第九章 第2話 千方駆ける

文字数 4,459文字

 皆が寝静まった深夜、木を細く割って炭火で(あぶ)って黒く()がし、手元を紙で巻いた脂燭(しそく)を持って、千方は舘を出た。村外れに銀杏の大木が有り、その下に馬一頭と人影がひとつ。
「お待ちしておりました」
 千方が近付くと、人影がそう声を掛けて来た。五郎左(ごろうざ)である。
「待たせた。異変は無いか?」
と、千方が問うと五郎左は、
「はい。何事も」 
と答える。
松明(たいまつ)()けよ。武蔵路まで先導してくれ」
(かしこ)まりました」
 千方が乗馬すると五郎左(ごろうざ)松明(たいまつ)に火を()け、そのうちの一本と手綱(たづな)を千方に渡す。そして、先に立ち無言のまま歩き出した。一月半ばであるが、新暦で言えば二月半ばとなる。()て付くような寒さに加えて、北風が吹いている。その風が時折強くなり、馬上で身を(かが)めている千方は身震いする。指先が千切れるように痛む。薄雲が掛かった夜で、星空に加えて満月が北北西の低い空に浮かんではいるが、時折、群雲(むらくも)がそれを(さえぎ)る。辺りは漆黒の闇と言う訳では無いのだが、道を踏み外さない為には松明(たいまつ)(かざ)す必要が有る。
 千方は府中に向かっている。(みずか)ら国府に出頭するつもりだ。だが、自分に罪が有ると認めるつもりなど更々無い。理はこちらに有り、不法に侵入し草原(かやはら)の民を殺した忠常の方に罪は有ると飽くまで主張し続けるつもりだ。
 この一件だけを以て、千方に一方的に罪が有るとすることには無理が有る。満季(みつすえ)は恐らく、千方が(いくさ)の準備を始めたことを(とが)めて来るだろう。それに付いては、村岡から攻撃を受ける可能性が有る為で、決して国府に逆らうつもりでは無いと言い抜けるつもりだ。例え痛め吟味(ぎんみ)に掛けられようとも、主張を変えるつもりは無い。攻め苦に耐える覚悟は出来ている。

 満季の執念深さを考えれば、例え罪を捏造(ねつぞう)してでも、罪を着せようとするのは間違い無いだろう。投獄か遠島(えんとう)で済めばまだ良い。
 この時代、死罪は廃止されていたので、満季(みつすえ)もそれを言い渡すことは出来無いが、痛め吟味(ぎんみ)中の事故死とすることは出来る。千方は数え五十三歳と成っている。思えばあっと言う間に過ぎた五十三年である。いずれにしろ、己の身ひとつのこととして、この問題は終わらさなければならないと強く思う。千方さえ居なくなれば、満季(みつすえ)草原(かやはら)まで潰そうとは思うまい。対村岡の問題に付いては、私市(きさいち)が力を貸してくれる筈だ。
 心配なことはひとつ。千方が囚われたと知れば、古能代(このしろ)を始めとする千方付きの郎等達が黙っている筈が無い。必ず、千方を奪還する為に動き出す。それが草原(かやはら)豊地(とよち)を窮地に立たせることになるので、くれぐれも自重するようにと(したた)めた(ふみ)を、別の侍女に預けて来た。しかし、郎等達が素直に従うとも思えないのだ。だが、古能代(このしろ)のこと、草原(かやはら)に類を及ぼすようなことだけはするまいと信じることにした。

 東山道武蔵路に接続する辺り迄来ると、夜は白々と明け始めた。
「待て」
五郎左(ごろうざ)に声を掛け、千方は馬から降りた。
「この辺で良い。寒い中、ご苦労であった。戻ってくれ」
 そう言って千方は、(ふところ)に手を入れる。
「いえ、手前は歩いていたので体が暖まり、それほど寒くは御座いませんでした。将軍様こそ風邪など召さぬようお気を付け下さいませ」 
「礼じゃ、受け取ってくれ」
 千方は、銀の小粒を一つ五郎左(ごろうざ)に渡そうとする。
「いえ、飛んでもねえ。ここまでお供しただけで、そんな大層なもの頂く訳には参りません」
 五郎左はさかんに遠慮する。確かに、千方が何を考え、何をしようとしているのかを知らない五郎左から見れば、馬を預り、落ち合って供をして来ただけなのである。
「良いから受け取ってくれ」
 千方は五郎左の手を掴んで、無理矢理に銀の小粒を握らせた。五郎左は何度も繰り返し礼を述べた後、戻って行く。その後ろ姿を見送ってから松明(たいまつ)を消し、再び馬上の人と成って千方は早足で府中に向かって駆け始めた。

 駆け始めて間も無く、少し先に一人の男が飛び出して来て、両手を広げて行く手を阻んだ。逆行で顔ははっきりしない。さては敵かと一瞬思い、千方が手綱(たづな)を引き絞って馬を止める。緊張が走った。だが、目を凝らして良く見ると、それは古能代(このしろ)だった。
古能代(このしろ)……」
 千方が驚いて呟く。
『どうして此処(ここ)に?』と一瞬思うが、考えてみると、古能代(このしろ)であれば、察知していたとしてもそれほど驚くべきことでも無いのだ。古能代(このしろ)はゆっくりと近付いて来た。
「我等を置き去りとは、殿も(ひど)いお方じゃ」
 笑いながら、古能代はそう言った。
「そうか。そなたを(だま)すのは無理なことであったか」 
 千方は苦笑いをした。
「お供致します。皆参っておりますので」
 街道の両側の林の中から馬に乗った男達がぞろぞろと現れた。千方の郎等達ばかりでは無い。国家(くにいえ)とその郎等と思われる男達も居る。合わせて二十人以上にもなる。古能代(このしろ)の馬を引いているのは、小山武規(こやまたけのり)である。 
「待て。麿は戦いに行くのでは無いぞ」
 皆は、千方が一人で戦おうとしていると思っているのではないかと、千方は思った。
「では、どうなさるおつもりで」
 武規(たけのり)から手綱(たづな)を受け取り乗馬した古能代(このしろ)が尋ねる。
「出頭し、正々堂々と主張を述べるつもりだ」
 千方は存念を皆に伝えた。
「それが通るとでもお思いで?」
と古能代が聞く。
「今回のことは村岡に非の有ることだ。案じることは無い。事を荒立てぬ為にも、そのほうらは、草原(かやはら)に戻って大人しくしておれ」
 捕らわれる事は覚悟の上である。皆を巻き込みたくは無かった。
武蔵守(むさしのかみ)満季(みつすえ)でなければ、その(めい)に従いも致しましょう。しかし、あの男なら、何としても殿を罪に落とそうとすることを、殿もご承知のはず。我等を(たばか)ろうとしても無駄で御座います」
 そう言ったのは、広表智通(ひろおもてともみち)(秋天丸)である。
草原(かやはら)を巻き込む訳には行かぬ」
 千方はそう強く言った。
「殿も我等も居なくなれば、満季(みつすえ)とて、草原(かやはら)を滅ぼそうとまでは思いますまい」
 古能代(このしろ)がそう言った。
「うん?」
 古能代の言うことが何を意味しているのか千方には分からなかった。国家(くにいえ)が馬首を進めて、前に出て来た。
「万一の時には六郎様を甲賀にお連れするよう、大領から言い遣っております」
 千方にそう告げる。
「しかし、それでは、やはり草原(かやはら)が心配だ」
「このまま精々派手に府中を走り抜け東海道に向かいましょう。さすれば、満季(みつすえ)の関心はこちらに向かい、草原(かやはら)に構うことは無いでしょう」
 国家(くにいえ)の考えは、千方達が東海道を西に向けて逃げたと言う事を強く印象付ければ、満季は千方らを追うことに心を奪われ、草原(かやはら)に何かしようなどとは思わないだろうと言うことなのだ。
「そう上手く行くか? それに、武規(たけのり)智通(ともみち)元信(もとのぶ)末信(すえのぶ)。その方ら皆、家族を草原(かやはら)に置いて居るであろう」
と千方が聞いた。そして、その問いには古能代(このしろ)が答えた。
「ご安心を。国家(くにいえ)郎等(ろうとう)を五人程残してくれるそうです。草原(かやはら)に向かい、お(かた)様、太郎(松寿丸)様を含めて、東山道(とうさんどう)より甲賀へお連れしてくれると言うこと。それに、都に(つか)わせた和親(かずちか)(犬丸)と繋ぎを取る必要も有るので、元信(もとのぶ)(鷹丸)を東海道より先行させ、末信(すえのぶ)(鳶丸)は、国家(くにいえ)の郎等達と共に、一旦、草原(かやはら)に寄らせ、豊地(とよち)殿に事情を説明した上で、そのまま東山道(とうさんどう)より都に向かわせます。元信か末信が、どこかで和親と出会うはずです」
 そう段取りを説明する。
「ふ~ん」
 そこ迄言われると千方の心も揺らいだ。
「殿をここで終らせる訳には行きません。これは我等一同の一致した想いです。お聞き頂けぬ時は、ご無礼ながら、縛り上げてでも甲賀にお連れするつもりです」 
 古能代(このしろ)にそう言われ、千方は折れた。
「分かった。皆の気持ち、有り難く思う。だが、侑菜(ゆな)と太郎に付いては、同道する必要は無い。端野(はしの)(しゅうと)殿に面倒を見て貰うことにした」
 そう告げた。
「それで宜しいので?」
 古能代が確かめる。
「それで良い」
 千方に迷いは無い。
(かしこ)まりました」
 胸の痛みを感じながらも、千方がそう決断したのなら仕方が無いと思った。

 こちらは村岡の忠常。今直ぐにでも草原(かやはら)を叩き潰したいと苛立(いらだ)っている。
「今動くのは不味いと思います。国府の吟味を待つしか御座いません。きっと、武蔵守様が有利に運んでくれると思います」
 そう(さと)す郎等に、忠常は不満げな視線を投げる。
「ふん。鏑木(かぶらぎ)の申したことなど当てに出来るか。国府に出頭して、こちらに非が有るとされたらどうするのじや。まして、投獄などされたらどうする!」 
 そんな事を言いながら、郎等に当たる。
「そのようなことは御座いますまい」
 郎等は(なだ)めようとする。
「当てになるか。受領(ずりょう)など信用出来ぬ。その時の都合で、言うことがころころと変わるからな」
 全く我儘で扱い難い男である。
「そう仰らず、様子を見てみましょう」
と言う郎等に、忠常はいきなり太刀を抜き払い、ビュッと音を立てて横に払った。その時、切っ先は郎等の鼻先を(かす)めていた。郎等は思わず身を反らせたが、忠常は気にする様子も無く、太刀を(さや)に収める。しかし、忠常が後ろを向いた時、郎等の目に(かす)かな憎悪が表れたのを忠常は知らない。 
    
 
 千方達が府中に差し掛かった頃、国衙(こくが)の中では、武蔵守・満季(みつすえ)と忠常の父・武蔵介(むさしのすけ)・忠頼が話していた。
「愚息がご面倒をお掛けしまして、(まこと)に申し訳御座いません」
 忠頼が満季に頭を下げる。
「気にすることは無い。悪いようにはせぬ。安心致せ。だが、一度国府に出頭させよ。忠常は出頭したのに千方は出頭せぬ、と言う理由を以て草原(かやはら)に兵を差し向ける」
 満季の思惑を聞いて、忠頼はニンマリした。
(かしこ)まりました。早速、使いを出します」
と頭を下げる。
「千方め、(あらが)う態度を見せていると言うことじや、まさか、争いの一方の当事者である村岡の者を使う訳にも行かぬゆえ、近隣の土豪を集めておけ。健児(こんでい)検非違使(けびいし)に加えて五十もおれば良いであろう」
「早速に手配致します」
 そう答えて、忠頼は満季の館を後にした。

    
 府中に入ると、十五頭の馬列は並足となって進んだ。元信(もとのぶ)(鷹丸)は東海道に向けて既に先行しており、末信(すえのぶ)(鳶丸)と国家(くにいえ)の郎等・五人は、草原(かやはら)に向かっている。
 既に官吏の登庁時刻も過ぎているので、人通りも多い。府中には、各土豪の郎等達も来て居る。千方の顔を見知っている者も居る。やがて国衙(こくが)の前に差し掛かると門番の兵達が不審げに一行を見ている。すると、千方一行を眺めていた兵の一人が、はっとしたように国衙(こくが)の中に走り込んで行くのが見えた。千方を見知っている者であろう。
「行くぞ!」
 その様子を確認した千方が命じる。十五頭の馬が一斉に駆け出す。

 国衙(こくが)に続く街道は道幅も広いので、元々端を歩いている民達は、慌てて避ける訳でも無く、何事かと見送るのみだ。
「殿、久し振りに駆け比べますか?」
 馬首を並べて来た古能代(このしろ)が千方に叫んだ。手綱捌(たづなさば)きの名手である古能代(このしろ)も、既に七十を超える歳と成っている。
「落馬するなよ!」
 そう言って千方が笑った。
「まだまだ、殿には負けませぬ」
 十五頭の馬群は東海道に向けてひた走る。
相模(さがみ)に入るまで駆けるぞ!」
 数刻前まで(ひたい)(しわ)を寄せていた千方の(さわ)やかな声が響く。
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