第三章 第4話 都にて

文字数 5,355文字

 (うま)(こく)前には、千晴の舘に着いた。当然、千晴は居ない。官人(つかさびと)と違って、午後早々に戻ることも無い。高明(たかあきら)が帰宅してからも、舘の警備、外出の供と仕事は続く。
 郎等(ろうとう)達に交代で宿直(とのい)をさせ、時には自身が高明(たかあきら)邸に泊まり込むこともある。私的従者(ずさ)は二十四時間勤務のようなものなのだ。

 留守居の郎等が、居室の手配などしてくれた。旅装を解いた後、兄嫁のところへ挨拶に行く。公家(くげ)の間では通い婚が普通であったが、(つわもの)や土豪達は、妻子を同居させる者が多くなっていた。武力を用いた揉め事の多い彼等にしてみれば、妻の実家が先に襲われて、妻子が人質に取られてしまっては困ると言うことがあったのかも知れない。
「殿は殆ど舘にはおられませぬゆえ、まずは都見物でもして、ゆるりとお過ごしなさるが良い、千方殿。千清(ちきよ)にでも案内(あない)させましょう」
 兄嫁は、機嫌良く千方を迎えてくれた。
「有難う御座います。その時はお世話になることと致しましょう」
 千清は十九歳になる。千晴の嫡男・久頼の子である。久頼は、甥と言っても千方より大分年上の三十六歳であり、東宮坊の少属(さかん)をしている。その父・千晴は、従六位上(じゅろくいのじょう)(さきの)相模介(さがみのすけ)。祖父・秀郷(ひでさと)従四位下(じゅしいのげ)。五位以上の者の子、若しくは三位(さんみ)以上の者の孫であれば蔭位(おんい)の適用が有るが、久頼は、そのいずれにも該当しない。
 上洛当初は、父・千晴と共に従者(ずさ)として働いていた。従者(ずさ)と成って七年ほどした頃千晴は、高明(たかあきら)から受領(ずりょう)として地方に赴任するよう勧められた。高明(たかあきら)としては、忠勤に対する褒美のつもりだった。従五位下(じゅごいのげ)に昇進させた上で国守(くにのかみ)として赴任させると言うのだから、千晴に取ってはこの上無く良い話であったはずだ。しかし、千晴はこの話を辞退したのだ。
 千晴としては、目先の出世よりも、不在の間に高明(たかあきら)に何か有ったら、と言う気持ちの方が強かった。満仲の動きも気になった。高明(たかあきら)に何か有れば、千晴も共倒れとなる。今、少しばかり出世しても、元も子も無くすことになっては何にもならない。そう思った。
 まずは、高明(たかあきら)が無事に(いち)(かみ)(臣下としての最高位。通常は左大臣)に成ってくれること。そうなれば、自然と千晴の出世の道は開けて来る。そう言う考えからの辞退だった。満仲と違って、経済的に余裕が有るから出来た事だ。それならばとのことで高明(たかあきら)は、特別な(はか)らいを以て、代わりに久頼を従八位上(じゅはちいのじょう)とし、東宮坊の少属(さかん)の職に就けるよう計らってくれたのだ。

「時に千方殿。なぜ、身を固めぬのですか」
 義姉(あね)に思わぬところを突かれて、千方は戸惑った。
「いえ、特に訳など御座いません。朝鳥以外の六人の郎等達はほぼ同い年なのですが、なぜか皆(ひと)り身でして、(おのこ)ばかりで気楽にやっております」
 千晴の()は、少し不快そうな表情を見せた。
「なぜかでは御座いませんでしょう。郎等達は、(あるじ)に遠慮しているのです。(あるじ)(めと)らぬものを、先に出来ましょうか。郎等達が哀れです」
 そう言われてしまうと一言も無かった。『参ったな』と千方は思った。これは、早々に挨拶を済ませ、必要な時以外、なるべくこの義姉(あね)には近寄らぬようにするに限る。そう思った。
千常(ちつね)殿や母上はどのように仰せなのですか?」
義姉(あね)は突っ込んで来た。
「母は余り申しません。五郎兄上には、時々言われます」
 千方は必要最小限の答をした。
「千常殿は、そなたを猶子(ゆうし)とし、嫡男・太郎として届け出ているのですぞ」
「兄には実子の文脩(ふみなが)がおります。下野藤原家(しもつけふじわらけ)は文脩が継ぐべきです」
と千方は、それには考えを述べる。義姉(あね)は、ふっと息を吐いた。
「跡継ぎのことは麿の口出しする処ではありますまい。それは、千常殿にお任せするとして、()に付いては千常殿もお考えとは思うが、麿も心して置きましょう」
 千方にしてみれば、大いなる有難迷惑であった。
「ははっ。では失礼させて頂きます」
と挨拶し、早々に退席しようとする。『宜しくお願い致します』とは言わなかった。
 深く礼をして、千方は義姉(あね)(もと)を辞した。 
 千常が千方を後嗣(こうし)として考えていることは、千方も承知している。だが千方自身は、下野藤原家(しもつけふじわらけ)尖兵(せんぺい)で良いと思っている。武蔵に於ける権益を確保し、争いが有れば、真っ先駆けて飛び込んで行く。それが己の役目である以上、命はいつ消えるかも知れない。妻子など重荷でしかないと思っているのだ。そんな千方の考え方に、芹菜(せりな)の死が影を落としているのかどうか、それは千方自身にも分からない。 
  
 芹菜(せりな)は、少年期を下野(しもつけ)(かく)(ざと)で過ごした千方が手を着けた蝦夷の娘だ。千方が、朝鳥、古能代(このしろ)(祖真紀)、夜叉丸、秋天丸と共に陸奥(むつ)に行っていた年の夏、突然死していた。
義姉(あね)の言う通り、郎等達のことは考えてやらねばなるまい』と千方は思った。

 居室に戻ると、朝鳥、祖真紀(そまき)、それに豊地(とよち)らが集まっていた。祖真紀は隠れ郷の郷長(さとおさ)だが、郷長を継ぐ前は古能代(このしろ)と名乗っていた。先代・祖真紀は、今は長老と呼ばれている。
「お(かた)様へのご挨拶はお済みですか?」
 朝鳥が問い掛けて来た。  
「済んだ」
と、千方はおざなりの返事をする。
「何か御座いましたのか?」
 さっそく朝鳥に突かれた。
「いや、何も」
と口籠る。
「ならば宜しいのですが」
「犬丸、元気でやっておるか」
 話題を変えようとして、千方が言った。
「はい。ご覧の通り、至って元気にしております」
 犬丸こと大道和親(おおみちかずちか)は笑顔で答えた。犬丸ばかりではなく、夜叉丸、秋天丸にも、他人に名乗るべき名は有る。夜叉丸は小山武規(こやまたけのり)、秋天丸は広表智通(ひろおもてともみち)である。しかし、主従、朋輩(ほうばい)の間では、相変わらず幼名で呼び合っている。
「色々とやってくれるので、随分と助かっております」
 祖真紀が言葉を添えた。
「都では(つな)ぎの役目を果たさせて頂きます。竹丸、鷹丸、鳶丸(とびまる)らは、既に都に潜入しております。それともうひとり」
「もうひとり? 誰か、それは」
 犬丸の報告に千方が切り返した。秋天丸が笑いを浮かべている。 
「さて、誰で御座いましょう。それは、いずれお目通りする時の楽しみと言うことに致しましょう」
「何を勿体(もったい)ぶっておるのか。まあ良い」 
 都に満仲がおり、自分の郎等達を殺された満季(みつすえ)まで居る以上、千方を狙って来ることは間違い無い。だが、兄・千晴の手前、正面から仕掛けて来ることは無いはず。敵の動きを探り、事前に手を打つことが必要になる。そこで祖真紀が同行し、その指揮の(もと)、千方を陰から護る態勢が作り上げられていた。前々日、祖真紀と犬丸は手配(てくば)りを終え、都から甲賀(こうか)に入っていた。
「叔父上」
 千方が豊地に話し掛けた。豊地は、荷駄を千晴邸に運び込み、翌日には、他の郎等達や人夫達を帰し、一人残っていた。荷駄が襲われそうになっていたことは、たった今、朝鳥から聞いたばかりだった。但し『襲われそう』だったというだけで、詳しい成り行きを朝鳥は話していない。
「ご無事で何より」
と千方が続けた。
「何も知らず旅を続け、都でのんびりお待ちしておりました。申し訳御座いません」
「いや、それで良い。そうする為にやったこと。荷駄が無事であれば、それで良いのだ」 

 夕刻近くなって、千晴が帰宅した。まず、
「殿のお戻りで御座います」
と先触れの郎等が飛び込んで来る。それを聞いた他の郎等や侍女達が「お帰りで御座います」と叫びながら奥に走る。
 千晴が門を潜り玄関前で下馬する頃には、()を初めとして、舘中の者が(ひざまづ)いて、出迎える。
 当然、千方も玄関脇に座り、頭を下げている。
「お戻りなさりませ」 
 正面に(ひざまづ)いている義姉(あね)がまず声を掛け、続いて千方らが繰り返した。千晴は、太刀を()に渡すと、一瞬立ち止まって千方を見た。 
「六郎か」  
「はっ」
と答える。
大儀(たいぎ)」 
 表情も変えずそれだけ言うと、千晴は、()と共に奥へ入って行った。

 舘に戻った時の千晴は疲れ切っている。気遣いと気配りの連続から解放されて、一種の虚脱状態にあるのだ。それが分かっているので()は、いきなりあれこれと話し掛けるような真似はしない。無言で着替えを手伝い、脱いだ物を侍女に渡し、後は黙って座って待つ。 
「腹が減った」と言うことも有れば「(ささ)を持て」と言われることも有る。
 帰るのが遅く、酷く疲れている時などは、そのまま寝所へ入ってしまうことすら有るのだ。
「六郎と豊地を呼んでくれ」
 千晴が静かに()に言った。
「麿の許へ挨拶に見えた時、縁組のことなど少し話しました」
「それは、任せる」 
「はい」 
と返事をしてから、()は手を打った。
「はっ」 
と郎等が現れ、(かまち)の外で礼をする。
「六郎殿と豊地をこれへ」
「はっ」
とひと言残して、郎等が下がって行くと、 
「他に御用が無ければ、麿も下がらせて頂きます」  
と侍女を連れて()は出て行った。
「お召しに寄り、参りました」
 千方が(かまち)の外で頭を下げ、後ろには豊地が控えている。 
「入れ」
と千晴がひと言。
 千方も豊地も、明らかに緊張している。
「豊地」 
と千晴は、まず豊地に声を掛けた。 
「はっ」
久稔(ひさとし)殿は息災か」
「はい。お陰様で達者にしております。今は小屋のような隠居所を建て、母とそちらで暮らしております」
「心配はしておらぬか」
「はい、全く。あの口(うるさ)かった父が、全て六郎様と下野(しもつけ)ご本家のご指示に従えと申すだけで御座います」
「豊地。以後、武蔵に於ける領地の管理、全て任すゆえ、宜しく頼む」
「はっ?」
と豊地が千晴の顔を見た。
「六郎は都に置き、いずれ官職に就かせようと思う。数年は掛かることになろうが、大納言様にお願いしてみるつもりじゃ。六郎。そんな訳で、郎等達と共に麿に従い、大納言様にお仕えせよ。とは言っても今日、明日とは言わぬ。暫くは、見物などしてのんびり過ごすが良い」
 千方はせいぜい数ヶ月の滞在のつもりでいた。都で官人(つかさびと)と成らせるつもりと言うのは、恐らく、千常から千晴への依頼が有ってのことなのだろう。
 千常は、いずれ千方を武蔵の国司(こくし)とすることで、武蔵に於ける影響力を拡大しようと考えている。その為の段階として、まず都で官職を得させ、出世させることで、武蔵の国司を狙える立場まで持って行こうと言う考えなのであろう。
 官職には就いていないが、蔭位(おんい)により千方は既に、二十一才で従七位下(じゅしちいのげ)の官位を得ている。空きと言うのは中々無いが、その職にある者の昇進や異動を待てば、高明(たかあきら)の力を以ってすれば、官職に就くことは難しいことでは無い。
 公卿達はそれぞれ推挙の枠を持っており、その枠に入れて貰えさえすれば、ほぼ間違い無く官位を得、官職に就くことが出来るのだが、多くの者は、中々その枠に入れて貰うことが出来ない為、貢物(みつぎもの)を贈り、無償奉仕を続けなければならないのだ。
 そしてこれこそが、武力を持たない公家(くけ)(つわもの)や土豪を支配出来た理由なのだ。皮肉っぽい言い方をすれば、この時代は、軍備大幅削減を実行し、文民統制が行き届いていた時代なのだ。
 千方本人には何も知らせず段取りし、突然実行するのは千常のいつものやり方だ。千方は全てを理解した。千方が来るまで豊地を都に止め置いた理由もここに有ったのだ。
「叔父上、宜しくお願いします」
と、千方のあとを受けて草原(かやはら)の差配を全て行う事になる叔父・豊地に千方が言葉を掛けた。
「あっ、はい。しかし突然のことで」
 豊地は戸惑っている。
「手に余る時は、五郎(千常)に相談せよ」 
 千晴が言った。
(かしこ)まりました」
 豊地が深く頭を下げる。
 翌朝、豊地は坂東に戻って行った。祖真紀、犬丸、夜叉丸、秋天丸は出掛けた。朝鳥はまだ郎等長屋に居る。 

 千清が、千方の居室に入って来た。
「伯父上、いや、大伯父上と申し上げなければいけませんね。入っても宜しう御座いますか。千清です」 
「入れ」
「では、お邪魔します」
 千清は、のんびりと育ったような印象を与える若者だ。
「いくつも歳が変わらぬのに、大叔父と呼ばれるのも、一寸な」
 千方が不満を漏らす。
「しかし、六郎様は(じじ)様の弟で御座いますから」
「名前で呼んでくれ」
「分かりました。(ばば)様より都を案内(あない)するよう言われています。天気も宜しゅう御座いますので、いかがかと思いまして」
「そうか、それは、済まぬ」 
「ただ、左京の方は、今日は避けた方が宜しいでしょう」
と千清が言った。
「なぜか」
と千方が問う。
「一昨日、左京一条に()源満仲(みなもとのみつなか)殿の舘に盗賊が入りまして、かなりの財貨を強奪されました。郎等達も殺気立っておりますので、余り近付かぬ方が宜しいかと」 
 満仲の舘に賊。自分が都に居ると知れば、まず疑って来るだろう。いずれ違うと分かるだろうが、今、都見物などしていて、街中で出会(でくわ)したら面倒なことになる。そう考えた。
「千清。今日はやめておこう。また、他日頼む」
と都見物は断った。
「分かりました。声を掛けて頂けば、いつでも案内(あない)します」
「済まぬ。その時は声を掛ける」
 千清は居室を出て行った。それを見届けるようにして入って来たのは祖真紀だ。
「出掛けたのでは無かったのか」
と千方が問う。
「直ぐに戻って来ておりました。満仲宅の件、実は、昨日の時点で分かっておりました。甲賀(こうか)に居た日のことですが、六郎様が都に居ることも、満仲はまだ気付いておりません。気付けば、探りを入れて来るはずです。ここ数日はお出掛けにならぬ方が宜しいでしょう」
「分かった。引き続き満仲の動き、探ってくれ」
(かしこ)まりました」
と返事し、祖真紀は姿を消した。
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