどんな相手であっても、負ければ自分が死ぬのだ。何としても勝たねばならない。その思いが、秋天丸をあそこまで悔しがらせたのだ。自分は甘いと千方は悟った。それを克服しない限り、秋天丸(しゅてんまる)にも夜叉丸(やしゃまる)にも勝てない。己を変えなければ……
 その手始めが、朝鳥に弱みを見せないことだと思った。
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