第三章 第1話 襲撃

文字数 11,566文字

  夜叉丸(やしゃまる)が草や雑木を蝦夷刀(えみしとう)で切り払いながら先導し千方(ちかた)秋天丸(しゅてんまる)の二人が続いて急な斜面を登って行く。
 崖の上まであと二(けん)ほどの所で夜叉丸が止まった。一旦、千方と同じ位置まで降りて来て、体を寄せて囁く。
「この上で御座います。様子を見て参ります。ここでお待ちを」
 千方が小さく頷き、
「悟られぬよう用心致せ」 
と指示する。
「はっ」
 夜叉丸は再び身軽に登って行く。
 体中の血が沸き立つような感覚を千方は覚えていた。
 藤原千方は、平将門を討った功により、下野守(しもつけのかみ)、武蔵守、並びに鎮守府将軍と成り、従四位下(じゅしいのげ)(のぼ)った藤原秀郷(ふじわらのひでさと)の六男である。周りの者は『六郎様』と呼ぶが、今は兄・千常(ちつね)猶子(ゆうし)と成っている。
 父・秀郷がこの三つの官職に在った事が千方の幼年時代とこれからに、実は大きな影響を与えている。
 再び降りて来た夜叉丸が千方に告げる。
「数はおよそ十五。車座になってのんびりした様子で御座います。恐らく、下に放った物見が戻るのを待っているものと思われます」
「馬はどこに繋いでおる?」
と千方が尋ねる。
「十(けん)ほど離れた所に繋いであります」
 夜叉丸がそう答える。痩せ型で筋肉質の精悍な体付き、眼窩(がんか)が窪んで一見恐ろしげな顔付きをしているが、(いくさ)に際しては、千方が最も信頼を置いている男だ。
 左手で雑木を掴んで、急な斜面で体を支えながら、千方は天を仰いだ。茂った木々の隙間から見える空からは陽光が容赦なく照り付けており、僅かな風に乗って薄い雲が流れている。しかし、体中から汗が噴き出る暑さだ。
「下に出した物見が戻って来た処を襲う。だが、そう長くは待てぬな」
 上腕を覆う袖に吹き出す汗を擦り付けて拭いながら、千方が言った。夜叉丸が黙って頷く。秋天丸が千方に近付いて、背負っていた短弓を外しながら、
「我等が見て参った場所から察しますと、荷駄隊はもう近くまで来ているものと思われますので、物見も間も無く戻りましょう」
と告げる。汗が滴り落ちるが、顔に滴る汗は拭おうともしない。ただ、しきりに、両の掌を衣服に代わる代わる擦り付けて拭う。
 秋天丸は、夜叉丸とは違って地味な農夫のような平たい顔の男だが、良く見ると小柄な体は引き締まっており、普段は陽気な男ながら、今はどこか殺気を帯びている。
 夜叉丸、秋天丸を含めて六人の(さと)の若者が千方の郎等(ろうとう)と成ったのは、千方十五歳の年の初冠(ういこうぶり)(=元服)を期しての事である。中でもこの二人は、常に千方の(かたわ)らに在る。
 千方は、粗末な直垂(ひたたれ)の上から締めた革の腰紐に挟んで吊るした竹筒を取り、水を口に含み、その涼しげな目で、もう一度空を見上げた。二十七歳にしては幼げな面影を残しており、とても、修羅場を潜って来た男とは思えない面立(おもだ)ちである。それも、二度や三度の経験では無い。
 十四才の時、襲って来た年上の童を返り討ちにして以来、陸奥で巻き込まれた蝦夷同士の戦い、下野(しもつけ)に戻ってからの土豪相手の争いなど、この年齢にしては経験は豊富だ。だが、やはり戦いを目前にすると緊張する。少し下の狭い平場で、放尿は既に済ませていた。
「間に合って良かった」
 千方が呟く。

  
 荷駄隊の一行を見送ったのは、昨早朝、舘の前であった。
「本来なら麿が行かねばならぬ処だが、造作をお掛け致す」
 荷駄隊を率いて行く豊地(とよち)に千方が声を掛ける。
「何の、我等、六郎様の"家の子"。もはや、叔父・甥と言う立場はお忘れ下され。亡き将軍様に受けたご恩を思えば六郎様のお役に立てることが、何よりの仕合せと心得ております」
 豊地は人の良さそうな笑顔を見せて頭を下げた。母・露女(つゆめ)の二人の弟のうち上の弟である。
 露女の父は武蔵国の内の北東に位置する草原郷(かやはらごう):(現:加須市、羽生市と北埼玉郡の一部》の郷長(さとおさ)草原久稔(かやはらのひさとし)で、千方の父・秀郷の祖母の実家である下野(しもつけ)鳥取(ととり)氏との縁を持っていた。
 秀郷は早くから将門の戦い振りに注目しており、まだ、身内の間での抗争を繰り広げていたに過ぎない将門に付いての情報収集を始めていた。そんな折秀郷から久稔に、
『物見遊山の為そちらを訪れたいが、一夜の宿を貸しては貰えぬだろうか。僅かな縁を頼っての願いだが』と言う便りが届いた。
『こんな何も無い郷に物見遊山とは』
とは思ったが、久稔は直ぐに秀郷の意図を察した。久稔に取っては、正に『渡りに舟』の申し出であったのだ。
 そんな関係で承平(じょうへい)の乱の折、将門の動向を探っていた秀郷が寄宿した際、(とぎ)に出たのが露女であった。
 たったひと夜の契りにより露女は千方を生んだ。千方は草原郷の久稔の舘で育ち、幼い頃文武を教えたのが叔父である豊地なのだ。
「道中の無事、祈っております。都に着きましたら、兄上に宜しくお伝えください。六郎も近いうち参りますと」
「心得ました。都の殿もさぞかしお喜びでしょう」
と、大柄で人の良さそうな豊地が答える。しかし、
「さて、それはどうかな」
と千方がぼそっと言った。
 言上(ごんじょう)を聞いた時の兄・千晴の表情が目に浮かんだなだ。恐らく、無表情に、
大儀(たいぎ)
と言うだけであろう。そう思った。豊地が急に険しい表情と成る。
「六郎様、そのような物言いはなりませんぞ。兄君・千晴(ちはる)様は都でご出世され、千常(ちつね)様が坂東を治める。この両輪が揃ってこそ、ご一族が繁栄すると言うものです。亡き将軍様(秀郷)のご威光は衰えていないといえども、村岡五郎(平良文(たいらのよしぶみ))の子、次郎(平忠頼(たいらのただより))など油断のならぬ(やから)は多ございます。ある意味、国司とも戦わなければなりませぬからな。一族の結束が何より肝要で御座います」
「分かっておるわ。他の者の前では言わん」
 己の発した言葉に少し後悔の念を滲ませながら、自嘲気味に千方が呟く。 
「どうかそのようにお願い致します。口から出た言葉は放たれた矢と同じ。もはや弦には戻せませぬ。宜しいな。御身(おんみ)を大切になさいませ」
 千方は、別に長兄の千晴を嫌っている訳では無かった。只千晴は、千方に取って父の秀郷以上に遠い存在に思えているのだ。
 下野藤原家の”家の子” である千方に取って千晴は、兄と言うよりむしろ(あるじ)に近い存在として心の中にある。比べてすぐ上の兄であり、大きな後ろ盾の無い千方の養父となってくれた千常は、その母の出自(しゅつじ)の良さに反して、がさつで乱暴な男ではあるが、常に千方のことを心に掛けてくれていた。十四の歳に父との対面の段取りを取ってくれたのも、父の手で元服出来るよう計らってくれたのも、千常であった。その代り何度殴られたか分からない。
 最初に殴られたのは、千常に従って千常の舘から隠れ郷に向かう途上であった。
「千寿丸。この坂東ではな、真に強き者しか生き残れぬ」 
との千常の言葉に、
「はい。麿も兄上のように(たけ)(つわもの)に成りとう御座います」
と答えた。千方とすれば、型通りのお世辞を言っただけの事だった。
「思っているだけでは駄目だ。真に、心も体も強く鍛えねば生き残れぬ。誰ぞの足許に平伏し、何もかも差し出すならば、命だけは永らえることが出来ようが、それはもはや男子(おのこ)では無い。分かるか?」
と被せる千常に、大した事とは思わず「はい」と気の抜けた返事をしてしまった時の事である。
 殴り倒されて、千常に着いて来たことを心の底から後悔した。千常は、意図が伝わらなかったり、千方がいい加減に聞いていると、口より先に手を出す男だった。
 最後に殴られたのは、元服後の十五歳の頃である。陸奥からの帰国の挨拶を済ませ、その足で、田沼に隠居している父・秀郷の許へ挨拶に行くつもりと伝えた時、何故か千常に、直ぐに隠れ郷に戻るよう強く言われた。
 当時陸奥守を努めていた平貞盛に世話になった事を父に伝えたいと思っており、他にも願い事が有った。
『それは、麿から申し上げて置く』
と千常は言った。
『しかし、……』
と千方が言い掛けた時、立ち上がって近寄って来た千常に、行きなり郎等(ろうとう)達の前で殴られたのだ。この時ばかりは千方も腹に据えかねたのだが、初恋の相手である芹菜(せりな)の死を知っていた千常が、千方を少しでも早く郷に向かわせようとしての事だった。
『千方が手を付けた蝦夷の娘が死んだだけのこと』
 それは、当主である自分が態々(わざわざ)千方に告げるべき事では無いと言う考えが千常には有り、一方では、少しも早く、その事実を知らせたいと言う気持ちが有っての成り行きだった。

 たった一夜の交わりで、露女は千方を(はら)んだ。しかも、当時の秀郷は既に五十三歳。周りの者達は疑った。しかし、月足らずでの出産では無い。調べてみても、当時露女の(もと)に通っていた男は無く、露女の身持ちも固いと言う情報しか得られない。秀郷も我が子と認めた。だが、名を付けてくれた以外は、言わば養育費代わりの品々が送られて来るのみで、千方十四の歳に千常が取り計らってくれるまで、対面することも無かった。

「では、都で会おうぞ。我等も所用を済ませたら、急いで参る」
 千方は、千晴に感じる違和感を振り払うかのように、話を本筋に戻した。
「はい。それまで、都の女子(おなご)など眺めて日を過ごしてお待ちします」
 大柄な体を深く折って千方に挨拶した後、豊地が荷駄隊の方に体を向けて、
「参るぞ! 出立(しゅったつ)じゃ!」
と良く通る声を上げた。

 荷駄隊の一行は、まず、府中に向かう。府中には秀郷が武蔵守時代に建てた舘が有り、露女の下の弟・豊水(とよみ)が預かっている。そこに、千晴が相模介(さがみのすけ)時代に手に入れた私領からの上がりが集積されており、それを荷駄に加えて一泊し、翌朝、都に向けて旅立つ予定になっていた。
 ところがその晩になって、府中の様子を探らせていた細作(さいさく)(密偵)から緊急の報せが入った。
 数日前に、旅姿の男達が数人づつ、時を置いて数組、武蔵権守(むさしのごんのかみ)源満仲(みなもとのみつなか)国士舘(こくしやかた)に入ったのを目撃したと言う。不審に思い色々探ってみると、それ以前に、相模から藤原舘に米を運んで来た人足の一人が博打で負けて脅され、今回の荷駄輸送に付いての情報を喋らされていた事実を掴んだ。脅した男達の中の一人は、何と満仲の郎等だったと言う。

 これらの事実を突き合わせ、満仲が何者かを使って藤家(とうけ)の荷駄隊を襲わせようとしているのではないかと言う結論に至ったと言う。報せを聞いた千方は、夜叉丸、秋天丸の二人を先に相模に向かわせ、自身は朝鳥のみを連れて相模に向かった。途中、一旦間道に逸れて荷駄隊を抜いて来た。報せずに密かに処理するつもりなのだ。東海道を辿って相模に入ると細作の男が道端で千方らを待っていた。いつかの男達がやはり数人づつに別れて国士舘を出た跡を着けて、待ち伏せが予想される場所を掴んでいた。夜叉丸、秋天丸の二人は既に合流していた。
 左手からは少し高い山が連なっており、街道から少し上がった辺りから右に、また、小山が連なっている。
 左手の山のこちら側は崖に近い急斜面となっているが、半ば辺りに肩のように張り出し台地状になった部分が認められる。
「奴らが潜んでいるのは、あそこで御座います。登り口はこの少し先で、馬が通れるほどの路が山合を縫うようにして甲斐(かい)の方に向かっておりますが、途中獣道のような路が別れてあの台地に続いております」
「馬で通れるのか?」
 千方が尋ねる。 
「はい、何とか」
「その分かれ道で待ち伏せますか? 狭い路なら、大勢居ても縦に並んで出て来ざるを得ません。十分戦えます」
 夜叉丸がそう千方に尋ねる。
「いや、もっと確実な方法が有る。あの崖を登れぬことは無いな」
「はっ、身一つなら何とか」
 答えたのは細作の男だ。
「隙を衝いて一挙に方を付ける。馬に乗っている状態で戦って一人でも逃せば、報せに走られる。出来れば馬に乗らせぬようにしたい」
「はっ」
 夜叉丸、秋天丸の二人が揃って返事をする。千方は
(なれ)は武蔵に戻り、国府の動きを見張れ。万が一動きが有れば、舘(下野藤原家の武蔵舘)と草原(かやはら)に急ぎ報せよ」
と細作の男に指示を出す。
「はっ」と一つ返事をして、細作の男は武蔵に戻って行った。
 表面を平に削って『このさき みずば あり』と書かれた杭が道端に立っており、草を踏み付けて自然に出来た路が奥に向かって続いている。旅人が水を補給する為に入って行くのだろう。
「先導します」
 そう言うと、夜叉丸が先に立って入って行く。少し登ると、成る程小川が有り、清らかな水が流れている。水量は意外と豊富だ。岩伝いに水辺まで容易に降りられる場所も有った。流れは湾曲し街道とは別の方向に向かっているので街道から気付く事は難しい。その為、誰かが案内の標識を立てたのだろう。
「ここには人が入って来る。目立たぬ場所を探そう」
 目立たぬ場所を探して四人は奥へと進む。
「秋天丸。先ほど抜いて来た場所からする
とまだ時は有ると思うが、念の為、今一度荷駄の位置を確かめて参れ」
 馬を返して、秋天丸は直ぐに走り去った。そして、秋天丸が戻って来るのを待って、三人は崖を登り始めたのだ。
「参りましたぞ」
 夜叉丸が押し殺した声で告げた。千方にも、向こう側の坂道を駆け上がって来る馬蹄の響きが聞こえた。 
 千方ら三人は崖の上によじ登り、雑草の中に身を伏せた。左手にはいずれも短弓と二本の矢を持っている。機は一瞬である。男達が馬に駆け寄る前に倒さなければならない。

 崖の上の台地。
「来おったか。で、護衛は?」
 (かしら)らしき大男が物見から帰った男に聞く。
「五人にござる」
「ふん、五人か。ま、そんなものだろう。半数はここで昼寝をしていても良いかも知れんな。はっはっはっは」
 修羅が迫っているとも知らず、男は高笑いをしている。
 その瞬間、千方ら三人が、(くさむら)の中から躍り出た。驚いた男達がその方向に顔を向けた時には、三本の矢は既に放たれていた。(かしら)らしき男は正確に首を射抜かれて卒倒した。他にも二人、同じように首を射抜かれて倒れる。悶絶する暇も無く声も上げない。動脈に矢が刺さった二人の首からは、矢を朱に染めて、赤い糸のように血が噴き出している。他の男達が唖然とした瞬間、もう二の矢が放たれていた。更に三人が倒れる。
 やっと我に返って、何が起きたかを悟った男達が、太刀を抜き掛けた時、短弓と矢筒を男達に向かって投げ付け、太刀を抜き放った千方達が、既に飛び込んで来ていた。弓と矢筒をその場に捨てず、戦いの場に投げ込んだのは、逃げ出す者が出た時、素早く拾って射る為だ。武具を投げ付けるなどと言うのは、当時の常識としては論外である。
 先頭の男は太刀を抜き掛けた腕を千方の振るった毛抜形太刀(けぬきがたのたち)で斬り落とされ、悶絶して倒れ、大地を転げ回る。赤い血が土に振り撒かれ、千方の頬や直垂(ひたたれ)にも掛かった。わずかな血の飛沫はすぐに地に吸い込まれ、腕の切り口から流れ出る鮮血は土の上で盛り上がって、少しずつ、不気味に色を変えて行く。夜叉丸と秋天丸もそれぞれまた、一人ずつ倒していた。
 男達は一斉に後退(あとずさ)りし、両者の間に間合いが出来た。奇襲を受け混乱した状態から、やっとのことで一瞬脱け出ることが出来たのだ。千方に右腕を切り落とされた男は、喚きながら地を転げ回っている。既に大量の出血をしている為、放って置けば、やがて失血死するだろう。その(さま)が、男達の恐怖心を煽った。
 間合いを取ったとは言え、山の中腹に開けた台地でのこと、それ以上下がる余地は無い。おまけに、千方達はいつの間にか、男達と馬の間に入り込んでいる。彼等を倒さない限り、男達に逃げ道は無いのだ。(いくさ)でも無ければ、遺恨を持った果し合いでも無い。逃げられるものなら、彼等は逃れたい。命まで懸ける理由など無いのだ。しかし、逃げられないと分かったら(きも)が据わる。転げ回っている男を含めてあっと言う間に九人が倒されたとは言え、自分達は六人も残って居るのだ。
『二人一組で相手一人に当たることが出来るではないか』
 男達の誰もがそう思い始めた。異様な騒ぎに(おび)えた馬達が騒ぎ出し、その内の一頭が、甘く結んだ手綱を振り解いて駆け去った。
 命を懸けた接近戦で、奇襲を受け混乱し逃げ惑う敵を討つ場合を除いて、一人で複数の敵を相手に闘うなど出来るものではない。一旦動きが止まり、相手に状況を判断する余裕が出来たら、やはり数が物を言う。まして、この時代にはまだ、『剣術』などと言う体系的な技術は生まれていない。個々に戦いの中で会得した(すべ)は持っているにしても、要は、体力と気力が勝負を決する。一対一の戦いでは、先に息切れした方が負ける。疲労により体の動きが鈍くなり、相手の攻撃を避けられなくなる。まして、一時の混乱を脱して腹を(くく)った男達と、二対一となるこの戦いでは、千方側に勝ち目はまず無い。
 気持に余裕が戻ったのか、男達のうちの一人が不敵に笑った。 
「たった三人で、良くもここまでやってくれたものだな。だが、これまでだ。仲間の仇は取らせて貰う」
 その言葉に勢い付いてか、他の男達の表情にも余裕が浮かび上がる。
 男達は、野伏(のぶ)せりや野盗の(たぐい)では無い。(がら)の悪い者も居るが、明らかに主持(あるじも)ちらしい者も居る。直垂(ひたたれ)の上に胴丸、小具足(こぐそく)といった()で立ちだ。男達はじりじりと間合いを詰め始めた。互いに汗が吹き出す。目に入らぬよう、眉根(まゆね)に力を入れ、盛り上げる。
 その時、千方がいきなり大音声(だいおんじょう)を発した。
「吾は(さきの)鎮守府将軍・藤原秀郷が六男にして、今は千常(ちつね)猶子(ゆうし)藤原朝臣(ふじわらのあそん)・六郎千方なり。うぬら、ただの野盗とも思えぬ。主持(あるじも)ちであろう、名乗れ!」
 まるで、戦場(いくさば)で一騎討ちに際しての名乗りだ。
「何を抜かす。いきなり襲って来て、これだけの者を殺して置いて、我等を野盗呼ばわりするなど片腹痛いわ。野盗、海賊の(たぐい)まで、源平藤橘(げんぺいとうきつ)を僭称する昨今、何が藤原か。うぬらこそ盗賊であろう。我等、(おおやけ)に仕える者。さて、八つ裂きにしてくれようか。それとも、ひっ捕らえて、検非違使(けびいし)に引き渡そうか」
 目のぐりっとした小柄な郎等風(ろうとうふう)の男が恐怖心を押し殺して言い放った。
「何? (おおやけ)に仕える者とな。それはそれは。そう言えば、武蔵権守(むさしのごんのかみ☆)(権守:長官である『守』に準ずる官職)・源満仲(みなもとのみつなか)殿の郎等(ろうとう)に、確か似たような顔付きの男がおったような気がするな。とすれば、満仲殿が我が家の荷駄を襲えと命じたと言うことか? そんなはずは有るまい」
 満仲と言う名を聞いた途端、男達の顔が一斉に強張(こわば)ったのを、千方は見逃さなかった。元よりこの男の顔など見たことは無い。鎌をかけて動揺を誘ったのだ。
 男達が互いに顔を見合わせた瞬間、夜叉丸、秋天丸の手から、褐色の玉が同時に飛び、二人の男の顔にそれぞれ当たった。
 玉は(はじ)け、茶褐色の粉が舞い散った。当たった男達は、両手で顔を覆ってしゃがみ込み、に居た二、三人も、舞い上がった粉で目を開けて居られない様子。
 すかさず、夜叉丸と秋天丸がしゃがみ込んだ男達の側に居た二人に飛びかかり、胴丸の隙間から突き上げるように蝦夷刀(えみしとう)で刺した。そして秋天丸は、振り向きざま、もう一人の男の膝を蹴り、転倒させ、馬乗りになって喉笛を切った。漏れる息が血を潜り、ひゅるーと言うまさに笛の音色に似た音がして吹き上がり、秋天丸の顔を襲ったが、予期していたのか、予め顔を背けていたので血が目に入ることは免れた。その間千方は、先ほど問答を交わしていた男と太刀打ちし、左肩から袈裟懸(けさが)けに斬り倒していた。
 承平天慶(じょうへいてんぎょう)の乱以前には、主に直刀が使われており、斬るよりは突くことが多かったが、蝦夷(えみし)蝦夷刀(えみしとう)を模した、反りを持った太刀が使われるように成って以来、胴丸のような軽易な具足を着けただけの相手に対しては、このような、斬り裂く刀法が多く用いられるようになっていた。
 (つぶて)を受けて顔を覆ってしゃがみ込んだ二人は、もはや戦う気力は全く無くなり『助けてくれ』を繰り返し始めた。腕を切り落とされた男は、相変わらず(うめ)きながら転げ回っている。 
「ならば、まずは名乗れ。そして何もかも白状致せば、命だけは助けてやらぬものでも無い。言ってみろ」
 千方は押し殺した声で言った。実は、息が上がっている。それを悟られまいと、声を押し殺しているのだ。
「わ、我等は、満季(みつすえ)様の郎等」
「何? 満季? 満仲の舎弟の満季か。()の者は今、京に()るのではないのか?」
「我等だけ、つい先日、下って参った」
「満仲に呼ばれてか?」
左様(さよう)
「満仲め。さすがに自らの郎等を使うのはまずいと思ったのだろうな」
「満仲様は武蔵権守の任を終えられた後、都に戻り、左馬助(さまのすけ)に任じられることを望んでおります。ついては、何かと物入りとなります」 
 もうひとりの方が卑屈に、千方に取り入ろうとし始めた。
「ふん、聞かぬことまでぺらぺらと喋りおるのう。それほど命が惜しいか」
何卒(なにとぞ)
 いずれ、満仲とは一戦交えなければならないと千方は思った。だが、現職の武蔵権守である満仲と正面切って戦うのは、今はまずい。朝廷を敵に回せば、それこそ、将門の二の舞となることは必定(ひつじょう)であろう。そう思った。
 千方はふたりに背を向けて数歩離れた。敵に背を向けるなど、このような時絶対にしてはならないことだが、それほど、夜叉丸、秋天丸を信頼しているのだ。そして、千方は、息を整えるように大きく呼吸をした。
『どうしたものか』
 そう思った時、 
「ぐわーっ!」
と言う声がふたつほぼ同時に上がった。振り向くと、夜叉丸と秋天丸が既に二人を斬り倒し、夜叉丸が、腕を切り落とされた男の側に走り、刺し殺そうとしているところだった。
「夜叉丸!」
と千方が叫んだが、構わず夜叉丸は男にとどめを差した。
「夜叉丸、なぜ殺した!」
 (とが)めるように、千方が強く言った。だが、夜叉丸は表情も変えない。そこに秋天丸が口を挟んだ。
(いくさ)とはなりませんでしょう。こちらも武蔵権守に正面切って戦を仕掛ける分けにも参りませんが、向こうも、六郎様に正面切って戦を挑む力は御座いません。何しろ後ろには、下野(しもつけ)一国が控えているのですから…… 。となれば、夜叉丸の申す通り、六郎様のお命を密かに狙うことになりましょう。我等二人だけで、六郎様のお命を守り抜くことは出来ません。(さと)から人数を呼び寄せ、交代でお(そば)を守らねばならぬと言うことになります。我等、根が横着者ゆえ、出来ればそうならぬようしたいと思っております」
 (わらべ)の頃から千方に従っている二人。黙って従うだけの郎等では無い。千方に取ってその方が為に成ると思えば、遠慮なく直言する。そして、千方もまた、それを聞く耳を持っている。

 暫くの間、千方は身動きもしないで立ち尽していた。殺戮を悔いている訳では無い。この坂東で生き抜く為にはやむを得ないことと思っている。荷駄を奪われれば、埋め合わせなければならない。その負担は民の肩に()し掛る。それを避けたいなら、何としても奪われないこと。或いは、自らが他の者から奪う外に無い。そんな時代だった。中途半端なことでは、何度でも襲われる。籐家(とうけ)の荷駄を襲うことに恐怖を覚えさせなければならない。

 都から(くだ)って来る受領(ずりょう)は、任期の間にいかに私腹を肥やすかに専念し、民から搾取する。その蓄えた私財を都の有力者に献じて、次にもっと豊かな国の国守(くにのかみ)に任じて貰うよう運動するのだ。だが、疲弊した国に赴任した場合は、私財を蓄えるどころか、都に納めるべき米や布を調達することさえ困難な場合が多い。完納し、引き継ぎを済ませて、後任の国守から、国衙(こくが)の財産の引き渡しの確認をした旨の証書、解由状(げゆじょう)を貰わない限り、二度と受領(ずりょう)の職を得ることが出来なくなってしまうのだ。受領(ずりょう)の搾取が激しくなり、官人(つかさびと)や有力者が同時に群盗でもあると言う異常な状態を作り出したのは、朝廷の責任だった。
 土地と民を直接管理し、定期的に田畑の状態や戸数・民の数を調べて、それに応じた租庸調(そようちょう)を課すと言う面倒な手続きを放棄し、受領に丸投げして、受領個人の責任に於いて決まっただけのものを納めれば出世させ、納めなければ罷免し登用しないと言う、至って簡潔で楽な方法に変えてしまったことにすべて起因していた。短期的に稼げるだけ稼いで、さっさと都に帰りたがる受領が居る一方で、王臣貴族の家系の者が地元の勢力と姻戚関係を結び、退任後も、『(さきの)何々様』と呼ばれ、地元に勢力を扶植して行くと言うことも片方には有った。
 十世紀の坂東は(おの)が力のみが頼りの、正に“自力救済” の世界だったのだ。

 昨年、平将門の子が入京したとの噂が有り、満仲は、検非違使や大蔵春実(おおくらのはるざね)らと共にこれの捜索を命じられた。(つわもの)と呼ばれた者達は、本来の官職以外に、こう言った場合、駆り出される。皇族や、三位(さんみ)以上の(くらい)の、公卿(くぎょう)と呼ばれる上級貴族達の為に良く尽した。もちろん、それは、猟官の為であり、惹いては蓄財の為である。
 特定の公卿に対してと言うよりも、特に満仲などは、万遍無く奉仕し、また、貢物(みつぎもの)なども、各方面にばら撒くのだから、源経基(みなもとのつねもと)の子と言うこともあって、朝廷内での評判は良い。その代り、財はいくら有っても足りない。だが、富んだ国の受領に成り、民や富裕層から搾り取れば元は取れるし、それどころか、何期か勤めれば、莫大な財を築くことも出来るのだ。何しろ、決まっただけの物を官に納めさえすれば、後は、すべて、自分の(ふところ)に入れることが出来る。そう言う制度になってしまっていたのだから、搾取に歯止めは掛からない。

 そんな時、武蔵守を拝しながら、やれ、体の調子が優れぬだの、今年は方位が悪いだのと言って、なかなか赴任しない者が居ると言う話を耳にした満仲は、上手く工作して、まんまと武蔵権守の職を手に入れたのだ。
 青公家(あおくげ)であれば、鬼や東蝦(あずまえびす)の住むと言われる亡幣の国などに赴任したく無いと思うのは、当時としては無理からぬこと。しかし、満仲は、播磨(はりま)や畿内諸国ほどの利は望めぬまでも、坂東は言われるほど疲弊していないと言うことを知っていた。亡弊の国として、税の半分が免除されている上に、有力者達の内で、秘かに、新田開発が進められているのだ。満仲が武蔵権守として赴任して来たのには、そんな事情と思惑が有った。

「時を移してはなりませぬ」
 秋天丸が千方を急かせるように言った。
「うむ」
 千方が頷くと同時に、夜叉丸は、短弓と矢筒を拾い、崖に向かって走り出していた。短弓と矢筒を投げ落とすと、血塗られた抜き身を引っ提げたまま、細い雑木を左手で掴み、そのまま崖に沿って体を滑らせる。降りると言うよりは、草や雑木を掴んだり、石や岩を軽く蹴ったりして減速しながら滑り落ちて行く。千方が続き、秋天丸が続いた。あっと言う間に、下の沢に降りると、ことさらに退屈そうな表情を浮かべた朝鳥が迎えた。 
「おお、阿修羅の殿のお帰りですな。遅いので、成仏してしまわれたかと、心配致しましたぞ」
「ふん、相も変わらず、口の減らぬ年寄よな」
 手頃に束ねた藁束(わらたば)端布(はぬの)を朝鳥から受け取ると、千方は(かたわ)らに流れている谷川に入り、太刀を洗った。夜叉丸と秋天丸のふたりは、手で洗い直垂(ひたたれ)の袖で拭く。太刀を洗い終えると、三人は一旦岸に上がり、千方はそれを布で拭った後、(さや)に納め、待っていた朝鳥に渡す。他の二人は、そのまま小岩の上に置き、三人とも素っ裸になり、一斉に水の中に走り込んだ。
 河原遊びに来た童達(わらべたち)のように、水飛沫(みずしぶき)を上げ、頭から水を(かぶ)る。気持ち良さそうに血と汗と泥に(まみ)れた体を洗いながら、夜叉丸の顔にさえ安堵の色が浮かんでいる。
『今日もまた、命を繋げた』
と言う感慨であろうか。
『昔、この者達と良くこんな風に水遊びをしたな』
と千方は思った。朝鳥から受け取った新たな乾いた端布で体を拭くと、千方は狩衣(かりぎぬ)に着替えた。血と汗と泥に塗れた直垂を、朝鳥が掘って置いた草陰の穴に手早く埋めると、さっぱりとした直垂に着替えた夜叉丸達は、千方が乗るのを待って馬に乗った。
「上におる馬は惜しゅう御座いますな」
と秋天丸が言った。
「欲をかくと(ろく)なことは無い」
 いつもの千方の答え方だ。
左様(さよう)
 朝鳥が千方の言葉を引き取る。
「では、我等はひと足先に参ります」
「裏道を抜けて、下野(しもつけ)(さと)へ参るか? 夜叉丸。長老に宜しくな」
「はっ。ところで朝鳥殿。穴掘りで、腰に来てはおりませぬかな。お年ですから、余り無理はなさいますな」
 そうからかったのは秋天丸の方だ。
「何を抜かすか。(なれ)の墓穴も掘るつもりでおったわ。それは、又のことになったようじゃがな」 
「では、御免」
 夜叉丸が馬の腹を蹴って駆けだした。秋天丸も千方の方に頭を下げて、後を追う。

 千方と朝鳥、それに、朝鳥の乗る馬の(くら)手綱(たづな)を結んだ、振り分け荷物を載せたもう一頭の馬は、ゆっくりと街道に向って下って行く。
 少し陽も落ちた東海道を、残照を背に、のんびりと武蔵に向かう主従の姿は、どこぞに用足しにでも行った帰りのような風情だ。

 西暦九百六十一年、応和元年、癸亥(みずのといぬ)の年の夏。我が国は平安中期にあり、承平(じょうへい)の乱が終結してから二十年の歳月が流れていた。
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