第九章 第4話 別離

文字数 4,310文字

 父が突然現れて、下野(しもつけ)の実家に連れて帰ると告げられた。
「お帰り下さい、父上。麿はどこへも行くつもりは御座いません」
 侑菜(ゆな)は背筋を立てて座し、父・昌孝(まさたか)を見返す。昌孝は鼻から大きく息をひとつ吐いた。
「千方殿は何処(どこ)じゃ」
 父から視線を反らし、侑菜(ゆな)は姿勢を崩さない。
端野(はしの)様、(あるじ)が不在ですので、ここは一旦、お引き取り頂けませんでしょうか?」
 横の席から豊地(とよち)が口を出した。
「だから、何処に行かれたのかと聞いておる」
 昌孝はそう聞くが豊地は、それには答えない。一時(いっとき)ほど前、侍女から千方の(ふみ)を受け取っていたが、にわかには事態が把握出来ず、侑菜(ゆな)と話す為、千方の舘を訪ねたところだった。どう切り出したら良いか戸惑っているところへ、数人の郎等を連れた端野昌孝(はしのまさたか)がやって来たのだ。そして、
()ぐに支度しろ、松寿丸(しょうじゅまる)を連れて下野(しもつけ)に戻る」 
侑菜(ゆな)に告げた。
「行きなり何を仰せですか。殿に無断でそのようなことは出来ません」
 侑菜がそう応じたところだった。
「出来れば、このようなものは見せずに済ませたかったが、やむを得ぬな。これを見よ」
 そう言って昌孝は、千方から受け取った離縁状を(ふところ)から取り出し、侑菜の前にぽんと投げた。
 侑菜が、それを手に取り開いて読む。顔色が変わるのが、豊地(とよち)にも見て取れた。侑菜は(しばら)く無言のままで居た。
「分かったであろう。そう言うことじゃ。先のことは案じるな。松寿丸のことを含めてこの父が考えておる」
「麿は、殿から何も伺っておりません」
 侑菜は姿勢を崩さない。
「その文字、千方殿の手に寄るものに間違い有るまい。話した上のことじゃ」
 昌孝は説得しようとするが、
義母上(ははうえ)(もがり)をせねばなりません。今、麿はこの舘を離れることは出来ません」
と、侑菜は尚も聞き入れようとはしない。
「う~ん。我が娘ながら頑固者じゃな。良いから父の言うことを聞け。悪いようにはせぬ」
 もはや、昌孝に残されている方策は、強引さだけしか無いと言うことだ。
「端野様、お(かた)様とお話しせねばならぬことが御座います。時を頂けませんでしょうか」
 豊地が侑菜に助け舟を出そうとする。
「豊地殿。千方殿もご承知のことじゃ」
 昌孝にすれば、他人が口を出すなと言いたいところだ。
「…… (あるじ)の留守中に、そのようなことをされては困ります。どうぞ、お引き取りを」
 尚も食い下がる豊地に、昌孝は渋い顔をして考えていたが、
「分かった。二、三日したら出直して参る。それを良く読んで、千方殿と話し、心積もりを致して置け、良いな」
 侑菜にそう言うと、
「戻るぞ。出直しじゃ」
と連れて来た郎等達に告げ、引き連れて出て行った。その後ろ姿を見送って、
「殿のお姿が、朝から見えません。豊地(とよ)殿ご存じか?」
と侑菜が尋ね、豊地は瞑目(めいもく)する。そして、少しの間を置いて話し始めた。
「実は、その事でお伺いしました。さぞ驚かれ、又、心を痛めておられることはお察し致します。驚いたと言う点では、麿も全く同じです。侍女が殿からの(ふみ)を預かっておりましたが、それを読んでも殿のお気持ちが分かりません。十四の歳迄お育てした麿に、なぜ、前以て相談して下さらなかったのか、情けないと言うか、(むし)ろ腹が立っております」
 豊地はそう心情を述べた。
(ふみ)には何と書かれていたのですか?」
 侑菜(ゆな)が冷静さを装って尋ねる。
「当主の座を譲るので後は宜しく頼む。先々の事は、私市(きさいち)本家に頼んで有るので、困り事が有った時は本家に相談の上草原(かやはら)を護ってくれ。大方(おおかた)そのようなことが書かれておりました」
 侑菜の表情が不安から厳しいものに変わる。
「勝手なことを……」
 そう呟いた侑菜の言葉には、感情がほとばしっていた。
「殿は、一体どうされるおつもりなのでしょう」
 再び冷静さを装って、侑菜は尋ねた。
「ご無礼はお許し下さい。正直言って、今迄思っていた六郎様のお人柄が崩れ去ってしまったと言う想いです」
 豊地の淋しげな表情を見て、侑菜が呟いた。
「裏切られたと言う想いですね」
 豊地の心情を察しての言葉ではあるが、同時に侑菜自身の想いでもある。

 そこに侍女が一人表れ、
「申し上げます。末信(すえのぶ)(鳶丸)殿が、豊地様にお目に掛かりたいと、参っております」
と告げた。
「お待ち下さい」
 豊地が腰を上げ掛けたのを、侑菜が制し、
「末信をここに通しなさい」
と侍女に命ずる。入って来た末信は、侑菜が同席しているのを見ると、思わず目を伏せた。
「殿の使いであろう。麿がここに居ては申し難いことですか?」
 侑菜は毅然とした表情で末信を問い詰める。
「いえ、そのようなことは御座いません」
と末信。
「ならば、豊地殿と一緒に聞きましょう」
 続く侑菜の言葉に、仕方無く、
(かしこ)まりました。それでは、お方様と豊地様、それに(ひな)殿を除いて他の者は下がらせ、人を近付けぬようにして、庭、植え込みの陰、床下などを調べさせて下さい。どこぞの細作(さいさく)が潜んで居るかも知れませんので」
と末信が条件を出す。それほど秘密を要する内容だと言うことだ。
「庭、床下などを調べた上、周りを見張れ」
 豊地が郎等の一人に命ずる。皆、沈黙して待った。やがて、先程の郎等が、異常無いことを報告に来て、下がって行った。
 末信が口を開く。
「申し上げます。殿は夜中にお館を抜け出され、おひとりで国衙(こくが)に出頭されようとしました」
 そこまで末信が言い掛けると、
「分らぬ。こたびのことは、一方的に村岡に非の有ること。お裁きを受けるにしても、日中堂々と郎等を従えて参れば宜しいのに、なぜそのような真似をなされたのか?」 
 侑菜が(いぶか)しげに尋ねる。
「新任の武蔵守(むさしのかみ)源満季(みなもとのみつすえ)だからで御座います」
と末信は答える。 
「どう言うことか?」
「こたびのことは、単なる草原(かやはら)と村岡の領地争いなどでは御座いません。満季が後ろで糸を引き、忠常にやらせたことで御座います」 
 末信の説明の途中で、侑菜の疑問は更に膨らみ、
「武蔵守・満季がなぜ?」
と尋ねる。
「昔からの因縁が御座います。殿が上洛される前に、豊地様が荷駄隊を引き連れて京に上られましたな」
と末信が豊地に確認した。  
「覚えておる」
「実は、あの折、荷駄を奪う為、相模(さがみ)の山中で待ち伏せていた賊がおりました」
「うん」
「それを事前に察知した殿が、逆に襲撃し討ち取ってしまわれたのです。同行していたのは、小山武規(こやまたけのり)(夜叉丸)と広表智通(ひろおもてともみち)(秋天丸)の両名と朝鳥殿のみ、手前らは不在だった為、残念ながら同行出来ませんでした」  豊地が頷きながら、当時に想いを巡らし、
「初めて聞いた話だ。襲われそうになったとは、確か聞いたと思うが、まさか、そこまでのことが有ったとは。殿はそのことに付いては、ひと言も仰らなかった」
と言った。
「その賊の正体を誰と思われますか? 満季(みつすえ)の郎等と手の者達でした。命じたのは、当時武蔵権守だった兄の満仲ですが、(みずか)らの郎等を使うのはまずいと思い、満季の郎等達を都から呼び寄せ使ったのです。その者達を全て殺された恨みを、満季は今も持ち続けております。武蔵守と成ったこの機会を逃すこと無く、殿を抹殺しようと狙っているものと思われます。ですから、出頭すれば、どちらに非が有るかなど関係無く、殿が陥れられるのは間違い有りません。武蔵守・満季の恨みは、殿に対するもの。殿はそう考えられ、お方様、松寿丸(しょうじゅまる)様、草原(かやはら)、更には下野藤原(しもつけふじわら)家とも縁を切り、他に類が及ばぬよう手配した上でおひとりで出頭され、ご自身の身ひとつ捨てることで、武蔵守・満季の怨念を断ち切ろうとされたのです」
 悔しさとも悲しさともつかぬ表情を見せて、末信が語った。
「で、殿の御身(おんみ)は今、いずれに?」 
 心配げに侑菜が尋ねる。
「ご安心下さい。我等がお止めしました。今頃は甲賀に向かっている(はず)です。実は我等も、殿のお考えは全く知らされておりませんでした。殿のご様子が変なことに統領の古能代(このしろ)が気付き跡をつけたところ、五郎左(ごろうざ)に馬を預けるのを目撃しました。色々考えた挙句、殿のお考えが読めたそうです。統領は我等を集め、殿をお止めする策を指示しました。『草原(かやはら)で揉めればお方様に知れご心配をお掛けするから、国府の手前でお止めすることにする。ご無礼は承知で、殿のご意向に逆らってでも強引にお止めする』と統領は申しました。統領のご舎弟ですので、その席には山中国家(やまなかくにいえ)殿もおりました。話を聞き終わると、国家殿が『では、甲賀にお連れしましょう』と申されたのです。大領(たいりょう)望月兼家(もちづきかねいえ)様より、万一の時には甲賀にお連れするよう言われているとのことでした。それで、只お止めするだけでは無く、その先の手筈(てはず)も整いました。お出掛けは皆が寝静まった頃と踏んで、その前に我等は密かに抜け出し、先に武蔵路(むさしみち)に向かったと言う訳です」
 豊地が暗い表情で頷く。
「この頃の殿の()さり様、腑に落ちぬところが色々有ったが、全て読み解けた。しかし、なぜお話し頂けなかったのかと思うと、少々情け無い思いだ」
 豊地(とよち)は目を伏せた。
「麿も想いは同じです」
 侑菜(ゆな)も同じように目を伏せる。
「このことを麿に告げる為に戻ったのか」
 豊地が末信に尋ねた。
「今一つ、我等・殿付きの郎等達もお供して甲賀に参りますゆえ、家族を甲賀に伴うよう言い遣って参りました。殿同様、我等も満季から目の(かたき)にされております。おれば、草原(かやはら)にご迷惑が掛かります」
 侑菜が末信を見る。
「麿も、伴って貰う訳には行かぬか」
 千方の決心に衝撃を受けた侑菜だが、そう言って僅かな可能性を探る。末信は、黙って頭を下げた。 
「そうですか。やはり、松寿(しょうじゅ)と共に下野(しもつけ)へ戻れとの、殿のお指図なのですね」
 己一人の事であれば、侑菜が承知することはなかったであろう。しかし、松寿丸の将来を考え、父に従う事にした。
「申し訳御座いません」
 末信が深く頭を下げる。
「分かりました」
 吹っ切れたように、侑菜が応じる。
「お方様がそうされるのであれば、()も残ります」 
 突然、(ひな)が口を開いた。 
(ひな)殿には、お(かた)様着きの任を解くとの(めい)が、殿から参っておる筈だが」 
 そう言う末信に、
「確かに受け取りました。ですが、女子(おなご)達の差配はお方様に任されているはず」
(ひな)が申し立てる。侑菜は雛の申し出は自分を案じてのことと理解し、自分の為に雛まで武規と別れさせる訳には行かないと思った。
(ひな)。では、麿から命じます。そなたは皆と甲賀に参りなさい。麿は実家に戻るのです。幼い頃より着いてくれている者も居る。案ずることは無い」
(かしこ)まりました」
 言いたい言葉を飲み込んだ様子で、一拍置いて雛が頭をさげる。

 翌朝、末信(すえのぶ)(鳶丸)は、小山武規(こやまたけのり)(夜叉丸)、広表智通(ひろおもてともみち)(秋天丸)、大道和親(おおみちかずちか)(犬丸)、それに、(みずか)らと兄・元信(もとのぶ)(鷹丸)の家族を伴い、国家(くにいえ)の郎等達五人と共に甲賀に向かった。
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