第五章 第9話 陰に生き闇に死す

文字数 4,059文字

 二回目の会談は、三日後に同じ福王寺で行われた。
 兼通(かねみち)は腹案を持って臨んでいたが、千常(ちつね)には迷いが有った。朝鳥(あさどり)の言葉が、微妙に千常の気持ちを揺らしていたのだ。最終的に、千晴(ちはる)高明(たかあきら)の赦免を勝ち取らなければ意味が無い。だが、それはとてつもなく困難なことなのではないかと思えて来ていた。かと言って、中途半端な妥協などしたくは無い。相手の出方次第で腹を決める他無い。そう覚悟した。

 正対して、一応頭を下げる。顔を上げて兼通(かねみち)を見ると、なぜか落ち着いた表情を浮かべている。『さては、戦うと腹を決めたのか』と千常は思った。 
「兵を退()く腹は決まったか?」
 兼通が鷹揚(おうよう)に言った。 
「それは、前回も申し上げた通り、そちらのお答え次第です」
 千常も動揺を見せぬよう落ち着いた対応を心掛けている。
「条件は譲れぬと申すか」
 柔らかい表情の兼通が(ただ)す。
「仰せの通り」
 千常も平然と答える。
「前にも申した通り、朝廷が決めたことは(くつがえ)せぬ。戦うより他無いか」 
御意(ぎょい)
 兼通は黙って頷き、平維茂(たいらのこれもち)源満仲(みなもとのみつなか)の方を見た。二人とも、さも当然と言う表情で頷く。千方(ちかた)貞義(さだよし)は硬い表情を崩さず、黙している。 
「やむを得ぬな。だが、最後に申し聞かせたき儀が有る。他の者達は席を外せ」
 何事かと思ったが、千常は千方と貞義の方を見て頷く。二人は、礼をして席を立った。兼通は、満仲と維茂の方に視線を送った。二人は互いに視線を交わし、間を置いて席を立った。

 四人が姿を消すのを待って、兼通(かねみち)が表情を崩した。
「本音を申せば、戦いとうは無い。世が乱れることは望まん。じゃが、麿の立場も考えてみよ。千晴や、まして高明(たかあきら)様の赦免など決められる立場では無い。関白様が了承し、詮議に掛けて初めて出来ることじゃ。そうする為には、都に(ふみ)一通送れば済むと言うことでも無い。直接お願いしなければならぬことだし、一度や二度で済むことでも無い。時が掛かる。そして、もし、関白様のご同意を得られるとしても、何かの理由が無ければならない。例えば、(みかど)のお代替(だいが)わりの恩赦であるとかな。いずれにしろ、したくても直ぐには出来ぬ。もし、兵を退()いてくれるなら、赦免に向けて力を尽くすと言う一冊を与えても良いぞ」
 つまり、高明(たかあきら)らの赦免に向けて努力すると言う約束を文書にして与えると言うのだ。
「もし、約束を(たが)えた時は、その(ふみ)を世に(さら)せば良いであろう。朝廷の許可も得ず、勝手にそのような約束をしたことが知れれば、当然、麿は罰せられる。だから、麿も、約束を守って赦免の為に力を尽くすしか無い。どうじゃ、ここまで腹を割って話しても聞き入れられぬか」
 言い終わると、兼通(かねみち)は千常の目を見据えた。千常は、既に戦ってみても千晴、高明の赦免まで持って行くことが極めて困難であることは自覚している。だが同時に、公家(くげ)と言うものを信用していない。千常も兼通を見返し、暫し凍てついた沈黙がその場を支配した。
 兼通の言う通り、文書(もんじょ)を与えると言うことは、兼通に取っては相当な危険を伴うことである。兼通がそこまで譲歩するなら、他により良い方策が無い限り受けることもやむ無し、と千常は腹を決めるに至った。
「仰せ頷ける部分も御座います。御言葉に偽りが無く、確かな念書を頂けるのであれば、兵を退()きましょう」
 そう申し出た。
「そうか! 分かってくれたか。結局、それが下野藤原の為でもある。朝敵に成ってはならぬ」
 兼通(かねみち)は歓びを(あらわ)にした。千常は表情を変えない。これで良かったのかと言う想いがどこかに有るのだ。
 兼通は、(あらかじ)め用意させておいた筆と紙を取り出し、約定(やくじょう)(したた)めた。
『こたびは朝廷の説諭に従い、騒乱を(みずか)ら収めんとせしこと、殊勝である。本来、相応の罰を与えるべきところではあるが、特別の計らいを以て罪一等を減じ、お構い無しとする。尚、異例ではあるが、千常に付いては、その武勇を朝廷の為に使うよう命じ、近頃騒がしき俘囚(ふしゅう)の動きを静める為、次期鎮守府将軍として力を尽くすよう計らうこととする。また、千常より願い出されし千晴らの赦免に関しては、力を尽くし、極力意に添えるよう努める』
 兼通(かねみち)は、ゆっくりとそれを書き上げ、千常に渡した。末尾には『参議・従四位上(じゅしいのじょう)藤原朝臣(ふじわらのあそん)兼通(かねみち)』と署名した。

 ゆっくりと書いたことと署名に、実は兼通の策が潜んでいた。ゆっくり書いたのは、兼通が意識して普段の筆跡とは違う筆跡で書いた為である。また、署名の肩書『従四位上(じゅしいのじょう)』も嘘である。この時点での兼通の位階は、従四位下(じゅしいのげ)である。万一公表された時、この二点を以て偽造と決め付け、知らぬ存ぜぬと押し通すつもりなのだ。公家(くげ)たる者、やはり、保身に関しては、ずる賢く(したた)かである。
 手筋(てすじ)を変えてみても、現代の筆跡鑑定であれば簡単に見破られてしまうだろうが、当時なら、十分に(とぼ)けられる。また、兼通の正確な位階や筆跡まで千常辺りが詳しく知っている訳も無いのだ。

 兼通(かねみち)が突然表情を崩した。本人としてみれば、身分を超えた親しみを表そうとしたのかも知れないが、千常(ちつね)と言う男、元来(がんらい)公家(くげ)白粉(おしろい)顔が大嫌いなので、突然、にやけられたら気持ち悪いと思うだけで、嫌悪感以外に無い。
「麿の本心が分かるか?」
 千常が兼通のわざとらしい笑顔に嫌悪感を感じていることなど、兼通は知る(よし)も無い。
「はぁ?」
「存じておるかとは思うが、麿の六男・正光の(しつ)高明(たかあきら)様の姫じゃ」
 それは、千常も知っていた。当時、高明直属の部下であった兼通は、高明の三の姫が生まれると直ぐ、六男・正光との婚約を願い出、高明の了承を得た。そして、一昨年、婚姻を結んでいたのだ。正光はまだ十三歳なので、形だけの夫婦(めおと)ではある。
 しかし、こうしたことが、安和(あんな)の変に際して高明派と看なされ、兼通を窮地に陥れることとなった。幸い罰せられる迄には至らなかったが、出世に於いて、弟・兼家に追い越されることとなっていたのだ。
 千常は兼通を、高明派で有りながら保身に走り、摂関家の中で何とか浮き上がろうともがいている男と見ていた。だが、先程まで呼び付けにしていた高明に『様』を付けていることに気付いていた。
罪人(つみびと)となった今、他の者の前では呼び捨てにせざるを得ぬが、麿はいつも心の中では『高明様』と呼んでおるのじゃ。千晴も以前より見知っておる。内心、解き放ちは、麿も望んでおるところなのだ。しかし、今の朝廷の中で、そのようなことはおくびにも出せぬ。じゃが、そのほうの要求と言う形であれば願い出ることが出来る。麿を信ぜよ」
 表情は不快であったが、千常の心は、兼通の言葉に少し動かされた。

 千常から和議を結んだと聞かされた千方は、千常らしく無いと思い、結果に不満であった。だが、朝鳥の進言も思い起こし、敢えて反対の意見は述べなかった。

 同じ日の夜、都の伊尹(これまさ)の舘に忍び入る影が有った。長老である。蝦夷の装束を身に着けている。今は、下野(しもつけ)(さと)では長老自身を含めて、蝦夷の装束を身に着けている者は居ない。大和(やまと)の農夫と同じ物を着ている。それがこの日、何故か蝦夷の姿をしているのだ。
 影は警備の従者(ずさ)達の目を盗み、南庭(なんてい)から母屋へと進む。南庇(みなみひさし)に素早く上がると伊尹(これまさ)寝所(しんじょ)に忍び入った。宿直(とのい)の者の目を盗み、寝入っている伊尹(これまさ)に近付くと、いきなり枕を蹴上げた。殺すつもりならそんなことはせずに、ただ刺せば良い筈である。枕を蹴られた伊尹は、闇の中でもあるし、一瞬、何が起きたか判断が付かない。じっと目を凝らすと、何となく影を感じた。影はじっと待っている。
曲者(くせもの)じゃ。出会え!」
 伊尹が叫んだ。手に手に(あか)りを持った従者(ずさ)達が、慌てて駆け付けて来る。猟官の為、無報酬で仕えている地方の土豪の子弟達である。
 (あか)りの中に姿が浮かび上がる。顔こそ布で覆っているが、伊尹(これまさ)、従者達の誰もが蝦夷と認識し、従者達が伊尹を護る為駆け寄ろうとした瞬間、長老は伊尹に襲い掛かった。
 蕨手刀(わらびてとう)が伊尹の腹に突き刺さろうとする瞬間、複数の従者(ずさ)が一斉に長老に斬り掛かった。蕨手刀は、わずかに伊尹の腹に食い込み、血が(にじ)んだ。数人の従者(ずさ)が伊尹を退避させる一方、残りの者達は、尚も代わる代わる長老に斬り付ける。それは、長老が倒れてからも続けられ、上から何度も刺し抜かれた。
「なぜ蝦夷が」
 浅手を負って北の対屋(たいのや)に避難した伊尹はそう呟いた。
『やはり蝦夷は、本気で都に攻め上ろうとしているのか』そう考えた。
「賊は仕留めました」
 従者(ずさ)達から報告を受けた家司(けいし)が報告に来た。
「血の(けが)れ。母屋は建て替えよ。当分はここで暮らす」
「はっ。お怪我(けが)の方は、大事御座いませんか。直ぐに医師が参ります」
「かすり傷じゃ。大事無い」
 伊尹(これまさ)寝所(しんじょ)の床は、長老の血に染まっていた。手柄を立てるのは今と、誰も彼もが競って斬り付けた結果だ。
 伊尹はこの事件を隠すことにし、厳しく箝口令(かんこうれい)を敷いた。
「賊はたまたま蝦夷であった。逃げた蝦夷で賊となっている者も多い。だが、このことが表に出れば、
『大納言が蝦夷に襲われた。やはり、蝦夷が都に攻め上って来ると言う噂は本当だったのだ』と言うことになってしまう。
 民心を不安にさせ、都を混乱に陥れる。良いか、例え親・兄弟といえども決して漏らしてはならん。万一、漏らす者有らば、厳しく処罰する」
 そう通達して圧えたが、伊尹自身の心には『蝦夷が攻め上って来ると言うことは有り()る』と言う観念が植え付けられてしまった。

 千常(ちつね)に兵を退()かせることに成功した兼通(かねみち)は、帰京して実頼(さねより)に報告した。与えた文書のことは触れない。条件としては、千常の次期・鎮守府将軍と千方の身分保障、昇進に付いて約束したとだけ伝えた。実頼が事前に了承していた内容とほぼ同一である。
「良うやった、兼通。麿は、兄弟の中でのそなたの立場理解しておる。任せよ。悪いようにはせぬ」
 和睦に付いて伊尹(これまさ)から相当な反発が有ることを実頼(さねより)は覚悟していたが、なぜかそれは無かった。

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@ 【信濃国、藤原千常の乱を奏す】
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@ 長野県史より 日本紀略・後篇五 
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