第六章 第5話 嫁取り

文字数 4,415文字

 安和(あんな)三年(九百七十年)正月に鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)と成った千常(ちつね)は、天禄(てんろく)四年(九百七十四年)十二月末にその任期を明け、続いて美濃守(みののかみ)に任じられた。(ちな)みに、満仲が摂津守(せっつのかみ)に任じられたのも天禄四年(九百七十三年)の正月である。(注:この年の十二月五日がユリウス歴では九百七十四年一月一日となる)

 鎮守府将軍の引継ぎを済ませ、千常は、一端、下野(しもつけ)小山(おやま)に戻った。そして、千方(ちかた)を呼び寄せる。
 多忙ではあったが、仕方無く休暇を取って、ぎりぎりの日程で、千方も下野に戻った。用件は嫁取りである。この年、千方は既に三十九歳に成っている。この時代、官位・官職を持った官人(つかさびと)が、この年齢(とし)まで正妻を持たないと言うのは異常である。
 女っ気が全く無かったのかと言えば、そうではない。この物語で触れなかった何人かの女性は居た。だが、正妻を(めと)ろうとはしなかったのだ。
 若い頃の千方は、下野藤原家(しもつけふじわらけ)の先兵となる気概に満ち溢れていた。戦いでいつ命を落とすかも知れないと思うと、妻子を持つ気にはなれなかった。(しがらみ)は邪魔になると思っていた。
 上洛(じょうらく)した応和(おうわ)元年(九百六十一年)には二十七歳に成っていた。とっくに妻子が居て良い年頃である。上洛後、千晴の妻が盛んに縁談を持ち掛けていた。多くは、五位の官人(つかさびと)の娘である。その者達が、なぜ六位・無官の千晴(ちはる)の弟に娘を嫁がせても良いと思ったか。それは、高明(たかあきら)が間も無く実権を握ると誰もが思っていたからだ。
 高明が実権を握れば千晴が大出世することは間違い無い。それに伴って千方も出世するに違いない。そんな思惑からだった。それを、何のかんのと言って断り続けているうちに起きたのが『安和(あんな)の変』だ。この時、千方は既に三十二歳。その後は嫁取りどころでは無くなってしまったと言う訳だ。
 千方が千晴の妻の持って来る縁談を断り続けていたのには、実は他に大きな訳がある。実子が有りながら、千常が千方を跡取りと決めてしまったことである。
 千常の実子・文脩(ふみなが)は千方より十一歳年下の遅く出来た嫡子である。坂東は自力救済(じりききゅうさい)が必須の世界であった。皇族や公卿(くぎょう)のように幼い者を上に立てて生き延びられる世界では無い。土豪達に()められたら、下野藤原家(しもつけふじわらけ)(いえど)もその勢力を維持することは困難になるのだ。当主が(にら)みを効かせ続けていることが必要である。(すき)は見せられない。
文脩(ふみなが)が一人前になるまで自分が頑張っていられるか』それが、千常の悩みだった。そこで、繋ぎとして目を付けたのが千方だった。千常は千方を隠れ(ざと)に預け、厳しく(きた)え、それは成功した。だが、実の子をそこまで厳しく(きた)えることは出来なかった。何かと忙しかった千常は、我が子の教育を、ついつい妻や女達に任せてしまっていたのだ。成長するに連れ、千常は文脩(ふみなが)の性格に違和感を覚えるようになった。何かと言うと理屈を()ね回す。(つわもの)らしく無く、千常の大嫌いな公卿(くぎょう)のようにさえ思えた。我が子可愛さはもちろん有ったが、父・秀郷(ひでさと)から受け継いだ下野藤原家を守り、発展させて行くことを文脩に期待するのは難しいと思えて来た。苦渋の選択として、千方を跡継ぎにしようと決めたのだ。
 最初、千方は千常の申し出を固辞し続けた。千常に万一のことが有った時には、自分が全力で後見(こうけん)するので、跡継ぎは、実子である文脩にして欲しいと何度も頼んだ。だが、千常は聞き入れなかった。仕方無く、跡継ぎとなることを承諾した千方だったが、一旦は当主と成っても、なるべく早く隠居して文脩(ふみなが)に譲ろうと心に決めた。だが、もし自分に子が出来たら、こんな自分でも我が子可愛さゆえ、文脩に跡を譲ることが惜しくなるのではないだろうかと言う不安が千方に有った。
 世間にはそんな例はいくらでも有る。郎等(ろうとう)達も千方派と文脩派に分かれて、下野藤原家の内紛と言う事態にでもなれば最悪だし、摂関家の者達や満仲を喜ばせるだけだ。
 そんな理由(わけ)で嫁取りを避けて来た千方だったが、女っ気無しで過ごせる訳も無い。それなりに遊んだ。しかし、女達の誰ひとりとして館に入れようとはしなかった。だが、子が出来れば館に入れなければならないだろうとは思った。幸いと言うか、身篭(みごも)った女はひとりも居なかった。自分は子が出来ない身体(からだ)なのではないかと千方は思った。もしそうであれば、妻を迎えても子が出来ないのであれば、将来文脩と争う心配は無い。そう納得して下野(しもつけ)に向かった。

 千方の妻として千常が選んだのは、鳥取(ととり)氏の血を引く端野(はしの)昌孝(まさたか)の娘・侑菜(ゆな)である。
 下野藤原(しもつけふじわら)氏の原点、鳥取氏の血を引いていることと、評判の才女であることが決め手となった。年齢(とし)は十七歳。千方とは親子ほどの差が有る。昌孝は鳥取家の生まれであるが、千方と同じ六男で、端野家に養子に出された。鳥取の本流から外れてしまったことを残念に思っており、端野の家を、鳥取を(しの)ぐ存在に押し上げたいと常々思っていた。
 千常から声が掛って昌孝は大喜びだった。下野藤原家の跡取りの正妻である。それだけでも、下野の土豪に取っては願っても無い縁談である。
『自分の孫が次の当主と成るかも知れない』そう思うと、千方と娘の年の差など気にもならない。立場の差は天と地ほど有るが、娘に(みかど)の子を生んでもらい、権力を握ろうとする都の公卿(くぎょう)達と、思考回路は変わらないのだ。そして昌孝は、娘・侑菜(ゆな)に取っても願っても無い縁であると信じている。田舎土豪の娘が貴族の正妻と成って、都暮らしが出来るのだ。(うれ)しく無い筈は無いだろうと勝手に決め付けている。
 千方の位階は従五位下(じゅごいのげ)上国(じょうこく)下野(しもつけ)国守(くにのかみ)にも成れる地位に有る。昌孝に取っては夢のような縁談であったに違いない。田舎土豪から見れば、確かにそう言うことになる。
 しかし、都での実際の千方の立場は、有力な後ろ楯を持たない崖っ淵の末端貴族でしかない。仕事振りは一目(いちもく)置かれる程であったが、将来の出世を左右するのは、能力や勤勉さではない。一にも二にも人脈なのだ。兼通(かねみち)の胸先三寸で、いつ信濃(しなの)での一件を蒸し返され、罠に()められるか分かったものでは無い。そう言う意味で千方は、正に崖っ淵の末端貴族なのである。

 下野(しもつけ)中の土豪逹は元より、下野守(しもつけのかみ)を始め国衙(こくが)官人(つかさびと)逹も招かれて祝宴は盛大に行われた。千晴(ちはる)が罪を受けたにも関わらず、下野藤原家が尚も健在であることを土豪逹に示す絶好の機会と思った千常が、財を惜しまず人を集めた結果である。土豪逹も国衙(こくが)の役人達も、下野藤原家が未だに安泰なのは、千常や千方が、上手く兼通(かねみち)に取り入った結果だと思っている。
 大規模な徴兵を掛けた一件も、単に、信濃(しなの)の土豪逹と争う為だったと聞かされ、そう信じている。まさか、将門(まさかど)の乱と紙一重の処まで事態が進んでいたとは夢にも思っていないのだ。それは、朝廷側、即ち関白・太政大臣・兼通も事件の真相をひた隠しにしていたからである。

 既に大勢の人々が集まって千方を待ち()びていた。侑菜(ゆな)の顔を一度も見ること無く、千方は宴席に臨むこととなった。千常に挨拶し、席に着くやいなやドンチャン騒ぎが始まってしまった。(おごそ)かな式など一切無く、馬鹿騒ぎして祝の気持ちを表しているだけだ。もう出来上がっている侑菜の父・昌孝が、赤い顔をして千方の前に進み出る。
「若殿、いや婿殿(むこどの)不束(ふつつか)な娘ではありますが、幾久(いくひさ)しく可愛がってやって下され」
 酔の勢いで気も声も大きくなっている。
「心得申した」 
 土器(かわらけ)に酒を受けながら千方がそう答える。
「しかし、侑菜(ゆな)は只の田舎娘では御座いませんぞ。さる姫の侍女をしていた女子(おなご)を都から呼び寄せましてな、幼い頃より都風の素養を身に着けさせております。和歌(うた)()めます。しかし、それが災いしてと言うか、目に叶う男が中々おりませんで、ついつい十七にも成ってしまいました。しかし、慌ててその辺の男にやらんで、本当に良かったと思うております。若殿のような願っても無いお方に嫁ぐことが出来るのですから。娘も本望と思うていることで御座いましょう」
 己の喜びは娘の喜びでもある筈と勝手に決め付けている。
「そう思うてくれれば良いが」
 娘の気持ちに、千方は少し不安を覚えた。
「いえいえ、そう思うて居るに違い有りません。これ以上のご縁など御座いましょうか」
 三十九にも成って若殿などと呼ばれるのは嫌だったが、千常が上に居る以上仕方が無い。昌孝(まさたか)はいつまでも喋り続けそうな様子であったが、()ぐに他の土豪達が割り込んで来て、千方に杯を求めた。
 次から次に杯を交わし、話を聞いているうちに、さすがに千方も疲れを覚えた。ちらりと横を見ると、昌孝が娘自慢をし、他の者達がそれに合わせてお世辞を述べるのを、僅かな微笑みを(たた)えながら少し(うつむ)き加減に聞いている侑菜(ゆな)の姿が目に入った。言葉を交わすどころか、まだ、まともに正面から顔も見ていない。侑菜はどんな気持ちで居るのだろうと思った。

 侑菜(ゆな)が千方との縁組みを聞かされたのは、ひと月ほど前のことである。
「喜べ! 殿の御舎弟様との縁組みが纏まったぞ」
 そう言いながら父が部屋に入って来た。
 侑菜にしてみれば、なぜ喜ばなければならないのかと思う。千常の弟・千方は千常より二十歳も年下とは聞いていたが、それにしても、四十近い筈だ。父の年代の(あぶら)ぎった男を想像する。それは十七歳の娘に取って、生理的な嫌悪感でしか無い。しかし、断って納得する父で無いことは分かっていた。父に徹底的に逆らおうとまでは思わなかった。特に好いた男も居なかったからだ。侑菜(ゆな)は男に付いては奥手と言って良い。父が自分の教育に熱心だったのは、当初からこう言うことを狙っていたのだろうと察しが付いた。そう言う運命には逆らい切れるものでは無いと言う(あきら)めがいつか芽生えていた。
「正直言って、六郎は、もういい歳だ。今さら堅苦しい婚儀など、(かえ)って気恥ずかしいことであろうと思って、皆への披露のみとした。済まぬな、侑菜殿」
 打合せで訪ねた時、千常がそう言った。婚姻に幻想の欠片(かけら)も抱いていなかっな侑菜は、
「それで結構で御座います」
と明るく答えた。仕事に例えるなら、気が進まぬ仕事をやらざるを得ない時でも、それをやるより他に道が無いならば、明るく頑張るしかないと腹を決められる。そんな心境だったのか。
 花婿が到着していないうちから宴は始まってしまっていた。千常が長々と挨拶したのは、土豪達の表情を見ながら結束を固める為である。昌孝は浮かれ切っての挨拶である。そして、双方の親族代表と主賓となる下野守(しもつけのかみ)の挨拶が終わると、直ぐに酒宴となった。千常は、代わる代わる祝いを述べに来る土豪達の挨拶を受けながら、その表情を(うかが)っている。皆、少し酔いが回って来た頃にやっと千方が到着したのだ。
 千方をチラリと見て侑菜(ゆな)は、はっとした。良い意味で、予想が裏切られたからである。想像していたより十歳は若く見える。体は引き締まっており、肌も(あぶら)ぎってはいない。(あきら)めの気持ちが瞬時に好感に変わった。
「六郎。いや、太郎じゃったな。挨拶致せ」
 千常の声が掛った。
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