第五章 第11話 伊尹の台頭

文字数 3,600文字

 早くも五月には、千常(ちつね)武蔵介(むさしのすけ)とする旨の通達が有った。一体どう言うことかと調べさせてみたが、源肥(みなもとのこゆる)と言う男が突然『介』を解任されたと言うだけで詳しいことは分からない。
 (もっと)も、この時の武蔵は、武蔵守(むさしのかみ)藤原斯生(ふじわらのこれお)が三月に着任したものの、権守(ごんのかみ)として菅原幹正(すがわらのもとまさ)が残っていたので、介が居なくても左程困らない状態にあった。そこへ千常を押し込んだのだろう。(こゆる)にどんな(とが)が有っての解任かは分からないが、或いは、とんだとばっちりを受けたのかも知れない。
 千常にしてみれば、兼通(かねみち)が口先だけで無く、実際に動いているのだと思う根拠になった。臨戦態勢は解除し、千常は武蔵の国司舘(こくしやかた)に移った。只、千常は、全面的に兼通を信用した訳では無かった。留守中に何か仕掛けて来るのではないかと言う疑いも持っていたので、祖真紀(そまき)文脩(ふみなが)の側に置き、更にその配下の六人を小山(おやま)草原(かやはら)、武蔵府中に二人ずつ配し、常に連絡を取り合う態勢を作った。

 一方、千方(ちかた)は都に戻り、修理職(しゅりしき)に復帰し、正六位上(しょうろくいのじょう)修理亮(しゅりのすけ)と成ったが、修理亮の位階相当は従五位下(じゅごいのげ)。位階不足での抜擢である。千常も千方と同じ正六位上(しょうろくいのじょう)であり、大国・武蔵介は位階相当である。つまり、千方は位階に於いて、この時点で、実兄であり養父である千常と既に並んでいたのだ。

 千方に付いては位階相当とする為、千常に付いては、現職の藤原文信(ふじわらののりあきら)の任期明けを待って鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)とすることが内定した為、臨時の除目(じもく)により、二人同時に叙爵(じょしゃく)することとなった。すなわち従五位下(じゅごいのげ)(のぼ)り、下級貴族の仲間入りをしたのである。

 反乱を起こしておきながら、なぜ事がこうも上手(うま)く運んだかと言えば、安倍忠頼(あべただより)と、命を投げ出した長老の手柄と言える。
 千常、千方は、兼通(かねみち)が誠実に約束を実行したからだと思っていたが、事はそう単純では無い。実は、兼通は御身大切(おんみたいせつ)とばかり実頼(さねより)の意向に沿った報告をしただけで、何ら積極的な働き掛けをした訳では無い。
 最初に蝦夷蜂起(えみしほうき)の噂に恐怖と危機を感じたのは、関白・実頼(さねより)である。始めこそ、意図的に流されている噂話と(たか)(くく)っていたのだが、鎮守府将軍・藤原文信(ふじわらののりあきら)からの報告を受けて以来、日に日に不安を募らせて行った。
 今の朝廷に蝦夷との全面戦争を再開する余力など無いことは、実頼自身が一番良く分かっていた。やっと上り詰めた関白の地位である。自分の在任中にそんなことになれば、後世に汚名を残すことに成り兼ねない。それは、何としても避けなければならないと思った。しかし、伊尹(これまさ)に相談すれば、弱腰と批判されることは目に見えている。そこで実頼は、伊尹の直ぐ下の弟でありながら、下の弟・兼家にも先を越されて冷飯を食わされている兼通(かねみち)を使って、千常に大幅譲歩した講和を纏めさせたのだ。事後に伊尹(これまさ)から相当な反発が有ることは予想したが、関白の権威を盾に押し切るつもりでいた。ところが意外なことに、伊尹は全く反発して来なかった。だから、千常もびっくりする程、事は順調に運んだのだ。

 強気な伊尹は、蝦夷蜂起を意図的に流された噂と思い続けていた。あの蝦夷が舘に進入する迄は。
『あの蝦夷が、もし枕を蹴ったりせず、行き成り熟睡している自分を刺していたら、確実に死んでいた』
 そう思うと背筋が寒くなる。そればかりでは無い。蝦夷の装束こそ身に着けていなかったが、その後、二人の怪しげな男達が舘の様子を(うかが)っていたと言う。従者(ずさ)達が気付いて捕らえようとしたが、逃げられてしまったと言うのだ。蝦夷の蜂起が本当だとしたら、まず、伊尹を暗殺し、都を混乱に陥れると言う作戦は十分考えられる。そんな事情で、伊尹も実頼同様、危機感と恐怖心を持つに至っていた。だが、長老の潜入を極秘にしているくらいだから、表立って騒ぐ訳には行かない。そこで、実頼のやった講和を批判することも無く、黙認したのだ。

 伊尹(これまさ)冷泉(れいぜい)天皇に娘の懐子(かいし)女御(にょうご)として入内(じゅだい)させ、師貞(もろさだ)親王が生まれている。天皇の叔父に加えてこのことが更に外戚(がいせき)関係を強めている。官職から言えば、当然、関白・太政大臣・実頼が最高位であり、続いて、左大臣・師尹(もろただ)、右大臣・在衡(ありひら)、そして、大納言・伊尹(これまさ)と言う序列になる。
 関白が大納言の意向を気にするなどと言うことは通常有り得ない。しかし、外戚ではない実頼と師尹は、伊尹の意向を気にせざるを得ないのだ。そんな訳で伊尹の権勢は、近頃では実頼を(しの)ぐものがある。実頼が(みずか)らのことを『名ばかりの関白』と(なげ)いたと言うことも伝わっている。
 父・師輔(もろすけ)は派手なことを嫌った。処が、伊尹(これまさ)は豪奢を好み、大饗(おおうたげ)の日に寝殿の壁が少し黒かったので、非常に高価な陸奥(むつ)紙で張り替えさせたことがある。父の師輔は子孫に質素倹約を遺訓として残したが、伊尹はこの点も守らなかった。葬送に付いて、父は極めて簡略にするように遺言していたにも関わらず、伊尹はお構い無く、通例通りの格式で儀式を行った。
 才が有り、強気で派手好きで、いつも上を見ている。その伊尹が蝦夷の潜入事件に恐怖を覚えた。
 伊尹は、良く食べ良く酒を飲む。働き過ぎなのか、飲み過ぎの為か、近頃、一晩寝ても()だるさが残る。皮膚のあちこちに(かゆ)みが有り、掻きむしつてしまうことさえ有る。
(たれ)()る!」
 不機嫌そうに人を呼んだ。
「はいっ」
 直ぐに奥仕えの女が御簾(みす)の外で手を突いて頭を下げる。
「何度言うたら分かるのじゃ。水差しの水を切らすなと申したであろう」
「先程、()したぱかりで御座いますが……」
と侍女は反論した。
「ならば、水差しを二つ用意致せ」
 伊尹はきつく命じる。
(かしこま)りました」
と侍女は一旦下がって行く。
 伊尹は、兎に角良く水を飲むのだ。自分では、活発に動き回っている為と思っているが、現代の目から見れば明らかに糖尿病である。いくら公卿(くぎょう)達が贅沢をしていたとは言っても、食事から、そんな多量の糖分や脂肪分を()っていたとは思えない。では、何が原因か。ずばり酒である。当時の酒は、今の日本酒と比べればアルコール度数はかなり低い。だから、なかなか酔わないし、アルコール中毒などにも成り(にく)い。その代わり、糖度が高いのだ。

 伊尹は一度に大量の酒を飲むことも多く、また、のべつ幕無しに飲んでいる。悪酔いしたり、酒に飲まれたりするようなことは無いが、糖分の取り過ぎとなってしまっている。
 伊尹は、侍女が新たに持って来た水差しからの水を、旨そうに飲み干した。浅傷(あさで)と思っていた蝦夷から受けた傷の治りが遅いなと考えていた。深い傷では無いのだが、表面がじくじくとして治りきらない。それが、伊尹を(いら)つかせた。

 冷泉(れいぜい)帝の譲位に因って安和(あんな)三年(九百七十年)三月二十五日、元号は天禄(てんろく)と改められる。
 そして、この前後から、朝堂(ちょうどう)の人事は目まぐるしく変わって行くのだ。
 まず、前年の安和(あんな)二年(九百六十九年)十月十四日に、左大臣・藤原師尹(ふじわらのもろただ)(こう)じた。享年(きょうねん)五十歳。
 翌安和三年(九百七十年)正月二十七日、七十九歳の藤原在衡(ふじわらのありひら)が後任の左大臣に転じる。天禄と元号が変わった月の五月十八日には、摂政・太政大臣・実頼が遂に(こう)じた。享年七十一歳。そして十月十日には、左大臣に成ったぱかりの在衡も薨じる。享年七十九歳。長生きしたがゆえに出世の道が開けた二人が、図らずも同じ年に没したのだ。

 この時代の人は殆ど四十代で死んだと思っている方が多いかも知れないが、それは誤解だ。千年の間に寿命が四十年も延びた訳では無い。()くまで平均寿命が延びただけだ。当時でも、運良く大病に(かか)らなければ、七十代から八十くらいまで生きた人は、決して(まれ)では無いのだ。

 余談は兎も角として、師尹(もろただ)在衡(ありひら)実頼(さねより)の死に因って浮上したのが伊尹(これまさ)である。
 安和三年(九百七十年)正月二十七日、師尹の薨去(こうきょ)に伴い、右大臣・在衡が左大臣に転じた為、伊尹は右大臣を拝す。天禄と元号が変わった後の五月十八日に実頼が薨去した為、十一歳の円融(えんゆう)天皇の外祖父(がいそふ)である伊尹は、籐原氏の氏長者(うじのちょうじゃ)と成り摂政(せっしょう)に任じられた。

 藤原千常(ふじわらのちつね)は、案和三年(九百七十年)正月の徐目(じもく)で、鎮守府将軍に任じられ、陸奥(むつ)に赴任した。
 それから間も無くの頃、都では、千方の舘を伺う怪しい男が捕らえられた。
千清(ちきよ)殿!」 
 引き据えられた若者を見て、千方が思わずそう叫んだ。急いで縄目を解き、居室に伴う。
「心配していたが、無事で良かった。いずれにおられた」
 千清が座るのを待つのももどかしいように、千方が聞いた。
「はい。あちこち知り合いを頼って隠れておりましたが、詮議(せんぎ)が厳しくなり、居場所が無くなりました」
 安和の変で祖父と父が捕らえられた日、千清は友人の舘に泊まっており、難を逃れたのだ。
「だが、この舘も見張られておる。何日もおるのは危険じゃな。草原(かやはら)も安全とは言えぬ。いっそ陸奥(むつ)へ落ちてはどうかな。丁度、鎮守府将軍として五郎兄上が赴任したのだ。うん、それが良い。鷹丸に送らせよう」
 千方は、そう決めた。その晩遅く、千清と鷹丸は、密かに陸奥に向けて旅立った。
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