第七章 第13話 内憂外患

文字数 5,584文字

 ひと月程して、今度は千方に、鏑木(かぶらぎ)から呼び出しが有った。
「お呼び立てして申し訳御座らん」
 鏑木(かぶらぎ)が愛想良く対応する。
「いや、何の。こちらも目代(もくだい)殿とは、一度腹を割って話したいと思うておりましたところで」
 千方も()ずは相手の出方を見ようと言うところだ。
「左様か。それは良かった。下野(しもつけ)の仕置きは藤原家の協力無しでは成り立ちませんでな」
 穏やかに笑いながら鏑木は応じる。
「さあ? 協力出来るかどうかは、事と次第に寄ります」
 千方は警戒感を()えて表に出して応対する。ひとの良さそうな表情を作ってはいるが、鏑木(かぶらぎ)の瞳が小さく忙しく動き、千方の表情を探っている。
下野(しもつけ)のことを知ることが、まず、お役目の第一と心得、国内(くにうち)をあちこち見て廻りました」 
端野(はしの)の舘にも寄られたようですな」
 そう言って鏑木の反応を探るが、鏑木は表情も変えない。
「ちと、休ませて貰いました。それだけのこと」
と白々しい事を言っている。
端野(はしの)義父(ちち)が何を聞いたかは知らぬが、早速訪ねて参り、あれこれと心配しておった」
 そう鏑木の工作を突く。
「ほう、何を心配しておいでなのであろうか」
 鏑木は飽くまで(とぼ)け通すつもりらしい。そう読んだ千方は話を元に戻す。
「ご用向きは何で御座ろう」
「いやそれですが、視察の結果、十ヶ所以上の無届けの開墾地が有るのが分かりましてな」
 そうか、見て廻ったと言った理由はそれかと千方は気付いた。
「麿としては事を荒立てたくは無いのですが、それではお役目が務まりません。申し訳無いが、年貢(ねんぐ)の上積みをさせて頂かなければならんことに成ります」
『今度は、正面切って喧嘩を売って来おったか』と千方は思う。
「なるほど。だが、その上積み分を朝廷に納める訳では有りますまい。そう言う物は、国司の余禄(よろく)となるだけ。ま、その一部は下野守(しもつけのかみ)殿の私君であるあのお方の(ふところ)にも入るのであろうがな。麿も官人(つかさびと)を努めた身。そのくらいのことは分かる」
 鏑木の表情が厳しくなる。
(さきの)鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)様と思い遠慮しておりましたが、そのような申されようは、事を荒立てることに成りまするぞ。朝廷に対する反抗と看做(みな)して宜しいのか?」
と、鏑木は詰問して来た。
「追加分が全て朝廷の財源と成るなら喜んでお納め致そう」
 鏑木に答えられる事では無いと分かっていながら、千方はそんな事を言った。
「麿が目代(もくだい)ゆえ、(あなど)ってのご発言か?」
 最初の愛想の良さは何処へやら、鏑木は剥きになって、千方に迫って来た。
「麿は藤原秀郷(ふじわらひでさと)の子じゃ。脅しには屈せぬ」
 いきり立った鏑木の鼻先を、千方がピシャリと抑えた。
「強行すれば、国府と一戦交える覚悟と言うことですかな?」
「そう取って貰っても良い」
 千方は飽くまで引かない。
 その時、鏑木(かぶらぎ)の怒りに満ちた表情が、瞬時に和らかく変わった。
「さすが藤太(とうた)将軍のお子。見事なお覚悟。ですが、争ってみてもお互い何の得にも成りますまい。どうであろう、半分の四、五箇所分泣いては頂けぬだろうか。さすれば麿の面子(めんつ)も立つし、(みこと)の出費も半分で済む」 
 (したた)かな変わり身ではあるが、正面切って本気で争う気が鏑木には無い事を、千方は見切った。
生憎(あいにく)算術は苦手でしてな」
とあしらってみる。
「これはしたり。修理亮(しゅりのすけ)を努められていた頃の評判は、素早く見積り、それでいて狂いが無いと聞いておりましたが」
と鏑木は絡んで来た。
「損得計算は苦手と申しておる」
と突き放すと、
「なるほど。お(いえ)に取っての損得よりも、ご自身のお気持ちが先と言うことで御座ろうかのう」
 千方を怒らせようとしてか、そんな嫌味を言って来た。
如何様(いかよう)にも取るが良かろう」
『貴様などまともに相手に出来るか』と言わんばかりに、千方は、更に突き放した。すると鏑木は、
「役目柄言葉を改める。藤原千方(ふじわらのちかた)。未申告分の年貢(ねんぐ)を直ちに国府へ納入せよ。もし従わぬ時は、兵を以て徴収する」
「全面対決も辞さぬと言うことか。元より、下野守(しもつけのかみ)・満仲殿ご承知のことなのであろうな」
と、千方も逆に脅しを掛けた。
 下野藤原だけが開墾地を隠している訳では無い。既に公地・公民は崩壊しており、公地はどんどん減少し、荘園や土豪達の私領が増え続けている。ただ、受領(ずりょう)の圧迫を受けると、開発地を摂関家の荘園として寄贈する者が殆どである。そうやって、双方共に利益を得る談合は至る所で行われている。決裂して土豪と国府の争いの例も少なくは無い。
 だが、鏑木に千方と本気で争う力など無いのだ。強行すれば、かつて秀郷(ひでさと)を捕縛も追討も出来なかった愚をもう一度冒すことになる。
「お役目は果たさねばならぬ」
 鏑木は本音を隠し、毅然として答えた。
「分かった。それが通るかどうか受けて立とう」
 怯むこと無く、千方は、そのまま席を立った。

鏑木(かぶらぎ)殿。下野藤原(しもつけふじわら)と兵を交えてはならぬと言う、殿の厳命をお忘れではあるまいな」
 千方の後ろ姿を無表情で見送っている鏑木当麻(かぶらぎとうま)に、同席していた男が言った。満仲の実の郎等・天野藤伍(あまのとうご)と言う男。鏑木の補佐兼見張り役として満仲が付けた男だ。
「戦うつもりなど御座らんよ」
と鏑木が本音を吐露する。
虚仮威(こけおど)しか。そんなものが通じる相手と思われてか?」
 天野藤伍は鏑木を(なじ)った。鏑木は事も無げに天野の言葉を(かわ)す。
「千方に通じずとも家中の動揺を誘うことは出来る。秀郷(ひでさと)の時と違うのは、今の下野藤原は、決して一枚岩では無いと言うことだ。そこを突く」
と言った。
「勝算は有るのか?」
「時を掛け揺さぶり続ければ、必ず弛みが出て来る。まあ、見ておるが良い」
 天野は『お手並み拝見だな』と思うが、満中に報告して置く必要は有ると思った。
    
鏑木(かぶらぎ)め、いよいよ本気で我が家を割りに掛かって来おった」
 小山(おやま)の舘に戻った千方が呟く。
「どう対処されます?」
広表智通(ひろおもてともみち)が尋ねる。
「何、本気で兵を動かすつもりなど、あ奴には無い。だが、見張りは立てずばなるまい」
(さと)の者達を使いますか?」
 そう言ったのは、小山武規(こやまたけのり)である。この主従の会話で『郷』と言えば、隠れ郷のことである。
「いや、郎等達で良い。その代わり、郷の者何人かに、鏑木(かふらぎ)の動きを見張らせてくれ」
「はっ」
「あと怖いのは疑心暗鬼だ。あ奴の策に乗らん為には、良く話し合って互いの心に疑念が生ぜぬようにしなければならん。智通(ともみち)、その手配をしてくれ」
「では、早速に佐野に参って話をして参りましょう」
 智通(ともみち)がそう言うと、
「では吾は(さと)に飛びます」
と言うなり武規(たけのり)が席を立つ。

 武規と智通が出て行くと、入れ違いに侑菜(ゆな)(ひな)を従えて入って来た。
「先日父が参ったそうで御座いますね」
と、思案顔で千方に尋ねる。
「うん。そなたは出掛けておった」
 千方は事も無げに答える。
「どのような用件で?」
 侑菜(ゆな)は気に懸っているようである。
「うん? 別に大した用件では無い」
 千方は余り触れたく無かった。
「娘の麿が申すのも何ですが、殿を困らせるようなことを申しに参ったのではないでしょうか?」
「そんなことは無い。松寿丸(しょうじゅまる)の将来を案じていただけだ」
と、千方は侑菜(ゆな)の不安を消そうとした。しかし、侑菜は
「例えば、松寿丸を次の当主にして欲しいとかお願いしたのでは?」
と突いて来た。
「そこまでは申しておらぬが、やはり、この()の当主、或いは都の貴族にはしたいのであろうな。麿が今のままでは、松寿丸を都で出世させることも難しいであろうから、祖父として案じるのも無理は無い」
 そう言って、千方はその話題を終わらせようとした。
「父は出世欲、権力欲が強う御座います。何としても、鳥取(ととり)本家の上に立ちたいので御座います」
 矢張り娘。侑菜(ゆな)は昌孝の本音を見抜いていた。
「今の世では、そのくらいでなければ生き残れぬ。そなたが気に()むことでは無い。と言うより、そなたも松寿丸の将来に付いては不安を持っているのではないか? 文脩(ふみなが)を後嗣と宣したことに不満は無いのか?」
「不満など御座いません」
 不満は無いが不安は有るとその表情が語っている。
「麿は良き父では無いな」
 千方は独り言のように呟いた。そしてなぜか、形振(なりふ)り構わず伸し上がった満仲のことを思った。

 翌々日、三輪国時(みわのくにとき)の長男・義時(よしとき)紀三代次(きのみよつぐ)赤井三郎太(あかいさぶろうた)伴勝永(とものかつなが)ら側近を従えて、文脩(ふみなが)小山(おやま)を訪れている。
 朝鳥の長女の婿・日下部(くさかべの)友世(ともよ)小山武規(こやまたけのり)広表智通(ひろおもてともみち)駒木元信(こまきもとのぶ)末信(すえのぶ)兄弟らが千方の側には控える。
鏑木(かぶらぎ)が、いよいよ正面から噛み付いて来おった。念の為、新田には見張りを付けたが、奴の狙いは我が家を揺さぶることだ。その手に乗ってはならぬ」
と、千方が文脩(ふみなが)に言った。
「心得ております兄上。ご安心下さい」
 文脩は穏やかに答えた。
「殿、鏑木(かぶらぎ)が、もし力を用いて来た時にはいかがなさるおつもりで?」
 そう聞いたのは三輪義時(みわのよしとき)である。
「知れたこと。打ち払うのみ」
 千方が言い切る。
()め事が長引けば、多田満仲(ただのまんじゅう)が手を打って来るのでは?」
鏑木(かぶらぎ)満季(みつすえ)の意を受けて動いていると麿は見ている」
「満仲にしろ満季にしろ、後ろには摂政様がおりまする。殿はこの点をいかがお考えでしょうか」
 静かに控えている文脩(ふみなが)を横目に、義時は踏み込んだ質問をして来た。
「後ろに兼家がおるからどうだと言うのだ」
 義時の言い方に、千方は違和感を感じた。
「どこまで頑張り切れましょうか」
 更に義時が聞いて来た。
「義時! 控えよ」
 その時、文脩(ふみなが)が義時を鋭く制した。
「いや、良い。思うこと有らば、遠慮無く述べるが良い。それでなくては話し合う意味が無い。違うか? 文脩(ふみなが)
と、千方が文脩に言う。
「は、はい」 
と文脩は返事した。
「そなたはどうも、麿に遠慮し過ぎておる」
 千方は、文脩(ふみなが)の本音を引き出す必要が有ると感じた。
「いえ、そのようなことは御座いません」
 文脩は飽くまで千方を立てようとする。
「ならば義時。思うところ有らば申せ」
 態度を変えない文脩だが、千方は義時に話を振った。
 一度、文脩(ふみなが)の顔色を読んでから、義時は話し始める。
「今や摂政(せっしょう)様の権力は万全となり、対抗するお方とておりません。そして、下野守(しもつけのかみ)・満仲は、その家司(けいし)を努めている男で御座います。鏑木(かぶらぎ)ごとき目代(もくだい)など軽く見られるかも知れませんが、その後ろには満仲が、そして摂政様がおります。()め事が長引くようなことになれば、いかなる災厄が降り掛かって参らぬとも限りません。そこのところ殿にはどうお考えで御座いましょうか」
 文脩(ふみなが)は言いたいことを自分では言わずに、義時に言わせている。千方は、そう感じた。
「義時」
「はっ」
「そのほうの父・国時は、最も長く亡き父の側に仕えておった。父が国府に対しても朝廷に対しても、一歩も退かなかったことは存じておろう」
と義時に確認する。
「はい。良く存じております。しかし、かつては、高明(たかあきら)様と言う大きな後ろ楯が御座いました。今の朝廷に当時の高明様に匹敵するお方が御座いましょうか。今、摂政様に対抗出来る方はおりません」
 義時は、現状をそう説明した。
「間違ってはならぬ。父は高明様を当てにして国府や朝廷に逆らった訳ではない。高明(たかあきら)様に臣従したのは、承平(じょうへい)天慶(てんぎょう)の乱の後のことじゃ」
 千方は、義時の言う見方の誤りを、そう指摘した。
「確かにその通りで御座います。しかし、高明(たかあきら)様が失脚される迄は、そのお力に守られていたことも確かで御座います。そう言った後ろ楯の存在しない今、朝廷と決定的に対立した場合、どのような道が御座いましょうか。将門と同じ道を行かれるおつもりでしょうか。それとも、絶対的な勝算有ってのことで御座いましょうか。先先代の大殿は豪放に見えて実は繊細なお方だったそうです。最悪の事態も含め、あらゆる場合を想定して策を練られていたと言うことです」
 聞いていた文脩(ふみなが)が気色ばんだ。
「義時控えよ! 例え兄上が許されたとてそれ以上の差出口、麿が許さぬ。兄上に無礼であろう」
「申し訳御座いませんでした」
 義時は頭を下げ、少し膝を退いた。
「いや、良い文脩(ふみなが)。制してはならぬ。義時の申すこと、或る意味尤もである。多くの者の思っているであろうこと、良く言ってくれた。どうすれば良いと思うか?」 
 これは、文脩と義時との間での芝居だと読んだ千方は、そう尋ねた。
「それは、当主である兄上がお決めになることです」
 文脩(ふみなが)は、変わらず建前上の態度を維持している。
「うん。義時の申すこと、最もではあるが、皆、考えてみてくれ。満季は太郎兄上(千晴)を捕らえた張本人であるし、満仲は高明様を裏切り、摂関家の者達と図り陥れた男だ。兼家に臣従し満仲の下で働くなど、麿には死んでも出来ぬことじゃ。はっきり申して置く。麿は摂関家に媚びるつもりは無い」
 義時に言っているように見せて、千方は文脩に言い聞かせようとしている。
「お気持ち分かりました。我等、何事も兄上の下知(げぢ)に従い、一体と成って下野藤原(しもつけふじわら)家を支えて行く所存に御座います」
 文脩(ふみなが)は床に手を突き、深々と千方に頭を下げた。

「義時め、言いたいことを言いおりますな」
 文脩(ふみなが)達が帰ると、智通(ともみち)が不快そうに言った。千方が苦笑いをする。
「あれは、文脩(ふみなが)が言わせたのだ。文脩が自分の口から言えば、麿と対立することになる。或いは、それを避ける為、義時が自ら申し出て憎まれ役を買って出たのかも知れぬ。父・国時に似て生真面目(きまじめ)な男よの」
 そう言って千方は笑った。
「やはり大きな溝が御座いますな」
 武規(たけのり)(つぶや)くように言った。
「無理も無い。文脩(ふみなが)は太郎兄上(千晴)と接することは少なかったし、満仲や満季と直接渡り合ったことも無い。ひたすら、下野藤原(しもつけふじわら)の安泰のみを願っているのであろう」
「確かに」
 日下部友世(くさかべのともよ)が相槌を打つ。
「父・秀郷は暴れん坊にして策士であった。太郎兄上も五郎兄上も麿も、策士としての父の血を誰も受け継いでいない。しかし、文脩(ふみなが)が立派に受け継いでいるようじゃな」
 不快に思っている訳ではなかったが、これから先、文脩(ふみなが)との意思疎通に際しては、色々考えなければならないと、千方は感じた。
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