第三章 第7話 雛

文字数 5,501文字

満季(みつすえ)様がお見えです」
 居室で寛いでいた満仲に郎等(ろうとう)が伝えて、直ぐ下がって行った。
 満仲は「うん」と返事して待つが、満季は容易に現れない。暫くして現れた満季だが、(えん)に突っ立って、入り(にく)そうにして首の辺りを(さす)っている。
「何をしておる。入れ」
 そう言われて、満季はのそのそと入って来た。
「どうした? 座れ」
 座って胡座(あぐら)を掻くと、満季は、両の(こぶし)を床に突き、頭を下げた。 
「済まん兄者。しくじった」
 予想していたのか、満仲は目で笑った。
「あの若造のことか?」
と確認する。 
「そうだ」
と気まずそうに言った満季は、
『大きな口を叩いたくせに、しくじったのか。(たわ)けが』そう叱責されるのを覚悟していた。だが、満仲は表情を変えなかった。 
仔細(しさい)を話せ」
 そう静かに言った。
「う、うん。ならず者共十人ほどを雇って襲わせた。(やしろ)の前で、その者達が奴を囲むように立ち塞がったのだが、突然、七、八人の男達が現れて、短弓で狙われた」
 満仲の目が動き鋭い視線を満季(みつすえ)に注いだ。 
「なに、短弓だと? やはりそうか。蝦夷か?」 
 満仲は色めき立っている。
「いや、陰から見届けた郎等(ろうとう)の話に寄ると、郎等風の者、物売り風の者、町人(まちびと)風の者など、風体(ふうてい)は様々だったそうだ」
 満仲が腕組みをして、空を見詰める。 
「ふ~ん。そのような者達を使っておったのか、あの男。相模(さがみ)でのこと、そ奴らの仕業(しわざ)だな。で、どうなった?」
「それが、あの腰抜け共め。千方に詫びを入れて、全ての者が逃げ出してしまいおった」
「当然だ。元来、そのような者達は怠け者だ。少しでも楽をして稼ごうと思っておる。僅かな礼物(れいもつ)の為に命まで懸けるものか。安く上げようとしたのが間違いだな。で、その者達はどうした」 
「郎等達に追わせたのだが、蜘蛛の子を散らすように四方八方へ散って逃げおったので、二、三人を斬り捨てたのみで、後は見失ってしまった。済まん」 
「二度とそんな者達は使うな。下手(へた)をすると墓穴を掘る事になるぞ」
「分かった。次はしくじらぬ。済まなかった」
 盛んに恐縮する満季(みつすえ)だが、満仲は薄笑いを浮かべた。
「いや、まるで無駄だったと言う訳でも無い。短弓を使う者達の存在が分かったのは収穫だ。いっそ、奴らがごろつき共を射殺(いころ)してくれていたら良かったのにな。死骸に矢が残っていて、それが武蔵で使われた物と同じ矢なら、奴をひっ(くく)れたのにな」
「麿はもう、奴を捕まえようなどとは考えておらん。殺すと決めている」
 満季が思い詰めたようにそう言った。
「それで気が済むならそう致せ。だが、麿は麿ですることが有る。読みを誤っておったようじゃ。二、三十人もの者達が山中を駆け抜ければ、目立たぬ筈は無いと思い込んでいた。誰も尋常では無いと思う筈だ。(きこり)や山里に住む者達が、郡衙(ぐんが)に報せる筈と思い込み問い合わせてみたが、見た者は居なかった。だが、もっと少ない人数であれば、目立つこと無く駆け抜けられるかも知れぬ。(なれ)の話を聞いていてそう思った。或いは、たった七、八人でやったのかも知れぬとな。郎等を武蔵にやり聞き込ませてみよう。それ程の大事とは思わず、郡衙(ぐんが)には報せなかったが見ていた者がいるやも知れぬ」
 満季(みつすえ)には、満仲の考えが分からなかった。 
「なぜそんな面倒なことをせねばならんのか。殺してしまえば済むことではないか」
「綿密に調べれば、或いは思わぬ収穫が有るやも知れぬ」
と満仲が答える。 
「何のことだ」
 満季には満仲の思惑が読めない。少し苛立った。 
「良い。それより、(なれ)にして貰いたいことが有る。次は慎重にせねばならぬ。まずは、気付かれぬよう跡をつけさせよ。必ず繋ぎの者が現れるはず。そ奴をつけて、手の者達の居所を突き止めよ。そ奴らを見張っておれば、裏をかかれずに済む」
「確かに」 
「気安く返事をするな。敵は相当な者達。そ奴らに気付かれずつけるなど、素人に出来ることでは無い。心当たりは有るのか?」
「無くは無い」
満季(みつすえ)は答えた。 
「そうか。ならば任せる。言っておくが、財を惜しんでつまらぬ者を雇うなよ。ごろつき十人に使う物を、その道に(たけ)けた者ひとりの為に使うくらいで良い。それほどの価値の有る者を探せ」
『そんなまどろっこしい事をせずとも』と満季は思うのだが、満仲に逆らうことは出来なかった。
「分かった。今度はしくじらん」
 そう言って満季は出て行ったが、満仲はその言葉を鵜呑みにしてはいなかった。千方と言う男、若いが用心深くしたたかな男だと思っっている。 
「やはり、秀郷(ひでさと)の子よな」
 そう呟いた。

 十日ほどが経った。千方は、都に来て以来一度も満仲には会っていない。千晴の舘は右京四条一坊西院(さいいん)に有る高明(たかあきら)の屋敷からそう遠く無い一角に有る。満仲は左京一条に舘を構えており、距離的にはかなり離れている。しかし、高明邸にやって来る満仲に出くわす可能性は有る。また近々、兄・千晴に従って高明の警護に就くことになれば、その時は必ずやって来る。満仲と例え出会ったとしても、お互い腹の内を隠して白々しい挨拶を交わすことになるだろうと千方は思った。

 千方は昔、祖父・久稔(ひさとし)に、顔で笑って相手の腹を探れと言われた時、そんな大人には成りたく無いと思ったことを思い出した。人とは変わるものなのだと思った。
 この日は、犬丸と会って祖真紀からの報告を聞くことになっていた。西院の裏で会うことになっている。西院は淳和院(じゅんないん)の別称で、右京四条二坊(現・京都府京都市右京区西院高山寺町18高山寺内)にあった。高明邸の西隣の一画である。

 後の世になってのことだが、源氏長者が奨学院(しょうがくいん)別当(べっとう)(長官)と併せて名乗るようになり、足利義満(あしかがよしみつ)以来、幕府将軍の正式な名乗りは、『淳和院(じゅんないん)並びに奨学院(しょうがくいん)別当(べっとう)・征夷大将軍・(みなもとの)(なにがし)』となるのだ。

 西院の裏口を入って行く飴売りの格好をした犬丸の姿があった。少しして、夜叉丸、秋天丸を従えた千方が入って行く。千方らが入って行くと、雑木の陰から犬丸が姿を現した。無言でちょっと頭を下げる。
「どうじゃ、その後」 
 千方が尋ねる。
「先日伺った帰りに跡をつけられました」 
「なに?」 
「幸い隠れ()近くで見張っていた鷹丸が気付いてくれて合図を送ってくれたので、知らん顔をしてその場を通り過ぎ、散々歩き回った後、まいてやりました」
「それで?」
と千方が後を急かす。 
「当然、竹丸が逆にその者をつけたのですが、こちらもまかれました。中々の者だったようです」
 納得したように千方が頷く。
「用心せねばならぬな」
「今日、もし麿をつければ、今度は逃しません。統領が出張って来ておりますので」
 犬丸の意気込みが見て取れる。
祖真紀(そまき)が来ておるのか」
「はい。近くにおる筈です」 

 父の代には単に『(おさ)』と呼ばれていた祖真紀だが、跡を継ぐことが決ってからの古能代(このしろ)は、戦いに向かぬ者を千常(ちつね)に頼んで農夫として開拓地に入植させ、残った者達を更に厳しく鍛え、(さと)を強力な戦闘集落に改革して来た。そして、郷長(さとおさ)と言うより、戦いを指揮する者と言う側面が強くなり、『統領』と呼ばれるようになっていた。
 敵に気付かれぬよう、()えて今、姿を現さないのだろうと千方は思った。 
「どうやら、満季が指揮を取っているようです。それ以上のことはまだ分かりません。今日、鼠が罠に掛かってくれれば、も少し何か掴めるかと」
 犬丸が段取りを説明する。 
「そうか。ご苦労。(おとり)の役、十分気を付けて務めてくれ」
「有難う御座います。では」
 一度頭を下げて、犬丸は境内を出て行った。少し間を置いて、千方達も裏口から出た。念の為、東に向かった犬丸の後ろ姿を目で追ってみるが、流石につけていると思われる者の姿は無い。それを確かめて左折し、裏小路(うらこうじ)を塀に沿って西に向かって歩き出した。 
 少し行った所で、千方は、こちらに向かって歩いて来る娘の姿に気付いた。()ち葉色の小袖を着た町娘風の女だ。 
『昼とは言え、右京の裏小路を娘ひとりで歩くとは』 
 そう思ったが、或いは敵かも知れないと(ひらめ)いた。ちらりと夜叉丸の顔を(うかが)って見るが、特に警戒している様子は無い。
 娘は少し急ぎ気味に反対側の塀際を歩いて来る。近付くに連れて顔がはっきりと分かるようになった。中々に愛らしい面立(おもだ)ちをした娘だ。娘が少し視線を上げた。その瞬間表情が変わり、信じられない素早さでしゃがみ込んだと思ったら、小石を拾い、その小石を千方の顔目掛けて投げ付けて来た。
 娘に注意を払っていた千方は、身体(からだ)を沈めて難無くその小石を(かわ)した。しかしその瞬間見たのは、前の白壁に当たって跳ね返る矢だった。白壁には矢で(えぐ)られた傷がくっきりと残っている。夜叉丸と秋天丸は素早く振り向いて、後方の塀の上や木の上などに忙しく視線を走らせている。矢は後方から飛んで来たのだ。娘が投げた小石を避ける為身を(かが)めたことで矢を(かわ)すことが出来た。
「申し訳御座いません、抜かりました」
 癖者(くせもの)の姿を捉えようと目で追っていた二人が、(あきら)めて千方に頭を下げた。
「やむを得ん。後ろに目は無いからな」
 そう言って千方は苦笑いをした。普段であれば、他の誰かが隠れて後方に目を光らせている筈だった。ところが今日は、犬丸をつける者を捕らえる為に、祖真紀に従って千方の(かたわら)を離れてしまっていた。今回は完全に、千方側が裏をかかれたことになる。 
「ご無礼お許し下さい。申し訳御座いませんでした」
 近寄って来た娘が千方の前に膝を突き、頭を下げた。 
「何を申す。そなたのお陰で命拾いした。礼を申す」
と千方が応じる。
「いえ、役目に御座いますれば」
と娘は言った。
「役目? そうか、もうひとりと言うのはそなたか。名は何と申す」
 それには答えず、娘はただ笑みを浮かべている。千方は、夜叉丸と秋天丸の顔を見た。二人ともニヤニヤしている。
「何だ、気持ちの悪い奴らだな」
 少しむきになって、千方が二人をなじる。その時、
「チェンジュマルチャマ、こんにちは」 
 娘が、幼い(わらべ)のような声でそう言った。千方は、娘の顔をじっと見ていた。
(ひな)か! 全く分からなかったぞ」
と言いながら、千方の表情が(ほころ)んだ。
「フクロウの雛に御座います」
 雛も笑顔で、そう言葉を返した。 

 十四の歳、千寿丸と名乗っていた千方が、千常(ちつね)に連れられて下野(しもつけ)の隠れ(ざと)に入り、(わらべ)達と対面した時に、先代の祖真紀に促され、回らぬ舌で挨拶したのが幼い日の雛だった。雛はペコリと頭を下げ、回らぬ舌で『チェンジュマルチャマ、こんにちは』と言った。それを受けて千方が『言いにくそうだな。六郎で良いぞ』と言うと『ろくろう? なんか、ふくろうみたい』と返した。
(ふくろう)か、夜目が効くと良いな。朝鳥の雛か(ふくろう)の雛か?』
 千方のその言葉を理解出来ず、雛はきょとんとしていた。その時朝鳥が、呆れたという顔をして『このような幼い(わらべ)に、そんなことを言っても、分かる筈がありますまい』と言ったので、皆どっと笑ったのだ。

「驚いた。そのようなことまで良う覚えておるのう」
 雛の顔を見詰めて呟く。
「朝鳥様とのやり取りが面白かったと言って、皆が何度も話してくれました。覚えていた訳では御座いません」
 雛はそう言って笑う。
「しかし、口も良く回らなかった、あの幼い女童(めわらべ)がな……」
 千方は何か感慨深げである。
「十五になりました」
「そうか、あの時の麿の年よりひとつ上になっておるのか……」
「手薄になるので、六郎様の身辺に気を配るよう、統領より言い遣っております」
 千方は、まだ、雛の姿を感慨深げに見回していた。
「しかし、昨日今日、下野(しもつけ)の山から出て参ったとは思えぬな。黙っていたら都の娘にしか見えん」
 千方は幾分(いくぶん)興奮気味に雛に話し掛けている。その様子を見ながら、夜叉丸と秋天丸は互いに目を合わせ、無言の会話を交わした。
「ここ一年ほどは佐野のお舘で下働きをしておりました」
と雛が経緯(いきさつ)を報告する。
「そうであったか。だが、佐野とて板東の片田舎ではないか」
采明(あやめ)様という方から、立ち居振舞いを(しつけ)られました」
 千方も知っている古参の侍女である。
「采明? ああ、五郎兄上の母上に付いていた侍女じゃな。兄上の母上は先年亡くなられたが、采明は達者であったか。兄上の母上は公家(くげ)の姫。その方に京に居る頃から付いていて、供をして板東に下って来たと聞いておる。京生まれの采明から躾られたのか」
「はい」
「それにしても、侍女なら()(かく)、下女に作法の(しつけ)とはな。(いとま)も無かったろうに」
「統領から殿様に、特別にお願いしてあったものと思います。役目に必要なものと思ってのことと言われました」
「そうであったか」
 その時夜叉丸が、
「六郎様」
と、拾って来た矢を見せながら、千方に話し掛けて来た。
「短弓で御座いますな。しかも腕は確か。雛が石を投げなければ、六郎様の首を後ろから射抜いておりましたでしょう。背筋が寒くなります。我等の油断でした」
 そう言いながら秋天丸は、夜叉丸から矢を取り上げて、(やじり)、矢羽などを丹念に見ている。
「蝦夷の物か?」
と千方が問う。
「はい。間違い御座いません」
「どこの者か見当は付くか」
「それは難しいです。大和人(やまとびと)と成って残った者、陸奥(むつ)に送還される前に逃亡した者、また、朝廷に献上された者達の子孫で行方(ゆくえ)の分からなくなっている者など数多くおります。矢の造りだけでは、なんとも」
「雛。曲者(くせもの)は、どのような者であった」
と千方が雛に確認する。
「顔を布で(おお)っておりましたので……」
 千方は、
「射た辺りを探してみよ。なんぞ残しているやも知れぬ」
と秋天丸に指示を出す。
「はっ」と返事をして秋天丸が、雛の案内で曲者(くせもの)が居た辺りに走って行った。
 残った夜叉丸は、四方に目を配り警戒を続ける。曲者は、結局何も残してはいなかった。
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