第五章 第8話 思惑

文字数 3,831文字

 鷹丸(たかまる)鳶丸(とびまる)に護衛されて上野(こうづけ)を抜け、朝鳥がやって来た。
「只今到着致しました。急なお呼びとは何で御座いましょうか」
 気負った様子では無い。普段の飄々(ひょうひょう)とした朝鳥である。
「うん。そのほうの考えも聞いておこうと思ってな」
 千常もゆったりとした表情を見せて朝鳥に言った。
「はて、麿は殿と六郎様の(めい)に従うのみ。それ以外何の考えも御座いません」
 相変わらずすっとぼけた事を言う。
「良う申すわ。亡き父上の(めい)でさえ、平気で無視した男が」
「これは聞き捨てなりませんぞ。この朝鳥、大殿の(めい)を無視したことなど御座いません」
 朝鳥は、しらっとした表情でそう言い放った。
「将門を討った北山(きたやま)(たたか)いの折、何をした。父上に無断で本陣から抜けて、前線に飛び出して行ったであろうが。陸奥に(おもむ)いた際、陸奥守(むつのかみ)貞盛(さだもり)様より、千方も祖真紀(そまき)もそう聞いておるわ」
「はて、年のせいか、近頃、物忘れが激しゅう御座いましてな。本陣から離れるなと命じられてはいなかったと思いますが」  
 千常と千方は苦笑した。
「こう言う男じゃ。都合の悪いことは忘れおる。朝鳥。真面目(まじめ)な話、そなたの考えを聞きたい。承知の通り、今、我が家は浮沈の(ふち)にある。最終的には戦う他に無いと腹を(くく)っておるが、父上が御存命であればどうされたかと思ってな。最後まで父上のお側にいた三輪国時(みわのくにとき)も、一昨年身罷(みまか)った今、最も父上のお考えを推し測ることが出来るのはそのほうじゃ。忌憚(きたん)の無い意見を聞かせてくれ」
 真面目な表情を見せて、千常が言った。
「大殿ならどうされるか? ならば、御無礼を承知で申し上げます。大殿なら、家を滅ぼすようなことはされませんでしょう。将門を討ったのも、下野藤原(しもつけふじわら)家を滅ぼさない為ですから」
 朝鳥は、そう言って千常を見た。
「今、我等がしようとしていることは、下野藤原(しもつけふじわら)を滅ぼすことと申すか。負けると申すのか?」
 千常がそう返す。
(いくさ)に勝ったとして、その後どうされるおつもりか。摂関家を排除したとして、その他の公家共をどう操って、高明(たかあきら)様、千晴様を都にお迎えするよう持って行かれるおつもりですか。摂関家の者で無くとも、公家(くげ)などと言う者共は、(いず)れも自尊心が強く狡猾な者達です。脅したとしても、普段、地に(はべ)らせて見下している我等・東夷(あずまえびす)の言うことを素直に(みかど)奏上(そうじょう)し、赦免(しゃめん)の手続きを取るとお思いですか。表面的には従うかに見せて、考えられる限りの策を(ろう)して陥れようとして来るでしょう。
 仮に数千の兵を以て内裏(だいり)を占拠したとしても、公家(くげ)達の裏工作を全て防ぎ切れるものではありますまい。日が()つに連れて餌に釣られた畿内の土豪達が敵に回り、どうにもならなくなるのではないでしょうか」
(いくさ)に勝っても滅びると言うか」
 朝鳥の指摘は、千常の思いの外であった。
「大殿なら、少なくともそのくらいはお考えになったであろうと申し上げただけです。そもそも、都から赴任して来る受領(ずりょう)の搾取を無くす為には、坂東の者達自身が治める他に無いとお考えであったのは、大殿も将門(まさかど)と同じでした。しかし、その先を考えると、将門とはこう有るべきと言う坂東の姿が違うのだから、上手く行かないであろう。坂東の為にならないであろうと考えられた為、将門を討つことに腹を決められたのです。将門は興世王(おきよおう)に踊らされて、坂東に朝廷を真似たものを作ろうとしましたので、見切ったのです。将門と手を組めば下野藤原も滅びる。夢は一時(あきら)め、朝廷を利用してでも力を付け、いつかは、収奪に依って贅沢(ぜいたく)三昧(ざんまい)の生活を送る公卿(くぎょう)達の手から支配権を奪い、(つわもの)自身の手で坂東の地を治める日が来ることを願っていらした」
 千常が大きく頷く。
「父上のお考えは(まさ)しく、そのほうの申す通りじゃ。だがこたびのこと、(いくさ)にいかにして勝つかは考えたが、正直、その先のことまではそれほど深くは考えておらなんだ」
 如何にして勝つかしか考えていなかった己を、千常は素直に反省した。
(いくさ)に勝つことだけをお考えであったなら、大殿は、恐らく将門と手を組んでいたでしょう」
 朝鳥が更に指摘する。
「だが、摂関家が朝廷を牛耳(ぎゅうじ)るようになった今、何もせんでおれば潰されることは目に見えておるぞ」
 千常はそう問い返した。
「大殿なら、戦わずして生き残る方策を考え抜かれたで御座いましょうな」 
「摂関家に膝を屈せと申すか。白粉(おしろい)公卿(くぎょう)共の足の裏を()めてまで生き残るつもりなど無い」
 そう言い切る千常に、朝鳥がにやりとした。
下野(しもつけ)の暴れん坊と言われた頃のお若き日の大殿も、そんな風で御座いました。ですが、その後ご苦労をされて変わられました。自分が潰されることを恐れず戦いを挑むことは確かに男らしいことと思いますし、これぞ坂東の(つわもの)と言われるかも知れません。ですが、大殿の父上・村雄様が亡くなられた後、大殿は国府に(にら)まれて逃げ回らざるを得ませんでした。その際、村雄様に恩を受けた方々が、危険を(かえりみ)ず、大殿を(かくま)って下さったのです。破れかぶれで戦いを挑んで滅びるのは己の勝手としても、(かつ)て自分を援けてくれた方々をも巻き込むことになると気付かれた。それからの大殿は無謀な戦いはせぬようになられました。戦うからには何としても勝たねばならない。その為にはどうすれば良いかを、考え抜かれました。勝つ目算(もくさん)が無ければ戦わない。それが、後年の大殿のお考えでした。だから、将門が兵を帰して兵力が手薄になった機会を(とら)えて戦いを挑み、それでも安心出来ず、将門暗殺と言う奥の手をも準備したのです。将門軍の強さは、将門個人の資質に依るものだと言うことを見抜いてのことです」
「暗殺?」
 千方が呟いた。千常、朝鳥、千方、この三人の中で、将門を射殺(いころ)したのは貞盛では無く、実は、当時古能代と名乗っていた祖真紀であったことを、この時点で知らなかったのは、千方のみだった。
「それは、後で話す」
と千常が千方を制した。そして、
「朝鳥。言われて思い出した父上のお言葉が有る。『弱気な将など話にならぬが、強気なだけで考えが浅ければ滅びる。小娘のように(おび)えてあれこれと案ずることも必要なのだ。だが、その顔を周りの者に決して見せてはならん』何の折であったか、父上にそう言われたことが、確かに有る」
と述懐した。
「実は麿自身もそうで御座いましたが、大殿の勇ましさ、反骨精神のみを記憶しており、見倣(みなら)おうとしていたのでは御座いませんでしょうか。こたびのことでも、麿は、何としても先陣に加えて頂き、華々しく斬り死にしたいとさえ思っておりました」
「であろうな。その辺のことは読めるわ」
 千常がニヤリとする。
「ですが、或る方とお話ししていて考えが変わりました。どなたと思われますか?」
「はて、誰じゃ」
 千常には見当も付かなかった。
文脩(ふみなが)様で御座います」
「何? 文脩とな」
 千常は首を(かし)げた。文脩は千常の実子であり、本来嫡男である。長い間男子の出来なかった千常がやっと授かった男子なのだ。今は十五歳になる文脩がまだ幼い頃、千常は千方を猶子(ゆうし)とし、更に嫡男・太郎とした。つまり、実子・文脩を差し置いて千方を跡継ぎとしたのである。今でも身近な者達には六郎と呼ばれているが、千方の正式な名乗りは、今では『太郎・千方』なのである。
 千方は、一旦、家督を継ぐようなことになったとしても、なるべく早く隠居して、文脩(ふみなが)に譲ろうと考えている。文脩が幼かったことが千方を嫡男とした最大の理由だが、千常は文脩の性格にも不安を感じていた。
 荒々しいところ、負けず嫌いなところが無い。理屈が多い。それが、千常に取って不満であった。なぜ千方のように鍛え上げることが出来なかったのかと、多少後悔しているのだ。
「今まで文脩(ふみなが)様とお話しする機会は殆ど御座いませんでしたが、今回は、何度もお話しすることとなりました。或る時、文脩様が、
『父上は、我が()を滅ぼすおつもりなのか』と仰いました。『何を仰せか。下野藤原(しもつけふじわら)家を守る為に戦おうとされているのです』とお答えしました。すると、『勝てるのか』と仰せでしたので『もちろん、そのおつもりです』と申し上げました。すると『つもりで勝てたら世話は無い』と仰るのです。麿は怒りました。父上が命懸(いのちが)けで戦おうとされていると言うのに、そんな言い方は御座いますまいと強く申し上げました」
 千常は朝鳥を見据える。
「それで、あ奴は何と言いおった」 
「『必ず勝てるのでなければ、やめて置けば良いものを』と仰せでした」
 聞いた千常は、不愉快そうに結んだ口を少し動かし、
「年取ってから出来た、ただ一人の男子。麿としたことが甘やかして育ててしまったのかな。腰抜けめが」 
と寂しそうに言った。
「殿。麿はそうは思いませなんだ。殿も六郎様も、大殿の勇猛なところを受け継いでおられる。麿は、文脩(ふみなが)様は、大殿の思慮深いところを受け継いでおいでなのではないかと思いました」
(なれ)の買い被りじゃ」
 千常はそう言い捨てた。千方も()えて文脩を(かば)うようなことは言わなかった。

 一方、交渉相手の兼通(かねみち)も悩んでいた。このままでは会談が決裂することは目に見えている。だが、決裂すると言うことは、即ち出世の道を絶たれることを意味する。実は兼通。出世の為の切り札とも言うべき秘策を持っているのだが、それも、兼家と摂関の座を競った場合にのみ使える策であって、大幅に水を開けられていては使いようの無い策でしか無い。何としてもしくじる訳には行かない。悩んだ末兼通は、公家らしいひとつの結論に達する。
『それしか有るまいな』
 兼通は、そう一人呟いた。
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