第二章 第5話 日高見の息吹 Ⅰ

文字数 9,395文字

 千方一行は多賀城(たがじょう)を発ち、東山道(とうさんどう)を北上した。そして、平泉から西に入り、衣川(ころもがわ)を目指す。
 川沿いに辿って行くと北股川(きたまたがわ)南股川(みなみまたがわ)が合流する地点に至る。この合流地点より下流を衣川と呼び、それがその儘、この辺りの地名と成っている。合流地点の向こうは三方を山に囲まれた盆地となっている。

 北股川の川辺に五~六人の人影が()った。
「迎えが、あれに来ております」
 人影の在る方向を指差して、古能代が千方に言った。
何故(なにゆえ)、我等が来ることを知っておるのか?」
 千方が尋ねる。
「大殿が陸奥守様への便りに書き添えて下さったようです」
と古能代が答える。
「陸奥守様が使いを出して下さったとしても、いつ来るか迄は分かるまい」
 千方は尚合点が行かぬようだ。
「常に見張りを出しております」
 古能代の答えに、
「そうか…… 」と答かと思うと、千方は「はいっつ!」と声を掛けて馬の腹を蹴り、人影の見える方に向って駆け出した。古能代が続き、夜叉丸(やしゃまる)秋天丸(しゅてんまる)が続く。朝鳥は一番後ろからのんびりと後を追った。

 男達の傍まで近付くと、千方は手綱(たづな)を思い切り引いた。少し前立(まえだち)になって馬が(いなな)く。古能代、夜叉丸、秋天丸が(くつわ)を並べて馬を止める。
「古能代殿、お懐かしゅう御座る」
 三十を少し過ぎた年頃の(いか)つい顔をした男が、古能代の傍に馬を寄せて来て言った。坂東の(つわもの)と殆ど変わらぬ風体(ふうてい)をしている。顔は(いか)ついが、澄んだ目をしている。
「おお、雄熊(おぐま)殿。立派になって…… 見違えたぞ」
 普段余り表情を変えない古能代が、懐かしさを表して言った。
「今は安倍忠頼と名乗っております」
「アベ ノ タダヨリ…… そうか。ああ、こちらが、(さきの)鎮守府将軍様のご子息、六郎様だ」
 古能代が忠頼に伝える。
「千方じゃ。世話を掛ける」
 千方がそう挨拶した。
「良うお()で下されました。山中の()び住まいでは御座いますが、ゆるりとご逗留下さいませ」
 忠頼は柔らかい表情でそう言った。川を舟で渡り、山裾(やますそ)を回り込んだ辺りに、竪穴式住居の村落が広がり、その中心に掘立式の舘が有った。
 塀は無いが、舘の周りは木々に囲まれている。郷人(さとびと)や郎等風の男達が、一行に気付くと慌てて道を避け頭を下げる。
 忠頼を先頭に千方一行、後ろから忠頼の郎等達が続いて舘の敷地に走り込んで行く。

「今帰ったぞ! 古能代殿が着かれた。日高丸! 高見丸! おるか?」
 馬から飛び降りた忠頼が奥に向って声を掛けると、(わらべ)が二人走り出て来た。しかし、年少の童は見知らぬ者達を見て、後から出て来た()の後ろに隠れ、袖の端を掴んだまま少し顔を出して覗いている。年上の童は、突っ立ったまま古能代の顔をまじまじと見ている。
「日高丸! 忘れたか(てて)を……」
 忠頼がそう言って古能代の肩を押し、前へ突き出した。
(てて)~っ!」
 そう叫ぶなり、日高丸が走って来て、そのまま古能代の胸に飛び付いた。その様子を見ていた下の高見丸だが、やはり事態が呑み込めないらしく、驚いたように日高丸の行動を見ているだけだった。無理も無い。古能代がここを離れ下野(しもつけ)に帰った頃は、物心すら付いていなかったのだから。
「高見。(なれ)は覚えておらんだろうが、あの方が、(なれ)(てて)様です。さ、行きなさい」
 そう言って母に押し出された高見丸は恐る恐る二~三歩前に歩き、立ち止まって首を回して忠頼の顔を見た。
「ふふ、はっはっは」
 忠頼は高見丸に近寄ってひょいと抱き上げ、古能代の空いている左腕に預けた。高見丸は間近に古能代の顔を見詰め、やがて嬉しそうに笑った。
「変わり無いか?」
 古能代が()に言った。
「お帰りなさいませ。見ての通り(つつが)無く過ごしております」
 女は少し顔を赤らめ、頭を下げた。地味目だが、蝦夷の女にしては華奢で清楚な感じを持った女だ。坂東辺りで見掛けても人目を惹くような品の良い蓬色(よもぎいろ)の小袖を身に着けている。
 上の日高丸は母似で目鼻立ちは小さく、下の高見丸は古能代似で、しっかりとした(あご)と濃い眉を持っている。
「さ、古能代殿は対屋(たいのや)で、姉上と子らとで寛がれよ。御曹司(おんぞうし)は吾が接待申し上げるゆえ」
 忠頼が古能代にそう告げた。
「お舘様に、まずはご挨拶せねば……」
と古能代が言う。
「良い、良い。父上は今出掛けておる。戻ったら後で声を掛けるゆえ、まずは、姉上と子らと過ごされるが良い」
 古能代の背を押すようにして、忠頼は親子を対屋に向かわせようとする。
「古能代。せっかくのご厚意じゃ。そう致すが良い」
 千方もそう言った。
「はっ。ではお言葉に甘えて、そうさせて頂きます」
 古能代が千方に向って頭を下げる。


 忠頼に案内(あない)されて千方らが部屋に通ると、正面の席には、狩衣(かりぎぬ)を着た六十年配の野性的な面構(つらがま)えをした男が座っており、下座(しもざ)には十数人の直垂(ひたたれ)姿の男達が両側に分かれて居並んでいた。
 上座(かみざ)の男の顔は、()み上げから(あご)、鼻の下まで濃い(ひげ)で覆われており、目も鋭い。
「父で御座る」
 (てのひら)を上に、正面に向けて手を伸ばした忠頼が紹介した。
「え? お父上はお出掛けと、先程……」
 千方が怪訝(けげん)そうな顔で忠頼を見る。忠頼は笑った。
「久し振りのことゆえ、古能代殿には、まず、姉上や子らとゆるりとして貰えとの父からの指示が御座いました。折を見て、父が戻ったと、のちほど伝えに参るつもりです」
「お気遣い(かたじけな)い。古能代に代わり御礼申し上げます」
 千方が忠頼に頭を下げる。
「いえ、古能代殿は身内ゆえ、御曹司(おんぞうし)にそう仰られては、(かえ)って恐縮致します」
 千方一行が入って行くと、正面の男は立ち上がって上座を()り、右側に並ぶ郎等達の前に席を移した。それに伴って、左側の席に並んで居た数人の郎等達も、千方一行の後ろを通り、右側の席に移動する。
「ふ~ん」
 朝鳥がそう声を出した。
 千方が当主と向かい合うように席に着き、その後ろに他の者達が座った。
「このような山里までようお()で下されました。安倍都留儀(あべのつるぎ)と申します」
 両の(こぶし)を床に突き、軽く頭を下げた。目の鋭さを消し、柔和な表情を作っている。
「藤原秀郷が六男、六郎千方と申します。こたびは、古能代に付いて参りご厄介をお掛けすることと相成(あいな)りまして……」
「何の、我が家の婿(むこ)・古能代の主筋(しゅすじ)に当たる、(さきの)鎮守府将軍様のご子息にご来訪頂けるとは、光栄に御座います。(ろく)なお持て成しも出来ませぬが、どうかごゆるりとご滞在下さいませ」
「お世話をお掛け致す。しかし、陸奥(むつ)とは良き所に御座いますな。山は深く水は清く、荒々しさと優しさを同時に感じるような、何とも心を洗われる景色です」
 千方は実際そう感じていた。
「ほんの僅かな夏の間だけの景色に御座います。冬ともなれば、雪に埋もれて只ひっそりと春を待つのみ。人も(けもの)も、神々の怒りを買わぬよう、只ひっそりと息を潜めて、生かされていることに感謝して過ごしております」
「我等より、神に近いところに住んでおいでのようですね」
 そう言って千方は微笑んだ。
「そうかも知れませぬ。人の力などと言うものが、いかに小さいものであるかと言うことに付いては、或いは、大和の方々より分かっているのかも知れませぬな」
 小さく頷いて、都留儀(つるぎ)がそう答える。
「しかし、この舘を始め、人里の景色は坂東と何ら変わらぬのには驚きました」
 神々に近いところに住んでいるのではないかと述べた言葉とは逆の現実に付いて千方が伝える。
「左様で御座いますか? ほんの片田舎で御座いますよ。手前は坂東には行ったことは御座いません。多賀城くらいで御座いますかな、行ったのは……」
 都留儀(つるぎ)は千方の受けた印象に付いて、何ら説明は加えなかった。
「一度坂東にお()で下さい。兄・千常もきっと歓迎致すことと思います。古能代達の住む(さと)にもご案内したいものです。古能代も近々郷長(さとおさ)と成る筈ですので」
 都留儀(つるぎ)は小さく顔を横に振った。
「いえ、手前はもう遠くまで旅したいとは思いません。ですが、ここにおる忠頼には、坂東も都も見させてやりたいとは思うております」

 千方と都留儀(つるぎ)がそんな会話をしている時、郎等がひとり慌ただしく表れ、縁に膝を突き、頭を下げた。
「騒がしい、何事か?」
と都留儀が叱責する。
「はっ。狐支紀(こしき)が五十名ほどを率いて久利化施(くりかし)村を襲ったとのことに御座います」
 郎党の報せを聞いた途端、都留儀は忠頼に視線を投げた。
「忠頼!」
と鋭く呼び掛けると、忠頼が、
「はっ」
と応じる。
()ぐに参れ! 出来れば生きて捕えよ。それから、もし古能代が気付いても同行させてはならぬぞ、良いな」
「はっ。それは心得ております。帰られて早々に姉上にご心配をお掛けしとうは御座いませぬゆえ、行くと言っても断ります」
 都留儀(つるぎ)は一瞬ほっとした表情を見せた。
「うん。ならば急げ」
と声に鋭さを蘇らせて命じる。
「はっ」と返事した忠頼は、千方に「かような仕儀にて失礼致す」と言い置いて、郎等達を連れて慌ただしく出て行った。
「五十名の賊を捕えるには、少なくとも百五十は必要と思いますが、そのような人数、直ぐに揃えられるので御座いますか?」
 驚いた表情で千方が都留儀に尋ねた。
「いや、既に近くにおる兵共が賊の捕縛に当たっておると思いますので、それほどの人数は必要有りません。それよりも、飛んだお騒がせを致しまして申し訳御座いませぬ」
と都留儀は頭を下げる。
「いえ、何かと大変のようで…… あ、我が郎等達をご紹介しておきます。これにおるのが日下部朝鳥(くさかべのあさどり)。父、兄、麿と仕えてくれております」
日下部朝鳥(くさかべのあさどり)に御座います」
と朝鳥が都留儀に挨拶する。
「それに、大きい方が小山武規(こやまたけのり)、隣が広表智通(ひろおもてともみち)。宜しくお願い致します」
 都留儀(つるぎ)が頷いたが、夜叉丸と秋天丸はきょとんとしている。
「あははは。いや、申し訳御座いません。いえ、この二人、元は夜叉丸(やしゃまる)秋天丸(しゅてんまる)と申しまして、実は、古能代と同じ郷の者に御座います。元服を機会に我が郎等と致しました。
 普段は幼名で呼んでおりますので、前触れも無く己の名を呼ばれてもピンと来ないようで御座います。今、郷に住まいおりますこともあって、名を付けて以来そう呼んだのは、初めてのことに御座いますゆえ」
 夜叉丸、秋天丸の二人が直ぐに挨拶もせずきょとんとしている理由を千方が都留儀に説明する。
「ふっ、ふぁっはっは、左様か。祖真紀(そまき)殿の郷の者か…… お取立て頂いたということか、良かったのう」
と愉快げに都留儀が応じる。
「よ、宜しくお願い致します。ヒロオモテの…… え~」
 秋天丸は、()ぐには思い出せない様子。
「ははは。良い良い。夜叉丸と秋天丸であったな。ここでは、それで参ろうぞ。だが、坂東ではそうも行かんであろうから、己の名くらいは覚えておけよ」
と都留儀。
「恐れ入ります」
 秋天丸は、ばつが悪そうに言った。
「夜叉丸に御座います。宜しくお願い致します」
 この度ばかりは、夜叉丸の方が要領が良かったようである。
「お舘様。先程の騒ぎのことに御座いますが、野盗で御座いますか?」
 朝鳥が都留儀(つるぎ)に尋ねた。
「いや、ことを荒立てようとする者達がおりましての。一部の者は説得に応じたのですが、狐支紀(こしき)と申す者が応じずにおりました。久利化施(くりかし)村の(おさ)が我等の説得に応じたのを、裏切りと受け取って襲ったので御座いましょう。
 放っては置けませぬ。騒ぎが拡大すれば鎮守府が介入して来ることになります。そうしとうは御座いません。納めるべき物を納め、騒ぎを起こさぬ限りに於いて、奥六郡(おくろくぐん)を我等自身の手で治めることを認められている訳ですから、何としてもその状況を崩す訳には行きませぬ。騒ぎを起こす者は断固討つしかないのです」
 そう説明した。
()(ほど)……」
 朝鳥が頷いた時、もうひとつ、慌ただしい足音が響いた。
「お舘様。ご挨拶が遅れて申し訳ございません」
 古能代であった。
「相変わらず融通の()かぬ男よの。ゆるりとしておれば良いものを」
と都留儀が渋い表情を見せる。
「この度はお世話をお掛け申し……」
と古能代が言い掛けたのを遮り、
「良い、良い。親子じゃ。堅苦しい挨拶などやめておけ」
 都留儀(つるぎ)がそう言った。
「しかし……」
 古能代が又そう言い掛ける。
「しかしも、暫しも、無いわ。対屋(たいのや)に戻るが良い。のちほどゆっくりと話そう」
 都留儀は古能代を家族の許に戻そうとする。
「忠頼殿と同行することお許し下さい」
 事情を知った古能代は引かない。都留儀(つるぎ)は又渋い顔をした。
「やはり、気付いたか。着いたばかりではないか。今日くらいゆっくり致せ」
何卒(なにとぞ)
と古能代は尚も言い募る。
「千方様を放って行くつもりか?」
と都留儀が詰める。
「……」
 その時、
都留儀(つるぎ)殿。我等も同道してはご迷惑ですか?」
と千方が言った。
「六郎様!」 
 そう声を発したのは朝鳥だ。
「見てみたいのだ。陸奥国(むつのくに)のありのままを」
「戦いは見世物ではありませぬぞ。第一、不作法に御座います」
 朝鳥は千方をそう諌めた。
「ま、ま、日下部(くさかべ)殿。そう仰られては千方様もお立場が無かろう。陸奥国(むつのくに)のありの儘を見たいと言うのならばそれも良かろうとは存じますが、危ういことも御座いますぞ」
と都留儀が千方に向かって念を押す。
「元より、それは覚悟の上に御座います。兄とて、物見遊山(ものみゆさん)の為に麿を陸奥に寄越した訳では御座いませぬ。(つわもの)の子なら、己で生き残る(すべ)を身に着けよと兼ね兼ね言われておりまする」
 千方が都留儀に真剣にそう告げた。
「己で生きる(すべ)を…… 成る程」
 そうなぞって都留儀(つるぎ)が笑った。
「しかし……」
 朝鳥は渋い顔をしている。
「六郎様は、我等が命に代えてお守り致します」 
 そう言ったのは夜叉丸だった。
日下部(くさかべ)殿。若い者は血の気が多い。如何(いかが)致しますかな?」
と都留儀が朝鳥を見る。
「ふ~ん」
と息を吐き出した朝鳥が、
「ご迷惑で無ければ、忠頼殿と同道させて頂いて宜しいでしょうか? 麿も参ります」
都留儀(つるぎ)に言った。
「どの道、古能代を止めることは出来ませぬ。皆様もお()でなさるが宜しかろう。それでは、具足(ぐそく)の用意をさせましょう。千方様には五郎の物が良かろう」
 千方は奥に案内され、他の者達は武器蔵に向かった。


 支度を整え庭に出ると、慌ただしく兵達が出陣の準備に追われている。
「もたもたするな。遅れればそれだけ味方の犠牲が多くなるのだ。急げ、急げ!」
 忠頼は乗馬用の(むち)を振り回して兵達を叱咤していた。あと僅かで出陣可能な体勢は出来ていた。
「忠頼殿、同道させて貰う」
 古能代が言った。
「古能代殿…… 。いや、それは困る。父にもきつく言われておる」
「そのお舘様よりお許しを頂いた。案ずるな、邪魔はせぬ」
「いや、邪魔などとは思わぬ。古能代殿が一緒ならば心強いが…… 帰られたばかりで、姉上や子らとゆっくりして欲しいと思っていたのに…… いや、この騒ぎでは気付くわな。気付けば後には引かぬ義兄者(あにじゃ)。父もそれが分っていて許したのであろう。分かり申した」
と言って忠頼は苦笑いをした。
「済まぬが、我等も同道させて貰うことになった」
 そう言った千方の方を、忠頼は驚いた様子で見た。
「しかし、それは……」 
「お邪魔は致さぬ。我等のことは気にせんで下され」
 何としても見たいと千方は思っている。
「そう言われましても……」
 忠頼は弱った。万が一にも千方に間違いが有っては困る。そう思っていた。
「我等からもお願い致す」
 古能代も千方の同道を忠頼に迫る。
「しかし、万が一のことでも有れば……」
 尚も忠頼は躊躇している。
「我等が責任を持つ。迷惑は掛けぬ。…… と言ってもやはり迷惑ではあろうが、そこを曲げてお願い申す」
 古能代も引かない。
「万一、麿に何か有ったとしても、それは麿の天命じゃ。我が父や兄が、忠頼殿や都留儀(つるぎ)殿の手落ちと責めることは無い。それはお誓い申す」
 千方がそう強調した。
御曹司(おんぞうし)がそこまで言われるのなら……」
 遂に忠頼は折れた。
(かたじけな)い。ついでに、その『御曹司(おんぞうし)』はやめて下され。麿は公家(くげ)の子では無い。六郎とお呼び下さい」
 満足気に頷いた千方が言った。
「分かり申した、六郎様。やはり、前将軍(さきのしょうぐん)様のお子ですな。(きも)が坐っておいでじゃ。但し、くれぐれも見るだけにして下されよ。お願い致します」
 そう忠頼が念を押す。
「元より、邪魔は致さぬ」
 千方もそう約束した。

 ほどなく五十名ばかりの郎党達が整列を終え、出陣となった。
 一行は忠頼を先頭に二列となって舘の庭から駆け出して行く。山裾(やますそ)を廻り集落に掛かる度に従う者の数が増え、いつの間にか百を超す集団に膨れ上がって行く。

 千方も朝鳥もその数に驚いた。これ程短い時間で百名もの郎党を集められることに驚いたのだ。千方は、安倍氏の勢力に驚愕していた。正確にその力を知っている訳ではないが、強力と言われている武蔵の村岡氏をも凌ぐのではないかと思えた。そして、なぜか血が騒いでいた。
 山中の路を抜け、一刻(三十分)程も駆けただろうか。郎党の数は更に増えている。行く手に集落が見え、近付いて行くと十人に少し足りない程の人影が見えた。
「どうした?」
 手綱(たづな)を引き絞った忠頼が男達に尋ねた。ひとりの騎馬武者と残りは郷人らしい風体(ふうてい)をした男達だ。
「荒らし廻った後、さっさと引き揚げました。今、追っております」
と騎馬武者が答えた。
「少数での深追いは危険だ。急がねば……。案内(あない)せよ!」
と忠頼が命じる。
「はっ」
 合流した武者の案内で、一行は更に山道に分け入って進む。路は狭く分かれ道も有るが、回りの草が()ぎ倒され、至る所で小枝が折れているので進む道に悩むことは無い。

 やがて峠に出て、見晴らしが開けた。
「止まれ~!」
 忠頼の声が響いた。向いの山々から木霊(こだま)が帰って来る。見渡すと遥か下に縦に伸びた二塊(ふたかたまり)の人馬の群れが見える。先を行く(かたまり)はもうじき小さめの山の山裾(やますそ)に掛る処だ。その山頂には舘らしき物が見える。
「よもや、あのまま追うことは有るまいが、高旨(たかむね)先に参れ」
「はっ」
一言(ひとこと)発すると、案内して来た武者は駆け出して行った。
「我等も急ぎ参りましょう」
 忠頼が千方に言った。 
「我等のことは気にせず、お急ぎ下され」
と千方が答える。
「続け~!」
 振り上げた(むち)を前に振って馬の腹を蹴り、忠頼が駆け出すと共に、一団は早足となって坂道を下り始めた。
 既にその数は百二十を超えている。急な坂に差し掛かると馬を抑えながら曲がりくねった道を一列の長い帯となって下って行く。
 下り切り、谷川を渡って、今度は緩やかな上り坂を進む。やがて、五十人ほどの武者達が見えて来た。その一団の中から高旨(たかむね)が戻って来る。
「吾が着いた時には、既に追うことはやめておりました」
 戻った高旨(たかむね)は忠頼にそう報告した。
「うん。良かった。これより先は死地となる」
と、忠頼が呟く。
「忠頼殿。死地…… とは?」
 千方が尋ねた。
「木々の間に堤が見えましょう。あの手前は深い堀となっております。それが、この山の周りを一周しているのです。入口はひとつ。うっかり踏み込めば、両側から石や丸太を落されます。ですが、それは皆存じていることゆえ、これ以上追うことは無いと思っておりましたが、万一を考えました」
 忠頼は千方にそう説明した。
「失礼ながら、忠頼様はお若いのに中々の方とお見受け致しました。お舘様が安心して任せておられるのも、成る程と思われます」
 そう言ったのは朝鳥だ。
「いや、そのように言われると面映(おもは)ゆい。ただ、少し心配症なだけです」
 忠頼がそう謙遜する。
「朝鳥は麿に言い聞かせているのですよ。皆知っている筈だからそのまま追って行くことなど有り得ないと決め付けてしまってはならない。最悪の事態となった時どうするかまで、常に考えて置かなければ将は務まらないと言いたかったのでしょう」
 朝鳥がニヤリとする。
「その通りで御座います。少しは分っておいでになったようですな。堀を渡る前に追いつけると思い込んで勢いに乗って踏み込んでしまうとか、ここで手柄を立てなければという想いが強くなり、周りが見えなくなってしまうとか…… 戦場(いくさば)では思いも寄らぬことがしばしば起こりまする。それを後から、『まさかそんなことが』と悔やんでみても仕方がありません。気付かなかった己が悪いのですから」
 朝鳥がしたり顔で尚説明しようとするのを千方が遮る。
「分った、分った。朝鳥。もう、それくらいに致せ。忠頼殿の前、しかもこのような場所で……」
 長広舌になりそうだったので、朝鳥の口を封じようとしたのだ。
「ははは。いや、六郎様は良き一の郎党をお持ちじゃ。今、この場をどうすることも出来ぬ。我等も朝鳥殿の話を一緒に伺うと致しましょうか」
 千方の意に反し、忠頼は朝鳥に更に喋らせようとした。
「いえ、滅相(めっそう)も無い。飛んだ出過ぎたことを申しまして…… いやはや……何と申し上げて良いやら……」
 朝鳥は何とも(ばつ)が悪そうに、口をもぐもぐさせながら周りを見回した。夜叉丸と秋天丸は、吹き出しそうなのを(こら)えて千方の顔を見た。古能代はと言うと、いつものように、しらっとした視線でちょっと見ただけで、辺りを見回しながら何か考えている。
「どうする? 忠頼殿」
 古能代が言った。
「逃げ込まれては、百五十を越える兵を以てしてもどうにもなりませんでしょう。秋を待って山ごと焼くしか方法は無いか。それまでは、見張りを厳重にして出て来ぬようにせねば。取り()えず百ほど残して見張らせましょう。食糧と必要な物は後で運ばせます」
 忠頼がそう提案し、古能代が黙って頷く。


「あの山を攻めることは、それほど難しいのですか?」
 帰路、ゆっくりと歩ませながら、千方が忠頼に馬を寄せて尋ねた。
「あの山は、山ごとそっくり砦なのです。山頂に狐支紀(こしき)の舘が有り、部下の者達もその周りに住まいおります。斜面や台地に畑も作っているので、食糧も或る程度は確保出来ます」
 忠頼が千方に説明した。
「山頂に舘が有るようですが、坂東では見たことも聞いたこともありませぬ」
と千方。
「左様で御座いますか。奥六郡(おくろくぐん)では珍しいことでは御座いません。攻めるのに手間が掛かります。しかし、騒ぎを起こす者達を見過ごす訳には参りませんので、日々その鎮圧に追われております」
何故(なにゆえ)騒ぎを起こすのですか?」
と千方が聞く。
 忠頼は、ちょっと笑った。
一言(ひとこと)で言えば蝦夷だからです。もちろん我等も蝦夷に変わりは御座いませんが、大和は敵だと(いま)だに強く思い込んでいる者もおります。それ程で無い者達の中にも、心の中のどこかに恨みを秘めている者達は大勢おるのです。何か不満が有れば、それが爆発致します」
「不満とは?」
と千方が尋ね、忠頼が千方の方に顔を向けて答える。
「例えば祖米(そまい)。不作の年などは納め切れぬ村が多く出ますが、比較的余裕の有る村にはそれを補う為の負担をして貰わねばなりません。ところが、全体のことを考えず、何故(なにゆえ)他の村に課されている分まで負担しなければならないのかと思う者も多いのです。大和の郷と違って『他所(よそ)の事は知らん』と言う訳には行かんのです。差配を任されている以上、我等は、俘囚全体として収める分を調達しなければなりません。助け合わねば大和の介入を招く事になってしまいます。遠い(いにしえ)より多くの部族に分れていた為、他所の事は知らんと言う考えが抜け切らんのです。『日高見国(ひたかみのくに)はひとつ』との想いを植え付けて行くにはまだまだ時を要すると思います。面倒なのは、そう言う想いを分からず、我等を大和の手先と思うておる者達がまだまだ居ると言う事なのです」
「成る程……」
 千方は大きく頷いた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み